SSブログ

『資本の〈謎〉』を読む(1) [商品世界論ノート]

資料171.jpg
本書のねらいは序文にはっきり示されている。
〈本書において、私は資本の流れの何たるかに関する一定の理解を復活させるつもりである。現在われわれ全員がこうむっている崩壊と破壊に関してより正確な理解に達することができるならば、それについて何をなすべきかに関しても理解しはじめることができるだろう〉
著者のデヴィッド・ハーヴェイはマルクス主義経済学者で、現在ニューヨーク市立大学教授。資本とは資本主義の内部を流れる血液のようなものだと考えている。このあたり、のっけから資本とおカネを混同しているようなきらいもあるが、何はともあれ、のんびりと読み進めることにする。全体は8章、それにペーパーバック版の「あとがき」と伊藤誠の「解説」がついている。
まずは第1章「なぜ金融恐慌は起こったか?」だ。
2008年9月のいわゆるリーマン・ショックを著者は「金融恐慌」ととらえている。その後、3年半以上たっても事態は収束せず、いまだにユーロ危機がつづいているのが現状だ。世界の金融に何が起こっているのだろう。
2008年の金融恐慌にいたる経緯を、著者は次のようにとらえている。
始まりはアメリカ全土で住宅価格が急落し、住宅ローンを払えずに家を手放す人が増えたことである。そしてサブプライムローン危機が発生し、大手の投資銀行が次々破綻する。その代表がリーマン・ブラザーズだった。
サブプライムとは、優良者より下という意味。はっきりいうと下層である。利率の割高な下層向け住宅ローンがこげついたわけだ。
ところが、ややこしいことに、このサブプライムローンが不動産担保証券として、さまざまな金融商品に組み込まれていた。つまり下層住宅ローンの返済から上がる利益をあてにした投資信託ができていて、それが世界中で売られていたというわけだ。
考えてみれば不動産担保証券というのは不思議な仕組みである。不動産から上がる利益をあてにして、世界中からおカネが集まってくる。その集まったおカネはおそらくまた不動産に投資されたのだろう。貧乏人の高利ローンの支払いから出る利益を金持ちが吸い上げるという奇妙な構図が出現していた。
その構図が一挙に破綻し、欲のかたまりでできていた砂上の楼閣がいっぺんに崩れたのだ。2009年春には、世界中で50兆ドル(世界の1年分のGDP相当額)の資産価値がほぼゼロになっていた。

1945年から73年まではまれだった金融危機が、1973年以降は頻繁に起きている。資本主義が不安定期にはいったことはまちがいない。
著者によると、1970年代以降の特徴は労働者の賃金が抑制されたことだという。アメリカやヨーロッパでは移民が増えるいっぽうで、労働節約型の技術が導入された。女性もこれまで以上に労働力に組み入れられていった。生産拠点の海外移転がはじまり、輸送システムが再編される。こうして労働力不足の問題が解決され、賃金が抑制されたというのだ。
しかし、低賃金は需要不足と結びつきかねない。著者によると、そのギャップを埋めたのが「クレジットカード産業の成長と個人債務の増大」だったという。金融機関は「安定収入がない人々にまで資金の貸し付けを開始した」。これにはもちろんリスクを伴ったが、そこに「証券化という驚くべき金融イノベーション」が導入される。こうして、あたかもリスクがなくなったかのような幻想が生まれた。
いっぽう資本はこの時期、国外に新市場を見いだしていた。発展途上国への貸し付けが増え、銀行は国境を越えて自由に業務ができるようになった。株式市場と金融市場を結びつける、いわゆる「ビッグバン」なるものも起きている。
80年代になると富裕層と貧困層の格差が広がる。そのころ「影の銀行」システムと呼ばれるデリバティブ(金融派生商品)取引がはじまり、1990年にほぼゼロだった投資額は2008年には600兆ドルに達した。デリバティブを扱うヘッジファンドがのしてくる。
物の生産から上がる利益より金融操作による利益のほうが大きくなり、株や不動産の価格が上昇して、見かけ上の資産価値が膨らんでいった。
著者は資本主義には「過剰資本吸収問題」がともなうと述べている。つまり、資本は、収益のあがる新たな投資先を見つけなくてはならないのだ。その大きな投資先となったのが中国である。さらに1990年ごろからはデリバティブ市場が発達し、過剰資本はそこに流れこんでいく。こうして資本主義が金融化し、世界中が過剰流動性におおわれるようになったと著者はとらえている。
金融資本は利潤率のもっとも高いところに過剰資本を割り当てるものだ。アメリカについていうと多くの産業では、利益の上がる投資先はなく、そのためグローバル経済の新たな空間が開発されることになる。こうして新たな地域が工業化されて、「生産能力のグローバルな移動」が生じてくる。
著者は18世紀以来のアジアからヨーロッパ、北アメリカへの富の流出が逆転する現象がはじまっており、今回の恐慌が資本主義の抜本的再編の契機となるのではないかとみている。「確かなのは、1990年代におけるポスト冷戦期の勝ち誇る自由市場の時代に支配的であった英米型の世界経済開発モデルがもはや信用を失墜したということである」
恐慌体質をもつ資本主義に対するオルタナティブを提示すること。それが本書の目的だといってよい。
〈問題は、明らかに今回の恐慌を予測するのに失敗した経済理論や正統派理論が、われわれの討論を乗っ取り、われわれの思考を支配し、政治活動を支え続けていることである。このような支配的な精神的諸観念に挑戦しないかぎり、真っ先にわれわれをこの混乱へとたたき込んだたぐいの資本主義にみじめに回帰することより「ほかに道はない」ということになるだろう〉
大胆な試みである。つづけて読むことにしよう。

nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 2

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント

トラックバック 0