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『戦後世界経済史』(猪木武徳著)を読みながら(12) [商品世界論ノート]

 1990年代以降の特色は、経済のボーダーレス化と企業の多国籍化が進むことです。そのいっぽうで欧州連合(EU)結成のような地域主義の動きもみられました。EUではいまのところイギリスなどをのぞいて、共通通貨ユーロが導入されていますが、政治的統合はまだしもの感があり、ギリシアなどで経済危機が起こると、ユーロ自体にもきしみが出てくるのは統合自体のむずかしさを示しているようです。
 それではアジアの地域連合ははたして成立する可能性があるのでしょうか。EUならぬAU(アジア連合)にはやっかいな問題があります。アジアの統合がむずかしいのは、それぞれちがった意味で強大な日本と中国という国が存在するからです。その周辺諸国は、AUなどというものができて日本圏あるいは中国圏に属するとなれば、拒否反応をともなうのはとうぜんです。しかも日中は経済的には相互依存関係にありながら、政治的には緊張をはらんでいます。当面は東南アジア諸国連合(ASEAN)やアジア太平洋経済協力会議(APEC)などの国際機関で、利害関係の調整を積み重ねていくしかないでしょう。
 著者もこう書いています。

〈きわめて緩やかではあるが、アジアの経済も戦後の欧州同様、統合の道を歩み始めている。欧州が単一通貨導入までに要した時間を考えると、アジアの地域統合への道はまだ遠い。しかし統合への方向へ歩み始めたことは確かである。問題は時間であり、忍耐力であろう〉

 この意見にはぼくも賛成です。
 しかし、社会主義体制が崩壊し、新たな地域統合に向けての動きが見えはじめ、さあ新たなミレニアム(千年紀)というときにぶつかったのは、何とも残酷で荒っぽい事態の連続でした。
 その矢先に起こった9・11米中枢同時テロ事件は、黙示録風の第3ミレニアムの幕開けを象徴するかのようでした。そしてこの2011年には3・11という驚天動地の東日本大震災です。
 それはともかく、いまは経済に話を戻すと、著者は9・11と3・11のあいだに生じた2007年8月の金融危機に対して、こういう見方を示しています。

〈確かに、社会主義は、経済システムとしての致命的欠陥ゆえに崩壊した。しかし市場経済は、真に自らの完全性ゆえに勝利を手にしたわけではない。市場経済の中で主役と化した金融界の動きが実体経済を振り回す乱暴ぶりは、人々の平静な生活を根本から攪乱するようになった。……バブルの破裂、実体経済を攪乱する金融資本の力は、何らかのシステムをデザインすることによって制御されねばならない。人間の欲望そのものを否定してことが済むわけではない。人間は欲望を持つ。その欲望をコントロールし、よりよい方向へと向かわしめることが必要なのである〉

 言っていることはよくわかります。そのとおりだという気がします。
 しかし、欲望のコントロールという個人の意思にかかわる事象と、システムのデザインという公的なコンセプトが同一面で論じられているという印象もしないではありません。
 問題はマネーのコントロールです。マネーはもともと金のかたちであれ何であれ、商品世界に組みこまれ、それによって一種の規制を受けていました。ところがブレトンウッズ体制の崩壊以降、為替変動制の到来とともに、その制約が取り外され、いわば人の判断にゆだねられるようになったのです。ハイパーリアルな存在としての貨幣、それをなかなかコントロールできず金融危機を招く状況は、人間の生活を豊かにするはずの原発が、いったん事故が起こればなかなか収拾が容易でない事態を連想させます。
 マネーをコントロールするシステムを設計することはだいじでしょう。しかし、システムというのは、もともとあるべき状態を前提として組み立てられています。その前提が実は問われているとしたらどうでしょう。
 人は自分たちの文明、つまり現在のように商品世界化した高度消費文明が、どういうものであるかを、意外と知らないものです。われわれ自身もそれに組みこまれて、日々の生活を享受しているのですから。それでも、その文明を問うことを忘れてはならないことを、今回の大震災は教えているような気がしてなりません。
 どうも話はあらぬ方向にずれてしまったようです。

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