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国家の空間的構成──滝村隆一『国家論大綱』を読む(13) [本]

 なるべく簡単に滝村国家論をまとめようとしている。
 今回は国家の空間的構成についてである。正確にいえば、国家権力による国家の空間的構成というべきかもしれないが、ややこしい話はなるべく割愛する。
 国家の空間といえば、まず領土を思い浮かべるだろう。国家は大地を領土として構成せざるをえない。それに領海や領空が加わる。この領域では他国からの侵入が排除され、自国の支配権が確立される。
 領土は一定の広さを必要とする。自然条件をともかくとして、国家にとって、一般に領土は広ければ広いほうがよいとされる。そのため、国家の領土はけっして固定されることがなく、隣国諸国間では領土をめぐる紛争がたえまなく生じる。
 ちなみに著者は「領土とは、外的諸関係のなかで、国家権力によって排他独占的に囲い込まれた、社会的生存圏としての特定地域[土地空間]である」と規定している。
 領土を確定することによって、国家的支配圏が成立する。その領土は統治領といってもよいだろう。領土は、平和的であれ、暴力的であれ、近隣諸国との政治的な力関係によって確定される。国家は自国領土を近隣諸国に認めさせるとともに、国内的にもその支配権を了承させる必要がある。それによって、領土内の国民にたいする保護と統制がなされることはいうまでもない。
 領土的支配権は、私的な土地所有権とはまったく異質の原理にもとづいている。とはいえ、よく似かよった部分もある。排他独占的な土地所有という点では、領土も私有地も同じである。しかし、私有地が社会によって承認されるのにたいし、領土の場合は外的国家レベルで国際的に承認されなければならない。
 他国への領土の拡張は帝国を生みだす。著者によれば、帝国とは「特定の国家による、数種の異系文化圏世界への政治的支配と組織的包摂」を指している。植民地もまた帝国の領土に属するといえるだろう。植民地においては、植民地自体の統治権は剥奪されている。保護領は、本国によってその外政権を奪われた状態を指す。自治領は、内政上の自治権を付与され、さらに外政権をも獲得して、国家として独立するにいたる過渡的な状況にあるといってよい。
 国家連合は特異な国家形態である。国家連合のもとでは、諸国家の独立を前提としながら、国家の連合が模索される。連合は同盟よりも一歩進んだ国家形態ということができる。
 同盟の場合は、条約によって軍事を中心とした共同行動を定めることによって、敵対する特定国家との有事に備える。だが、同盟を結んだとしても、それぞれの国家は政治、外交、経済にわたって独自の意志決定権を有している。
 これにたいし、国家連合の場合は、主権国家の意志は大幅に制限され、諸国家の上に立つ機関が統治上の意志を決定し、諸国家はそれに従わなければならない。国家連合が統一的連合国家へと発展し、さらには世界国家へと転成するのがむずかしいのは、現在の分解寸前の欧州連合(EU)の現状をみてもわかる。
 さらに、著者は民族と国家の関係について、「国家ぬきの民族など絶対にありえない」と断言する。「民族的な意識と感情は、国家を構成した歴史社会としての、確固たる一定の歴史的な発展を前提ないし土台としてのみ形成され、維持されていく」のだ。したがって、ある民族が新たに国家をつくるとしても、それは突然に生まれるわけではない。その民族が絶滅をまぬかれ、さらに、少なくとも数世紀におよぶ王国としての歴史的過去をもっていることが必要だ、と著者はいう。
 ここで、著者は国家の内的な空間的構成についても触れている。統一体としての国家は、中央と地方によって構成される。中央を統制するのは中央権力であり、地方を統制するのは地方権力である。
 地方権力は住民に関する社会的事柄を管掌する。その内容としては、交通・通信手段の建設・整備、電気、ガス、水道、医療、福祉、ゴミ処理などの生活基盤の確保、警察などの治安活動、さらには学校、図書館、博物館、スポーツ施設などの教育・文化活動などが挙げられるだろう。
 しかし、それは地方的な活動であるとしても、中央によって統率されている。いずれも地方的な特徴をもちつつも、大きくは中央権力による国家的枠組みのなかに位置づけられている。
 中央集権制か地方分権制かのちがいについて、著者はこう述べている。

〈いずれの場合でも、国家権力中枢としての中央権力が、統治権力を独占的に掌握し、各地方権力は、中央行政権力の法的・制度的裁可と枠組みにおいて、各地域社会に即した行政的公務を担掌するにすぎない。両者のちがいは、各地域社会が日々切実に必要とする、行政的公務の裁可・決定権の過半を、中央権力が掌握するか、それとも地方権力が直接手にしているか、といところにしかない。いうまでもなく前者が中央集権制であり、後者が地方分権制である。〉

 地方政治の目的は「各地域に固有の行政的公務の処理と解決にある」。そのため、地方政治には、本来政党色が弱く、むしろ政党色を強くだすと、住民から嫌われるという側面もある、と著者はいう。。
 しかし、たとえば軍事基地や原子力発電所のように、地方自治体だけでは手に負えない問題が発生する場合もある。これは、一種「政治公害」のようなものである。その解決は、国家の統治・行政活動においてなされなければならない。
 国民社会は政治的にみれば、統治と行政という二重性のもとに組織されている。 こうした二重の組織化は、現実的には中央と地方の権力構成のもとになされている。中央権力は国家の統治にあたりながら、地方権力の行政能力を統制する。その意味では、中央権力は、中央行政権力でもある。いっぽう、地方権力は中央権力の裁可と枠組みのもとで、地方の実際の行政にあたる。
 近代社会においては、市民は主権者としての国民として登場し、代議制民主主義によって、国政に直接、間接にかかわる。国家権力中枢は、市民によって選出された政治的代表として、国政にかかわる活動をおこなう。いっぽう、市民は地域住民として、各地域の行政に直接、間接に関与し、各級の地方権力は、市民の意向にもとづいて、地域社会の管理と問題解決にあたる。といっても「地域住民自治」などというのは幻想にほかならず、実際には地方権力が中央権力に統制されていることを忘れてはならない、と著者はコメントしている。

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