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椎葉村へ──九州の旅から(5) [旅]

 5月24日金曜日、旅行3日目にしてようやく晴れました。料理がとてもおいしかった霧島神宮前の宿を出発し、まず向かったのが高千穂河原です。坂道になると車のスピードがでないので、後ろから車が来ると、脇に停車して、どんどん先に行ってもらいます。高千穂河原には広い駐車場があります。久しぶりに晴れたこともあって、次々と車がはいってきます。お目当てはやはり高千穂登山でしょう。ミヤマキリシマも満開だし、きょうは絶好の登山日和です。
 しかし、われわれ夫婦は、きょう椎葉村まで行く予定にしているので、登山をする時間はなさそうです。そこで古宮址(ふるみやあと)を見ることにしました。ぽつねんと鳥居だけが立っていて、本殿はありません。
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 霧島神宮はもともとここにありました。しかし、高千穂峰のたびたびの噴火によって何度も焼失し、そこで500年ほど前に島津家の保護のもと、もっと麓に現在の霧島神宮が建てられたという次第です。斎場の岩くらだけが残されています。もちろん、本来のご神体が高千穂峰であることはいうまでもありません。大勢の人が登山姿で、坂本龍馬も登ったという高千穂峰をめざします。
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 しかし、われわれはここで折り返し、大浪池の登山口へ向かいます。登山口には5、6台の駐車スペースがあり、トイレも備わっています。ここから大浪池までは、石畳のように登山道が整備されていて、かえってっくたびれますが、1時間ほどで登り切りました。
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 大浪池からは1700メートルの韓国岳(からくにだけ)がよく見えます。
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 ミヤマキリシマも満開でした。大勢の人が韓国岳をめざしていますが、われわれ、おじいちゃん、おばあちゃんはここで引き上げます。
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 よく舗装された霧島高原の道を抜けていきます。途中、ノカイドウの自生地があるというので車を停めました。そのあとは韓国岳、硫黄山のふもとをぬい、くねくねと下り道をたどり、小林市にはいり、梅原猛絶賛の陰陽石なるものをみました。説明はやめておいたほうが無難です。
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 そこから椎葉村にはいる道で迷いました。ナビを見ると、小林インターにはいって人吉インターで下りる高速経由の道と一般道を通る道とがあって、どちらも到着時間は約2時間半となっています。高速は40キロほど遠回りです。それなら一般道でいいんじゃないかと判断したのが大まちがいのもとでした。
 最初は順調に国道265線を走ります。ところが途中からナビの指示で、県道143線にはいってしまいました。だんだんと山道になり、悪い予感がしたのですが、そのうちどんどん道は狭くなり、右に左にハンドルを切るのもくたびれてきます。おまけにアクセルを踏んでもオンボロ車は20キロのスピードしかでなくなりました。そこに道路工事中の大型トラックの出現です。バックしてようやくすれちがいました。そんな緊張が重なったためでしょうか。ギアをセコンドに入れようとして、前方への注意をおこたり、山道に車のバンパーをぶつけてしまいました。さいわい、あまり傷はついていなかったのですが、バンパーが少しずれてしまいました。
 必死の思いで峠を越え、湯前の町の修理工場で、はずれたバンパーを直してもらいます。車のボンネットを開けて、わずか30秒で終了。ほっとしました。気を取り直して、さらに走り、また峠を越えると、ようやく椎葉まであと15キロという標識です。
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でもそこからも長かったですね。小林から椎葉村上椎葉の宿、鶴富屋敷まで、2時間半の予定が何と4時間もかかってしまいましたが、ついたときはほっとしました。
 翌朝、部屋の窓を開けて、写真をとります。山中の里だと実感します。
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 ぼくが椎葉にきたのは、もちろん柳田国男の足跡をたどるためでした。1908年7月に柳田はいまの日向市の富髙から乗り合いバスを乗り継いで、南郷村にやってきました。そこで1泊し、翌日、笹の峠を越えて椎葉村にはいっています。7月13日のことです。柳田は1週間ほど椎葉に滞在し、翌年3月、村に伝承される狩りの作法をまとめた『後狩詞記(のちのかりことばのき)』を自費出版します。これが民俗学の出発点になったといわれます。
 このとき柳田を案内した村長、中瀬淳の家がいまも残っています。那須家末裔にあたる宿のご主人に教えてもらって、いまは上椎葉ダムになっている先の赤い橋を渡って、旧中瀬家を訪れました。なかにははいりませんでしたが、庭先に民俗学発祥之地という石碑が立っています。
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 それから宿のほうに戻り、村の中心街つるとみ通りの商店街で、生シイタケやらヤマメの甘露煮、菜豆腐などを買い込んでから、宿の隣にある鶴富屋敷を見学させてもらいました。ここは平家の鶴富姫と源氏の那須大八郎の恋物語の舞台です。300年以上前に建てられたという広い屋敷は、もともとわらぶき屋根でしたが、現在は防火のため銅葺き屋根に変わっています。
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 チケットに昔の写真が載っていたので、それもコピーしておきましょう。
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 鶴富屋敷のなかは14畳から25畳ほどの部屋が、4つ並行して並んでいます。仏間、客間、寝室、茶の間ですね。台所の土間もありました。
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 さらに、その隣にある民俗芸能博物館に歩いていきます。
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 途中、鶴富姫を祀った廟堂や、平家ゆかりの厳島神社があるのが、いかにも椎葉らしいですね。
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 博物館は見応えがあります。中瀬淳にあてた柳田国男の書簡も展示されていました。
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 椎葉村がすばらしいのは、村での暮らしをそのまま維持しながら、観光に力をいれていることですね。こんな村は日本全国どこを探しても見あたらないでしょう。春、夏、秋、冬の祭りには大勢の人が訪れます。ひえつき節も歌われ、焼畑もおこなわれ、神楽も舞われているようです。
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 残念ながら、これから太宰府に戻らなくてはいけないので、そう長居はできません。昼前に椎葉をでて、今度は国道265号線を北上し、馬見原で国道218号線にはいりました。行きにくらべると、帰りの道の楽なこと。途中、清和文楽邑の道の駅で簡単な食事をとり、1854年につくられたという通潤橋を見ました。
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 御船で九州自動車道に乗り、筑紫野で下り、太宰府の家に戻ったのは夕方の4時半。何とか無事に戻ってきたので、還暦から運転をはじめたよたよたのドライバーとしては、胸をなでおろした次第です。

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