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『加藤周一を読む』(鷲巣力)をめぐって [本]

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 正直言って、ぼくは加藤周一という人があまり好きではありませんでした。すごく高踏的で、人の知らないことを並べ立て、高尚な芸術を愛好し、鋭い眼光でものごとをバサリバサリと切り取る、雲の上の評論家だと思っていました。
この本は、ぼくのそんな思いこみを、あっさりぬぐいさってくれました。楽しくもスリリングに、しかも幅広く奥深く徹底的に考え抜く加藤周一の思想的格闘の現場にいざなってくれたのです。かれをぼくの〈いま・ここ〉に引きだしてくれた──つまり、遠くに輝いていた巨星を、父親のように身近な存在として再現してくれた、そんな気がします。
 ふり返って、本棚をながめてみると、加藤周一の本で、ぼくがもっているのは『羊の歌』(岩波新書)、『日本文学史序説』(筑摩書房)くらいのものでしょうか。『日本文化における時間と空間』は買いそびれてしまいました。『言葉と戦車』は買ったような気もするのですが、いま手元にはありません。いずれにしても、あまりきちんと読んでいないことはたしかです。
 加藤周一の簡潔明瞭な文体は、硬質で、さっと頭のなかを流れていくとはいえ、理知的にすぎ、感動や興奮を呼び起こすたちではありません。だから、何だか印象が薄いような気がしていました。新聞に時々掲載されていた「夕陽妄語」にしても、うまいな、みごとだな感心しつつ、つい読み流していました。晩年「九条の会」にかかわり、憲法9条の改正に反対する運動を積極的につづけておられることは知っていましたが、その深い動機には思いいたりませんでした。
 年譜をみると、1919年、お医者さん一家(父親は東大付属病院の医局長)に生まれ、本人も東大医学部を卒業し、医者になったことがわかります。文学に加えて、映画、演劇が好きで、早くから評論を書きはじめてもいます。留学生としてフランスに行ったのは1951年で32歳のとき、4年間フランスにいて、日本に戻ってきます。医者をやめて、文筆業に専念するようになったのは、40歳前からですね。
 1960年以降は、カナダのブリティッシュ・コロンビア大学の准教授、ベルリン自由大学教授兼東アジア研究所所長、朝日新聞客員論説委員、上智大学教授、ジュネーヴ大学、ケンブリッジ大学、ヴェネツィア大学、コレヒオ・デ・メヒコ大学(メキシコ)の客員教授を務め、最晩年までさまざまな大学で講義し、1993年には朝日賞を受賞、2000年にはフランス政府、2002年にはイタリア政府から勲章をもらうという華々しい活躍ぶり。亡くなったのは3年前の2008年末、89歳でした。世界で活躍した日本の大文化人、といってまちがいないでしょう。
 ぼくなどが近寄りがたいのも、むべなるかな。とはいえ、加藤周一が海外のさまざまな大学で教えたのは、おもに日本文学史、日本美術史です。そして、従来の「文学」や「美術」の枠にこだわらず、それらを思想を含む人文、すなわち広い意味でのアート、あるいはカルチュラル・スタディの領域にまで拡張して論じたところが、なかなかすごいところだといえるでしょう。
 この人には常に「全体」をとらえようとする志向があります。全体といっても、部分を切り捨ててしまう全体ではありません。部分がひとつでも欠けてしまえば、全体はたちどころに崩れてしまう、かといって、部分が部分だけで成立するわけではありません。部分は部分として自立しながら、全体のなかに位置し、全体を構成する方向性をもっています。加藤周一がとらえようとしたのはそういう「全体」です。
 だから、全体のなかには変化と持続、歴史と現在、交流と拒絶、アナロジーとアレゴリー、東西南北の文明の交差があり、要するに「世界」(ないし天空)がありました。加藤周一は日本文化、とりわけ日本の文学と美術を全体としての世界のなかでとらえなおそうとしたのではないでしょうか。そのためには気の遠くなるような年月と努力、そしておそらく外科手術での判断にも似た思い切りのよさが必要だったはずです。
 ここで、たとえば加藤周一の代表作のひとつである『日本文学史序説』の特徴を、著者の鷲巣力がどう指摘しているかを紹介しておくことにしましょう。
7つポイントが挙げられています。

(1)「通史」として、文学の範囲を広くとるという視点が貫かれている。
(2)常識的な時代区分を採用せず、文学の中心に応じた区分法を採用している。
(3)「転換期」が重視され、「変化」と「持続」が主題とされている。
(4)作家、作品本位ではなく、対照的な概念(たとえば「現世的」と「超越的」)によって、文学史が整理されている。
(5)時代を総合的に把握したなかに文学が位置づけられている。
(6)通時的な視点をとりいれ、後世への影響、後世(前時代)との比較が頻繁になされている。
(7)国際比較の視点があり、欧米文学や中国文学との類似や相違が示される。

 全体を体系的に、しかも豊かでダイナミックにとらえようとしていることがわかりますね。
 加藤周一のこの特質は、なにも文学史や美術史の領域だけで発揮されたわけではありません。長く海外生活を送りましたが、そのなかで常に考えていたのは、日本人とは何か、日本文化とは何かということでした。この点はドナルド・キーンともよく似ているような気がしますが、加藤周一の場合は、世界のなかで日本がとろうとしている立場のあやうさに超然としていられなかった点がちがっていたといえるでしょう。
 とくに「戦争」の問題については、傍観者ではいられませんでした。晩年、かれは執筆活動を中断しても、「九条の会」の講演会をこなし、「『九条の会』はたとえ憲法改正がなされても続けないとならないですね」と話していたといいます。
 いくら長命でも、人生がかぎられていることは誰も同じです。加藤周一はそのかぎられた人生のなかで、美しい天空を構築するために懸命に時空を行き来しながら、常にいまという時代とまっぷたつに取り組もうとしたのではないでしょうか。ドン・キホーテに終わることも承知しながら、英傑たらんとする道を求めつづけた、輝かしい人生に乾杯(サルーテ)! この本を一読して、そんな気分になりました。

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krause

この本に興味を持ちました。早速買って読んでみようとおもいます。
by krause (2011-10-09 19:10) 

だいだらぼっち

そういえば11月6日の朝日新聞に保阪正康さんがこの本の書評を書いていました。
by だいだらぼっち (2011-11-08 16:03) 

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