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資本(資産)の変化──ピケティ『21世紀の資本』を読む(4) [本]

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 著者は、18世紀以来、資本(資産)の性格は大きく変わったと述べています。ここで、念のためにもう一度述べておきますが、著者のいう資本とは、資産すなわち富のことです。そこには土地や建物、機械、企業、株、債券、特許、家畜、貴金属、天然資源などが含まれているということを、頭にいれておきましょう。
 18世紀から19世紀にかけて、こうした資本(資産、富)の総価値は、イギリスやフランスでは、国民所得の6、7倍あったとみられています(すなわち資本/所得比率=6ないし7)。それが20世紀にはいると大きく変化して、1950年代には2倍となり、1980年代には4倍、2010年には6倍となります。つまりU字型に落ちこんで、また回復してきたわけですね。
 しかし、同じ資本(資産)といっても、その内訳は時代とともに大きく変化しました。
 イギリスやフランスでは、18世紀から19世紀はじめまで、富の大部分は農地(土地)からなっていました。貴族や大地主は、その広大な農地を人に貸し、その貸借料で生活していたわけです。18世紀はじめに、農地の総価値は、国民資本の3分の2を占めていたといいます。ところが、産業が発展し、都市化が進むとともに、その価値はどんどん下がっていきます。
 長期的にみると、国民資本(国の総資産)としては、住宅や建物を含む都市の不動産、企業資本(工業資産)、金融資本(金融資産)の割合が大きくなって、農地の価値は下がりつづけ、イギリスでもフランスでも、いまや国富の2、3%を占めるにすぎなくなったというわけです。この傾向は、おそらく日本でも同様でしょう。
 イギリスとフランスの特徴は、両国とも植民地列強だったということですね。そのため、20世紀にいたるまで、どちらも植民地にかなりの資産を保有していました。とりわけ19世紀後半から20世紀までが、帝国の最盛期だったといえます。このころイギリスの国民所得は、植民地への投資によって、1割ほどかさ上げされていた、と著者は書いています。
 植民地からの資産収入があったため、イギリスもフランスも国内消費を増やし、構造的な貿易赤字を出すことができました。ところが20世紀が進み、植民地が独立し、かつての帝国が崩壊するとともに、両国とも外国資産の純保有高は、ほぼゼロに近い水準になっていきます。
 国民資本(資産)は、公共資本と民間資本に分類できます。公共資本(資産)には、庁舎や学校、大学、病院などの公共建築物、さらには政府や自治体が所有する金融資産が含まれます。イギリスやフランスは、こうした公共資本を国民所得の1年分ないし1.5年分保有していますが、実際には公的債務も多いため、純公共資本(資産)はゼロに等しいといいます(日本の場合は大幅マイナスになるはずです)。ですから、実際には、国富は民間資産によって、ほぼ全額占められているとみていい、というのが著者の判断です。
 イギリスで公的債務が巨額になったのは、ナポレオン戦争と第2次世界大戦のときで、その額はGDPの約2倍にのぼりました。イギリスは増税をせずに国債によって国家の危機を乗り越えようとしたのです。しかし、公的債務の返済には長い年月がかかりました。とはいえ、19世紀に長い年月をかけて、公的債務を減らすことができたのは、そのかんに国民所得が増えていったためです。これは成功例だったといえるでしょう。
 19世紀のフランスやイギリスでは、毎年の国債の金利で暮らすことのできる不労所得者生活者がかなりの数いました。ところが20世紀にはいると、国債の意味合いは少しちがってきます。もはやそれは税を肩代わりするだけで、財産にはなりません。けっきょく、インフレが公的債務を帳消しにするのです。こうして、第1次世界大戦後は、金利生活者の世界が崩壊していきました。
 国民所得にたいする公共資産の割合は、国によってかなりのばらつきがあります。イギリスの場合は、19世紀後半には50%だったのに、20世紀末には100%に達しています。20世紀に公共資産の割合が大きくなったのは、保健医療、教育などの公共サービスに加え、交通、通信分野での公共インフラ投資が増えたためです。
 1929年の大恐慌以降、経済にたいする国家の積極的介入が求められるようになったことも、公共資産が増えた理由かもしれません。1980年代以降、民営化の波が高まりますが、それでもイギリスやフランスでは、公共資産の割合が国民所得の1年分ないし1.5年分の比率を保っています。
 1871年に統一されたドイツについても、国民資本(資産)の推移は、イギリスやフランスと似ています。19世紀後半のドイツでも、資産として大きな部分を占めていたのは、やはり農地です。海外資産の割合が、イギリスやフランスよりずっと低かったのは、ドイツがそれほど多く植民地をもたなかったからでしょう。しかし、20世紀前後からドイツは急速に工業化を進め、第1次世界大戦直前には、イギリスやドイツより大きな産業資本を有するようになっていました。
 2度の世界大戦を通じて、ドイツは巨額の公的債務をかかえました。それを帳消しすることができたのは、1930〜50年のインフレ率が約17%にのぼり、その20年で物価が300倍になったからです。インフレは生活基盤を不安定にします。ドイツ人がインフレを極端にきらうのは、戦前から戦後にかけての苦い経験があるからだろう、と著者は推測しています。
 戦後、ドイツ政府は多くの銀行や産業を国有化することで、国の再建をはかりました。復興期の数十年間、ドイツ政府は国民資本の3割近くを所有していたといいます。現在、民営化が進んで、公的債務を引いた公的資本はほぼゼロとなり、国民資本の総額はすべて民間純資産からなっています。
 それでも、イギリスやフランスにくらべて、ドイツでは所得にたいする資産の割合が4倍程度と低いのは、どうしてでしょう(イギリスやフランスは5〜6倍)。
 著者は不動産の安さに加えて、ドイツ企業の株式評価が低いことを理由として挙げています。そこにはドイツ特有の企業形態が反映されています。「ライン型資本主義」といって、ドイツでは株主だけではなく、経営者や労働者、消費者団体などの利害関係者も企業にかかわる方式がとられているといいます。そのことが、たぶんに株価に影響しているのではないかというのが著者の見立てです。しかし、それはある意味でドイツの安定と強さにつながっています。
 ヨーロッパでは20世紀の2度にわたる大戦が、多くの資本(資産)を破壊しました。大恐慌によって多くの企業が破綻したうえに、植民地の資産が失われたという事情もあります。加えて、財政赤字が民間貯蓄の大部分を吸収していました。この膨大な公的債務は、けっきょくインフレによって清算されることになります。
「1913−1950年の資本/所得比率の減少は、ヨーロッパの自殺の歴史であり、特にヨーロッパの資本家たちの安楽死の歴史だった」と著者は総括しています。
 これにたいし、新世界、米国の発展はずっと安定していました。独立をはたしたころ、米国では、国民所得にたいする国民資本(資産)の割合は3倍分と旧大陸にくらべてずっと低くなっていました。米国の特徴は、土地が広大で農地の価格が安く、1人あたりの土地面積が広かったことです。新しい移住者は2、3年間はたらけば、すぐに前の移住者との格差を埋めることができました。
 19世紀になると、米国でも急速に工業化が進み、資産全体のなかで、産業資本と不動産の占める割合が農地よりずっと大きくなっていきます。1914−45年にかけて、米国も深刻な危機を迎えますが、資本/所得比率でみるかぎり、ヨーロッパより資本(資産)の破壊される割が低く、その揺れの幅はずっと安定していました。
 米国の特徴は一度も植民地大国にならなかったことだ、と著者はいいます。「1913年の世界は、ヨーロッパがアフリカ、アジア、中南米の大部分を所有しており、米国は自国を所有している状態だった」というわけです。国自体が拡大していったので、植民地をもつ必要もなかったのでしょう。
 2度の世界大戦で、米国はヨーロッパにたいする借り手から貸し手へと変わります。その後も米国の対外投資は伸び、2010年ごろには、国民所得のうち2割ほどが、外国からの収益でまかなわれるようになったといいます。とはいえ、資産全体のなかで、純外国資産の占める割合はごくわずかなものだ、と著者は指摘しています。
 著者が強調しているのが、米国で奴隷制がはたした役割です。1800年に、全人口の2割は奴隷によって占められていたといいます。とりわけ南部では、40%の人口が奴隷でした。南北戦争がはじまる直前の1860年でも、全人口に占める奴隷の割合は15%を保っていたといいます。
 著者はこう書いています。

〈新世界では正反対の現実ふたつが混在していたことになる。北部には比較的平等な社会があった。土地が非常に豊富で、誰もが比較的安く地主になれたため、また新しい移民にはたくさんの資本を蓄積する時間がなかったため、資本が実質的にあまり価値を持たなかった。南部には、所有権の格差がきわめて極端で暴力的な形をとった世界があった。人口の半分が残り半分を所有していたからだ。奴隷資本が土地資本を補い、それを上回っていた〉

 この矛盾した関係はいまでも米国に根強く残っています。
 米国について、著者は「一方では平等を約束して、恵まれない境遇の数百万の移民に機会をもたらす国でありながら、その一方で、特に人種に関してきわめて残酷な格差が存在し、その影響がはっきり見てとれる国でもある」と論じていますが、まったくその通りだといえるでしょう。こうした矛盾した関係は、米国の対外政策にも、どこか反映されているような気がしてなりません。

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