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地主への税など──リカード『経済学および課税の原理』を読む(7) [商品世界論ノート]

 リカードが『経済学および課税の原理』を執筆していた19世紀はじめのイギリスの税体系は、現在とはずいぶんことなります。関税と物品税が中心だったのではないでしょうか。それにしてもフランスとの戦争が重税を招いていたことは事実で、国はあらゆるものにやたらと税金をかけていました。
 1820年夏の「エディンバラ・レビュー」には、ピットの税制を批判した、こんな一節があります。このころ戦争はもう終わっていましたが、そのつけがまだ残っていたようです。

〈人間が口にする物、背中に羽織る物、足の下に敷く物のことごとくに、目や耳、舌、そして手を楽しませるものすべてに、税金がかかっている。暖房も明かりも交通機関も、税のかかっていないものはない。地上にあるものすべて、地下の液体にまで税はおよんでいる。外国産だろうと国産だろうと例外なし。原料にも、そして人間の勤勉な手がそれに加えた一つ一つの付加価値にも、味覚を喜ばすソースにも、健康を回復するための薬にも、政府は税金を忘れない〉

 この評論では、重税批判がこのあとも延々とつづくのですが、引用はとりあえず、このあたりにしておきましょう。ポール・ジョンソンは、農村では1815年の時点で「農作業用の馬・牧羊犬・皮革にかかる税金、州税、道路税、救貧税に加えて、ホップと大麦にも新税が課せられた」と記しています。
 おりからの戦後不況のなか、こうした重税は何とかならないものかという意識が、国民のあいだに広まっていたのでしょう。リカードは経済学者の立場から、租税が経済社会におよぼす影響を原理的に考察しようとしました。
 きょうは、そのつづきです。
 まず地主(ジェントリー)の受け取る地代についてです。地代への課税は地主だけの負担となり、ほかに転嫁することはできないとリカードは書いています。厳密にいうと、地代とは土地の使用にたいして支払われる金額であり、地主の資本(建物など)とは区別されなければなりません。したがって、地代への税は地主の負担となり、たとえば建物の使用料として受け取る報酬にたいする租税は、その利用者自身が負担しなくてはいけないというのが、厳密好みのリカードの考え方です。
 リカード自身は税負担をできるだけ広く、軽く、公平にすべきだという立場をとっています。とはいえ、地主だけが負担することになる地代税には、まったく反対していないようにみえます。
 次に十分の一税です。これは土地の総生産物の10分の1を教区の教会のために納めるものです。中世以来の税で、もともとは現物で貢納されていましたが、近代にはいってからは、穀物価格の変化に応じて、貨幣で収められるようになりました。穀物価格を上昇させるという点では、十分の一税は、前回の原生産物への課税と同じです。その結果はどうかというと、リカードの計算では、地主の取得する穀物地代は減少するけれども、貨幣地代は変わらないということになります。
 リカードは十分の一税が、穀物だけではなく、羊毛やチーズなども含む土地の総生産物に課せられるため、その負担が大きくなりすぎていることを批判しています。これはいずれ教区のための税としてではなく、地方税としてとらえねばならないものでした。そして、実際、イギリスでも政教分離にともなって、この十分の一税はリカードの死後、1836年に廃止されることになります。
 次に地租についてです。地租が地代への課税と同じだとすると、これはもっぱら地主の負担となるので問題はありません。ところが、もし地租が土地の広さに応じてかけられる固定税だとすれば、十分の一税と同じで、きわめて不平等な租税になるとリカードは批判します。これがすべての耕地に均等に課されると、穀物価格はまちがいなく上昇するでしょう。しかし、その影響をこうむるのは、地主貴族ではなく、農業経営者や農業労働者であって、農業経営者の利潤も減っていくとリカードは論じています。
 フランス革命後、20年にわたるフランスとの戦争で、イギリス国民は思い税負担に苦しんでいました。ともかく、かけられるものならすべてといっていいくらい、いろいろなものに税がかけられていたのです。
 リカードは、こんなふうに書いています。

〈新たな租税はすべて、生産に対する新たな経費となり、そして自然価格を騰貴させる。その国の労働[総生産物]のうちの、これまで納税者が自由に処分していた一部分は、いまや国家の処分に委ねられることになる。……このような[重すぎる]課税の状態は長く耐えられるものではない。また、かりに耐えられるとしても、それは絶えずその国の年々の生産物からあまりに多くを吸収するために、貧窮や飢饉や人口減少という状況をひき起こすことであろう〉

 リカードの本心といってよいでしょう。かれは経済社会の発展を阻害しない租税のあり方を追求していました。
 ところで次の「金に対する租税」という章は、かなり特殊な問題を扱っています。イギリスでは金がとれませんから、ここで想定されているのは、たとえばスペインの国王が中南米から産出する金に課税するといったケースです。もうひとつ、金には商品としての特殊性がありました。それは金が単に鉱物資源であるだけでなく、貨幣の素材だったからです。
 金に課税しても、金の量が減少しないかぎり、金の相対価値は上がらないとリカードは書いています。これは金の貨幣としての価値には何の変化もないということですね。しかし、ようやく利益を得ている鉱山は、課税によって採算が成り立たなくなり、採掘をやめてしまいます。それによって貨幣供給量は減少し、金の価値が上がって、物価は下落に転ずることになります。
 金に対する租税を支払うのは、鉱山の経営者ないし所有者であって、貨幣の利用者ではありません。つまり、貨幣としての金に税を支払う人はいないわけです。しかし、金の価値が下落したからといって、貨幣としての金を受け取らないわけにはいきません。そこで、金への課税は、単にスペインにとどまらず、イギリスのポンドにも影響し、デフレ効果をもたらすとリカードは指摘しているわけです。
 残念ながら、リカードの理論は難解で、ぼくなどにはよくわからないところが多いような気がします。それにこの租税論は、財政全体を論じたものではなく、いわばピンポイントのように課税のもたらす影響を指摘するのにとどまっている感はいなめません。
 きょうはあまりうまくまとめられませんでした。まだ、だいぶページは残っていますが、あとは利潤税、賃金税、贅沢品税、救貧税などについてリカードの考えを紹介し、いちおうのしめくくりにしたいと思っています。

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