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『魂にふれる』(若松英輔)を読みながら [本]

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死者をめぐるエッセイだといってよい。
死についてではない。みずから死を経験した者は、死を語ることができない。
だから、語れるのは死者についてである。
それも身近な死者について。

古来、この国では死者は神になった。人の世をつくった者は、すでにこの世に存在しないが、神としていまも常在する。神々は常にわれわれをみているが、われわれが神々に気づくのは、ほんの時折でしかない。
日本の神々は、この世のすべてをつくった天主、すなわちGod ではない。それは祖であり長である。
それでも、ぼくは無神論の側に立つ。神のことばに従わない。
山片蟠桃を支持しているからである。
江戸時代は俗信と権威主義にあふれていたが、蟠桃は非合理的な精神に身を屈することはなかった。
かれの生命観は自然界の循環原理にしたがっている。そこに神のはたらきはなく、不思議はない。人の生死は、あらゆる生きものの生死と何ら変わるところがないのだ。
〈霊魂というものは、生まれればあり、死ねばない。あるかないかのどちらかだといってよい〉
蟠桃はそう断言している。
もちろん、人は霊的存在である。だが、霊魂は死者にではなく、それを引きついだ生者に帰属するのだ。
〈人の外に神はなく、人のうちにこそ神──いのちのエネルギー──があるのだとすれば、人は一回きりの人生を懸命に生きなければならない。それが、次世代へいのちをつないでいく道でもある〉
ぼくの宗教観は、ほぼ蟠桃の考え方の範囲内に収まっている。

ところが、本書が述べるのは神についてではない。死者、それも身近な死者についてである。
正直言って、本書を読み通すのは、とてもつらかった。
高齢の両親にはもっと長生きしてもらいたいし、万一、妻や子がいなくなれば、とても耐えられないと思うからである。
それでも、しんぼうして最後まで読んだ。
著者は妻をがんで亡くしている。
「魂にふれる」。それは著者がこころでだけではなく、実際に手で妻の魂にふれた経験を指している。やせ細った彼女のからだにふれているときのことだ。そのとき、まるい何かを感じた。柔らかな、しかし限りなく繊細な、肉体を包む何ものか。
そのときの経験を著者はのちに、こう記している。
〈魂にふれたことがある。錯覚だったのかもしれない。だが、そう思えないのは、ふれた私だけでなく、ふれられた相手もまた、何かを感じていたことがはっきりと分かったからである〉
妻が逝ったとき、著者はなぜ彼女を奪うのかと、天をうらむ。
半年後にも、突然、胸の奥底からわきだすような寂寞を感じ、動けなくなった。
だが、いつしか次のような境地に達する。
〈死者はずっと、あなたを思っている。あなたが良き人間だからではなく、ただ、あなたを思っている。私たちが彼らを忘れていたとしても、彼らは私たちを忘れない。死者は随伴者である。……死者は、生者が死者のために生きることを望むのではなく、死者の力を用いてくれることを願っている〉
この気持ちは、ぼくなどにもよく分かる。そうなのだろうと思う。
すべての人が神を信じているとはかぎらない。しかし、身近に死者をもたない人は存在しないだろう。
死者はずっと、あなたを思っている。時にほほえみ、時に叱り、時にはげましながら。そして、あなたもまた死者のことを思っている。

本書は身近な死者を感じながら綴られた、夜のしじまの物語でもある。
死者を思いつづけるさまざまな人物が登場する。
今度の大震災で近親や子ども、知人をなくした人たち。若くしてなくなった哲学者、池田晶子。妻を医療過誤でなくした上原専禄、アウシュヴィッツを体験したヴィクトール・フランクル、『意識と本質』の井筒俊彦、文芸評論家の小林秀雄、民俗学者の柳田国男、絶対矛盾的自己同一で知られる西田幾太郎、愛妻ビアトリスをなくしてからの鈴木大拙、戦後、軽井沢にこもって内省と思索に明け暮れた田辺元、ハンセン病施設で患者に寄り添った神谷美恵子などなど……。
そのだれもが、死者とのつながりを感じていた。
読み進むうちに、田辺元の次のようなことばに出会った。
〈愛を人間の道として教説勧誨(かんかい)するに過ぎないならば、なお未だ自己の活ける信仰を他に頒(わか)ち伝えることはできぬ。そのような宣伝教誨の観念論よりも、死の決断、愛の実践こそが遙かに重要なのである。原子力時代はいわば「死の時代」である。近世の生本位、科学技術万能の時代は、現在その終末に臨んでいるといわなければならぬ〉
預言者めいた物言いにおどろかされる。だが、わかるような気がする。
今度の大震災でも、われわれは多くの「死の決断、愛の実践」を見たのではないか。原子力時代が「死の時代」というのは、できればそれを終わりにしたいという希望の表れである。だが、それだけではない。いまや生者の欲望や喧噪ではなく、われわれを見守る死者の静かな声に耳を傾けるべき時がやってきたという意味でもある。

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