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イスタンブール観光の目玉──15日間エジプト・トルコツアー(23) [旅]

12日目 2012年6月24日(日)午後

この日の午後は、海沿いのレストランで昼食にケバブを食べたあと、イスタンブール観光の目玉とでもいうべき、トプカプ宮殿とスルタンアフメット・ジャーミー(通称ブルーモスク)、アヤ・ソフィア寺院(博物館)を回ることになりました。ばて気味のぼくには、きつい日程です。
13時半トプカピ宮殿に到着。この宮殿はメフメット2世によって1460年代に建てられ、以降400年にわたってオスマン帝国支配者の居城となりました(1853年からはドルマバフチェ宮殿に移転)。
日曜日のせいもあってか、トルコ人の家族づれも多く見られました。中庭でくつろいでいる人たちもいます。
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思ったよりもコンパクトな宮殿です。はじめに政庁や謁見の間を見学。宝物館はお宝の山でしたが、残念ながら撮影禁止です。陶磁器博物館には中国や日本の陶器が集められているようですが、ここはパス。
宮殿はボスポラス海峡に面していて、向こうにはアジア側が見えます。もっと正確にいえば、この場所は、マルモラ海と金角湾に囲まれた小高い丘なっています。昔、宮殿の領域は、もっと広かったはずです。この一帯、ビザンティン時代はアクロポリスと呼ばれていました。
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1時間半ほどしか時間がなかったので、残念ながらハーレムは見られませんでした。写真の奥がたぶんハーレムです。東洋学者の宮崎市定は1937年にここを訪れて、『西アジア遊記』に「どんな綺麗な所かと思って内部に入ると、これはしたり、案に違うた安普請である」と書いています。おそらく帝国滅亡後の当時は、朽ちるにまかせられていたのでしょう。
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宮崎市定によれば、1930年代のイスタンブールは、総じてきたないという印象でした。しかし、いまはまったくちがって、イスタンブールはおそらく世界でも有数の美しい街になっています。
次に訪れたのがブルーモスク(スルタンアフメット・ジャーミー)です。バスに乗ってやってきたのですが、トプカプ宮殿から歩いても、たいして時間はかからなかったはずです。
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それにしても壮麗なモスクです。オスマン帝国を支えていたのは、宮廷と軍隊、そしてイスラムの祈りと規律ですが、その象徴のひとつが、このブルーモスクでした。
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モスクの内部では、大勢の人がメッカに向かって、お祈りをしていました。ここは観光施設ではなく、いまでも神聖な祈りの場です。
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壮大な丸天井も色の貴重はブルーですね。周囲にうがたれた窓からはやわらかな光が差しこんでいます。
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人があふれています。タイルもブルーです。通称ブルーモスクと呼ばれるゆえんです。
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午後4時すぎ、こんどは向かいに立つアヤソフィアにはいります。ビザンティンの総本山で、かつてはハギアソフィア大聖堂と呼ばれていました。この大聖堂が完成したのは537年、ユスティニアヌス帝の時代です。ローマのヴァチカン(サンピエトロ大聖堂)ができるまでは、世界最大の教会でした。その後、火事や地震にあい、現在は3回目の建物。1453年にメフメト2世がコンスタンティノープルを征服し、町がイスタンブールと改称されると、この大聖堂もイスラム教のモスクとなります。しかし、当時漆喰で塗りつぶされた壁画は、20世紀になってから一部修復され、いまはモスクではなく博物館になっています。
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自由見学だったため、参加者は10人ほど。内部はどちらかというと薄暗いのですが、かえって重厚さが伝わってきます。あちこちにアラーとマホメットなどを示す丸い額がかけられているのは、キリスト教の教会ではないことを示すためでしょうか。
狭い階段を通って2階に上がりました。中空に浮かんでいるランプの明かりが幻想的です。
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2階ギャラリーの壁には、金彩でふちどられた威厳のあるキリストの像がありました。
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その反対側には聖母マリアの像も。神々しいですね。
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天井を見上げると、おさなごイエスを抱く聖母マリアが、はるか彼方からわれわれをじっと見おろしていました。厳かな気分になります。
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