SSブログ

『終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか』(水野和夫著)を飛ばし読みする [本]

資料192.jpg
残念ながら、それほど経済書を読むわけではないぼくにとって、この本はとても難解で、よく理解できないところが多い。
そこで何となくわかる部分だけ読んで、大意をつかむことにした。あまりほめられた読み方ではない。
まず結論部分から。
著者はこう書いている。

〈21世紀は、経済的にみればゼロ成長の時代であり、後半になると「グローバル資本帝国」解体の時代となるであろう。17世紀のホッブズが『リヴァイアサン』で帝国を解体させたように、21世紀版『リヴァイアサン』の登場で「グローバル資本帝国」を解体させないと、政治的・社会的な安定状態は実現しない〉

〈21世紀は「脱テクノロジー・脱成長の時代」であるのは確実であり、それは「共存の時代」となるであろう。自然と人間の共存であり、陸と海の共存である。「定常」で成り立つシステムを構築することが必要である。貯蓄と投資がバランスし、ゼロ成長で持続する社会である〉

わかるような、わからないような。
ぼくなりに解釈を加えてみる。
著者は近代という大きな歴史が、1970年代に終わったと考えている。近代とは、言い換えれば西洋中心の時代である。
それはホッブズが『リヴァイアサン』を著した17世紀に本格化する。
15世紀から16世紀にかけて、西洋は停滞し、大きな過渡期を迎えていた。
それが中世から近代への移行期だったといってもよい。
ホッブズの『リヴァイアサン』は、王国ないしは帝国を解体し、国民国家の形成を宣告する画期的な著作だった。
近代とは資本主義を原動力とする西洋国民国家の時代だったと概括することができる。
それが1970年代に終わりを迎えたと著者は認識している。
現代は近代からポスト近代に向かう大転換期にあたる。
それをとりあえず「ポスト近代」と呼ぶのは、いまのところ新しい時代の名称が定まっていないからである。

ポスト近代とはどのような時代なのか。
著者のイメージはこうだ。
世界はグローバル化し、西洋文明を規範とする世界文明が行き渡る。
国民国家に代わる世界共同体が成立する。先進国と新興国との対立構造は解消に向かっている。
資本主義に代わる「定常型」の循環経済が誕生する。
それは反自然的技術によって市場を拡大する方向をとらず、あくまでも自然と調和した技術によって、安定した経済循環をめざすものとなる。
つまり「貯蓄と投資がバランスし、ゼロ成長で持続する社会」が生まれるのだ。

現在は近代から未来世界に向かう途上の大過渡期にあたっている。
古い時代と新しい時代とがせめぎあっているのだ。
平成にはいって、日本は「失われた10年」、いや、それどころか「失われた20年」を経験し、その没落には目をおおうものがあるかのようにいわれている。
しかし、著者によれば、日本は逆にアメリカやEUに先行しているというのだ。
中世から近代への転換と匹敵するほどの、その過渡期があとどれくらいつづくかはわからない。
50年、それとも100年?
いずれにせよ、その間は「終わりなき危機」が連続すると著者はみる。

結論部分の2箇所の引用だけで、これだけ多言を要したのだから、本書の全体像を伝えるのは至難の業で、あとはそれぞれ読んでいただくしかないだろう。
ただ、近代が終わりを迎えたとされる1970年代から現在までを、著者がどういう時代ととらえているかを、いくつかの引用によって、みておくことにしたい。

1970年代はふたつのショックが起こった。ニクソン・ショックと石油ショックである。これによって、資本主義の黄金時代が終わる。
ここで著者が注目するのは16世紀に発生したのと同じ「利子率革命」である。つまり超低金利が長くつづいた。
〈1974年に始まった「利子率革命」が示唆しているのは、企業が「実物投資空間」に投資をしても儲からないということである〉
つまり市場が飽和状態に達していたのだ。
このころから、アメリカは「金融帝国」への道を歩みはじめる。つまり、「電子・金融空間」で、新たなマネーを生みだそうとしたわけだ。
いっぽう日本はバブル崩壊にこりて、人件費抑制へと走る。労働者派遣法が制定され、成果主義が導入される。
石油などの資源は高騰していたが、こうした方策によって、日米ともに(時間差はあるにしても)企業の利益が増え、好景気が訪れた。
しかし、日本では好景気の実感がともなわなかった。
それには理由がある。
企業が利益を確保するため、人件費を徹底的に抑えたからである。
デフレが生じるのはとうぜんだった。
グローバリゼーションがさらにそれを促進する。
企業の海外移転がはじまる。

〈2002年以降、景気が回復しても所得水準は必ずしも向上しなかった。むしろ、定義上の「景気」が回復すればするほど、雇用者報酬や個人企業[町工場や商店など]の混合所得は減少するようになった〉

そしてリーマンショックがやってくる。

〈2007年11月に69カ月続いた日本の景気拡大が終わり、08年9月に米欧の住宅バブルがはじけると、「100年に1度」の金融危機に陥った米国以上に日本は大きな打撃を受けた〉

〈9・15(リーマン・ショック)は「電子・金融空間」の膨張に、そして3・11(福島第一原発事故)は「実物投資空間」の膨張に無理があったことの証左である。このことを理解するのに払った犠牲はあまりに大きい。無理な膨張の結果として、得られた利益よりも損失のほうが圧倒的に大きくなっている〉

その前に、日本では1974年に出生率が総人口を維持する2.1を切って、2005年には1.26にまで低下している。
都市への人口流入もストップし、地価の下落もつづいている。
それでも利潤を求める資本の必死の暴走はとまらなかった。
分配面に大きな問題があることも著者は指摘している。

〈バブルが崩壊すると、リストラという名のもとにバブルの恩恵を受けなかった人たちが真っ先に職を失うのであり、新卒者が就職氷河期という形で最大の被害者となる。「努力した人が報われる社会」とは正反対の方向に社会は向かい、「見えない内戦」がますます激化する。その結果、先進国共通の現象として中産階級が没落する。……日本では1990年代半ばから金融資産残高がゼロのいわゆる貯蓄非保有世帯が急増し、2010年には2人以上の世帯で22.3%、単身世帯では33.8%に達している〉

「1990年代半ば以降、景気回復が3回あったにもかかわらず、名目、実質ともに賃金は下落している」と著者はいう。
企業がもうからなくなった分、そのしわ寄せが労働者にきているのだ。
だからといって、企業はもうけを手放すわけではなく、それを確保することを何よりも最優先する。
かつて固定費だった人件費は、いまや簡単に調整できる変動費になろうとしている。
そのためデフレ脱却は容易ではない。
加えて財政赤字が巨額に達しているため、ちょっと消費増税をしただけでは間に合わず、社会保障費を削ろうという話になる。
それがまたデフレを招く。
石油などの値上がりによる交易条件の悪化も景気に水を差している。
ここからどう脱出するかについて、著者は悲観的である。

〈既存のシステムがこれまでのようにうまく機能しなくなると、時の為政者は必ず構造改革と称する大改革を実施する。しかし、大構造改革は大失敗に終わるのがこれまでの歴史の常である。既存のシステムではこれ以上「膨張」できなかったがゆえに機能不全に陥っている。それにもかかわらず、既存のシステムを強化したところで新しい「空間」はみつからない。改革者の意に反して、既存のシステムの寿命を早め、時代の歯車をいっそう早回しすることになる〉

「電子・金融空間」によるバブルの創出も一時の幻想にほかならなった。
さらに福島第一原発の事故が問うたものは、技術進歩が経済成長を生み出すという神話だったと著者はいう。
経済成長のために、自然の征服をめざす技術進歩の先には何が待っているか。

〈人類は数億年前に堆積した化石燃料を18世紀後半の産業革命以降、わずか2世紀で消費し、IT金融工学で未来の利益を現在時点で消費した。近代とは過去の遺産を食い潰し、未来の利益を横取りしてしまったのである〉

そのような近代の欲望社会からの脱出を目指すことこそが、21世紀の課題だと著者はみている。

nice!(5)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 5

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント

トラックバック 0