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マルサス『経済学原理』 (まとめ)その1 [商品世界論ノート]

[スミス、リカードにつづいて、「人口論」以外にはあまり知られていないマルサスを読んでみました。いままで書いたブログのまとめです。全2回。このあとブログはミル、マルクス、マーシャル、ケインズ、シュンペーター、ハイエクとつづく予定ですが、どこまでつづくかは神のみぞ知るというところです]

  マルサス『経済学原理』


   1 シュンペーターの評価

 マルサス(1766-1834)といえば、有名なのは、やはり『人口論』である。『経済学大図鑑』によると、『人口論』の主張は「人口が増えてゆくかぎり、私たちは貧乏から抜けだせない」というひと言であらわせる。人の数と食糧供給の不均衡は広がるいっぽうで、どこかで人口増が調整されなければ、生活水準は保てない、とマルサスは考えていた。当時にあって、これはおどろくべき主張だった。というのも、国家は人口が多いほど豊かになるというのが、当時の常識的な考え方だったからである。
 マルサスの予言はあたらなかった。かれが『人口論』を出版した1820年から2010年までのあいだに、世界の人口は10億人から70億人となり、その増加傾向はいまもつづいている。かれの予言がはずれたのは、その間に経済構造が大きく変化して、資源開発と技術発展の恩恵を受けた商品世界が、人びとの生活を広く支えるようになったためだといってもよいだろう。
 とはいえマルサスの予言は、いまもどこかで人類の将来に暗い影を投げかけている。このまま人口が増えていけば、地球社会ははたして存続していけるのかという不安を、だれもがいだいている。飢餓と貧困の世界が、現にすぐ近辺に広がっていることも事実である。
『人口論』にくらべて、『経済学原理』はさほど知られた著作ではない。『経済学原理』は、マルサスがアダム・スミスやデイヴィッド・リカードをどう読んだかという記録でもある。そのテーマはひとつ。商品の循環によって成り立つ経済社会の構造をどう把握すべきかに尽きるだろう。スミスやリカードとちがって、マルサスのとらえ方は、いささか暗鬱なものである。
 ジョセフ・シュンペーターは『経済分析の歴史』のなかで、マルサスについて、こんなふうに書いている。

マルクスは彼[マルサス]に辛辣な怒りを投げつけた。ケインズは彼を賛美した。この罵倒も賞賛もともに偏見によるものであることは容易に分明する。僧服くらいマルクスが嫌悪したものはなかった。そのうえ、マルクスは食糧における自由貿易に味方した人びとには決して功績を認めることがなかったが、そうでなかった人びとに対しても、ほかならぬ人をしょげさせる誹謗を投げつけた。こういった人間は、マルクスおよびもちろん彼の忠実な追随者にとっては、まさしく地主的利益のおかかえ者であった。このようにマルサスの貢献を処理してしまう流儀は、リカードはユダヤ人であり「金融界の利益の味方」であるとしてその業績を処理するほかの人びとの方法と、少しも異なるものでない。しかしマルサスに対するケインズの偏愛も、たとえ道徳的には賞賛すべきものであるとしても、マルクスの嫌悪に劣らず、ほとんど不合理な域にまで達していた。

 マルサスは東インド会社カレッジの教授であり、牧師でもあった。その父はジェントリーで、ヒュームやルソーとも交流があった。リカードが穀物法の廃止を唱えるのにたいし、マルサスはそれに反対した。マルクスはマルサスが牧師だというところが気にくわなかったのだろうか。ほかにも理由がありそうである。いっぽうケインズは『人物評伝』で「一般的過剰生産」の理論を唱えたことからマルサスを絶賛し、かれこそ自説の先駆者だと持ちあげた。これにたいし、シュンペーターはどっちもどっちという評価をくだしているのが、おもしろい。
 シュンペーターはマルサスをどう評価していたのだろう。かれを評して「『国富論』の理論をリカードによる改鋳とは全く別個のもののように改鋳した経済理論の体系の著者としてのマルサス」と書いている。
 シュンペーターがリカードよりマルサスを高く評価しているのはいうまでもない。マルサスは『国富論』の体系をより精密に体系化したというのだから。それではリカードとマルサスのちがいは、どこに求められるのだろう。
 さらにシュンペーターを引用してみる。

リカードが『国富論』の学説を労働数量価値説によって改鋳したのとは異なって、マルサスはアダム・スミスも現に用いた価値論、すなわち供給・需要説によって『国富論』を改鋳し、しかもスミスの例にならって、労働をもって価値の単位に選んでいる。かくして、マルサスは終局的には勝ち抜いた方向を採用したし、またリカードの体系に比べて、はるかに直接にマーシャルの体系を指示していたのであった。

 これもまたシュンペーター流の解釈である。シュンペーターはリカードからマルクスへと流れる労働価値説を否定して、マーシャルの均衡理論を正統経済学と認め、その流れの源のひとつをマルサスに求めている。
 こんなふうにさまざまな論議がわかれるところをみれば、マルサスの『経済学原理』は意外と問題を含んだ著作であることがわかる。

   2 基本の考え方

『経済学原理』の「序説」で、マルサスは、経済学は「精密科学」をめざすけれども、自然科学のような確実性をもつわけではなく、どちらかというと倫理学や政治学に似ていると述べている。経済学では自然科学のように、一定条件のもとで実験ができるわけではない。あくまでも経験と観察が探求の方法になってくる。
 さらにマルサスは、重商主義時代の知識は商人や政治家の実践上の経験にもとづくものだったが、これを科学へと引きあげたのはアダム・スミスだったと追記している。スミスの大原理は、「取引の自由」に加え、「各個人が正義の通則を守るかぎり自分自身の利益を自由に追求してさしつかえないこと」であって、マルサスもその大原理に準拠すると述べている。
 経済学では論者によって見解のくいちがいがあって、普遍的な一致はおそらく期待できないが、それでも大多数が見解の一致をみることがだいじだとつけ加える。このあたり、いかにもイギリスの経済学者である。異論は異論として認めつつ、大多数が賛成する方向に見解を練りあげていこうというのである。
 最近二、三十年の大きなできごとに経済学の知識は追いついていないことを、マルサスは謙虚に認めている。さまざまな論議をへて、首尾一貫した体系がもたらされることが期待されるとも述べている。
 せっかちな単純化と一般化は、生硬で未熟な理論へと導くというのが、社会事象をとらえるさいに心がけるべき教訓だった。
「事実と経験とによって発見された真理の殿堂のまえでは、もっともはなやかな理論も、もっとも美しい分類も瓦解し去らねばならない」と、マルサスはいう。どんなに精緻で力強い理論体系でも現実に対応していないなら捨て去らねばならない。
 経済の諸現象には複雑な諸原因が結びつき、原因と結果、作用と反作用があり、重要な命題についても、限定と例外があるとも書いている。
 その例にあげられるのが、スミスの命題である。スミスは「資本は節約によって増加し、すべてのつつましい人は社会の恩人である、また富の増加は消費を超える生産物の差額にかかっている」と述べた。
 これはまったく正しいけれど、マルサスは過度の貯蓄は生産の誘因を奪ってしまうと指摘する。つまり過度の貯蓄のために消費が抑えられてしまうと、ものをつくっても売れなくなり、利潤が少なくなって、生産の意欲がそがれ、かえって資本が蓄積されなくなってしまう。だから、富の増加を刺激するに足る、なんらかの中間点がなければならないというのである。
 封建的な土地財産の分割についても、マルサスは極端な原則主義は逆効果をもたらすという。封建地主の土地の分割が、産業活動に好都合なのはまちがいないけれども、それが分割しつくされてしまうと、土地の広さから得られるいっさいの利益を破壊し、かえって貧困を引き起こすというのである。
 どんな理論でも、一般的経験とあいいれないものは、けっして正しいとはいえない、それを行動の基準とするわけにはいかないというのがマルサスの信念だった。
 理論はものごとをありのままに説明するものでなければならない。期待と結果がことなる場合は、その理論がまちがっていたと考えなければならない。あらかじめ知りえなかった諸原因がはたらいていたとも考えられるし、判断のミスもありうるが、いずれにしても事実への正確でゆきとどいた注意が必要だと述べている。
 マルサスは経済的自由主義とは異なる立場をとっている。政府は経済活動に干渉すべきでないという経済学の一般的な立場について、マルサスは次のように論じる。たしかに政府の過干渉(統制)は経済活動を阻害するだろう。しかし、反対に政府がまったく経済活動にかかわらないとしたらどうなるか。とうぜん、経済活動にかかわるべき事態も起こりうるはずだ。だから、一般的原則にこだわりすぎるのはよくない、と。
 つまり、いざというときには、政府は積極的に経済的役割をはたさねばならないというのが、マルサスの考え方だといえる。
 経済学者の役割は、正しい政策への道を照らすことだとも書いている。なにができるか、またそれをどんなふうにおこなうか。なにができないか、またなぜそれができないかを知ることがだいじだと述べている。
 政府が経済活動に干渉しないことが、国民を富と繁栄に導くというのが、スミスの考え方だった。しかし主権者の義務もあるはずだ、とマルサスはいう。それは教育の義務、貧民の扶助、道路や運河の建設と維持、さらには植民地の保全などである。農業や製造業、商業に関する法律の執行も忘れてはいけない。これらをおこなうには、少なからぬ知識と判断が必要になってくる。
 こうした国家の義務を果たすには、課税が必要になってくる。「どうすれば国家の繁栄と個人の幸福とにできるだけ害をおよぼさずに、課税をおこなうことができるか」。これもまた、大きなテーマだった。
 政府による過度の統制は、無知と軽率にもとづいている。とはいえ「政府にとって、事物をその自然のなりゆきにまったく放任しておくことは、明らかに不可能」と論じている。このあたりものちのケインズをほうふつとさせる。
 こうして「序説」を紹介しただけでも、人口論に限定されがちな、マルサスのもうひとつの顔がみえてくる。マルサスは、前時代のスミスと同時代のリカードを念頭におきながら、「実際的応用のための経済学の一般的通則を提供すること」をめざしていたのである。

   3 富と労働

 富とは何か。当時、エコノミストと呼ばれた重農主義者は、富を「土地から得られる生産物」にかぎったが、これはあまりにも狭い定義だった。いっぽうローダーデール卿は、富を「人間が、自分にとって有用でかつ快適なものとして、欲求するいっさいのもの」としたが、逆にこれは広すぎる定義だ、とマルサスは述べている。
 富の定義は、なかなかやっかいである。アダム・スミスは富を物質的なものに限定し、富を「土地および労働の生産物」とした。これにたいしては、定義自体に富の源泉が説明されているという批判があった。
 そこで、マルサスは富を「人類に必要で、有用な、または快い物質物」と定義する。富は「物」にかぎられるというのがマルサスの考え方である。そして、ひとつの国はその面積に応じて、この「物」がどれだけ供給されているかによって、豊かさが決まってくるという。
 次に、生産的労働と不生産的労働が定義される。
 生産的労働の規定は、富の定義と密接にかかわっている。重農主義者は富を土地からの生産物としたから、かれらにとって、生産的労働は土地に用いられる労働にかぎられる。その定義が狭すぎると考えるマルサスは、アダム・スミスを支持して、生産的労働の規定を拡張する。
 重農主義者の見解があまりにも局限されていることは、次のように考えれば容易にわかるとマルサスはいう。同じ面積と人口をもつふたつの国があるとして、どちらも同じ数の農業労働者がいるとして、いっぽうの国が残りの人口を商工業にふりむけ、もういっぽうの国が兵士や召使いなどに雇っているとする。この場合、どちらの国が豊かになるかは歴然としている。商工業を重んじる国のほうが豊かなのに決まっている。
 これをみても、商工業が富を生みだすことがわかる、とマルサスはいう。つまり、スミスにしたがって、兵士や召使いは不生産的とみてよく、これにたいして商工業労働者は生産的だというのである。
 この生産的労働と不生産的労働との区別はスミスの体系の礎石といってもよい、とマルサスは強調している。
 とはいえ、マルサスは、スミスのように労働を生産的か不生産的かと、はっきり区別するのはやめたほうがいいとつけ加えている。労働はすべて生産的なのであって、ちがいがあるとすれば、それはより多く生産的か、より少なく生産的かというだけだ。スミスのいう不生産的労働は、より少なく生産的な労働と言い換えるべきだという。
 生産性のレベルによって、労働を区分けするのがマルサスの発想だった。より多く富をつくりだせる労働が、より生産的な労働なのだ。たとえば召使いにたいする支払いが、多少なりとも富の生産を刺激するとしても、それ自体はけっして富を創造するわけではない、とマルサスは書いている。
 ここでマルサスは「貧困の特質は手から口へと生活すること」であり、これにたいして富の特質は「たくわえ」をもつことだと述べている。そして、より生産的な労働の意義を、このたくわえ、すなわち国民的ストックを増やすことに求め、「物的生産物のうえに実現される労働が、蓄積もできれば、また一定の評価もできる労働の種類のただ一つのものである」と言い切る。
 商人の事務員が生産的労働者で、政府の事務員が不生産的労働者とされるのはおかしいという議論にたいして、マルサスは、生産的か不生産的かは、あくまでも物的生産物を生みだすかいなかによって決まるというアダム・スミス流の分類の仕方を支持している。
 ただし、それは不生産的労働が重要ではないということではない。ニュートンやシェイクスピア、ミルトンなどが、国の水準をどれだけ高めたかは計り知れない。とはいえ、富はあくまでも、人間の欲求を満たすために生産された物を指し、そうした富を生産する労働を生産的労働とするのが、もっとも妥当な見方だろうと述べている。
 ここで興味深いのは、マルサスが経済発展の3つのモデルを並べていることである。それは次のようなものだ。

(1)一定期間において、その国の消費よりも生産が多い場合は、資本を増やす手段が与えられる。その結果、人口は増大するか、人口あたりに割り当てられる生産物が増加する。
(2)同じ期間の消費と生産がまったく等しい場合は、資本は増えず、社会は停滞する。
(3)もし消費が生産を超えるなら、次の期間には供給されるものが少なくなって、社会はより貧しくなり、人口は下落していく。

 マルサスがスミスにならって、(1)の経済発展をめざしたのは明らかである。しかし、その場合も人口が増大するにつれて、人びとはけっして豊かになるわけではないと考えているところが、やはりマルサス流だといえるだろう。

   4 使用価値と交換価値

 第2章「価値の性質および尺度」のテーマは、平たくいえば、商品とは何か、商品の価値はどのように決まるのか、といったことである。
 最初にマルサスはスミスにならって、商品には使用価値と交換価値があるという。使用価値は、商品の使用者がそれを有用だと思うことによって生じる。
 有用なものがかならずしも商品になるとはかぎらない。マルサスは水と空気を例に挙げている。現在、水はりっぱな商品だが、空気はいまのところ商品にはなっていない。商品にはもちろん使用価値がなくてはならないのだが、それはあたりまえのことで、むしろ商品が商品たる理由は、それが価値、すなわち交換価値をもつこと、平たくいえば一定の値段で売買できることにある。
 商品を論じるときには、使用価値を捨象して、価値、すなわち交換価値だけを問題にすればよいというのが、古典派経済学者の考え方で、マルサスもそれにしたがっている。いまのように便利な商品が大量に世の中を埋め尽くしていると、使用価値の問題、つまり商品の過剰効用性の問題はけっして無視できないのだが、その論点はしばらくさておく。
 マルサスは交換価値が「一貨物をほかの貨物と交換する意志および能力に基礎を置くもの」だとしている。貨物には限りがあり、その貨物をもつ人もかぎられている。そして、商品交換が成り立つのは自分の貨物と人の貨物とを交換する「意志および能力」があるときだけだ。言い換えれば、交換の「意志および能力」がなければ、そもそも商品交換は成立しない。
 売りたくない、買いたくない、売りたくても品物がない、買いたくてもカネがないといったことはままある。逆に売りたい人がいて、買いたい人もいる、売る品物があり、買うおカネがあるときは、商品交換が成立する。
 一般に商品はカネで買える貨物を指すが、カネを貨物(財貨)と考えれば、ここでは貨物どうしの交換がなされていることになる。したがって、商品は貨物そのものではなく、交換されてはじめて価値をもつ貨物であり、それ自体は宙ぶらりんな存在なのである。
 マルサスは商品のない世界は想定しうるが、それはきわめて不平等な社会ではないかという。たとえばAとその他大勢がいて、Aがパンとワインと肉をもち、その他大勢がパンしかもたない社会があるとすれば、そこには商品交換が成立するはずがない。なぜならAはその他大勢からパンをもらう必要もないし、逆にその他大勢はAからワインや肉を分けてもらおうとしても、Aにパンを受け取ってもらえない。
 そこで、商品世界が成立するのは、王と奴隷しかいない身分社会ではなく、相互需要のある、それなりに平等な社会だということになる(しかし、形式的に平等であっても、経済=社会格差の大きな社会ははたして平等かという問題は残る)。
 貨物の相互需要があれば、貨物はたがいに評価されて、交換可能性をもち、契約にもとづいて貨物が交換される。しかし、その際には両者ともできるだけ有利な交換条件を選ぶようになり、それによっていっさいの貨物の「現在価値」が決まってくる。
 マルサスの図式にしたがえば、それは

  1ポンドのシカ肉=4ポンドのパン
          =1ポンドのチーズ
          =4分の1ペックの小麦
          =1クォートのワイン

 などということになり、この図式は無限に広がる可能性をもつ。
 この図式が困難にぶつかるのは目に見えている。おたがいの需要がうまく合致しないことが多いためである。しかも、この相対的評価が安定するには、よほどの大市が開かれねばならない。
 そのため相互的需要が成立するためには、交換者があらかじめ「一般的でかつ一定の需要のある貨物」を手元に備えておく必要がある。牧畜民のあいだではその仲介物が家畜であり、アステカ人のあいだではカカオ豆だったりした。
 ヨーロッパ人はもともと貴金属を仲介物として用いていたが、それが次第に貨幣というかたちになって、「価値の尺度および交換の媒介物」として用いられるようになった、とマルサスは述べている。
 貨幣が価値尺度になることによって、貨物の価値は価格であらわされるようになる。その価格は名目価値にすぎない。時と場所によって、貨幣価値は変動する。そのため、マルサスは「ほんとうの富または生活のもっとも本質的な財貨を支配する能力」を意味する「真実交換価値」という概念を導入する。
 問題は真実交換価値とは何かということだ。真実交換価値がだいじなのは、これこそが商品の核心だといってもよいからである。
 マルサスはリカードのように、真実交換価値を「一貨物に用いられた労働」とはしない。それは究極的には生産費であり、原価であるかもしれないが、けっして価値ではないという。その代わりに、真実交換価値は「労働を含む生活の必要品および便宜品を交換において支配する力である」と、さらに言い換えて定義する。
 これは、いったいどういうことだろう。
 商品の使用価値は、その商品がもつ「内在的効用」であって、それが売れる内的可能性をもっているというだけにすぎない。それにたいして、商品の名目交換価値は、外的な貨幣で評価された貨物の値打ちである。商品交換が成り立つということは、外的な貨幣によって「内在的効用」が購入されることを意味する。貨幣を財貨の一形態と理解すれば、このとき財貨でもって財貨を交換することができたことになる。
 しかし、時と場所とともに変動する貨幣(財貨)は、商品を買うことによって何を実現したのだろうか。マルサスは他者によってつくられた「労働」生産物を手にいれたとはいわない。「労働を含む生活の必要品および便宜品」を手に入れたというのである。この微妙なちがいこそが、商品とはなにかを考えるさいのキーポイントとなってくる。
 商品は他者によって買われねばならない以上、生産者が最後まで商品の価値を支配(コントロール)することはできない。いっぽう、消費者にみえているのは、商品の生産過程ではなく、目の前にある、さまざまな効能を有する商品だけであって、一定の価格のついた商品を購入するかどうかは、あくまでも消費者の判断にゆだねられている。商品の売買は生産者と消費者のあいだでなされるのであって、商品とは「(労働を含む)生活の必需品および便宜品」であるとしても、その「真実価値」は、それを「交換において支配する力」によって決定されるというのが、マルサスの考え方である。

   5 労働価値説批判

 次にマルサスは、需要と供給の原理について述べる。需要とは「買う能力と結びついた意志」のことであり、供給とは「売る意図と結びついた貨物の生産」のことである。商品の価格は供給と需要の関係によって決まる。
 一般に供給が不足すれば価格は上がり、需要が減少すれば価格は下がる。逆に供給が増えれば価格は下がり、需要が増えれば価格は上がる。けっきょく商品の「価格は供給にたいする需要の関係によって左右される」。
 商品の価格が、需要と供給の関係によって決まるとすれば、それではアダム・スミスの生産費説をどう理解したらよいのか、とマルサスは問いかける。生産費説とは、商品の価格が、その生産に要した原材料費に、賃金、利潤、地代を加えた費用によって決まるという考え方である(リカードがスミスとちがう点は、利潤と地代は前もって決められないとしたことだが、リカードも基本はやはり生産費説だったといえるだろう)。
 これにたいしてマルサスは、供給と需要の原理は、市場の駆け引きであり、生産費とは関係なくはたらくと主張する。とくにそれは農産物において顕著である。製造品においては価格が生産費と一致することもあるが、それでも需要と供給の原理ははたらいている。偶発的な供給不足が、生産費に関係なく、価格を上昇させるのはままある。したがって、価格を決める支配原理は、需要と供給の原理であって、生産費は従属的にはたらくにすぎない、とマルサスは断言する。
 とはいえ、労働を含む生産費は、価格に大きな影響をおよぼす。生産費は原材料費、労働者の賃金、資本の利潤、土地の地代から成り立っている。そうした必要価格が支払われることを条件として、規則的な供給が保証される。この必要価格が売買によって満たされるときに、スミスのいう「自然価格」が成立するわけで、それは需要と供給の関係で決まる市場価格とはかならずしも一致しない。
 次にマルサスは、生産費のなかでも大きな部分を占める労働について考察する。さまざまな留保はあるものの、スミスやリカードは、商品の価値は、その生産についやされた労働量によって決まると考えた。マルサスはここで、その労働価値説を批判する。
 商品が商品たるゆえんは、それが交換されることであり、商品がどのような労働によってつくられたかは二の次だ、とマルサスはいう。その例としてもちだされるのが、先史時代の交換である。ある人は魚を得るのに5日間の労働を費やし、別の人は果物を得るのに1日の労働しか要さなかったとする。しかし、先史時代においては、必要労働量のことなる魚と果物が1対1で交換されたにちがいない、とマルサスはいう。つまり、交換は労働量とはほとんど無関係におこなわれたというのである。
 さらに商品をつくるのは労働だという考えを批判するために、マルサスは資本の役割をもちだす。資本は未開時代にも存在したはずだし、当時も交換される商品の目的は、資本を回収し、利潤を得ることだったと論じる。ここでいう資本とは、たとえば弓矢用の木材やアシであり、丸木舟用の木材や斧やノミを指している。ここでマルサスがいいたいのは、商品は労働によってつくられるわけではなく、資本が労働を組織することでつくられるということである。
 マルサスは「労働の価格が騰貴すると多くの種類の貨物の価格が下落する」というリカードの背理とも思える見方に賛同して、これを労働価値説批判の根拠へと読み替える。つまり労賃が上がるのに物価が下がるというのは、まさに労働価値説がまちがっている証拠だというのである。
 リカード現象はよくあることだ。労賃が上がるなかで、生産効率が改善され、製品価格が下落する事態はとうぜん想定される。リカードは、その現象に資本主義の一抹の希望をみた。賃金率が上がるいっぽう利潤率が低下し、製品価格が下落するなかで資本主義がつづいていく──そこに労働者の生活が改善されていく資本主義の可能性をとらえたのである。
 リカードは労働価値説にもとづいて、こうした現象を説明した。ところが、マルサスは、この現象を労働価値説批判のために利用する。賃金が上がったのに商品の価格はむしろ下がっている。これをみても、商品の価値は、労働量に比例するわけではない、というのである。ここには商品は労働によってではなく資本によってつくられるという、マルサスの根本的な考え方がある。
 マルサスはまた外国の商品は、まさに需要と供給の原理によって輸入されるのであって、そこには資本や労働の制約はまったくはたらかないとも書いている。これをみても、商品が労働価値を表現したものではないことは明らかだというのである。
 さらにマルサスは、穀物や家畜、羊毛や皮革、材木といった土地の生産物に言及する。これらはもちろん価格をもち、それは主に賃金と利潤に分解されるが、スミスはその残額として生じる地代は「価格の結果であり原因ではない」とした。その考えをさらに発展させて、リカードが差額地代論を展開したことはよく知られている。
 しかし、マルサスはこんなふうにいう。

われわれが……わずかの労働および資本をもって豊かな土地でひとしい価値の生産物が生産されることを認めるならば、われわれは、さまざまな貨物に実現された労働量がその交換価値を規制するという一般的命題を、あることばの正しさをもって主張することはほとんどできない。土壌にちがいがあるからこそたえまなく交換がおこなわれているのであるが、このことは右の命題をいいあらわすことばと直接矛盾するものである。

 つまり、ここでマルサスは、たとえば穀物をつくるときにだいじなのは、まず土地であって、労働は二の次だといいたいのである。そして、そうした土地の価値にたいして支払われるのが地代だということになる。それは家畜や羊毛、木材、はたまた都会の家賃の場合でも変わらない。だいじなのは場所であって、資本と労働がそこから商品を生みだすのはまちがいないにしても、労働そのものが価値をつくりだすわけではないというのがマルサスの考え方である。そうした供給の場所を独占しているのが地主であり、したがって地主には地代を得る権利があるということになる。
 マルサスのいいたいのは次のことである。

貨物がその生産についやした労働量が、同じときおよび同じところにおける相対価値の正確な尺度でもなければ、またちがった国およびちがった時代における、まえに定義したような、真実交換価値でもないように思われる。

 マルサスは商品価値の形成には、資本と土地が大きく関与して、労働は二の次であること、さらには交換による商品価値の実現には需要と供給の原理がはたらくことを強調している。しかし、そうした見方はあまりに資本家と地主の利益を擁護しているとみられても仕方がない一面をもっている。

   6 真実交換価値とは何か

 マルサスの基本的な考えは、「貨物の交換価値は、それに投下された労働量にめったに比例するものでない」ということである。商品の価値の尺度となる貴金属、すなわち貨幣もまた、肥沃度の異なる鉱山から生みだされたもので、けっして労働量を直接表現しているわけではないという。
 もちろん、労働コストの変化が、貴金属の価格に影響をもたらさないわけではない。しかし、マルサスは「金および銀の市場価格は、需要に比較しての市場におけるその分量」に依存しているという。もし、とつぜん大鉱山が発見されたり、機械の改良で採掘が容易になったりして、貴金属からなる貨幣の供給量が増えれば、「諸貨物に比較しての貴金属の価値は大いに騰貴する」だろう。しかし、それは貴金属の採掘にたいする労働量が増えたためではない、とマルサスは主張する。
 貴金属(貨幣の素材)は場合によっては、国内で生産するより外国から買い入れたほうが有利だとも述べている。国内の労働で獲得できるよりも、はるかに有利な条件でそれを得られるからである。その理由は、鉱山が世界じゅうで、斉一の肥沃度をもつわけではないからである。
 東インド会社カレッジの教授をしていたマルサスは、インドとイングランドの物価を比較して、インドの銀が相対的に高いのは、「アメリカの鉱山の結果が世界のこの部分にまだよく伝えられていないこと」が原因だろうと書いている。しかし、インドはともかく、ロシア、ドイツ、フランス、フランドル(現ベルギー)でもイングランドと物価はちがっていた。その原因はもっと研究されなければならないにしても、ここでもマルサスがいいたいのは、貴金属の価値もまた、その生産についやされる労働量に比例するわけではないということである。まして貴金属を素材とする貨幣は、交換価値の尺度として、国ごとに特有の役割を果たしている。
 次にマルサスは、需給関係によって実現された「真実交換価値」と労働との関係について論及する。真実交換価値とは「貨物がついやした労働量」なのか、それとも「貨物が支配すべき労働量」なのか。とうぜん後者だとマルサスはいう。
 マルサスがいいたいのは、商品の価値はそれにどれだけ労働量がついやされたかによって評価されるのではなく、どれだけの労働量がうまく投入されたかによって評価されるということだろう。つまり、商品の形成にあたっては、原材料や機械(技術)に加えて、資本が労働をいかにうまくコントロールしたかが問われるというのである。
「資本の蓄積、および富と人口とを増大させるその能力は……労働を支配する能力にまったく依存している」とマルサスは書いている。
 商品はとうぜん交換されねばならないのだが、貨幣を媒介として商品が同じ相対価値をもつときは(たとえばどちらも同じ1000円という場合は)、そこには同じ労働量が投入されているのだろうか、とマルサスは問いかける。どの商品についても「ある物品が支配すべき普通の日雇い労働の分量は、真実価値にもっとも近づくように思われる」。
 しかし、とマルサスはいいつのる。

しかしなお、労働は、ほかのすべての貨物と同じく、それにたいする需要に比べてその分量が多いか少ないかにしたがって変動し、そしてちがったときおよびちがった国では、きわめてちがった分量の生活第一必要品を支配する。さらに、熟練、および労働を適用するところの機械の援助の程度がちがうことによって、労働の生産物は労働量に比例はしない。したがって、労働は、そのことばが用いられるどんな意味においても、真実交換価値の正確でかつ標準的な尺度と考えることができない。

 ここでもスミスやリカードの労働価値説が否定されている。マルサスによれば、労働によって商品がつくられていると思うのは幻想にほかならない。
 ここには商品をつくるのは資本であって、労働は機械と同様、資本によってコントロールされる一素材にしかすぎないという発想が見え隠れしている。しかも、労働賃金は労働の需給によって変化し、各国の生活必需品価格のちがいに応じても異なってくる。だから労働は真実交換価値の尺度たりえない、とマルサスは断言する。
 それでは真実交換価値はどのように決まるのだろうか。労働も貨幣もその尺度ではないとしたら、穀物がその尺度になるのだろうか。マルサスはしかし、穀物もまた価格の変動が激しく、真実交換価値の尺度になりえないという。すると、尺度としては「穀物と労働の中項」のようなものをえらぶべきではないか。
 こんなふうに書いている。

一国の全生産物の交換価値の測定におけるように、穀物が測定さるべき物品のおもな一つであるときには、このような生産物の国内および外国労働にたいする支配力は、依然としてわれわれのたよる最上の基準である。

 けっきょく考えあぐねた末に、マルサスは真実交換価値の尺度として、穀物のもつ「労働にたいする支配力」こそが「最上の基準」と考えられるべきだとの結論に達している。平たくいえば、穀物によってどれだけの人が養えるか、賃金によってどれだけの穀物が買えるかということこそが、国の経済のベースになってくるというのである。こうした論点は『人口論』とのかねあいで、さらに検討されるべきだろう。
 ここで、少し感想を述べておこう。
 リカードがおもに価値の分配をテーマにしたのにたいして、マルサスは経済社会のシステムを解明しようとした。商品は資本が原材料や機械を用い、労働を雇いいれることによって、はじめてつくられる。しかし、商品の真実交換価値は、資本や労働によって前もって決められるのではなく、需要と供給の原理のもとではじめて確定される。これがマルサスの考え方である。誤解を恐れずにいうと、マルサスは経済社会をつらぬく神の摂理として、需要と供給の原理を発見したのだといってよいだろう。

   7 地代について

 そもそも地代とはいったい何だろう。
 地代は、地主の収入であり、地主の所有する土地の使用にたいする返礼といってよい。土地が公的なものであれば(たとえば国王や領主の領地であれば)、それは租税のかたちをとる。しかし、そうではなくて、土地が私的な地主のものである場合に、土地の使用料として地代が発生すると考えてよいだろう。
 マルサスが『経済学原理』をイギリスで上梓したのは1820年のことで、その時代は現在とはずいぶんことなっている。そのころは江戸時代後期にあたるが、日本とイギリスとでは、世界がちがっていたとみてよいだろう。それでも、土地から使用料が発生するという地代の構造は、東西を問わず、いまも昔も基本的には変わらない。
 まず、マルサスの時代、イギリスの地主がどういう存在だったのかを想像してみよう。
 G・M・トレヴェリアンは『イギリス社会史』のなかで、こう書いている。

18世紀が進むにつれて、貴族および大ジェントリーによるまとまった大所領の集積と、資本主義的農業の発展の結果、年収100ポンドないし300ポンドの小スクワイア層は全般的に消滅の一途をたどりはじめた。

 これをみると、イギリスで地主といえば、まず貴族かジェントリーだったことがわかる。ジェントリーというのは直接国政にかかわらない郷紳、スクワイアはさらにその下の階層で郷士を指している。19世紀はじめには、貴族とジェントリーのもとに土地が集積されていた。
 イギリスは貴族社会だった。20世紀にはいったころでも、イギリスでは、人口のわずか1.5%を占めるにすぎない貴族が、社会のなかで大きな地位を占めていた。いまも貴族社会の影響は色濃く残っているといってよい。
 したがって、マルサスの地代論は、何よりも大土地所有者である貴族の利得をめぐる論議だということを、頭にいれておいたほうがよいだろう。
 マルサスはすでに1815年に『地代論』を発表していた。1820年の『経済学原理』に展開された地代論は、1815年の『地代論』を踏襲したものである。かれが『経済学原理』に先んじて『地代論』を発表したのは、まさにこの年、議会で穀物法が審議され、制定されることになったからである。
 穀物法は海外からの小麦輸入を制限するための法律で、30年後の1846年に廃止されるのだが、リカードが穀物法に反対したのと対照的に、マルサスは穀物法を擁護した。
 マルサスは地代を「土地の耕作に属するいっさいの出費の支払いの後に、土地の所有者に残る部分である」と定義している。言い換えれば「労働の賃金と資本の利潤とを支払うのに必要なものを超える価格の超過分」が地代だという。したがって、地代は賃金や利潤とともに変動しやすいものととらえられており、このことがマルサスの地代論を複雑にしている。
 トレヴェリアンが資本主義的農業というように、イギリスの農業が、このころすでに農作物を市場で売ることを目的にしていた点も認識しておかねばならない。土地は単に耕す人に食料を与えてくれる恵みの大地ではなく、もうかる農作物を生みだしてくれる利益の源泉ともなっていた。
 マルサスは地代が発生する理由のひとつを、最良の土地が稀少であることに求めている。つまり、優良な土地はかぎられていて、だれもがその土地を所有するわけにはいかないというのである。
 すぐれた土地は、より多くの生活必需品を生みだし、より多くの人を養うことができるが、自然のたまものである肥沃な土地はかぎられている。いくら耕しても、生活するのがせいいっぱいの食料しか与えてくれない土地がすべてだとしたら、そこから地代は生まれるはずがない。だから、土地自体の生みだす剰余こそが、地代の源泉だ、とマルサスはいう。
 しかし、剰余生産物はそれにたいする有効需要がなければ、つまり売れなければ、何の価値もない。さらに土地は食料だけでなく、さまざまな原料もつくりだす。そうした生活必要品がより多く生みだされるなら、人口もまた増えていき、それに応じて需要も増えていくはずだ。
 ところが、土地の肥沃度が失われ、農業生産物の収穫がさほど見込めなくなると、どうなるか。土地は放棄され、利潤も賃金も得られなくなり、人口も激減するにちがいない、とマルサスはいう。
 地代は土地の肥沃度に依存しており、肥沃度が増大すれば地代も増大し、肥沃度が減少すれば地代も減少し、ついにはゼロになるというのが、マルサスの見立てだった。「地代は、神が人間に与えたもうた土壌のもっとも貴重な性質の……明らかな表示ではないのか」と、マルサスはいかにも牧師らしく、土地にたいし神への感謝をささげる。しかし、その土地を広く所有していたのが、貴族であり、ジェントリーだったことは、まちがいない。

   8 農業発展と地代との関係

 肥沃な土地が無限にあるのなら、地代は発生しない。しかし、現実問題として、土地の性質や位置、広さにはちがいがあって、そのちがいが地主への地代を生みだすのだ、とマルサスはいう。
 当初、地代は賃金や利潤とまぜこぜになっている。しかし、次第に地代そのものとして分離されてくる。つまり、土地が稀少になってくると、資本の投下に加えて、土地の豊かさ自体が利益を生みだすことになる。そこで、土地自体のもたらす剰余分が地代にほかならないというのである。
 次にマルサスが指摘するのは、農業生産におよぼす変化が、地代にどのような影響をもたらすかということである。
 マルサスが考えているのは(1)資本の蓄積、(2)人口の増大、(3)農業の技術改良、(4)需要の増大、といった状況の変化が、農業に何をもたらし、その結果、地代は増えるのか、減るのかということである。マルサスはあくまでも地主(貴族)の立場で、論を展開している。
 資本が増えると、肥沃度の劣った土地にも資本が投下されるようになる。人口が増えると、賃金が安くなり、以前は耕作されなかった土地も耕作されるようになる。しかし、劣等地での耕作が進むにつれ、以前に耕作されていた土地の地代は上昇する。これがマルサスの推論である。
 加えて、農業技術の改良は、生産コストを下げ、剰余を大きくするので、地主の地代の増大に寄与することはまちがいないとも述べている。マルサスはこうした技術改良が、よりよい道具とより進んだ土地管理によってなされることを強調する。
 そして、需要の増大である。マルサスは貨幣価値の下落、すなわちインフレが地代の騰貴をもたらすこともあると考えているが、基本的には商工業の繁栄にもとづく賃金労働者の増加が、農産物への需要を喚起し、穀物価格を一定水準まで押し上げ、その結果、地代は上昇するととらえている。しかし、多少景気が悪くても、人は食料品を買わないわけにはいかないから、贅沢品とちがって、生活品の需要にはそれなりの下支えがあるというのが、マルサスの判断である。
 以上4つの要因が作用すること、あるいはそのひとつでも作用することによって、地代は上昇する、とマルサスはいう。要は生産コストが下がり、そのいっぽうで生産物の価格が維持されるならば、地代は上昇するというのである。
 しかし、逆に地代を下げる要因はあるのだろうか。それは(1)資本の減少、(2)人口の減少、(3)わるい耕作制度、(4)生産物の市場価格の低下だ、とマルサスは列記する。あえて説明する必要もないだろう。ナポレオン戦争後には穀物価格が低落した。その結果、一部の農地では耕作が放棄され、農業労働者が解雇された。多くの農業資本が破壊されたことはいうまでもない。地主の得る地代収入ももちろん減少した。
 マルサスが穀物法の導入に賛成したのは、農産物の価格下落を防ぐためである。外国産穀物の輸入を抑えることによって、農産物の市場価格をできるだけ維持しようというのが、1815年に導入された穀物法の目的だった。
 いっぽう、リカードが穀物法導入に反対したのは、逆に農産物の輸入自由化によって、農産物価格が下落することにメリットを感じたからである。リカードは農産物の価格が低下し、地主の地代が減っていくことが、産業資本主義の発展に向けての正しい方向だとみていた。
 資本が蓄積され、産業が発展するにつれて、競争によって資本の利潤率は一般に低下していく。労働者の数も増えるが、その賃金はよほど景気がよくならないかぎり、さほど上がるわけではない。しかし、そのさい、農産物の価格が安くなれば、労働者の生活水準は相対的によくなるというのが、リカードのえがいた、きたるべき世界だった。だから、リカードは農産物価格を高めに維持する穀物法に反対したのである。
 マルサスが地主の利益を代表していたとすれば、リカードは資本家の利益を代表していたともいえるだろう。
 次にマルサスが論じるのは、農産物の生産量が、地代と農産物の価格によって決まるということである。ふつうは、生産量によって、その価格と地代が決まると考える。しかし、それは逆だとするところがマルサスらしい。原価と自然地代が確保されないと、穀物は生産されないと述べている。
 自然地代というのは何だろう。土地は最劣等地であっても、牧草を植えて家畜を飼育することができるから、そこには地代が発生するとマルサスは考えていた。これが自然地代である。リカードは差額地代論において、地代がゼロの最劣等地を基準として、より大きな地代が発生する優良地を段階的に想定したが、マルサスの場合は最劣等地においても地代が生じると想定する。
 マルサスはこう考えた。この土地を耕作して、作物をつくるとなれば、そこに投じられる資本だけではなく、地代もまた回収されねばならない。資本のなかには、少なくとも資本家の利得と労働者の賃金も含まれている。
 農地が耕作されつくすと、資本の利潤と労働の実質賃金が下落するのにたいし、地代は土壌の肥沃度に応じて高くなる、とマルサスは考えている。これは資本量が増大し、人口が増加し、農産物価格が上昇し、それにたいして利潤率は低下し、賃金は上がらず、地代だけは増えていくというケースである。ナポレオン戦争時には、そうした事態が発生していたのだろう。
 ところが穀物価格が下落すれば、どうなるだろう。
「永続的な困難」がもたらされ、「より富んだ土地」であっても「より多くの利潤を生みだすこと」はなく、土地の肥沃度によって与えられる地代ですら、どんどん減っていくだろう。
 そこで、マルサスは、穀物は最低限であっても、「自然価格」ないし「必要価格」以上で売れなければならないと主張する。この自然価格というのは、原価と自然地代を満たす価格という意味である。その価格が保証されなければ、農業生産自体が放棄される。
 こう書いている。

この価格は平均的には、少なくとも、現実に耕作されている最劣等地におけるその生産費ならびにその自然的状態におけるこうした土地の地代に、ひとしいものでなければならない。なんとなれば、もしそれがなんらかの程度にこれ以下に下落するならば、こうした土地の耕作者は、地主に、かれがこの土地から耕作せずに獲得しうると同じ高さの地代を支払いえないであろうし、したがって土地は耕作されずに放置され、そして生産物は減少するであろうからである。

 マルサスにとっては農産物価格を下落させないこと、少なくとも「自然価格」を維持することが、農業を守ることと直結していた。そのためにも、外国産穀物の輸入を規制する穀物法は、是非とも可決せねばならぬ法案なのだった。

   9 土地の価値

 マルサスは穀物価格に影響をおよぼす要因として(1)貨幣価値の変動(2)投入される労働と資本の量の変化、に注目する。
 貨幣価値の変動は、穀物にかぎらず、商品全体の価格に影響をもたらす。しかし、何カ国かにおいて、貨幣価値がまったく同じであるにもかかわらず、一国だけ穀物価格が高いとすれば、その原因は比較生産費の高さに求められるだろう。つまり、その国では穀物の生産に投入される資本と労働の分量が、単位あたりで、比較的大きいと推測できる。
 豊かな国においては、より多くの人口を養うために、一段と劣った土地にも資本と労働を投下しなくてはならない。供給がより困難になるため、穀物価格はそれに比例して上昇する。この困難を解消するには、耕作方法の改善や省力化、さらには外国穀物の輸入などが、対策として考えられる。
 さらにマルサスは、製造業に重点をおく国が、その富と人口を維持しようとするならば、穀物を他国に依存せざるをえないだろうと判断する。とはいえ、当時、穀物を輸送するコストはばかにならなかった。それを考えれば、農業技術の改良と土壌の改善によって、穀物の生産を促進し、穀物の輸入を抑えることも可能である。しかし、農業の問題は、マルサスにいわせれば、なによりも土壌の豊かさにかかっているのであって、そこが機械に頼る製造業とちがっているところだった。
 マルサスは、富裕な国では穀物の価格が高くても、製造品の価格が相対的に低いということを認めている。そして、「一国の富と人口とはその穀物の高い価格に比例すること」、さらに「輸出しうる貨物をもっとも豊かにもっている国は富んでいるか、または急速に富への途上にある、と一般的に推論しえよう」と述べている。
 当時は産業革命の途上にあった。一国の経済が進歩しているときは、資本家の数と富ほどでなくとも、地主の富も増大していく、とマルサスはみている。
 マルサスはさらにご丁寧にも、地主が借地期間を更新するときに注意しなければならない点についてもふれている。
 一時の利益に目がくらんで、土地をだいじにしない借地人に土地を貸してはならないという。長期的にみれば、損失につながるのはまちがいないからだ。もうひとつは、農産物価格の一時的騰貴に踊らされないということ。値段が上がったからといって、むやみに地代を上げればいいものではない。
 さらにマルサスは、地主の利害が国家の利害と一致することを強調する。「地主の所得が土壌の自然的肥沃度、農業上の改良、および労働を節約する発明に依存する」ことはいうまでもなく、そのことが国の利益に反するとは考えられないという。
 すべての土壌が肥沃であれば、地主の地代は減少するだろう。しかし、遺憾ながら現実問題として、土地の肥沃度には大きなちがいがあり、そのために地主がそれなりの地代を得るのは仕方がないというのがマルサスの考えだった。
 そして農業上の改良がおこなわれれば、一時的に食料価格は下がるものの、そのうち人口が増え、有効需要が生じ、食料に余裕がなくなって、また土地の新たな耕作がこころみられ、それによって地代はさらに上がっていくことになる、とマルサスは断言する。しかし、地代が上がっていくといっても、それはごくわずかであって、農業上の改良と労働の節約は常に求められるという。
 リカードは資本の利潤に重点を置き、地主の地代と労働者の賃金を抑制すべきだという立場をとった。これにたいし、マルサスのめざしたのはバランスのとれた発達である。
 産業の発達によって、国全体のなかで、地主の地位が相対的に低下するのはやむをえないことだった。その意味で、リカードのとった方向性はまちがっていなかった。とはいえ、地主が農業上の改良や、労働の節約に心がけることで、地代収入を増やそうとするのは、国家の利害に反していないとマルサスは強調した。
 ここでマルサスは穀物法廃止にからむ論点を持ちだしている。羊毛や絹、リンネルなどの工業製品が輸入によって打撃をこうむり、海外からの多数の労働者の流入が賃金を引き下げるのと同様に、食料の輸入は自国産の食料価格に影響をおよぼすというのである。それによって、あきらかに地代は減少し、地主の利益はそこなわれる。それは国益とはならない、とマルサスはいいきる。
 むしろ、マルサスは外国産食料の輸入を制限するほうが、国内産食料の価格が高めに維持され、それによって農業分野への投資も促進され、人口も増えていくと考えていた。そして、農業上の永続的改良がなされ、地代も増えていくなら、それこそが国益につながるという立場をとった。これは外国からの穀物輸入を増やし、賃金を上げないようにしながら、農業分野よりも工業分野への投資を重視していくというリカードとは、正反対の見識である。
 地代論の結論として、マルサスはいかにも宗教者らしく、地代の根拠となる土地の剰余は「神の恵み深い賜」だと書いている。土地は無制限に得られるわけではない。もし食料が無限に与えられるなら、人口も無限に増えて、それこそ地球は人であふれかえっていただろう。そうなると人類はかえって逃れられない窮乏に苦しんでいたにちがいない。
 ところが、神は「慈悲深くも、総体としての生活の必要品を空気や水のように豊かに与ええなかった」。ここにマルサスは神の叡智をみている。
 マルサスは人口が増加しすぎることに警鐘を鳴らした。人口が一定程度に保たれる場所では、土地が「神の恵みの賜」として、剰余を与えてくれる。だからこそ、人は終日の労働を軽減され、奢侈品や余暇を楽しむこともできるのだと書いている。
 マルサスは肥沃な土壌こそが国家繁栄の基礎だと断言している。商工業の発達だけを重視する考えには反対だった。「もしある国がたんに低賃金を求める競争に勝つだけで富裕になりうるならば、わたしはこういいたくなる、こんな富は消え去ってしまえ、と」
 マルサスは土地の私的所有、言い換えれば土地が子孫に受け継がれることを否定しない。「地代は過去の力と知恵の報酬であるとともに、現在の勇気と知恵の報酬である」と語っている。
 地代論の結びはこうなっている。
「社会の進歩につれて、資本ならびに人口の増大、および農業上の改良によって土地はもっと価値をもつようになるから、それがつくりだす利益ははるかに多くの人びとのあいだに分配されるであろう」
 マルサスは地主を擁護するだけではなく、地主がさらなる社会的貢献をはたすことを期待したのだといえる。そこにマルサス経済学の特徴があった。
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