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半藤一利『B面昭和史 1926-1945』斜め読み(1) [くらしの日本史]

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 歴史のA面が政治・経済・外交・軍事だとすれば、それにたいして、「民草の日常の生活のすぐそこにある『こぼれ話』」がB面ということになる。だから、ここには、戦前の庶民生活史がえがかれている。
 このブログのカテゴリー「くらしの日本史」に沿って、戦前のくらしをふり返ってみたい。それこそ、おもしろエピソード満載の本書の流れからすれば、ここで拾っているのは、わりあいまじめくさった話だから、歴史のお宝発掘を楽しみたい方は、本書の隅から隅まで楽しんでいただくことをおすすめする。
 まず昭和の特徴は、デモクラシーよりナショナリズムの傾向が強まることだ、と著者は指摘している。大正デモクラシーは長くつづかず、大正の終わりころから、国粋主義が勢いを増してきた。
 おやおや、これはいきなりA面の話。でも、生活と関係がなくもない。ナショナリズムが強まると、生活のうえに国家がのしかかってくるようになるのは必定だからである。
 テレビの受像実験が成功するのが、大正15(1926)年12月25日。翌26日から「昭和」がはじまる。
 だが、昭和のはじまりは、けっして明るくなかった。各地では労働者のストや小作争議、植民地では爆弾騒ぎが起きていた。
 不景気がつづいていたのだ。
 すでに都会の家には電灯がある。しかし、コンセントなどというしゃれたものはない。二股ソケットが重宝された。
 昭和2年3月、金融恐慌が発生。
 そのいっぽうで、日本の出版界に時ならぬ円本ブーム。
 そんななか、芥川龍之介が自殺する。
 関東大震災のあと、東京の住宅地は郊外に広がっていった。
「こうして東京はぐんぐん変貌していく。震災のため下町から焼けだされた人びとが、山の手からさらにその先の、とくに西や南の郊外へと移っていった。必然的にその郊外への起点である渋谷や新宿が存在を重くしていく」
 上野─浅草間に地下鉄が開通する。
 昭和は電気時代のはじまりだった、と著者は書いている。
 その象徴がラジオだった。全国中継網が完成するのは昭和3年11月のこと。
 普通選挙もはじまった。ただし、投票権があるのは25歳以上の男子のみ。
「治安維持法にもとづき、いわゆる『3・15事件』の大検挙があったにもかかわらず、世はまさにマルクス・ボーイが大手を振って闊歩していた」と、著者はいう。
 1920年代後半はマルクス主義の全盛時代だった。知識人はそこに解決策を見出そうとしている。
 いっぽう、大正以来の不景気がつづくなか、軍部は満州進出をねらっていた。
 昭和4年には「東京行進曲」が大ヒット。銀座、浅草、新宿。東京はモダン都市である。浅草ではエノケンが大活躍。
 映画は小津安二郎の『大学は出たけれど』。就職難の時代。
 政府は国民に緊縮生活を呼びかけていた。
 ニューヨークでは株式が大暴落、世界大恐慌がはじまる。
 昭和5(1930)年3月、東京では帝都復興祭。関東大震災から7年、このときばかりは、不況も何のその、東京はわきたった。しかし、街にはルンペン(浮浪者)があふれている。
 東京市電・市バス(このときはまだ市)は首切りと賞与減額に反対してストにはいる。しかし、5日目には惨敗。
 三木清、山田盛太郎、平野義太郎が、共産党シンパとして逮捕される。
 米価は低落、農村の困窮ははなはだしかった。
 この年の流行語は、エログロ・ナンセンス。暗い世相をばかばかしさやエロで吹き飛ばそうという意識がはたらいたか。東京や大阪では、カフェーやダンスホールが大流行した。浅草の興行界もエロを前面に出す。とうぜん、当局も取り締まりに乗りだした。
 著者はこの年に生まれている。「わたくしの生まれたのは、このように猥雑で、どことなくやけくそ半分のユーモラスな空気が巷にあった年であった」と書いている。
 世の中は不況ではあったが、まだどことなくのんびりとし、庶民のエネルギーがあふれていたのだ。
 争議貫徹を叫ぶ男が赤旗をもって高さ45メートルの煙突にのぼり、ここから下りてこないという事件も発生している。
 人口も増えていた。日本の人口は、この年6000万に達した。明治維新のころが3000万だから、約60年間で人口は倍増したのである。
 海軍のなかには、すでに締結された軍縮条約に反対する動きも根強かった。
 浜口首相狙撃事件も発生して、政党政治にたいする不信感も広がっている。そしていまふうにいえば「決められる政治」を求める声が高まっていく。政府が決められないのであれば、軍が問題を解決するほかない。それが満州全土の軍事占拠という直接行動につながっていく。
 昭和6年は満州事変のおきた年である。
 その年のB面として、著者は漫画「のらくろ」の登場である。のら犬のくろ、略してのらくろは、不況で食えなくなり、軍に入隊した。この漫画は軍によって禁止されるまで、約10年間つづいた。
 そこに出てくる食いものを調べた著者は、天ぷらとアイスクリームが登場するのが昭和8(1933)年、鍋焼きうどんと豚饅、チョコレートとお汁粉が昭和9年、トンカツが10年、大福が13年、鶏の肉団子が14年、キャラメルが15年に登場するのを発見している。その後、戦時下になると、こうした御馳走は次第に食べられなくなってくる。
 しくじりやヘマを、頓智と勇気と努力で克服していくのらくろは、子どもたちに大人気を博した。
 少しくたびれてきたので、つづきはまたとしよう。

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