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『「若者」の時代』(菊地史彦)をめぐって(1) [本]

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 この年になるまで偏屈でとおってきた。
 変わり者で、わがまま、そして、世間からはずれている。そのくせ、気が弱くて、いつも人のあとを、くっついて歩いている。
 まったく、どうしようもないやつだ。
 選挙権を18歳から与えるというこんどの法案にしても、世間では称賛の声が多い。しかし、なぜかぼくは、ああ戦争がはじまるんだという悪い予感をおぼえた。
 アテナイが民主主義を導入したのは、単に市民の権利を尊重したからではない。市民が戦争に加わるために、平等が求められたからだ。
 集団的自衛権なるものが発動され、自衛隊の海外派兵が常時可能になれば、18歳の自衛隊員も武器をもって戦場に立つことになるかもしれない。
 そのかれらに選挙権がないとしたら、どうだろう。
 国の決めた戦争に、いやおうなく、かれらを参加させることになる。
 それは民主主義の原則に反している。
 だから、18歳以上の若者に選挙権を与えて、国の決定にみずから従うよう仕向けなければならない。
 国に選挙権なんか与えてもらいたくない。もうすこし、自由でいたい。
 そんなふうに思っている若者もいるのではないか。
 若者とは、社会にでていく前後の世代をさしている。
 その若者が国に囲いこまれ、若者の時代は短縮されつつある。
 ふと、そんなふうに思った。

 本書は、若者の「社会意識」という視点からみた「戦後史」(もう戦間史かもしれないが)といってよい。
 だれもが若者の時代を経験する。
 ぼくのような先のない、じいさんだって、そうだ。
 なんとなく懐かしさをおぼえて、この本を手にしてみた。
 ぼちぼちとページをめくりはじめる。

 はじめに、17歳になる直前の美空ひばりが主演した映画『伊豆の踊子』の話がでてくる。1954年の松竹映画だという。
 著者によると、このときひばりの演じた踊子は「終始不機嫌で、ふくれっ面をしている」。それを「哀愁」ととらえる人も多かったという。
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 この映画は見ていないので、ほんとうにそうなのか、よくわからない。
 というか、あまり美空ひばりが好きではなかった。えらそうなおばさんという感じがしていたのだ。
 このあたりの感覚は、熱狂的な同世代のひばりファンには、理解できないらしい。ぼくが「美空ひばりはどうも好きじゃない」というと、年がひとまわり上の先輩の女性に、「だから、あなたはだめなのよ」といわれたおぼえがある。
 ここでのキーワードは「不機嫌」である。
 若者はけっして明るいわけではない。若者は不機嫌なのだ。
 この本で著者が論じようとしているのは、ほぼ17歳という起点に立つ若者たちの戦後だといってよいだろう。
 そのとき、かれらの目に社会はどのように映ったのか。
 その見え方を「社会意識」と呼んでもいい。

 最初に著者は、戦後社会にとって若者とは、どういう存在だったのかを概観している。
 味も素っ気もなくいってしまうと、若者たちは「重要な労働力として、また強力な消費者として期待され、厚遇されたが、それは彼らが利益をもたらす存在だったからだ」ということになる。
 戦後、人口の膨張による激しい競争のなかで、若者たちは育った。
 そのなかで、かれらは社会環境と摩擦を生じ、ときに不機嫌となった。
 高度成長期が求めたのは、理解力があり、協調性があって、企業にとけこんで、よく働く若者である。
「成績・性格・体力」の3点セットだった、と著者はいう。
 若者は家族からも期待されていた。
 親たちは子どもを教育することで、ひそかに自分たちの「階層の上昇」を願った。それは「豊かな暮らし」への期待でもあった。
 若者は消費の担い手でもあった。
 著者は、戦後の家族消費は、家電製品からはじまって、自動車へ、そして最後に住宅に向かったという。個人消費がはじまるのはそのあとで、その先鋒になったのが若者だったという。
「ファッション」の時代や、若者文化がはじまるのは1960年代なかばからだ。
 教育、家庭、企業が若者をかんがえるときのポイントだ。
 さらに著者は、戦後の若者像をつかむために、1950年代から2000年代の「日本人の国民性調査」をもちだしている。
 そこには、ちょっと気になる特徴があった。
 全体値と比較して、20歳代が望む暮らし方で、つねにより多かったのが、「趣味に合ったくらし方」と「のんきにクヨクヨしないでくらすこと」だったということだ。
 近ごろの若者は、覇気がないというのは筋違いだ。
 というのも「趣味」と「のんきに」というのは、いまや日本人全体の望む生き方の圧倒的多数を占めているからだ。
 ただし、1950年代と2000年代に大きなちがいがあるとすれば、かつては「清く正しくくらす」というのが、いちばん多かったのに、いまでは、貧しくもつましく暮らしたいという人が、ほとんどいなくなったということだ。
 これは若者の意識でも同じである。
 それはともかく、著者は若者のあいだで、全体よりも「趣味」と「のんきに」という生き方が人気のある理由を、こう説明する。

〈「金持ち」や「名をあげる」がさほど伸びないのは、その難しさが目に見えているからだ。彼らはそのような暮らし方を早々に断念し、「金持ち」の代わりに「趣味」を、「名をあげる」の代わりに「のんき」を選択したのである〉

 それは、たぶん不機嫌な選択だった。
 若者たちは、はじめて社会の現実を前にして、たじろいでいる。
 本書は17歳に視点を据えて、もはや戦前かもしれない戦後の流れをとらえようとした画期的なこころみである。
 なつかしさから読んでもいい。未来への不安をおぼえながら読むのもいいだろう。しかし、ここでつねにとらえられているのは、セブンティーンのたたかいのはじまりなのである。
 まだ、ほんのとば口。ゆっくり読んでいきたい。

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