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ロンドン時代──若森みどり『カール・ポランニー』を読む(3) [思想・哲学]

 1933年にポランニーはロンドンに亡命する。ウィーンではもう自由な言論活動ができなくなっていた。身の危険も感じていただろう。
 しかし、ロンドンに身を寄せてからしばらくは『オーストリア・エコノミスト』に論説を書いていた。いわば島から大陸の状況を見ていたのである。
 そのテーマは、1929年の世界大恐慌からヨーロッパはどのように脱出をはかろうとしているのかということに尽きる。それは同時代的考察へとつながっていった。
 ウィーンを脱出する前に書いた「経済と民主主義」(1932)という論考で、ポランニーは、民主主義と資本主義とがともに機能不全を起こしているところに、現代の危機をとらえている。政治が資本主義に介入し、資本主義が政治に介入する。そのことによって、政治も資本主義もほんらいの姿を見失い、かつての機能をはたせなくなりつつあるというのだ。
 ポランニーは「世界恐慌のメカニズム」(1933)のなかで、経済危機の原因を、第1次世界大戦により各国が膨大な財政赤字を抱えてしまったことに求めた。それがただちに経済危機につながらなかったのは、アメリカの援助があったからだ。しかし、その支えにも限界があって、ついにはアメリカ自体の支柱が崩れて、ウォール街の大暴落を招いたというのである。
 ヨーロッパの政府はこの経済危機に対応できなかった。むしろ下手な対応が経済の弱体化を招く。加えて、資本家側は過度の賃金と社会保障こそが問題だと政府を責め立てたため、政治的民主主義は危機にひんする。こうして左右の対立が激化し、イタリアやドイツ、オーストリアなどではファシズム勢力が政権を握るのである(その後、オーストリアはドイツと合邦の道を歩む)。
 資本主義経済が危機を迎えるなか、ポランニーはあくまでも共産主義やファシズムとは一線を画した機能的社会主義をめざしていた。ここで、ポランニーがいう機能的という言い方には、多元的で民主主義的で、自由をめざすという意味合いが含まれている。何といっても、ここで優先されるのは民主主義的な議会である。
 ポランニーによれば、ファシズムのもとで推進されているのは「協調的組合主義(コーポラティズム)」にほかならなかった。それは機能的社会主義とは正反対の考え方だった。
 著者によれば、ポランニーによるファシズム把握の特徴は、「政治国家の消滅と経済による社会全体の支配」という言い方に集約される。ポランニーにとって、政治国家の消滅というのは、議会制民主主義の消滅と同義だった。それにたいし、国民意識をあおりながら資本主義的経済の立て直しを打ちだすのがファシズムなのである。
 ファシズムのもとでは、「共同体の生活にとって重要な立法、司法、行政のすべての機能が経済秩序に属することになる」と、ポランニーはいう。
 第2次世界大戦の結末をみた、われわれからすれば、ポランニーのこうしたとらえ方はいっぷう変わっている。たとえば、滝村隆一のいうように、ファシズムの本質は、世界での覇権を確立するための戦時体制の常態化とみるのが、もっとも適切なのではないか。
 だが、ポランニーはファシズムの特徴を協調的組合主義ととらえた。これは1930年代にファシズムが熱狂的に支持された理由を実感的に語っているのかもしれない。当時はまだ、誰もが大戦争がはじまるとは思っていなかった。
 民主主義を廃止し、経済本位の独裁体制をつくろうという政治的潮流が、当初のファシズムを引っぱっていた。それは政治と経済の領域に民主主義を広めることで危機を乗り越えようとする機能的社会主義の方向とは正反対の考え方だった。
 ポランニーは、マルクス主義のファシズム分析に疑問をいだいていた。
 マルクス主義では、政治は経済の上部構造ととらえられ、民主主義とはブルジョア民主主義にほかならないと考えられていた。民主主義を否定する点は、ファシズムもマルクス主義も同じである。
 これにたいし、ポランニーは、発達した産業社会では、政治と経済は対立しうると考えた。そして、産業社会が危機にひんするときは、その対応策として、政治が完全に経済を吸収するか、逆に経済が政治を崩壊させるかの、どちらかの常態が現出しやすい。前者が共産主義であり、後者がファシズムである。
 これにたいし、機能的民主主義においては、政治のヘゲモニーを労働者階級が握ることで、資本主義的な経済社会をコントロールするのである。
 このようにみるなら、ポランニーの考え方は、いわゆる社会民主主義に近いということができる。
 民主主義を廃止して、資本主義を救済するというのが、ファシズムの本質だ、とポランニーはいう。人びとは、この救済のうたい文句にひきつけられていった。
 こうして、人びとは自由の領域を独裁者に売り渡した。ファシズムが導入するのは、非自由主義的な資本主義、言い換えれば協調組合主義的資本主義である。協調組合主義とは、資本家が指導する計画経済、労使協調にもとづく国家経済の推進にほかならない。
ファシズムには、社会主義革命を阻止する政治革命としての性格がある、とポランニーは考えていた。ファシズムはまた個人に無限の価値を求めるキリスト教の個人主義を破壊しようとしていた。全体としての社会的有機体への個の従属が、ファシズムにめざす世界観なのだ。そうなれば、自由の領域は完全に消滅してしまうだろう、とポランニーはとらえていた。
 ファシズムは協調組合を単位として、個人を全体に従属させる経済国家をつくりあげようとしていた。その先に戦争マシーンが形成されることを、ポランニーは予感していただろう。
 1937年の小冊子『今日のヨーロッパ』で、ポランニーはファシズムと戦うことが喫緊の課題だと訴えている。
 マルクスの『経済学・哲学草稿』(経哲草稿)が発見されたのは、1930年代のことである。ポランニーもこの草稿に大きな影響を受けた。ロンドン時代のポランニーは、この経哲草稿とキリスト教への思索を深めながら、社会主義のあり方を探求していった、と著者は述べている。
 キリスト教の熱心な信仰者でありながら、マルクスを高く評価するところが、ポランニーのおもしろさである。
 ポランニーはキリスト教が逆説的に示す個の思想に信をおく。そして、個人間の肯定的な関係にもとづいて形成される共同体こそが、キリスト教の求める理想なのだと確信した。だが、問題は、キリスト教に社会理論がないことだ。そのために、共同体の理念に到達する道が、空疎なものになっていることはいなめない。
 いっぽう、マルクス主義は、資本主義社会が人間のあるべき関係を疎外しているとして、共産主義社会をめざそうとする。しかし、ポランニーによれば、マルクス主義は、共産主義社会を真の共同体とみなすことによって、大きな錯誤におちいるという。
 ポランニーにいわせれば、理念としての共同体と現実の社会は区別されなければならない。共同体は永遠の規範であって、けっして実現されるものではないのだ。人間の社会においては、権力関係や経済関係はけっして消え去ることがない。人が自由を求めるのは、人間の社会がけっして完成することがなく、それが永遠の規範である共同体からはずれているからでもある。マルクス主義のいうように、共産主義社会を理想の共同体と規定してしまえば、そこにいたる道筋は、きわめて抑圧的なものとなってしまうだろう。
 こうして、ポランニーはいかなる社会も完全なものとはなりえないという見方に達した。それでも、それが個と個とが対等につながる共同体に向けて、日々歩むべきものだとすれば、それを支える力は、個々にゆだねられた自由と責任の自覚にほかならない。
 ここにみられるのは、現実主義的な転換である。それは諦念とは異なる。ポランニーは歴史のなかに共同体へと向かう契機をさぐりなおそうとしていた。

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