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ニヒナメと新嘗 [柳田国男の昭和]

《連載192回》
 新嘗の嘗は、中国では秋祭を指している。したがって、新嘗は秋の収穫祭といってもよさそうに思える。また嘗には「なめる」の読みもあることから、新嘗とは新米をなめる儀式と理解されていた。しかし、ニヒナメを民族固有の儀式と確信する国男は、そのどちらの説もとらなかった。新嘗はニヒナメの当て字にすぎないというのである。
 折口信夫は、ニヒナメのニヒは、新しいという意味ではなく、稲叢(いなむら)または稲積みをさすニホあるいはニョウからきているという考え方を早くから示していた。国男はこの折口説を採用し、全国の稲積みの方式を点検したうえで、「ニホが稲を穂のままに、ある期間蔵置する場所」だったことは明白との結論にいたる。
 そして、そこからさらに飛躍して、世界各地に穀母が穀童を育てるという信仰があることに示唆されて、ニホ、ニブ、ニョウが産屋(うぶや)をさすのではないかという。ニヒとかニホと呼ばれるものは、「稲の産屋」にほかならないというのが、その結論だった。したがって、ニヒナメとは、稲霊の誕生をことほぐ祭のことだ。その祭はほんらい、稲積みされた野外の祭場でおこなわれていた。
 常民のあいだでおこなわれていたニヒナメは、どういうものだったのだろう。その痕跡をさぐるのは、けっして容易ではなかった。というのも新嘗祭の記録は、皇室や貴族のあいだに残るだけで、祭自体の変遷もはなはだしかったからである。
 くり返すが、「稲の産屋」の祭が、国男のいうニヒナメの本義である。産屋というからには、稲の種子の存続が、その中心とならねばならない。
 その民間のニヒナメを求めて、国男はさまざまな伝承を渉猟している。

〈たとえば千葉県南部の農村などで、焼米もらいと称して、子供が袋を持って家々の田をまわり、もらい集めてあるいた焼米のごときも、ただ彼らを悦(よろこ)ばしめるために調製せられるものでなかった。お初穂はまず家の神棚に上げるほかに、必ず田の水口の簡略なる祭壇に、木の葉などを敷いて供えるのが常の例である。旧暦八朔[8月1日]のタノムの節供のごときも、今は晩稲のまだ穂を出さぬものが多くなって、単に田を誉め、または田の神さん頼みますなどと、わめいてまわるだけの村もあるようだが、もとは若稲のまだよく固まらぬ穂を摘んで、これを火であぶって扁米(ひらいごめ)というのをこしらえ、神と祖霊に供え、家の者も相伴した。この新穀の香は忘れがたいというのは、すなわち辛苦がようやく実を結んだ、うれしさ、かたじけなさを語るものだったらしい。日本の風土としては収穫の季節には少し早すぎるのだが、なおこの月の初めを抜穂の日として、次の年の耕種との連鎖を考えたのは、看過すべからざる稲作の史料であろう〉

 おそらく、コメ、とりわけその種子の存続をめぐる儀礼について、例を挙げていけば、きりがなかったにちがいない。九州北部でみられる霜月丑の日の「田の神迎え」、四国の「大黒揚げ」は、刈り残した稲を最後に主人が刈って、家に運び、その籾を次の年の種子とする行事だ。
 現在では新暦で月の感覚がずれてしまったにせよ、霜月の祭や正月の儀式にもコメは欠かせなかった。苗代の種籾を俵に包んで、神棚や大黒柱の下に置き、それに緑の松を立て、祭主となる主人は沐浴して身を浄め、年神の来訪を待つしきたりも各地で多くみられた。アエノコトなどと呼ばれる、こうした稲のまつりを、国男はニヒナメの原型と考えていた。とりわけ霜月23日前後は神聖な季節であり、「穀母の身ごもる日」なのだった。

 現在の新嘗祭は新暦の11月23日(勤労感謝の日)に、宮中祭祀としておこなわれている。とりわけ即位の年の新嘗祭は、大嘗祭と呼ばれ、大がかりなものとなる。それは国男のいう常民のニヒナメと、どこが同じで、どこが異なっているのだろうか。
 国男は新嘗の「嘗」は宮中においては、もともと「キコシメス、すなわち天子に今年の稲穀をさしあげること」にほかならなかったのに、新嘗祭は次第にそれを中心とする前後の行事、さらには幣帛を国内の諸社に送ることを含む祭へと変化していったと指摘する。
 そのうえ、即位にさいしての新嘗祭、すなわち大嘗祭では、悠紀(ゆき)殿、主基(すき)殿がつくられ、そのなかで秘儀めいた作法がなされるなどして、天皇の「無限の尊さ」をほのめかす工夫がほどこされるようになったという。
 国男はもともと皇室も「天の長田」というような稲栽培地を所有しており、年ごとに斎田を指定するようなこともなく、皇族みずからが収穫した稲をまつり、ニヒナメで来年の種子を聖別していた時代があったはずだと考えていた。つまり、悠紀や主基を斎田とするのは、のちの陰陽思想にもとづく新制度にちがいないというのだ。
 朝廷における新嘗祭の様式が、民間とはちがう独自のものであることは、認めないわけにはいかなかった。

〈令制以後における公の新嘗には、少なくとも常人の模すべからざる特色がいくつかあった。もっとも見落としがたい大きな差別は、皇室が親しく稲作をなされざりしことである。供御の料田は十分に備わっていても、それを播(ま)き刈るものは御内人ではなかった。ことに大新嘗には国中の公田を悠紀主基に卜定して、その所産をもって祭儀の中心たるべき御飯の料に充てられることになっていた〉

 さらに皇室の新嘗祭が民間の祭とことなるのは、天皇みずからが新穀を食するだけでなく、国内の主要な神祇を祭る点だった。皇室の神である天津神だけではなく、土俗の神である国津神を一視同仁に祭るのは、皇室ならではの祭儀だといってよかった。
 国男は大嘗祭独特の神事にも言及している。

〈たとえばこの大嘗の日の神殿の奥に迎えたまう大神はただ一座、それも御褥御枕を備え、御沓杖等を用意して、祭儀の中心をなすものは神と君と、同時の御食事をなされる、むしろ単純素朴にすぎたとも思われる行事であったというに至っては、これを一社にしてなお数座を分かち、それぞれに幣帛を奉進したというような、いわゆる天神地祇の敬祭と同日に語るべきものではない〉

 表現に慎重を期した言い方とはいえ、皇室の祖である天照大神の霊が即位した天皇に宿るところに、大嘗祭の中心祭儀をとらえていたことがわかる。天皇が天神地祇の敬祭をおこなうのは、天照大神が国じゅうの神々に優越することを示すためであり、東西の悠紀主基田から稲が献納されるのは、天皇の支配が全国におよぶことを象徴する儀礼だった。
 そうなるとニヒナメを「稲の産屋」の祭とした国男の定義は、こと朝廷の新嘗祭に関するかぎり、あてはまらないということになる。かれ自身も、すでに延喜式[10世紀はじめの平安中期にまとめられた式典書]のなかには「すでに翌年播種の種子に対する心づかい、すなわち私たちのいおうとする稲の産屋の式作法がすこしも見えない」と指摘している。
 それでも国男は懸命に渉猟する。皇室の大嘗祭でわずかに残るニヒナメの痕跡は、延喜式に記された稲実斎屋(いなみのいみや)という施設だった。それをあずかるのが、いまは存在しない稲実公(いなみのきみ)という役職だった。
 稲実公はどういう役割を果たしていたのか。
 少し長くなるが、国男の説明を引いておくことにしよう。

〈その役目は抜穂の田に出て稲を抜き乾かし収める以外に、9月にその稲を京都に運んでいくときにも、木綿鬘(もめんかつら)を着けて引道する者はこの稲実公であった。京都の斎場でも、内院に稲実屋一宇を造り、それにすべての御稲を収めたとあるが、これには稲実公は参与しないに反して、悠紀主基の田の側では、八神殿の外に稲実斎屋を造り、これをば特に斎屋と呼んだのみならず、別に稲実公等の屋というものも設けられていた。すなわち彼はまた忌籠もりの役でもあったともみられる。あるいは意をもって迎えるからかも知れぬが、稲実という語は、飯料や造酒料の外ではなかったろうかという気がする。京に出てきたのも別の目的があるわけではなく、ただ聖別せられた稲の穂の中から、翌年の種実を拝受して、郷里に還ってくる任務が、最初はまだ課せられていた名残ではなかったろうか〉

 これをみると、稲実公は民間のニヒナメと皇室の新嘗を結ぶ役割をはたしていることがわかる。稲実公は選定された悠紀主基田から清浄な稲を朝廷に収め、村に聖別された翌年の種実をもちかえる役目をになっていたからである。
 山下紘一郎が指摘するように、ここには「ニヒナメ祭にみる朝野の亀裂」、いいかえれば支配─被支配の関係がみられるのかもしれない。
 しかし、新嘗祭を政治的にとらえるのは、国男の本意ではないだろう。むしろ新嘗の脱政治化、いいかえればニヒナメ化こそが、戦後皇室のあるべき方向と考えていたのではないだろうか。
 途中で断念された「倉稲魂(うがのみたま)考」は、稲の産屋と人の産屋とを結びつけようとする試みだった。
 自身、こう書いている。

〈稲と人間と誕生に関する信仰の行事が、かつてはひとつであったなどということは、もっとやそっとでは今日の学者には信用できまいが、私はいまそういう仮定をもち、その立証のために残生を傾けようとしている。これには内外の事例を総合しなければならぬが、まず日本では主婦の子を生む場所と、稲の種の管理せられる小さな一室が、弘い地域にわたって以前から同じであった〉

 国男はどんな過酷な状況におかれても、稲が毎年みのり、来年に向けて種子を用意するように、人もまた次々と成長し、将来に向け次の世代を生みだすことを常民の立場から祈ったのだといってよい。
 国男にいわせれば、皇室の新嘗祭も、国民の発展を願うそうした祈りでなければならなかったのである。

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