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『イスラーム国の衝撃』(池内恵)を読みながら思うこと [本]

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 ふだん、まわりのことと昔のこと、それに本の世界くらいしか関心のないぼくも、さすがに、最近の自称イスラム(イスラーム)国の動きは気になります。イスラム国については、ものすごい数の本が出ていますが、とりあえず、この新書を選んで、斜め読みしてみました。
 いまイスラム国は、イラク北西部とシリア北部に勢力を広げ、モスル、ラッカなどの都市を制圧し、アレッポにも攻勢をかけているといいます。その指導者は、カリフ(イスラム世界の領導者)を名乗るバグダーディという人物です。
 西側諸国はその領域に空爆を加えて、この国の誕生を阻止しようとしていますが、イスラム国は非イスラム人の人質をとり、処刑するなどして、西側からの攻撃に対抗しようとしています。
 さらに、インターネットを駆使しての、時をおかない強烈なアピールが、この国の存在を実体以上に大きく見せていることも、昔では考えられない手法といえるでしょう。
 イスラム国はアルカイダの流れをくみながら、アルカイダとは異なる勢力だ、と著者はいいます。アルカイダが秘密の国際テロ組織だとすれば、イスラム国は、国境を超えた領域をもつ新たな国づくりをめざしているからです。その綱領はジハード(聖戦)という考え方に集約されるでしょう。
 イスラム国は、中東だけではなく西洋諸国にたいしても、戦争を宣言したといえます。その目的は、西欧的政治思想にもとづかない、イスラム法による新イスラム国家の樹立にあります。そのためには、敵対者の大量殺戮や奴隷化、西側の「十字軍」にたいする戦闘も辞さないというのでしょう。
 なぜ、いまイラク北西部からシリア北部にかけて、このような時代錯誤ともみえる凶暴な国家が生まれようとしているのか。
 著者は政治思想面、政治情勢面から、この問題を追求しようとしています。
 アルカイダが注目を浴びたのは、2001年の9・11事件によってでした。
 米国の対テロ戦争によって、アルカイダの中枢組織は打撃をこうむりますが、その組織はかえってネット状に広がっていきます。
 アフガニスタンでは、米英軍と北部同盟の攻撃により、タリバン政権が崩壊しました。それとともにアルカイダも追い詰められ、その指導者ビンラディンは、逃げおおせることなく、ついに2011年5月2日に殺害されることになります。
 タリバンやアルカイダの掃討にあたっては、米軍の特殊部隊や無人飛行機(ドローン)が投入されたといいます。
 対テロ戦争にあたって、米国が超法規的手段(世界各地での拘束、秘密施設での拷問、尋問)の採用も、辞さなかったことは、最近になってよく知られるようになりました。
 しかし、これに対抗し、アルカイダもグローバルに広がり、フランチャイズ化したといわれます。「アラビア半島のアルカイダ」とか「イスラム・マグリブのアルカイダ」、「ボコ・ハラム」といった組織が新たに登場しました。
 さらにヨーロッパや米国などでは、「個別ジハード」と呼ばれる一匹狼型のテロリストまであらわれるといった、始末の悪い状況になります。
 そして、問題は、イラクとシリアにまたがる領域に、なぜ自称イスラム国なるものが生まれたかということです。
 2003年のイラク戦争によって、フセイン政権は崩壊しました。しかし、その混乱のなかから、「イラクのアルカイダ」が台頭し、それが紆余曲折をへながらアルカイダとは別系統の「イスラム国」へと発展していった、と著者は説明します。
 その詳しい経緯は省略しますが、「イラクのアルカイダ」を率いたのはザルカーウィという人物です。かれはシーア派主導によるイラク再建に反対し、イラク内戦を激化させ、米国に打撃を与えようとしました。
 ザルカーウィ自身は2006年6月に米軍の空爆により殺害されますが、その指導者は次々と引き継がれ、2010年5月にバグダーディが指導者の座につき、2014年にカリフ制にもとづくイスラム国の樹立を宣言するにいたるのです。
 とはいえ、イスラム国が台頭するのは、2011年以来の「アラブの春」によって、シリアで内戦が勃発してからだ、と著者は指摘します。これは、ひじょうに皮肉な話です。
 民主的な政府を求めて民衆が立ち上がった「アラブの春」は、チュニジアからエジプト、イエメン、リビア、バーレーン、シリアへと広がり、独裁政権の打倒へとつながっていきます。
 ところが、そこから生まれたのは、たいていが民主政権ではなく、混乱と内戦でした。宗派や部族、地域の対立が、混乱に拍車をかけました。アルジェリアやリビアにも、アルカイダ系の組織が浸透していき、さまざまなテロを引き起こします。エジプトでは、ふたたび軍事政権が誕生しました。とりわけ、シリアではアサド政権をめぐって内戦が勃発し、それがイラクの混乱と呼応し、シリアとイラクに「統治されない空間」が生まれることになります。
 その空間に浸透していったのが、イスラム国なのです。
 イラクで、イスラム国が制した地域は、現政権に不満をもつスンナ派が多数を占める県にすぎないといいます。イスラム国が、北部のクルド地域と南部のシーア派を中心とする地域にまで支配を広げるのは、いまのところ無理なようです。
 しかし、どうしてこんな事態になったのでしょう。
 2011年に米軍が撤退したあと、イラクのマリク政権は首相の権限を強化し、よりスンナ派を排除する政策をとりました。これにより、「イラクの息子」と呼ばれるスンナ派の自警団組織が政権から離脱し、イスラム国側につきました。加えて、旧フセイン政権時代の軍事組織が、ここに合流したといわれます。
 シリアでは内戦が激化するなかで、多くの反体制派武装組織が生まれていました。そうしたなか、イスラム国はシリア北部に訓練基地をかまえるようになります。
 シリアの反体制武装組織のなかで、頭角をあらわしたのが、ゴーラニーの率いるヌスラ戦線です。ヌスラ戦線はイスラム国と一線を画しながら、反アサド闘争を戦うようになります。
 そして、このヌスラ戦線と競合するかたちで、イスラム国本体がついにラッカを手中に収め、シリア領域の支配に乗りだすことになるわけです。
 こうして、イラク北西部とシリア北部にまたがるイスラム国が生まれることになるのです。
 イスラム国に大きな関心が寄せられる理由のひとつは、そこに外国から渡航したジハード戦士が数多く加わっているからだ、と著者は指摘します。
「戦闘員らは、金銭的な代償よりも、崇高なジハードの目的のために一身を犠牲にするつもりで、あるいはそのような高次の目的に関与することに魅力を感じて渡航している」というのは驚きですが、若者たちはジハード(聖戦)ということばの魅力に引きつけられているのかもしれません。
 イスラム国に参加した外国人の数は、2014年9月のCIA推計で80カ国から1万5000人以上とされています。これはイスラム国の戦闘員の約半分にあたるといいます。その6割から7割は、チュニジアやサウジアラビア、ヨルダンなど中東諸国からで、2割から3割近くが西欧諸国からとされています。
 ロシアからはチェチェン人の参加が目立ちます。フランスからは700人、英国からは400人、米国からは70人がイスラム国に参加しているとみられています。
 欧米諸国からの戦闘員が注目されるのは、かれらが帰還することで、欧米でのテロが拡散される危険性があるからです。現に2014年5月には、シリアから帰還したフランス国籍のイスラム教徒が、ブリュッセルのユダヤ博物館で銃を乱射する事件が起きています。
 それ以外にもイスラム国やアルカイダに共鳴するグループによるテロが続発しています。こうした事態は、日本にとっても、けっして無縁ではない、と著者は指摘しています。
 イスラム国の台頭によって、今後、中東の秩序はどうなっていくのでしょう。
 イスラム国が急速に領域を拡大し、帝国になっていくことは考えにくい、と著者はいいます。かといって、イスラム国を消滅させるのも、なかなか困難です。
 クルド問題も深刻になっており、中東の分裂と戦乱は長引く恐れがあります。「イラクとシリアの国家・国境の形骸化が進めば、イラクのクルド勢力は、最大限の版図を軍事的に確保したうえでの独立を目指すだろう」と、著者は述べています。
 米国の中東への関与は腰が引けており、軍事行動はきわめて限定的だというのが、おおかたの見方です。すると、中東の秩序を取り戻すには、地域の大国であるイランとトルコに期待するほかなく、そこにサウジアラビアとエジプトが加わって、イラクやシリアの紛争を鎮静化していく以外にあるまいという考え方を、著者は示しています。
 とはいえ、現在の中東の混乱をもたらす大きな要因となった米国が、これからどうでるかは、やはり大きな問題といえるでしょう。
 著者は、こう述べています。

〈ローカルな勢力とリージョナルな勢力のそれぞれの動きを調和させ、新たな中東秩序に統合していく指導力を、米国は発揮するのか。あるいは米国は、このまま中東における指導力の低下を容認するのか〉

 著者が消極的な「オバマ・ドクトリン」にかわる、米国の新外交政策に期待を寄せていることは、まちがいないでしょう。中東の秩序がさらに混乱をきたせば、日本がこうむる影響も大きなものになってくるからです。
 そうなれば、「中東の原油・天然ガスにエネルギー安全保障の根幹を依存し、スエズ運河の安定通航を前提として経済が成り立っている日本は、自らエネルギーとシーレーンの安全を確保しなければならなくなる」とまで、著者は危惧しています。
 中東の混乱は長引きそうです。情勢は混沌としています。
 著者は米国の積極的な関与を求めているようにみえますが、ぼくには米国は積極的に干渉しても、消極的に後退しても、いずれにせよ中東に混乱の種をまいているように思えます。
 日本はどうするのでしょう。積極的平和主義の名のもとで、集団的自衛権なるものを発動し、米国を支援するために、これから中東地域に自衛隊という日本軍を常駐させることになるのでしょうか。
 ぼくは、これから必要なのは戦争学ではなく、平和学だと確信しています。それは凶暴なイスラム国を認めるというのではありません。中東地域における平和を確立するにはどうしたらいいか。そうした長期的な視点に立って、ものごとを進めていくべきだと思います。
 日本が中東に貢献できるとすれば、それは米国の軍事作戦を支援することでも、中東の政府におカネをばらまくことでもなく、中東地域の平和構想にどれだけ寄与できるかということなのではないでしょうか。

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