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経済成長論(1)──マルサス『経済学原理』を読む(12) [商品世界論ノート]

『経済学原理』の最終章にあたる第7章には「富の増進の直接原因について」という見出しがつけられています。かりに、それをマルサスの経済成長論と名づけることにして、ゆっくり読んでみることにします。文庫本で240ページもある章ですから、何回かに分けて、ぼちぼちまとめてみます。
 最初にマルサスは、生産力がそれほど減少しないのに、国によって富が増えたり増えなくなったりする原因は何かという問いを立てています。財産権が保証されているかどうかは、経済にとっても大問題ですが、それはどちらかというと、政治や道徳、宗教が大きな影響をもっています。しかし、その点はふれず、ここではもっぱら経済面にしぼって、富の創造や増進について考えてみようとマルサスはいいます。
 そこで、まずマルサスが問うのは、人口の増加が経済成長に寄与するかどうかということです。たしかに人口の増加は、需要を増加させるでしょう。しかし、問題は需要があるかどうかというより、有効需要があるかどうかだ、とマルサスはいいます。つまり、実際に商品を買ってもらえるかどうかが問題だというわけです。
 労働者は、利潤を期待する資本家に雇用されないかぎり、賃金を得られません。一般に人口の増加は、賃金を引き下げますから、それによって資本家は労働者を雇いやすくなります。しかし、労働の追加投入によって、生産物の量が増えると、こんどは商品価格が下落してしまうという問題が発生します。そうすると雇用は頭打ちになり、賃金もさらに下がって、経済も停滞してしまうというのです。これは悪循環ですね。
 経験上、人口が過剰なため経済成長が緩慢で、貧しさから脱出できない国は数多くある、とマルサスはいいます。したがって、「人口だけでは富にたいする有効需要を創造しうるものではない」というのが、ここでの結論です。
 ただし、人口が増えるのは富が増大しているからだともいえるわけで、その点は一見矛盾しているようですが、現実には経済が停滞しているのに、人口が増大し、貧困にあえいでいる国は、世界じゅうにいくつもあります。
 次にマルサスは、資本の蓄積が経済成長に与える影響について検討します。資本の蓄積が経済成長(富の継続的増大)をうながすのはたしかです。しかし、そもそも資本の蓄積とは何を意味するのかをマルサスは問います。
 ここでも、かれは悲観論者です。資本が蓄積されて、多くの労働者が雇われ、商品の生産量が増えると、その価格は下落し、場合によっては生産コストさえまかなえなくなり、資本はなし崩しにされていくのではなかろうかというのです。
 セイは「供給はそれ自身の需要を創造する」と主張しました。しかし、マルサスはこの学説はまったく根拠がなく、需要と供給の原理と矛盾しているといいます。マルサスによれば、供給過剰、言い換えれば需要不足は、おおいにありうることなのです。
 供給過剰(需要不足)になると、商品の価値は下落し、増産がさまたげられることになります。労働の実質賃金も下がっていきます。
 人間性が「怠惰、または安易の愛好」におちいりやすいことも、経済成長をさまたげる要因だとも書いています。
 ここで、マルサスは農業部門と工業部門とのあいだに交換がなされる場合を想定します。そして、それぞれの部門が新商品をつくりだし、それが互いに交換されるならば、供給と需要が拡大するはずです。この場合は、経済が発展したといえるのではないでしょうか。
 しかし、そうはならないというのがマルサスの見方です。人間は怠惰に走るからです。資本が増大すれば、新商品がつくりだされ、それが需要を喚起して、経済が発展すると思うでしょう。だが、そうはならず、余剰が生まれれば、人は努力するより、むしろまどろんでしまう、とマルサスはみます。
 ふつうは、資本が蓄積されれば、商品が増産され、それに応じて有効需要が生みだされると考えるでしょう。しかし、マルサスは、かならずしもそうはならないといいます。
 リカードの考え方は、増加した富は、資本として生産に用いられるにせよ、消費に回されるにせよ、いずれにせよ需要となるというものでした。ところが、マルサスはそうとはかぎらないというのです。たとえば地主はおカネがあまっているからといって、必要以上に労働者を雇用して、割にあわない増産をめざしたりするでしょうか。それよりも、おカネをためこむ道を選ぶだろう、とマルサスはいいます。
 農業者も製造業者も、新商品を生みだす努力をするより、将来に備えて貨幣を貯蓄するのなら、需要は拡大せず、経済は停滞することになります。
 農業者も製造業者も、労働者を養うことを目的にして、事業をおこなうわけではありません。かれらが労働者を雇うのは、最大限のもうけを得るためです。地主はこのもうけによって、奢侈品を買ったり、召使い(不生産的労働者)を維持したりします。これはアダム・スミスの嫌った、経済発展に結びつかない浪費にはちがいありません。それでも需要の一部ではあります。
 しかし、借地農(農業経営者)にしても製造業者にしても、必要とされる以上に農産物や工業製品を供給することはないだろう、とマルサスはいいます。かれらは、労働者の雇用増大が、新たな需要を保証し、利潤率を確保するとはかぎらないことがわかっているというのです。
 商品の価値は、需要と供給の原理によってきまるというのがマルサスの考え方です。そこで需要が少ない場合は、商品の価値は下落し、労働者の賃金を支払うのがせいいっぱいで、利潤率は極端に低くなります。それは農産物についてもいえることで、最大限の増産がおこなわれたときは、供給が過剰となり、かといって農業労働者の賃金はある程度しか下落しないので、農業経営者の利潤は減っていきます。
 資本家の利潤が減って、その分、労働者の賃金が増えるなら、需要は減らず、経済成長は保たれるかもしれません。しかし、資本が蓄積され、有効需要をともなわない過剰供給がつづく結果、労働階級が失業することになれば、かえって「富と人口との著しい減退」を招くことになるだろう、とマルサスはいいます。
 利潤の資本への転化が、富の増進をもたらす場合もあります。しかし、「わたしのいいたいと思うところは、どんな国民も、消費の永続的減少から生まれる資本の蓄積によっては、おそらくは富裕になりえない、ということに尽きている」。そうマルサスは断言します。
 マルサスの見方はあくまでも悲観的です。資本の蓄積によって、商品が豊かに、また低廉になれば、労働者の消費を増大させることになるが、それはまた利潤率を低下させるので、資本の増大はすぐに壁にぶつかるとも述べています。すなわち一定の需要しかなければ、それ以上の資本の蓄積はむだということになります。
 さらに、マルサスは資本と人口との関係について、こう述べています。

〈資本の不足と人口の不足という双方の場合に必要とされる第一のものは、貨物にたいする有効需要、すなわち貨物にたいして適当な価格を支払う能力と意志とをもつ人びとによる需要である。そして高い賃金が人口の増大をともなうほど確実には、高い利潤は人口の増大をともなわないとしても、しかも外見よりは一般に比較的多くともなうものであるとわたしは信ずる〉

 この一節は、経済の高度成長を説明しているかのようにみえます。
 しかし、こうした事態は「戦争のあいだの資本の喪失が回復されていく」といった特殊な過程においてしかあらわれない、とマルサスはいいます。
 マルサスがほんとうにいいたいのは次のことです。

〈富を永続的に増大させるために、このような資本の生産物にたいする適当な需要がないときに、収入を資本に転化しつづけることは、労働にたいする需要とその扶養のための基金の増大がないのに、結婚と子供の出生とを奨励しつづけるのと同じようにむだなことである〉

 ここでも、マルサスの見方は悲観的です。そのためか、産業革命をへて、近代化が進展するなかで、経済学の主流となったのは、食料輸入の自由化と積極的な資本蓄積を推し進めるべきだというリカードの考え方でした。しかし、マルサスの悲観論は、経済の低成長があたりまえとなった現在では、かえってなるほどと思わせるところがあります。よみがえるマルサスとでもいいましょうか。
 マルサスの経済成長論は、まだまだつづきます。しかし、長くなりましたので、そのつづきは次回ということで。

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