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資本/所得比率と労働分配比率──ピケティ『21世紀の資本』を読む(5) [本]

 資本/所得比率というのは、著者独特の考え方で、フローとしての年間国民所得にたいして、ストックとしての国民資本(資産)が何倍あるかを示す指標です。18世紀から21世紀にかけて、資本(資産)の性格は大きく変わりました。しかし、その構造は変わっていない。資本/所得比率は、20世紀前半にいちど下がるものの、21世紀にかけて、20世紀初頭とさほど変わらなくなり、5〜7倍を維持しているというのが現状だ、と著者はいいます。
 著者によれば、低成長と人口増鈍化のもとで、資本(資産)が増えていることが、現在、資本/所得比率が上昇している原因です。社会の仕組みが公平なら、資産の増加は悪いことではありません。しかし、資本所有者の力が強ければ、資産の増加は格差の増大につながります。
 著者は1970年から2010年にかけて、世界の富裕8カ国(米国、日本、ドイツ、フランス、イギリス、イタリア、カナダ、オーストラリア)で、資本/所得比率がどのように変動したか調査しました。比率が短期間で変動するのは、不動産と金融資産(特に株や投資信託)の価格が上下するためです。日本の比率はバブル期の1990年に7倍を記録し、その後、下がって、現在は6倍あたりといったところです。各国ともけっこう変動が激しいことがわかります。
 しかし、長期トレンドでみると、1970年代はじめに富裕国で2−3.5倍だった数字が、2010年においては4−7倍に上昇しています。著者にいわせれば、「新しい世襲資本主義の登場以来、民間資本が強力な復活をとげている」ということになります。
 現在の富裕国は、低成長と人口増加率低下のもとで、高齢化が進み、日本やイタリア、ドイツ、フランスなどでは、とりわけ貯蓄率が高いことが特徴になっています。
 貯蓄は個人貯蓄と企業貯蓄(内部留保)にわかれます。1970−2010年にかけ、日本では国民所得のうち個人が6.8%、企業が7.8%、合わせて14.6%といったところです。その割合は、国ごとにかなりのばらつきがありますが、いずれにせよ、貯蓄の増加は資本(資産)の増加につながります。
 民間資産は約半分が不動産や貴重品、残り半分が金融資産と企業資本(店舗、工場、倉庫、機械など)からなっており、農地の割合はごくわずかです。そして、年間所得ではなく、税金などを引いた可処分所得で割ると、民間資本(資産)の割合は4−7倍ではなく、5−9倍となります。
 1970年から2010年にかけ、ヨーロッパと日本では、民間資本(資産)が激増しました。その理由のひとつは公共財産の民営化、もうひとつが不動産など資産価格の上昇です。それによって、資産を多くもつ人と、資産をさほどもたない人とのあいだで格差が広がりました。
 企業の市場価値(株式時価総額)も上昇しました(ただし日本とドイツの上昇率は低めです)。国民資産に占める純外国資産の割合は、富裕国ではごくわずかですが、それでも日本の純外国資産は2010年時点で、国民所得の7割程度あります(ドイツは5割)。これは全国民資産の15%程度と、かなり高率です。また、1970年代、80年代以降は、世界経済の大規模な金融化がみられたことにも注目しなければなりません。
 世界の資本/所得比率は、現在の5倍が、21世紀末には7倍に拡大するだろうとみられています。
 ここで、著者は所得が資本と労働にどう分配されるかに焦点を合わせています。資本収益率がこの分配比率を決めますが、数式の説明は省略します。
 こんなふうに述べています。

〈所得の資本分配率は、イギリス、フランスともに18世紀後半から19世紀を通じて約35-40%で、20世紀半ばに20-25%に下がったが、20世紀後半から21世紀前半は25-30%に再び上昇している。この動きは資本の平均収益率に対応している。資本の平均収益率は18、19世紀には約5−6%で、20世紀半ばに7−8%に上昇、その後20世紀後半から21世紀前半には4−5%に下がっている〉
 ここでいう資本分配率は、地代、利潤、配当、利子、ロイヤルティなどのかたちで得られる資本所得を、国民所得の総額で割ったものです。いっぽう、資本の平均収益率は、資本所得を国民資本(資産)の総額で割った数字となります。
 現在、民間の経済活動は、ほとんどが株式会社によって運営されています。そのため企業会計は、資本を提供する個人の会計とははっきり分離されています。ですから、企業の帳簿では労働報酬(賃金、給与、賞与、役員報酬)と資本報酬(配当、利子、再投資分)がはっきり区別されています。
 ただし、資本の所有者が経営者を兼任する個人事業もあり、この場合、事業者の所得は労働所得と資本所得との混合所得からなっています。しかし、そうした事業が国民所得全体のなかに占める割合はちいさいといえるでしょう。
 もうひとついえることは、労働所得といえ、資本所得といえ、その所得には大きなちがいがあるということです。労働所得として何億円もらっている人もいれば、数十万しかもらっていない人もいます。資本所得でも、何兆円利益を出している企業もあれば、数千円の配当しか受け取っていない個人もいるわけです。そう考えれば、ほとんどの家計は、著者のいう混合所得で成り立っていることがわかります。
 それはともかくとして、先に進むと、著者はコメントとして、資本収益率のなかには資産管理に必要な労働や手間が含まれているため、純粋な資本収益率は表向きの数字より低くなると述べています。しかし、いずれにせよ、18世紀から19世紀にかけて、イギリス、フランスともに、純粋資本収益率は年間でほぼ4−5%あったとみています(地代や国債の収益もほぼ5%でした)。
 現在の平均資本収益率は3−4%です。ただし、これは税引き前の収益率で、19世紀と現在のちがいは、税負担がずっと重くなっていることです。資本所得にたいする税金は富裕国で約30%となっています。銀行の普通口座の利子はきわめてわずかであるにせよ、富裕国のおもな資産は不動産(住宅賃貸料、その他)と金融資産(預金や株、投資信託、年金基金)からなっていることを念頭におくべきです。
 国債や社債、普通口座預金などは別として、「不動産の価格は、株、会社の一部、投資信託への投資と同じく、たいてい最低でも消費者物価と同じ速度で上昇する」と、著者は述べています。つまり、インフレが平均資本(資産)収益率におよぼす効果は、見かけ上より少ないというわけです。「[19世紀のような]ゼロ・インフレ下のほうが不労所得生活者になりやすいのに対し、現代の投資家は最良の投資戦略を実現するため、さまざまな資産カテゴリーへの富の振り分けに手間暇をかけなければならない」というのは、実際そうなのでしょうね。
 著者によると、文明社会では、資本(資産)はふたつの役割をはたしているといいます。ひとつが住宅の提供、もうひとつが財やサービスを生みだす生産要素、このふたつです。

〈歴史的に、最古の資本蓄積の形態は、道具と土地改良(囲いの設置、灌漑、整地等)、そして原始的な住居(洞窟、テント、小屋等)だった。だんだん高度な産業資本や事業資本が後に登場するようになり、住居の形態も絶え間なく改良されていった〉

 これをみても、著者が資本(資産)を否定しているのではなく、むしろ文明社会において、いかに資本が大きな役割をはたしているかを強調していることがわかります。資本は市場の支配をめざす経済権力としてとらえられているわけではありません。
 著者はあらゆる資本──たとえ、それがすべて国家資本であっても──は収益をもたらしうると考えています。そして、この資本の限界生産性(1単位の資本がどれだけの生産増加分の価値を生みだすか)が、資本の収益率と一致するというわけです。こうした事情は、資本主義においても社会主義においても変わりません。
 とはいえ、資本が過剰になると、資本収益率が減ることは、とうぜん予想されます。実際、18世紀、19世紀にかけては、資本収益率が高く、20世紀半ばにはそれが落ちこみ、20世紀後半から21世紀はじめにかけては、それがふたたび上昇するという現象がおきています。ここで、著者は理論上の検討をおこなっていますが、それはややこしいので省略します。
 いずれにせよ、資本と労働の分配率が問題です。コブ=ダグラス関数の示すところでは、資本と労働の分配率は安定的だということになっていますが、これは歴史的現実とは合致しない、と著者はいいます。いっぽう、マルクス派の経済学者が時に都合よくデータを改ざんし、労働のシェアがずっと下がりつづけてきたことを論証しようとした姿勢も批判しています。しかし、たしかに1990年代以降は、国民所得のうち利潤や資本の占めるシェアが大幅に増加しているようです。

〈本書の研究の目新しさは、私の知るかぎり、これが資本と労働の分配と近年の国民所得の資本シェアの増加の問題を、18世紀から現在にいたる資本/所得比率の推移に注目して、広い歴史的背景の中でとらえようとした最初の試みだという点にある〉

 たしかに、これが本書のポイントだといえるでしょう。
 そこで、資本と労働の分配率がどう変化してきたかをみると、1800—1860年の産業革命期に資本シェアが増えて、45−50%になったという歴史的研究が示されています。そのシェアは1870−1900年にかけて大幅に減少し、20世紀はじめには19世紀と同じ30%程度に落ち着きました。
 資本と労働の分配は、短期的にも中期的にも大きく変動します。資本(資産)の動きをみると、フランスでは1945−68年にかけて利潤が激増、1968−83年にかけて利潤は落ち込みますが、1990年代以降は利潤の安定がみられます。いっぽうで、不動産(住宅家賃)のシェアは1945年以降、着実に増加しています。
 著者によれば、マルクスは資本が蓄積するにつれて、資本の収益率はどんどん下がり、生産性と人口が永久に成長していかないかぎり、資本は墓穴を掘ると考えたといいます。しかし、歴史的な低成長レジームに回帰し、人口が停滞ないしマイナスになっても、資本の収益率が大幅に低下するとはかぎらないというのが著者の考え方です。
「資本/所得比率7−8年分、資本収益率4−5%では、世界の所得に占める資本シェアは30%、あるいは40%に達する可能性がある」。これが著者による今後の見通しといってよいでしょう。
 こう書いています。

〈生産性の伸びと知識の拡散を基盤とした現代の成長は、マルクスが予測した大災厄の回避と、資本蓄積プロセスの均斉化を可能にした。だが資本の深層構造は変えていない──少なくとも労働に対する資本のマクロ経済的重要性を本当に減らしたりはしていない〉

 資本の構造は自壊しない。それでは、今後、資本の役割がますます大きくなり、それにともなって労働と資本の格差構造は存続し、所得と富の分配の格差も開いたままという状況がつづくのでしょうか。
 ここからいよいよ本書の核心部分がはじまります。

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