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『現代社会の理論』(見田宗介)を読む(1) [商品世界論ノート]

最近出はじめた「見田宗介(真木悠介)著作集」全14巻の第1巻。
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『現代社会の理論』は1996年に岩波新書として刊行されたらしいが、読んでいなかった。本書はその「増補版」となっている。とはいえ、改訂はほとんどないらしい。
すこしは暇になって、こういうこむずかしい本が読めるようになったのは、ありがたいことだ。
ゆっくりしか進まないので、できるのは、ぼちぼちメモをとることくらい。年寄りがまとめたから、勝手な理解に満ちている。
全体は起承転結の4章。
「はじめに」では、現代の「情報化/消費化社会」の光と闇をみつめ、今後の課題を示すというようなことが書かれている。
今回は第1章のメモだ。
「ゆたかな社会」は1950年代のアメリカではじまったとされる。
テレビ、冷蔵庫、洗濯機、それから宝石やボート、旅行……。
19世紀にほぼ10年ごとに発生していた恐慌はなくなろうとしていた。
市場(需要)の限界が突破されたのだ。
それはひとつに国家による市場の管理(ケインズ政策)が功を奏したためである。
もうひとつは消費社会化による需要の創出。
「つまり軍需に依存せず、『幸福』を提供することによる繁栄という形式を、この時代の資本制システムが見出したということ」
消費はモデル・チェンジ、あるいはモード(ファッション)によって、開発されるようになった。
こうして商品は次々と更新されていく。もし商品の更新がなければ、需要はどこかで行き詰まってしまうだろう。
商品の「自由で空虚な」空間の広がりを著者は「欲望のデカルト空間」と名づけ、消費社会はみずからこうした欲望の空間をつくりだすことによって、生成しつづけると記している。
つまり国家による経済社会の管理とあわせて、モードやイメージによる情報(宣伝)消費社会の創出が、20世紀後半の恐慌なき自由社会を支えてきたというわけだ。
ある意味では、自由に仕事を選び、自由にものを買えるというのが資本主義社会の特徴である。
これまでの伝統的な共同体に縛られない、それこそ何でもありの社会。
著者は「情報化・消費化社会こそが初めての純粋な資本主義である」と述べている。
次々とつくりだされる商品は、欲望の結晶であって、かならずしも必要なものとはかぎらない。
「必要を根拠とすることのできないものはより美しくなければならない。効用を根拠とすることのできないものはより魅力的でなければならない」
つまり手にいれたい、買ってみたいと熱望させ、一定期間、消費者に満足を与え、すぐに飽きさせるというのが、現代のもっともすぐれた商品なのだ。
ソヴィエト型の社会主義は、資本主義のもとで展開される商品世界の幻惑に敗れたのだともいえる。
しかし、消費社会はその「外部」あるいは「内部」にさまざまな矛盾と軋轢をもたらす、と著者は考えている。
第1に環境、公害、資源、エネルギーなどの面で見られる問題だ。
第2に地球上の南北間格差。
第3に人間のリアリティとアイデンティティをめぐる問題。
これらを以下で論じていく。

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