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「いける本・いけない本」(2012年夏号)から [本]

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人文系の編集者・元編集者の集まり「ムダの会」が発行する「いける本・いけない本」を送ってもらった。
現役時代、いけない編集者の典型だったぼくも、あるご縁があって、老頭児(ロートル)ながら、この会に時折、参加させてもらっているのだが、今回も、枯れ木も山の賑わいで、恥ずかしながら、この読書アンケートにこたえさせてもらった次第。
2012年夏号は2011年11月から2012年4月に発行された単行本(新書を含む)が対象になっている。
いつも思うのだが、人の興味は千差万別で、新刊の人文書にかぎっただけでも、おもしろそうだと読まれている本はかぎりなくある。
人の数だけ本はひろがっている。
今回、「いける・いけない」に挙げられている本も、読んでいないものが多いというより、ほとんど読んでいないものだといっていい。
自身の視野の狭さを、あらためて認識させられる。
ぱらぱらとページをめくっているうちに、何冊か読んでみたい本にぶつかった。すでに硬直しかけている頭が少しでも刺激されれば大儲けと思って、そのいくつかをリストアップしてみることにした。
考えてみれば本は安い。1回の飲み代で4、5冊買えることを思えば、人生における本の効用は捨てたものではない。
さて、今回のおすすめ本だ。
トニー・ジャネット『失われた二〇世紀』(河野真太郎ほか訳、NTT出版)をふたりの人がすすめている。上下2巻で、読むのがたいへんそうだったので買わなかったのだが、これはおもしろそう。「どこから読んでもおもしろい」とある。キッシンジャーもサイードもやっつけているというから、読んでみなくちゃ。
それから目立つのはやはり原発事故関連の本。東京新聞原発事故取材班『レベル7』(幻冬舎)の注目度が高い。「原発事故については情熱的なドキュメントが数多く出版されているが、全体を見通すには本書を措いてない」とのこと。この本は買ってあるのに未読だ。
ほかに複数の人が、挙げている本。
これには「いける」、それと「いける」「いけない」の両方にリストアップされている本がある。
まず「いける」本としては、辺見庸『瓦礫の中から言葉を』(NHK出版新書)、若松英輔『魂にふれる』(トランスビュー)、山崎正和『世界文明史の試み』、宮島英紀『伝説の「どりこの」』(角川書店)、佐々木睦『漢字の魔力』(講談社選書メチエ)。これは異論のないところ。『漢字の魔力』以外は、ぼくも読んでいる。
おもしろいのは「いける」「いけない」の両方に分かれた本だ。
中野剛志『日本思想史新論』(ちくま新書)、與那覇潤『中国化する日本』(文藝春秋)、佐藤信『60年代のリアル』(ミネルヴァ書房)、井上理津子『さいごの色街』といったところ。
平川克美の本は『俺に似た人』(医学書院)と『小商いのすすめ』(ミシマ社)の2冊が「いける」と「いけない」にはいっている。しかし、「いけない」の理由も「中身とタイトル」がちがうというのだから、どちらかというとこれは両方とも「いける本」なのだろう。
中野、與那覇、佐藤の本は、これまでにない大胆な切り口と評価する人が「いける本」とし、ちょっと乱暴すぎると批判する人が「いけない本」としている。井上の本の評価は、おそらく経験の差が大きく影響している。
ぼくは與那覇の『中国化する日本』しか読んでいないが、「いけない」のほうに手を挙げた。評価の分かれる本はそれだけ問題を含み、ある意味「おもしろい」内容を含んでいるはずだ。
與那覇については、ぼくなりにさらに論を尽くすとともに、中野、佐藤、井上の本は図書館で借りてみることにしよう。
そのほか、ぼくが読んでみたいと思ったのは、「いける」に挙げられている安田浩一『ネットと愛国』(講談社)、小野登志郎『怒羅権(Dragon)』(文春文庫)、アントニオ・タブッキ『時は老いをいそぐ』(河出書房新社)、櫻井英治『贈与の歴史学』(中公新書)、佐山一郎『VANから遠く離れて』(岩波書店)、川西政明『新・日本文壇史』、東浩紀『一般意志2・0』(講談社)、木下直之『股間若衆』(新潮社)、「いけない」に挙げられている酒井隆史『通天閣』だ。
個人的には立花珠樹『新藤兼人』(共同通信)が「いける本」にはいっていたのがうれしかった。
ほかにも無論、いろんな本がとりあげられており、ここに挙げたのは、もちろんぼくの興味の範囲でしかない。
固まりかけた頭が、これで少しほぐれてくれるといいのだけれど……。

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呑牛二世

編集者(元・現)の不見識に驚いた。川西政明『新日本文壇史』が「いける本」としていることに。4巻は、朝鮮人作家の顔写真に小林多喜二のそれを使うなど(二刷で差し替え)基本がなっていないどころか、もっともひどい。徳永直の項は、全編に渡って徳永と壺井榮の創作を切り貼りして「創作」しているのだ。ひらたくいうと盗作と切り貼りで文章を書いているのだ。[検証したものは、『星灯』3号・北村隆志氏監修]「編集」とはこんなものか?「作者」川西と岩波書店に最大の責任があるのだが。
by 呑牛二世 (2016-08-15 10:42) 

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