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国難思想家は誰だ? [本]

この国難といわれた1カ月間、拠り所となった思想家の本はありますか?
いまその言葉をどうしても聞きたい思想家はいますか?
そんなアンケートが回ってきた。
国難といわれると、ぼくのような不逞の輩には、ちょっと返答がしづらくなるけれど、それでも、この大震災からひと月のあいだに、心の拠り所となった本はいくつかある。
■アルベール・カミュ『ペスト』(宮崎峯雄訳、新潮文庫)
石原東京都知事の「天罰論」を聞いたとき、ぼくはこの小説の登場人物がこう語るのを思い出した。「ぼくが言っているのは、この地上には天災と犠牲者というものがあるということ、そうしてできうるかぎり天災にくみすることを拒否しなければならないということだ。……ぼくは災害をできるかぎり少なくするように、あらゆる場合に犠牲者の側に立つことにきめたのだ」
■柳田国男『海上の道』(岩波文庫)
『遠野物語』『先祖の話』そのほか、柳田国男はどの本を読んでも励まされる。日本が日本でありつづけるために、継承されねばならないものとは何か。かれは晩年、懸命に考えつづけた。最近、『海上の道』に収録されている「稲の産屋」を読み、感銘を受けた。
■埴谷雄高『死霊』(講談社)
少年のころ、埴谷雄高は生まれ育った台湾の海辺で、オランダ人の残した史跡をみるうちに「荒涼たる虚無感」を覚えた。『死霊』の構想は、じつにこのときの経験にさかのぼる。虚から生じ虚体へと向かう存在のふるえを描く『死霊』の大宇宙的世界の最後に、主人公のひとりはこう述べている。「この生命があり、『考え』がある世界で、同じ時、同じ所に、居合わせることになってありがとう」。埴谷の父祖の地(それは偶然にも島尾敏雄と同じ場所だが)、相馬郡小高町(現南相馬市)は現在福島原発から20キロ圏内にある。
■D・H・ロレンス『黙示録論』(福田恆存訳、ちくま学芸文庫)
いまは天罰と神への服従の書『ヨハネ黙示録』をふりかざすべきではない。むしろ、われわれはロレンスによる反黙示録論を読み、「虚偽の非有機的な結合を、殊に金銭と相つらなる結合を打毀し、コスモス、日輪、大地との結合、人類、国民、家族との生きた有機的な結合」を取り戻さなくてはならない。

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