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中村稔『私の昭和史・完結篇』を読む [本]

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3部作の最終巻。
これで戦前篇、戦後篇(いずれも上下巻)を合わせて、文字どおり『私の昭和史』が完結したことになる。3部合わせて2100ページ以上。
この完結篇は、昭和36年(1961)から天皇逝去で昭和の終わる64年(1989)までを追っている。上下巻で約850ページの大作。
著者は知的財産法(特許権、商標権、著作権など)を専門とする弁護士・弁理士を職業とし、そして日々、みずからの心の琴線にふれながら、詩や評論を書きつづけている。
弁護士・弁理士としての仕事は片手間ではない。
日本を代表する特許法律事務所の運営に携わり、知的財産権にかかわるかずかずの訴訟をになってきた。その仕事はいまもつづいている。
本書にでてくるだけでも、著者が代理人を務めた企業は、イタリアのモンテカティーニ社、日本のソニー、美津濃、東宝、マツダ(東洋工業)、大日本製薬、渡辺プロ、東洋製罐など数しれない。ともかく知的財産権にからむ裁判では、名うての弁護士として知られる人物なのである。
海外で訴えられた日銀や大蔵省の事件を処理したこともある。サド『悪徳の栄え』裁判では訳者の渋澤龍彦らを弁護した。文芸家協会と書協の出版契約書の統一にも尽力した。プロ野球コミッショナー事務局にも関与した。国際知的財産保護協会本部委員、日本商標協会会長も務めた。のちに日本近代文学館の理事長にもなる。
これだけでもすごいのに、特筆すべきは、こうした忙しい活動のさなかにあって、詩が常に著者の身辺にあったことである。そのきっかけとなったのは、一高時代に雑誌「世代」に参加したことである。そのときから詩と文学への水脈が開かれた。
思想信条のちがいはあっても、そのときの仲間、いいだももや日高晋、矢牧一宏、安東次男、駒井哲郎、橋本一明、工藤幸雄などとの友情は終生変わることがなかった。
弁護士となって忙しいさなかも、事務所の運営で神経をすり減らすときも、古美術品をみたり、房総の鵜原で遊んだり、友を亡くしたり、その他なにかにつけ心に詩が浮かんだ。
愛唱した宮沢賢治や中原中也、斎藤茂吉などの詩や歌についても論じた。それらの作品はまとめられ、高村光太郎賞や読売文学賞、芸術選奨文部大臣賞を受賞する。

残念ながら、ぼくは詩についてはちんぷんかんぷんだし、文学書もさほど読んでいるわけではない。まして、法律関係となると、まったく門外漢。
それなら、どうしてこの本を読む気になったかというと、昭和の後半、とりわけ1960年代後半から80年ごろにかけてを、著者がどうとらえているかに興味があったからである。
本書、完結篇の時代、著者は34歳から61歳。職業人として脂の乗ったころだ。
したがって、その記述も仕事の話が多い。以前の青年時代、修行時代とはとうぜん趣がことなる。
一高、東大時代の友人たちもそれぞれの道を歩いている。
「私の」とことわりがあるのだから、いわゆる「昭和史」ものではない。重点はむしろ私の歩みにあり、昭和という時代は近くを通り過ぎていく風景のようにとらえられている。
しかし、おのずからそこには時代を見る「私の」眼がある。
850ページを1週間くらいかけて読み通したが、正直言ってくたびれた。
知的財産権を取り扱う仕事や裁判になじみのないぼくとしては、そのあたりの記述が延々とつづいても、それを追いかけるのがやっとなのだ。
85歳にして、この強靱な知力と筆力。
3日前のことですら、ほとんど覚えていないぼくのような人間は、おそれいりましたというほかない。
本書を読んでいると、正義をつらぬく古武士のような著者の風貌が浮かんでくる。堅苦しいというのではない。律儀で誠実で、情にあつい人である。
人にたいする思いやりとやさしさも感じられる。しかし、いけないものはいけないと断固言い放つところが、じつにはっきりとしていて、さわやかである。

著者が憎むもの、それは不正義だ。とくに正義をかかげながら、暴力や無言の圧力、巧言によって、世を動かそうとする者や体制、運動を憎む。
本書から学ぶもの、それはウソを見抜く力をいかにして身につけるかという処世訓でもある。
たとえば中国の「文化大革命」について、著者は当初「造反有理」というスローガンに共感を覚えていたという。権力はかならず腐敗し、堕落するから、それに批判の刃を向けるのは理由があると思っていたのだ。
ところが、ある時点で、紅衛兵たちは権力闘争に利用されているだけではないかと疑問をいだくようになる。
最後に行き着いた結論はこうだ。

〈文化大革命は、毛沢東がその権力へのあくなき欲望のために、多年の同志を裏切り、迫害し、死に追いこんだ、という以上の意味をもたない。劉少奇の悲惨な死は毛沢東の狡猾、非人間的、かつ、サディスティックな性格によってもたらされた。文化大革命を毛沢東が老耄により犯した過誤とは思わない。さりとて、すべてを毛沢東の資質に帰することはできない、と私は考える。むしろ、一党独裁の社会主義体制に問題があった、と私は考える〉

私は考える、というリフレインが、著者の一徹さを示している。
東大紛争にたいする見方も厳しい。
たとえば、全共闘と警視庁機動隊とのあいだでくりひろげられた安田講堂の攻防については、こう書く。

〈東大全共闘の学生たちの希望的展望をいまとなって嗤うことはやさしいにちがいないが、彼らは現実問題として全国に飛び火するような組織をもっていなかったし、そもそも政府、文部省と対決して何を要求するのか、彼ら自身が知らなかったのではないか。私には安田講堂籠城作戦そのものがただ愚劣としか考えようがなかった〉
〈バリケードが破壊され、安田講堂が落城し、籠城していた学生たちが逮捕されたとき、東大紛争は終った。後には、分裂に分裂をかさね、セクト間で凄惨な内ゲバをくりかえす、極左的分派多くが生まれただけであった。これは東大全共闘の思考の論理的過誤によるのではなかったか〉

あのころ世界じゅうで盛り上がった学生運動、ぼくもその片隅に群がっていたあの運動は、いったい何だったのか。中村の「喝!」を踏まえて、ぼくもまだ考えつづけている。
1973年から数年間、国鉄の労働組合はいわゆる順法闘争と称するストライキを展開した。大宮から通勤していた著者は、乗客の迷惑も顧みない、この勝手な戦術に激しくいきどおる。

〈私は自身、こうした順法闘争、ストライキでどれほど迷惑したかしれない。思いだすだけでも憤りがこみあげてくる。そうした感情問題は別として、私には、国労・動労はちまよっているとしか思われなかった。彼らの意識は利用者不在であった。たとえば、生活物資が必須である以上、その輸送が順調に行われなくなれば、トラック輸送にたよらざるをえない。事実、社会情勢は国鉄による貨物輸送からトラック輸送に移行しつつあった。貨物列車の運行を止めることは、自らの首を絞めることに他ならなかった。そうした素朴な認識を彼らはもっていなかった〉

著者がいきどおるのは、いわゆる実力をもって、何が何でも自分たちの主張をとおそうとする、反権力の名をかたっての権力志向にたいしてである。
1975年にサイゴンが陥落し、翌年、南北ベトナムが統一され、ベトナム社会主義共和国が成立した経緯についても、著者の見方は辛辣である。

〈私はパリ協定でうたわれたように南ベトナムには解放戦線が中心となった新政権が、選挙を経て、樹立されると信じていた。北ベトナムは南ベトナムからアメリカの勢力を排除するために解放戦線を援助しているのだと考えていた。しかし、考えてみれば、解放戦線を援助して戦争に加わることは、自らの勢力の拡大をはかる目的でなければ意味がない。たんに人道的支援などということでは、戦争に加わる意味をなさない。北ベトナム労働党は南ベトナム人民の反米的民族感情を利用し、解放戦線を利用し、南ベトナムを併合した。そういう意図を推察できず、徒らに解放戦線に同情的だった自分を、いまとなって私は恥じている〉

1970年代は、社会主義への幻滅が広がる時代だった。しかし同時にロッキード事件に象徴されるように、日本の指導者層のあいだでも、倫理感覚が崩壊しはじめていた。
それはその後の金融バブルとその崩壊、さらには、最近の福島原発事故にまでつづいているといえなくもない。
倫理とは何かについて、著者はこんなふうに書いている。

〈たとえば、人を殺さない、人の物を盗まない、ということは刑事法により、殺人、窃盗が処罰されるからではない。法律を考えて殺人を思いとどまるわけではない。人を殺してはならない、人の物を盗んではならない、という社会的倫理による、と私は考えている。この倫理とは社会に生活していくための規範であり、平穏な社会秩序を維持するための規範である。この規範は、社会生活を営む個人の誰もが本来的に身につけている。そして、たがいに他人もまた同じ規範にもとづいて行動するであろう、という信頼によって、私たちの社会生活は支えられている。この規範は個人としての私たちの規範であるばかりでなく、会社・団体等の集団の規範でもあり、集団の構成員の規範でもある〉

もっとも嫌悪すべき社会は、倫理なき社会なのである。
『私の昭和史』は次の一文でしめくくられている。

〈昭和は戦前、戦中、戦後をつうじて動乱の時代であった。私たちの未来に何が待ちうけているか。私は東ヨーロッパ諸国の社会体制が大きく揺らいでいることを知っていた。世界の金融システムが危機に向かっているのではないかと感じていた。私たちが何処へ行くとしても、未来はたぶん暗く、波瀾にみちているであろうと予感しながら、私は昭和の終焉を迎えたのであった〉

「未来はたぶん暗く、波瀾にみちている」という予感は痛切である。ただ、そう予感するからといって、うなだれているわけにはいかないだろう。
人は生きているかぎり、社会的倫理をつらぬかねばならない。どんな時代にあっても、著者が求めるのは、正義にもとらない、堂々とした生き方である。

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