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2013年〜2015年、最後の日記──野坂昭如『絶筆』を読む(5) [本]

 日記の価値はおそらく時間をおいてみなければわからない。
 永井荷風や清沢洌、山田風太郎などの日記もしかり。
 その意味では、野坂昭如の日記を読むのは、もっと時間がたってからのほうがいいのかもしれない。亡くなってからまだ3カ月だ。
 それでも、その日記を読むのは、かれの最後の日々が、日々老いていく自分にとっても他人事ではないからである。すぐに記憶から脱落してしまいそうになる同時代の感触をもう一度たしかめておきたい気持ちもある。それと、もうひとつ、最後まで意気軒昂だった野坂を少し見習いたいことも、この日記を斜め読みしておきたい動機になっている。
 きょう読むのは、最後の3年間の日記である。
 まずは2013年をみてみよう。
 1月。雪。大島渚が亡くなる。テレビには、大島と野坂がなぐりあうシーンがくり返し流されていた。
「恥ずかしい、申し訳なかったというより、懐かしい思い。そして少し、おかしい。……大島さんとは特に親しく喋り合うことはなかった。偶然隣り合って酒を飲み、それから長いつき合い。ジャンルは違っても、お互い周辺を蹴飛ばしてきた者同士。今の60代、いや、20代でも30代でもお前らに、なぐり合う相手はいるか。ぼくにはいた」
 安倍政権は経済がいちばんという。たしかに株も上がった。結構なことだが、景気のいい話をする奴は、どこかあやしい。
 名横綱大鵬が死去する。
 地震が多い。日本は地震列島なのだ。「ぼくは娘たちに地震の備えだけはしつこく教えた」
 2月。日本にテレビが生まれて60年。「ぼくは民放育ち。テレビの草創期から関わった」
「明日にも、いや今すぐにも事故を起こして不思議のない原発を、日本は抱えている。固唾を飲んで見守った原発事故、収束の目処さえ立たぬのに、もう忘れられている。いつの間にか原発ありきに戻り、世間も政治家も考えることを、また、やめた」
 バレンタインデー。孫娘からバラの花をもらう。セーターを引っ張りだして、とりあえず着てみる。「我ながら、いい男にみえる」。いつもよりリハビリをはげむ。
 3月。春一番。それから、しばらくして東京の桜が満開になる。ずいぶん早い。神田川沿いを散歩。
「生温かい風を身に受け、満開の中を歩く。とはいっても我はフラフラ、ヨタヨタ、風雅とは程遠い」
 4月。「流れるニュース。ぼくにとって、どうでもいいことばかり。株価上昇も円安も関係ない」
 地の底の動きが活発。「この揺れる大地の上に、人間が勝手に住んでいる」
 閣僚による靖国神社参拝。
「安倍首相は、自ら真榊を納め、若者たちがお国のために命を失ったことを、まるで彼らが進んで命を捧げた如く言う。……お国のために死ぬことが崇高な行為だと、いま声高にのたまうのは、未来の若者を戦地におもむかしめるための下ごしらえであろう。そのためには、基地も必要、戦うための十分な道具も備えなければならず、ひいては憲法改正に至るという理屈になる」
 富士山が世界遺産に。「めでたいことだ」
 5月。リハビリつづく。足のもつれ。
「安倍・自民念願の憲法改正が当たり前のように言われる。憲法はお上の暴走を抑えんがための仕組み。かつて国民より国家を重んじ、日本国民は戦争に巻き込まれた。憲法改正には国会議員の3分の2以上の賛成が必要である。……3分の2は決して高いハードルではない。憲法を国民の手に取り戻すと、96条改正を言うのは、国民への、はぐらかし」
 6月。このところ血圧が不安定。次から次にけがをする。
 空模様はすっきりしない。
 共通番号制度なるものが国会で成立。
「俺はお上からの番号などご免こうむる。……国民の利便性など見えない。まったくの無駄。徴兵制を彷彿とさせる。実に危なっかしい制度」
「南海トラフ地震、予知困難との発表。当たり前の話。……地震は予知出来ないと発表されても原発輸出、再稼働を急ぐお上」
「アベノミクスとやらで、円が安くなった。株価が上がった。……経済に引きまわされているこの構図、バブルの頃と同じ」
 都議選でも自民党が完勝。民主党の凋落ぶりはどうしたことか。
 7月。猛暑にくたびれながらも、リハビリはつづく。
「巷にアベノミクスという、フワフワした気分が漂っている。とにもかくにも金さえ儲かればいいらしい。安倍政権の支持率の高いうち、原発は再稼働へ向け、国防軍を目指し憲法は改正へ、世間が浮き足立つなか日本の根幹に関わる重要問題がやすやすと推し進められようとしている」
 自宅の庭にハクビシンがあらわれる。
 黒猫のベベに加え、レオンが家にやってくる。「飼い主としての責任がある。また、もう少し長生きせねばと思う」
「参議院選挙、フタを開けてみれば予想通り自民圧勝。投票率のびず。……自民がその気になれば、何だって出来る。日本の終わりのはじまり」
 8月。暑さのせいだけではなく、往事を思い出すと、食欲が失せる。
 ことしも軽井沢に。「この滞在のおかげで、足腰の強さ、少し戻った」
「福島第一原発の汚染水漏れ、世間は慣らされたのか、もっと騒いでいいところ。……今頃になってお上が前面に出ると表明、少なくとも数十年はかかる事故収束。結局、誰も何も責任を負わない仕組み」
 9月。シリア情勢が緊迫。アサド政権と反体制派の対立がつづく。
 2020年のオリンピック、東京に決まる。
「めでたいことなのか、我には何やら胡散臭く、また大本営発表を思い出す」
 台風。「我は椅子に腰掛け、ぼんやりその様を眺めている」
 某夜、みごとな月。
「月の光は今も昔も変わらない。照らされる人間はどんどんせせこましくなるばかり」
 10月。エアロバイク10分で息があがる。
「秘密保全法案なるものが、まかり通ろうとしている。国の機密をバラしたら罰則。日本は戦前にかえろうとしている」
 誕生日。「誕生日といって、感想も抱負もない。ただ、もう少し生きて、日本の行く末を見定めたいとは思う」
「あっという間に日暮れ。本日一日無為」
 食品の偽装表示が問題になっている。「食の安全、安心という面で言えば、腐らない果物、虫食いの無い葉っぱ、遺伝子操作の方がずっと恐ろしい」
 11月。沖縄に行く。車椅子と杖、酸素ボンベまで飛行機に持ちこむ。クタクタになって到着後、砂浜に大の字となって寝っ転がる。
「さすがに海には誰も入っていない。穏やかなだけに、想いがのしかかる」
 12月。小春日和。
 特定秘密保護法が成立。「国民は馬鹿にされている。もはや民主主義国家とはいえない。……世の中は再び戦前に戻ろうとしている」
 歯の具合が悪く、やわらかいものしか食べられない。
「特定秘密保護法の暴走に続き、年の瀬のどさくさ紛れに、武器輸出3原則が破られ、普天間飛行場の辺野古移設がスルスルと承認された。姑息な政治がまかり通っている」
「ここ数日、急に冷え込んで散歩ままならず。かくして人間は老いていく」

 2014年。10月には84歳になる。
 1月。「今年の正月は、久しぶりに着物で過す。とたんに気分は日本男児に戻る。我が国の未来に思いを馳せる。安倍晋三ではしょうがない」
「年末の安倍首相、靖国参拝。……首相の靖国参拝は、やがて若者を死地に追いやる下準備」
 いまや野坂をなぐさめるのは、2匹の猫のやんちゃぶりだ。
 2月。気温は上がったり下がったり。平気で10度くらい変わる。春の陽気から一転して小雪が舞う。
 都知事選。桝添が当選。以前会ったとき、野坂は「ずいぶん図々しい人、胡散臭い印象を受けた」。
 リハビリの日々。
 3月。丸谷才一を知ったのは、新潟高校のつながりによる。「ぼくは丸谷さんに出逢わなければ物書きになれなかっただろう」
 テレビはあまり見ないが、相撲だけは別。
 東日本大震災から3年。
 4月。消費税が5%から8%に。「だが今のままのお上の金の使い方では、こんなの焼け石に水、20〜30%まで上げたって間に合わない」
「世界でマリファナ解禁の動きがあるらしい。……70歳を越えた老人にだけ、マリファナ手帳を配布、毎月の配給制度にすればいい。誰だって末期の苦しみは嫌、延命には金がかかる。マリファナを与えられそれぞれ人生の華やかなりし頃を思い出しつつ、桃源郷の境地で、自然死に近い最期を迎えられる。これ、一番の福祉サービスだと思うのだが」
 こういうブラックユーモアは、いかにも野坂らしい。
 また下の歯が抜ける。
 オバマが来日。都市部は厳戒態勢。
 5月。柏餅を食べる。「こういうものは本来、チビチビ食うものじゃない。だが柏餅で悶絶するのは嫌だ。最大限の用心をして食う」
 集団的自衛権について「憲法解釈をめぐり、閣議決定」。
「積極的平和主義とは、平和を守るために戦争をするということか。これまで同様、アメリカからの圧力がある」
 朝風呂。「朝風呂といえば風情があるが、今のぼくにそんな情緒は無い。風呂に入るにもひと苦労なのだ。……我にとって、入浴はロッククライミングの如し。支える妻も命がけだとこぼす」
 6月。「生活保護の受給者、過去最多の記事」
「ぼくは少子化は当然と思っている。……今の世が続く限り、女性たちが無意識に出産から遠ざかって当然。いや、はっきり子供は産まないと決心しての結果ではないか。……女性たちに、力で産ませることは、いかな国家権力でも不可能」
 7月。「集団的自衛権。行使容認。歴史に残る暴挙である。平和の党、公明党は宗旨替えしたらしい。……ドンパチは正当な行為とされ、やがて軍事優先、今以上に国会は無力化。この度の暴挙は、近い将来、必ず禍根を残す」
「筋肉がまったくない。かくてはならじとリハビリに精を出す。スクワット5回でくたびれる。体力低下を思い知る」
「五体アザだらけ、ついでに髪はボサボサ、あわれな姿だ。2日前、風呂から上がろうとして足を滑らせた」
 台風を気にしながら、ことしも沖縄に。
「この地は日本であって、日本でない。どう誤魔化しても、フェンスの向こうにアメリカがある」
 8月。「69回目の敗戦の日。……再び若者を死地に追いやるような世の中にしてはいけない」
 9月。新米が届く。「美味しい。ぼくは米への執着で生きているようなもの」
 左足首。打撲と怪我。
 スコットランド独立投票から沖縄独立を思う。
「沖縄も独立出来る。基地は本土へお引き取り戴く。何度も本土の棄て石にされてきたのだ。今度は沖縄が本土を棄てる番である」
 10月。齢84に。
「あれから幾年、よくまあこの年までもったもんだ。……爺いにはジジイなりの意地がある。あるいはジジイだからこそ判る、境地もあろう」
「安倍さんが高らかに訴えた女性の輝く社会の実現とか何とか。しらじらしさが募るばかり。……女性崇拝はあたり前である。……ぼくは身近にいられる女類を拝みながら日々暮らしている」
 リハビリの回数が増える。
 11月。いたって健康。しかし筋力の低下は否めない。
 便秘気味。
 衆議院解散の知らせ。
「自民党の大義のなさ、ひたすら生き残りのための選挙、師走という、一番あわただしい時期、身勝手な計算が透けて見える」
 12月。1年をふり返る。
「日本は、アベノミクスとやらによって、デフレから脱却するらしく、景気が大事、一番と声高に強調しつつ、秘密保護法施行、憲法改正の準備着々」
 衆院選挙。
「メディアの伝える自民圧勝という言葉はおかしい。投票率からいっても、国民全滅。支持していない。沖縄では自民全滅。知事も替わり、県民は本土による米軍基地押しつけに、はっきりNOを言い続けている。この結果を無視することは許されない」

 そして、最後の年。2015年。野坂享年85歳。
 1月。元旦。
「お正月くらいは久しぶりに紬の着物を身にまとい、悠々とする。初リハビリは、明日から」
「世の中は物騒になりつつあるらしいが、我はめでたく、2015年を迎えることが出来た。長生きこそ芸のうち、ここまできたら100まで生きようか」
 阪神淡路大震災から20年。「ぼくの知る神戸はもうない」
 2月。イスラム国により日本人が2人殺害される。
「イスラム国なる集団による残虐なテロ行為に対し、安倍首相は罪を償わせると報復の姿勢を示した。これは宣戦布告と同じ。……正しいテロなどない。正しい戦争もない」
「安倍政権の暴走、これをとどめる者がいない。戦争参加に向けて、安倍の妄想物語が続く」
 3月。春のなか、ぼんやりしている。
 春うらら、神田川のほとりを散歩。桜は7分咲き。
 4月。二度目の花見。
「陛下、パラオご訪問のニュース見る」
 つまずいてつくったスネの傷が何ヶ月も治らない。
 動くと息切れがする。
 5月。3日。「自然は美しいが、恐ろしい。12年前の同じ季節、ぼくはこの光の中に倒れた」
「御嶽山、箱根の山、口永良部島、あちこちで噴火が続く。地震も頻発」
「国の借金、過去最高のニュース。国民一人当りの借金に換算すれば830万だそうな。……この上、同じ借金国であるアメリカの軍事肩代わり。利息10兆。借金はますます増える」
「世界最大の武器展示会が日本で開催されているらしい。集団的自衛権と、足並み揃え、武器輸出」
 6月。「安保法制について、何故そんなに急ぐのか世間の多数が説明不足と主張しているが、お上には、はじめから丁寧な説明をするつもりはない。……曖昧で判りにくい答弁ばかりが続く。まるで独裁国の如し」
 便秘。はじめて浣腸の仕儀となる。「この爽快感、クセになりそうだ」
「与党の勉強会で、沖縄の二つの新聞社を取り上げ、頭にくる、つぶさなければとの発言」
 7月。腹の具合が悪く、食事制限。「たちまち、枯木のように細り、筋力も落ちる」
「暑さに負けた。……とにかく水分を摂って横になっている」
 夏本番。蝉の声。「合唱となって、ちとうるさいが、短い命、精一杯生きろと思う」
 安保法案が衆院通過。「アメリカに迫られ、首相が約束してきた。だから通す。もはや法治国家じゃない。自民独裁国家。……日本人は、いつの間にか、あの戦争を、なかったことのようにしてしまった。戦争は、気がついた時には、すでに始まっているものだ」
 8月。川内原発再稼働。「この再稼働は、未来に禍根を残す」
 あれから70年。特攻について思う。
「安保法案に対し、反対という民意は反映されぬまま、成立するだろう。今の自衛隊も、かつての特攻隊と同じように命じられることになるだろう」
 9月。肌寒かったり、蒸し暑かったり。そして豪雨。
「何もせぬまま日が暮れる。外に出してもらえぬ黒猫が寄り添う」
 安保法成立。
「心萎えるばかり、お先真っ暗。お気の毒さまとしか言いようがない」
 10月。マイナンバー制導入。
「国家によって国民は丸裸、一元管理、再びの監視社会の始まり」
 夏風邪で強制入院。誤嚥性肺炎を起こす。「一時はアブナかったらしい」
 11月。風邪を引かぬよう、注意が肝心。
 12月8日。
「ガラス越しに見える冬の庭。寒そうだ。歩きもせず、終日寝てばかり」
 12月9日。最後の日。
「秋のはじめに誤嚥性肺炎とやらに見舞われ、スッタモンダ。どうにか息を吹き返したらしい。あせらない、あせらないと妻が呪文のように唱えているが、ぼくはちっともあせっちゃいません。さて、もう少し寝るか。
 この国に、戦前がひたひたと迫っていることは確かだろう」
 これが絶筆となった。

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