『超マクロ展望 世界経済の真実』から学ぶこと(4) [時事]
長々としまりなく書いてきたので、今回でいちおう区切りとしたい。
世界における日本の位置、資本主義の長期的展望、そもそも資本主義とは何かを論じたあと、水野と萱野は最後にふたたび日本に戻り、日米関係をふりかえり、日本の将来展望を考察している。
例によって、蒙をひらかれた部分をいくつか抜きだすことにする。
ひとつは1971年のニクソン・ショックとその後について、水野が「思うに、ニクソン・ショックと変動相場制というのは『強いドル』が実現されていくための状態だったのではないでしょうか」と述べている点である。
ふつうドルの切り下げは、アメリカの弱体化のあらわれとみる。ところが、そうではなくて、それはアメリカ製造業の国際競争力を強化すると同時に、何よりも金融を国際化するための方策だったというのだ。
要するにアメリカは変動相場制を利用して、世界のカネをアメリカに集めるシステムをつくることに成功した。
クリントン政権時代のルービン財務長官の手法について、水野はこう話している。
〈結局、ルービン財務長官がとった戦略というのは、アメリカのなかをバブルにして、それからアメリカが外国に投資するときは相手国をバブルにして、海外から調達したお金をつかって高いキャピタルゲインを得ていこうというものです〉
世界からカネを集めるシステムをつくったことで、没落しかかっていたアメリカは「金融帝国」へと返り咲いた。そのカネをつかって、国内の景気をあおり、あまったカネを国外、とりわけ新興国にまわして、もうけたわけだ。
たしかに、ぼくの狭い経験からみても、銀行が為替リスクのある外国債券や株式のふくまれる金融商品を売りだすようになったのは、10年ほど前からだったように記憶している。多くの人がそれを買って、もうかったように思えたのは最初だけで、そのあとたいていは大損したのではないだろうか。
アメリカにうまく吸い取られた感が強い。少なくとも、多くの家がアメリカに余裕資金をゆだねたのだ。そして、皮肉なことをいえば、さほど人気のない国債が、アメリカにマネーを吸い取られるのを、かろうじて阻止する防波堤になったといえるかもしれない。
80年代の日本のバブルについての指摘がおもしろい。それは冷戦末期、ソ連との軍拡競争に勝つために、アメリカが日本にバブルを引き起こしたというものだ。それについて論じるのはやめておくが、ここでは、萱野による次のようなまとめを紹介するだけで十分だろう。
〈国際資本の自由化によって、アメリカは世界中の預金を自分の預金であるかのごとく使えるようになったんですね。そしてバブルのもとでそのお金を運用し、膨大なキャピタルゲインを得ていった。それが95年の『強いドル』政策から金融危機までに起こったことですね〉
それでは変動相場制のもとで「金融帝国」アメリカの体制に組みこまれて苦しんでいる日本はこれからどのように生き抜いていけばよいのか。
大きくいえば、3つの問題提起がなされている。
第1は従来型の経済成長を前提とした財政構造をあらためること。金融の量的緩和によりインフレ政策を導入すれば、景気がよくなるというのは幻想にすぎない。それよりも深刻な財政赤字を早急に改善すること。人民元が自由化されると、日本の資本は流出し、銀行は国債を消化できなくなるから、その対策期限は10年ないし15年と見込まれること。
第2はアジア共通通貨の創設。それによって日本がドル圏からの一定の離脱をはかること。「日本としては、高騰する資源(ドル建て)を安く購入するためにドル安・円高を受け入れて、輸出先をアジアに一層シフトしていくことが必要です」
第3は国が環境規制を導入し、それによって新たな技術や市場を誘導していくこと。「これまでは国民経済のもとで公共投資によって需要を喚起することが、資本主義の役割でした。しかし、これからは、規制によって市場を新たに創設するという役割が国家に求められるようになるでしょう」。規制が市場を生むというのはなかなかユニークな考え方だ。
国の役割が重要だという点では、両者の意見は一致している。しかし、このなかで、もっとも困難だと思われるのは、やはり積もり積もった財政赤字の問題だろう。新規の国債発行額44兆円、国債発行残高900兆円というのは半端な数字ではない。しかし、「ありうるオプションは増税と社会保障費の削減ぐらいしかない」と、ふたりともなかば匙を投げたかたちになっている。
消費税を5パーセント上げると税収は12兆円増えるという計算がある。それでも44兆円にはとてもおよばない。単純計算をすれば、EU並みに消費税を20パーセントにして税収はやっと48兆円。現行の消費税5パーセントで、すでに12兆円の税収はあるから、消費税20パーセントでも8兆円の財政赤字となる。気が遠くなる。いったいどうすればいいのだろう。
近代日本の財政危機、たとえば松方財政、あるいは日露戦争後の時代、さらに戦後のドッジ・ラインと比較しても、現在の財政状況はきわめて特異だし、闇に包まれて先がまったく見えないという不安にかられる。あとは野となれ山となれ。無責任な感じが強い。せめて長期の財政見通しを示す必要があるのではないか。
それと規制によって新たな市場をつくるという提言もさることながら、ぼくにはやはり食糧とエネルギー、環境が日本経済のゆくえを左右するような気がしてならない。むしろ、あらたな可能性はそちらに求めるべきではないのか。
経済に素人のぼくにも、この本はわかりやすく有益だった。そのことに感謝しつつ、勝手な感想を書き記した。
世界における日本の位置、資本主義の長期的展望、そもそも資本主義とは何かを論じたあと、水野と萱野は最後にふたたび日本に戻り、日米関係をふりかえり、日本の将来展望を考察している。
例によって、蒙をひらかれた部分をいくつか抜きだすことにする。
ひとつは1971年のニクソン・ショックとその後について、水野が「思うに、ニクソン・ショックと変動相場制というのは『強いドル』が実現されていくための状態だったのではないでしょうか」と述べている点である。
ふつうドルの切り下げは、アメリカの弱体化のあらわれとみる。ところが、そうではなくて、それはアメリカ製造業の国際競争力を強化すると同時に、何よりも金融を国際化するための方策だったというのだ。
要するにアメリカは変動相場制を利用して、世界のカネをアメリカに集めるシステムをつくることに成功した。
クリントン政権時代のルービン財務長官の手法について、水野はこう話している。
〈結局、ルービン財務長官がとった戦略というのは、アメリカのなかをバブルにして、それからアメリカが外国に投資するときは相手国をバブルにして、海外から調達したお金をつかって高いキャピタルゲインを得ていこうというものです〉
世界からカネを集めるシステムをつくったことで、没落しかかっていたアメリカは「金融帝国」へと返り咲いた。そのカネをつかって、国内の景気をあおり、あまったカネを国外、とりわけ新興国にまわして、もうけたわけだ。
たしかに、ぼくの狭い経験からみても、銀行が為替リスクのある外国債券や株式のふくまれる金融商品を売りだすようになったのは、10年ほど前からだったように記憶している。多くの人がそれを買って、もうかったように思えたのは最初だけで、そのあとたいていは大損したのではないだろうか。
アメリカにうまく吸い取られた感が強い。少なくとも、多くの家がアメリカに余裕資金をゆだねたのだ。そして、皮肉なことをいえば、さほど人気のない国債が、アメリカにマネーを吸い取られるのを、かろうじて阻止する防波堤になったといえるかもしれない。
80年代の日本のバブルについての指摘がおもしろい。それは冷戦末期、ソ連との軍拡競争に勝つために、アメリカが日本にバブルを引き起こしたというものだ。それについて論じるのはやめておくが、ここでは、萱野による次のようなまとめを紹介するだけで十分だろう。
〈国際資本の自由化によって、アメリカは世界中の預金を自分の預金であるかのごとく使えるようになったんですね。そしてバブルのもとでそのお金を運用し、膨大なキャピタルゲインを得ていった。それが95年の『強いドル』政策から金融危機までに起こったことですね〉
それでは変動相場制のもとで「金融帝国」アメリカの体制に組みこまれて苦しんでいる日本はこれからどのように生き抜いていけばよいのか。
大きくいえば、3つの問題提起がなされている。
第1は従来型の経済成長を前提とした財政構造をあらためること。金融の量的緩和によりインフレ政策を導入すれば、景気がよくなるというのは幻想にすぎない。それよりも深刻な財政赤字を早急に改善すること。人民元が自由化されると、日本の資本は流出し、銀行は国債を消化できなくなるから、その対策期限は10年ないし15年と見込まれること。
第2はアジア共通通貨の創設。それによって日本がドル圏からの一定の離脱をはかること。「日本としては、高騰する資源(ドル建て)を安く購入するためにドル安・円高を受け入れて、輸出先をアジアに一層シフトしていくことが必要です」
第3は国が環境規制を導入し、それによって新たな技術や市場を誘導していくこと。「これまでは国民経済のもとで公共投資によって需要を喚起することが、資本主義の役割でした。しかし、これからは、規制によって市場を新たに創設するという役割が国家に求められるようになるでしょう」。規制が市場を生むというのはなかなかユニークな考え方だ。
国の役割が重要だという点では、両者の意見は一致している。しかし、このなかで、もっとも困難だと思われるのは、やはり積もり積もった財政赤字の問題だろう。新規の国債発行額44兆円、国債発行残高900兆円というのは半端な数字ではない。しかし、「ありうるオプションは増税と社会保障費の削減ぐらいしかない」と、ふたりともなかば匙を投げたかたちになっている。
消費税を5パーセント上げると税収は12兆円増えるという計算がある。それでも44兆円にはとてもおよばない。単純計算をすれば、EU並みに消費税を20パーセントにして税収はやっと48兆円。現行の消費税5パーセントで、すでに12兆円の税収はあるから、消費税20パーセントでも8兆円の財政赤字となる。気が遠くなる。いったいどうすればいいのだろう。
近代日本の財政危機、たとえば松方財政、あるいは日露戦争後の時代、さらに戦後のドッジ・ラインと比較しても、現在の財政状況はきわめて特異だし、闇に包まれて先がまったく見えないという不安にかられる。あとは野となれ山となれ。無責任な感じが強い。せめて長期の財政見通しを示す必要があるのではないか。
それと規制によって新たな市場をつくるという提言もさることながら、ぼくにはやはり食糧とエネルギー、環境が日本経済のゆくえを左右するような気がしてならない。むしろ、あらたな可能性はそちらに求めるべきではないのか。
経済に素人のぼくにも、この本はわかりやすく有益だった。そのことに感謝しつつ、勝手な感想を書き記した。
2011-01-12 14:56
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