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『日本 呪縛の構図』(R・ターガート・マーフィー、仲達志訳)書評(短評) [本]

 歴史を動かしているのは何か。孔子なら天、ヘーゲルなら理性、マルクスなら階級闘争、慈円なら乱、白石なら変、トインビーなら文明の興亡というだろう。なかには民衆の意志という人もいるか、いやそれよりも伝統だなどと、例によって、とりとめもなく考えながら、書店をぶらついていて、ふと日本はこれからどうなっていくのかと不安になった。
 そんなとき、たまたま本書にぶつかった。どちらかというとビジネス書ないし時事評論である。
 著者は米ハーヴァード大学を卒業し、日本の外資系銀行で実務を積んだあと、1992年に経済評論家としてデビューした。15歳ではじめて日本を訪れたときから、すっかりこの国に魅入られてしまった。現在は筑波大学教授として国際経営学を教えている。日本での暮らしは40年になるという。
 日本語版は上下巻からなり、大まかにいって上巻は日本の歴史、下巻は日本の現在にあてられている。それぞれ「呪縛の根源を探る」「日本を支配する『歴史の呪縛』」という見出しがつけられているが、原著では第1部「過去」、第2部「現在」とそっけない。
 本書のタイトルも呪縛というより、直訳すれば「日本と過去の足かせ」である。足かせというからには、はずすこともできるだろう。もともと外国人向けに日本の歴史と現状を紹介した著作といってよい。そのため、日本人にとっては退屈な部分が多いかもしれないが、知日家の外国人が日本の過去、現在、未来をどうみているかを知るには、格好のテキストといえる。
 本書の序文で印象的なのは、著者が日本人の特質を、くどくど不平を言わず、「物事をあるがままに受け入れ」、自分に与えられた仕事を懸命にこなすところにみている点である。そういわれれば、たしかに思い当たる節もある。
 しかし、日本の現状と将来にたいする見方は、概してきびしい。
「今の日本で引き起こされようとしている状況」は、「国民全員に経済的安定を保証したに等しい社会契約を反故にし、税率と物価を引き上げ、一般家庭の貯蓄の購買力を破壊し、年金をカットし、さらには企業が社員の生活を保障した歴史上画期的な制度を、将来性も生活の保障もない非正規社員だらけの職場と置き換えようとさえしている」。
 それなのに、日本人がその運命をおとなしく受け入れようとしているのが、不思議でならないという。
 日本では支配者の政治目標がいつの間にか、何となく実現してしまう傾向がある。時にその政治目標は、民衆にとてつもない災厄を招くのに、なぜそんなにするりと政治意志が貫徹してしまいがちなのか。
 著者はその支配のメカニズムを、日本の長い歴史のなかに探ろうとしている。
 天皇制は世界で最も古い世襲君主制である。著者は、天皇はローマや中国などのエンペラー(皇帝)ではないという。「日本という一国家の宗教指導者であり、宗教の主柱的存在であると同時に政治的正統性の源泉だった」。天皇制がこれほど長く生き延びてきたのは、天皇が直接、政治に関与することをできるだけ避けてきたからだ。しかし、その下に権力は集まり、結束を固め、国を動かしていく。
 日本の政治的実権を握っていたのは、摂関家の藤原氏であり、その後の鎌倉、室町、江戸にいたる武家政権である。一時、後醍醐天皇による親政もこころみられたが、それはごく短期間にとどまった。明治維新は革命ではなく、「長州、薩摩、土佐といった外様藩出身の下級武士たちが仕掛けたクーデター」だった。
 日本では「自前の革命」が起きたためしがない。権力は入れ替わり、再構築されるだけである。著者によれば、明治体制とは、「天皇の直接支配というフィクション」を利用して、「自らを支配的地位に就けた寡頭政治家たちによる政治支配」にほかならなかった。しかし、この富国強兵体制は次第にほころびを生じ、帝国を拡大しつづけるなかで、ついに破局を迎える。
 日本は敗戦によって、「アメリカの防衛圏内に無制限に組み込まれ、自国の安全保障をアメリカに依存し、外交政策でもアメリカ政府のお墨付きがなくては何もできなくなって」しまった。天皇制を存続させたのもGHQだった。
 東京裁判で、戦争の責任は戦犯に押しつけられ、戦争の苦い記憶は国民のあいだに被害意識だけを残して、ひたすら忘れ去られていった。
 戦後、日本にはアメリカ憲法よりも進歩的な新憲法が導入されるが、この民主的な憲法は、いまだに日本人になじんでいない、と著者はいう。主権在民は建前だけで、あたかも主権は天皇にあるかのようにみえ、実際に国の権力を握っているのは、利権構造に支えられた自民党と、強大な無責任体系ともいえる官僚機構だ。著者は「政治的説明責任の中枢が欠如していること」が、「日本の支配構造における最大の欠陥」だという。
 日本が奇跡の経済復興を遂げたのは、日本の共産化を恐れたアメリカが自国の市場を開放したことと、官僚による経済の国家管理がうまく働いたからだという。
 そして、実際に高度経済成長を牽引したのは、「家」意識の強い企業だった。「終身雇用」が原則で、社員は異動や転勤を重ねて管理職への階段を登り、上のポストにあぶれた者は関連会社や下請けに出向する仕組みができていた。
 教育制度は企業や省庁に人材を提供することを目的に組み立てられており、その金融システムは官庁の管理下に置かれている。経済活動は官民一体でおこなわれており、その社会は隅々まで「管理」が行き届いているのだという。
 しかし、そうした体制はいま足かせになっていると著者はみる。
 変動為替制がはじまり、バブルが崩壊したあと、日本のビジネスは国際的な優位性を失ってしまった。経済の活力が失われると、政府による財政出動がはじまり、やがては金融緩和をテコにした為替と株の操作がはじまる。それがかえって企業の「アニマルスピリット」を失わせているのではないか、と著者は疑っている。
 いま日本企業にかつての勢いはなく、世界的に評価されているのは一連の重要な部品を製造する「川上産業」だけだという。年功序列の終身雇用制度は徐々に解体され、低賃金の契約社員が多くなっている。そのことが雇用面での「二重構造」を生み、経済全体では購買力の伸び悩みを招いている。それが日本の社会的結束を奪うばかりか、日本経済にブレーキをかける要因になっている、と著者はいう。
 さらに著者は、「指導者層の力の衰えはもはや隠しようがない」と断言する。政界にも財界にも官界にも、いまや骨のある人物はいない。アメリカにへつらう、ご都合主義の指導者階級だけがのさばっているという。
 しかし、「アメリカは本来、日本のことなど気にもかけていない」。
 さらに、アメリカ帝国はまちがいなく崩壊する運命にあると予言する。日米同盟はいずれ崩壊をまぬかれず、そうなるとアジアは日本で孤立するだろう。西洋の優位が終焉に近づくいま、「日本の将来にとって何よりも決定的に重要なのは、再びアジアの一員に戻れる道を探せるかどうかではないかと思われる」と書いている。
 そのためには、日本が1930年代のできごとと真摯にむかいあわなくてはならないという。
 なにせ、日本には、現在ドイツや韓国などにもある公的な現代史博物館さえ一館も存在しない状態なのだ。
 著者は日本がいま必要としている指導者はド・ゴールのような人物だという。
 かれはまず、一定期間を置いて、すべての米軍基地を閉鎖することをアメリカに通達する。そして、そのあとどうするかは、本書を読んでのお楽しみとし、今後の議論に期待したい。
 著者はいま日本に求められるのは、「歴史を都合よく修正する威嚇的で冷笑的な国の勝利ではなく、勤勉で忍耐強く、長所を鼻にかけない謙虚な国の勝利である」と記している。

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