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驚天動地の震災 [時事]

 三陸沖で大地震が起きたのは、台湾時間の3月11日午後2時すぎ、台北空港でこれから飛行機に乗って帰国しようと、搭乗カウンターに並んでいる矢先のことでした。地震により搭乗が遅れるというアナウンスがあり、しばらくすると成田空港が閉鎖されたため、当日の搭乗はできなくなったことがわかりました。そのため、この日は台北のホテルに一泊。翌日、旅行社に何とか帰国の便を見つけてもらい、成田空港に戻ってきました。空港から2時間(いつもは50分足らず)かかってしまいましたが、それでも京成電車が動いていたおかげで、夕方、船橋の自宅に戻ることができました。
 家の中は食堂の棚においてあったガラスの皿と陶器の鉢が割れた程度で、大きな被害はありませんでした。そのほか本棚の上に積んであった本が何冊が落ちていたり、仏壇がずれていたりしたものの、心配していた大型テレビも倒れておらず、ほっと胸をなでおろしました。
 テレビからは石巻や宮古などの惨状がつぎつぎと飛び込んできます。とりわけ怒りくるうように町をのみこむ津波の恐ろしさに身震いしました。その跡はまるで大きな爆弾が落ちたように何も残っていません。しばらく茫然としていました。いまのところ警察発表の死亡者は5000人ほどですが、最終的には2万人を超えるのではないかと心配しています。
 畏るべき天災というほかありません。石原東京都知事は「やっぱり天罰だと思う」と無神経な発言をし、各方面から抗議を受けて、それを撤回しました。もっともその前段にある「日本人は津波をうまく利用して我欲を1回洗い落とす必要がある」というのが、かれのホンネだったのかもしれません。もっとも、我欲のかたまりは石原慎太郎当人だという指摘もできそうですが……。
 カミュの『ペスト』は感動的な物語ですが、ここで最後にペストにかかって悲劇の死を遂げるタル−が、敬愛する医師リウーに語る、こんなことばがあるのを見つけました。

〈いまでは、ぼくは[超人ではなく]本来の自分になることに甘んじているし、謙譲ということも学んだ。ただ、ぼくが言っているのは、この地上には天災と犠牲者というものがあるということ、そうしてできうるかぎり天災にくみすることを拒否しなければならないということだ。……そういうわけで、ぼくは災害をできるかぎり少なくするように、あらゆる場合に犠牲者の側に立つことにきめたのだ〉

「津波をうまく利用して我欲を1回洗い落とす」というのは、まさに天災にくみする側のことばです。天災を歓迎するというわけではないでしょうが、すくなくとも傲慢な政治のにおいを感じます。
 いまは犠牲者の側に立つこと、祈り、何か手助けをすること、そしてわれわれの来し方行く末を静かにふり返り、考えること。それしかないような気がします。

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