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『大転換』──若森みどり『カール・ポランニー』を読む(4) [思想・哲学]

 ポランニーのイギリス時代は1933年から47年にまでおよぶ。年齢でいえば、49歳から63歳までである。キリスト教左派のネットワークがかれの生活を支えていた。天性の教育者であるポランニーは、労働者教育協会やロンドン大学公開講座にかかわりながら、イギリス各地を回るとともに、イギリス経済史を学んだ。
 また労働者協会の講師として、ひんぱんにアメリカを訪れ、ファシズムとヨーロッパ情勢に関する講演をおこなっている。1941年から43年にかけては、ロックフェラー財団の奨学金を受けて、合衆国北東部ヴァーモント州のベニントン大学に滞在し、『大転換』を執筆した。
『大転換』はポランニーの主著である。その初版は1944年にニューヨークで出版された。翌年、ロンドンで出版されたときには、『われらの時代の起源──大転換』とタイトルが変えられた。そして、1957年にふたたび『大転換──われらの時代の起源』として再刊され、2001年にも新装版が出版されている。
 日本でも2009年に新装版の翻訳がでた。ぼくがもっているのは1957年版の翻訳で(サブタイトルは「市場社会の形成と崩壊」となっている)、『大転換』について論じるには、せめてこの本にもとづいて、あれこれと考えてみたいものだ。やはり、原著を読むのと解説書を読むのとでは、そこから受ける印象がことなるだろう。それでも、いまは若森みどりさんの解説書にしたがって語るのが、簡便なのかもしれない。
 以下は『大転換』の解説についての短い感想にとどまる。もし、残された時間があれば、きちんと読みなおしてみたい本である。
『大転換』は、19世紀から20世紀にかけて、経済社会に何が生じたのかを論じたスケールの大きな著作である。
 19世紀といえば、産業革命を連想するだろう。このころから時代が大きく変わりはじめたことはまちがいない。その大転換は、農業中心社会から産業中心社会への変化という言い方であらわされるのかもしれない。それはいくつもの曲折をへながら、現在にまでいたっている。
 ポランニーは、世界を画一的な商品世界へと巻きこんでいく近代文明の起源を19世紀のはじめに求めて、そこで何が起こったかを追求していく。それは「悪魔のひき臼」にも似た文明だった。人はいやおうなく、このひき臼に巻きこまれていく。
 資本主義、あるいは市場社会の発生がいつなのかは、その定義ともからんで、いまでも論争の的になっている。市場社会は古代からあるという人もいれば、資本主義は16世紀に発生するという人もいて、それをいつだと断定するのは、なかなかむずかしい。
 ポランニー自身は19世紀前後にかけて、市場社会が発生したという立場をとっている。マルクスは資本主義は16世紀ないし17世紀にはじまるが、それが産業資本主義として本格化するのは19世紀からだとみていた。だから、ポランニーのいう市場社会は、マルクスのいう産業資本主義とほぼ同義だとみてよいだろう。ぼく自身は、これを商品世界としてとらえている。
 19世紀前半、イギリスでは、新しい工業都市が勃興するにつれて、仕事や職を失った失業者が急速に増大していった。こうした貧民を救うために1795年につくられたのがスピーナムランド法である。
 著者によると、スピーナムランド法は、パンの価格に応じて、家族を養うのに必要な標準生活費と賃金との差額を教区が補填することで、貧民を救済するというものだった。ところが、その対象者があまりにも増大したこと、また貧民を甘やかせるなという批判が噴出したこともあって、スピーナムランド法は1834年に廃止され、新たなより厳しい救貧法がもうけられることになった。
 ベンサムやマルサス、リカードなど、当時の論客は、さまざまな面で意見を異にしていたが、ことスピーナムランド法に関しては、まったく同じ意見をもっていた。ポランニーによれば、かれらはこうした法律が「安易な結婚や出産を助長させ怠惰な人間をより怠惰にする悪法である」と考えていた。そして、貧困問題を解決するには「競争的な労働市場を確立すること」しかないと主張したのである。
 つまり、貧困は怠惰な個人の責任であって、貧困から脱するには、労働力商品としてみずからを競争的な労働市場で売る以外に解決方法はないというわけである。
 労働力の商品化は、商品世界の誕生を促したといえるだろう。人はそれまで人に帰属していたのに、商品に帰属するようになった。すなわち、商品にみずからを合わせるようになったのである。
 いっぽうで、農業生産物も自家用に消費されるのではなく、商品として売りだされることになる。加えて土地も単に豊かさを与えてくれる自然ではなく、商品として評価される対象へと変わっていった。
 こうして、人も土地も、自然から与えられたありのままの存在としてではなく、商品としてランクづけされる存在へと変わっていったのである。ポランニーはそうした商品世界への大転換がはじまった時期を19世紀前後とみている。
 市場メカニズムには「冷徹な強制と排除の論理」が含まれている、と著者はいう。事実、19世紀においては、こうしたメカニズムが強力に作用して、人間の協同世界は商品世界へと組み替えられていった。
 だが、同時にこれと対抗する運動がはじまったことも見逃してはならない。ポランニーはこれを「社会の自己防衛」と名づけている。それは「社会的文化的破局」を避け、「共同体の一般的利害」を守るための動きであった。
 商品世界の発達は、国民国家の発達をも促した。工場法などの社会法がつくられ、失業保険や関税が導入され、通貨を安定させるための中央銀行制度がもうけられ、労働組合が認められるようになったのも、19世紀半ばのことである。
 しかし、ポランニーのいう市場経済と対抗的な防衛との「二重運動」は常に緊張感をはらんでいた。市場経済の絶対性を主張する側は、国家による干渉が市場を麻痺させ、社会を停滞させると非難しつづけたからである。
 これにたいし、ポランニーは、経済的自由主義だけでは、社会の共通の問題に対処することができず、むしろ市場主義を単純に推し進めていけば、それこそ社会の対立と混乱、ひいては崩壊を招くだろうと反論している。
 ポランニーが『大転換』を執筆することができたのは、ロックフェラー奨学金のおかげで、アメリカ東部の田舎町にあるカレッジで、3年間、静かに研究生活を送ることが許されたからである。
 ときあたかも、第2次世界大戦の真っ最中だった。ロンドンに残っていれば、研究どころではなかっただろう。しかし、アメリカの田舎町にいたおかげで、ポランニーはヨーロッパの来し方行く末を冷静に見つめなおすことができたのである。
 ポランニーからみれば、ファシズムとは、協調組合主義にもとづく経済改革を基本として、それをヨーロッパ全体に広げる運動でもあった。
 ファシズムはキリスト教的個人主義と政治的民主主義の根絶をめざしていた。1929年の大恐慌を発端とする経済不況は、ヨーロッパ全体に深刻な打撃を与えた。ナチスは国家と社会が一体となった経済改革を唱え、ヴェルサイユ体制の打破を訴えることで、国民の支持を獲得し、その勢いで無謀な戦争へと突入していった。
 ポランニーは、自由と責任にもとづく社会主義を信条としている。それは社会民主主義の立場といってよいだろう。民主主義を否定するファシズムとは対立していた。しかし、市場絶対主義の経済的自由主義とも立場を異にしている。
 ポランニーは、マルクス主義者とちがって、民主主義と経済的自由主義はほんらい対立するものだという考え方を示している。
 著者によれば、「必然的に周期的に生じる失業や貧窮は、市場経済の自己調整メカニズムによって解決されるべきものであり、貧しい人びとが自己調整的市場経済に介入する権力を持つならば、このシステム自身が破壊されて文明や自由といった価値も消滅してしまうだろう」というのが、ポランニーのとらえた経済的自由主義の核心である。
 したがって、経済的自由主義と政治の民主化とは相容れないものだ、とポランニーはいう。
 しかも、自己調整的市場システムという経済的自由主義は、くり返す恐慌と、それを引き金とする大戦によって、完全に破綻したとポランニーはみていた。
 先進諸国においては、1920年代はいわば経済的自由主義による揺り戻し(自由貿易、競争的労働市場、金本位制)がなされた時代だった。だが、その結果は大恐慌を招き、ファシズムの勃興をもたらしたのである。
 ポランニーは長い目でみれば、市場社会の終焉、すなわちポスト市場社会への転換が、万人のための自由をもたらすと考えていた。
 ポランニーが目標とするのはオーウェン流の社会主義(協同の原理にもとづく社会主義)である。それは、キリスト教的伝統にもとづいたものである。
 その社会主義について、ポランニーはこう述べている。

〈社会主義は、本質的に、自己調整的市場を意識的に民主主義社会に従属させることによって自己調整的市場を克服しようとする、産業文明に内在する傾向のことである。〉

 社会の現実を「覚悟して受け入れること」のなかから、新しい希望と創造的な生活を引きだすことが、ポランニーにとっては「責任を通しての自由」にほかならなかった。そして、現にある社会をより良い社会に変化させる継続的な努力こそが、人類に求められる永遠の課題なのだった。そのためには市場経済の渦を何らかのかたちで調整することのできる民主主義の灯を消してはならないとポランニーは訴えつづけた。それが大戦争の末期に書きつづけられた『大転換』の基本テーマだったといってよいだろう。

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