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『宇沢弘文傑作論文全ファイル』を読む(まとめ) [本]

   1 水俣の経験から

 ふつう経済学者といえば、経済活動をより活発にして、経済規模をできるだけ大きくするにはどうすればよいかを考えている人のことを思い浮かべるかもしれない。しかし、世界的な経済学者として知られる宇沢弘文(1928〜2014)は、そうではなかった。経済第一の考え方が、いかに人や自然、社会を破壊しているかに警鐘を鳴らし、政治や経済の横暴から人びとのくらしを守るための方策を示そうとした。かれの唱えた「社会的共通資本」の考え方は、まだじゅうぶんに理解されているわけではないし、実行に移されているわけでもない。しかし、その思いは徐々に広がっている。
 宇沢弘文の名前は昔からよく知っていた。何冊も本を買った。だが、そのうち読もうと思っているうちに、時間ばかりがすぎていった。今回「傑作論文全ファイル」なる本がでた。機会が訪れたと思った。
 本書はA5版で420ページある。没後、残されていた5000万字(原稿用紙12万枚以上)におよぶ膨大な原稿から、主要な論文を選んで1冊にまとめたのだという。
 宇沢にはすでに刊行された大量の著作があり、11巻にわたる『著作集』も出ている。しかし、そのすべてを読むのは骨が折れる。その点、今回の「ファイル」は、この大経済学者の全体像をつかむうえで、最良の窓口となるにちがいない。企画の勝利である。
冒頭に宇沢の弟子でノーベル賞経済学者のジョセフ・スティグリッツの記念講演がおかれているが、それを別とすれば、全体は8部に分けられている。
 その構成をまず列記しておこう。

  第Ⅰ部 社会的共通資本への軌跡
  第Ⅱ部 『自動車の社会的費用』を著す
  第Ⅲ部 近代経済学の限界と社会的共通資本
  第Ⅳ部 環境と社会的共通資本
  第Ⅴ部 医療と社会的共通資本
  第Ⅵ部 教育と社会的共通資本
  第Ⅶ部 農村とコモンズ
  第Ⅷ部 未来への提案、これからの経済学

 全8部がすべて社会的共通資本の構想に流れこんでいることがわかる。また、実際、その線に沿って、編集がほどこされているともいえる。
 まずその経歴をみておこう。
 1928年、鳥取県米子市の生まれである。だが、父の仕事の関係で3歳のとき東京に移った。府立(のち都立)第一中学を卒業し、敗戦間近の1945年4月に第一高等学校に入学、48年4月に東京大学数学科に進んだ。当初は医学部志望だったが、「ヒポクラテスの基準をみたす高潔な人格をもち合わせていない」とみずから判断して、数学科を選んだという。もともと数学が好きだったようだ。1951年に数学科を卒業し、特別研究生として、大学院に進んだというから、数学の才能があったのだろう。
 宇沢によれば、敗戦後、日本の思想界をリードしていたのは日本共産党だった。宇沢もいくつかの勉強会にはいって、マルクス主義経済学を学ぶが、とても理解できなかったという。しかし、それは謙遜だろう。むしろ、マルクス経済学にどこか違和感をおぼえていたのにちがいない。
 宇沢はそのうち数学より経済学を勉強するようになって、自分だけでこつこつ経済学の勉強をはじめていた。そのころ、ぐうぜん、電車のなかで、一高ラグビー部先輩で近代経済学者でもある稲田献一と会った。そして、経済学部の古谷弘と館龍一郎を紹介してもらって、近代経済学を本格的に学ぶようになる。宇沢が学んだのは数理経済学で、それまで数学を学んできたかれにとっては、まさにうってつけの分野だった。
 宇沢は分権的経済計画に関する論文を執筆した。それがアメリカの経済学者、ケネス・アローに認められ、いきなり1956年に研究助手として、スタンフォード大学に招かれた。夢のような話である。スタンフォードで輝かしい業績を上げた宇沢は、1964年にシカゴ大学に教授として迎えられる。36歳のことだ。
 しかし、そのころシカゴ大学では、ミルトン・フリードマンの市場原理主義派が勢力を拡大し、マネタリズムと新自由主義が経済学界を席巻するようになっていた。宇沢はその考え方に異を唱えた。
 市場原理主義について、こう書いている。

〈市場原理主義は簡単にいってしまうと、儲けることを人生最大の目的として、倫理的、社会的、人間的な営為を軽んずる生きざまを良しとする考え方である。人間として最低の考え方である。〉

 人間の値打ちはどれだけ儲けるかで決まるという新自由主義の考え方に、宇沢は嫌悪をおぼえた。
 そのころ、アメリカは泥沼のヴェトナム戦争をエスカレートさせていた。アメリカ各地では、この理不尽な戦争にたいし反戦運動が巻き起こった。宇沢もまた反戦運動を支持する。だが、当局の弾圧は激しく、反戦運動にかかわった助教授たちは解雇され、多くの学生が逮捕された。正教授の宇沢は身分を保証されているため解雇を免れたが、大学を去っていくかれらにたいし、良心の呵責を感じないわけにはいかなかった。
 そのころ東大の経済学部から帰ってこないかという誘いを受けた。宇沢は、それを受け入れることにした。東大での身分は当面、助教授だったが、大学紛争の吹き荒れる1968年に帰国した宇沢は、翌年、すぐに教授に昇格した。
 しかし、12年ぶりに帰国した宇沢が見たのは、はなやかな高度成長とは裏腹の現実だった。混乱と破壊が日本社会をおおっていた。
 宇沢は水俣を訪れる。「水俣の地を訪れ、胎児性水俣病の患者に接したときの衝撃は、私の経済学の考え方を根本からくつがえし、人生観まで決定的に変えてしまった」と、そのときの思いを語っている。
 公害問題に取り組むうちに、宇沢は近代経済学(新古典派理論)そのものに疑問をいだくようになった。
 近代経済学では、私有されていないものは自由財、あるいは公共財として、企業や個人が勝手に使用してよいことになっている。その考え方によれば、チッソが水俣湾を自由に汚染し、その環境を徹底的に破壊し、結果として、多くの人に言語に絶する苦しみを与えても、なんら差し支えないことになる。
 資本家や企業のそんな野放図な行動が許されていいわけがない。社会的共通資本の考え方は、そこから生まれたのだ。
 宇沢はこう述べている。

〈社会的共通資本は、一つの国ないし社会が、自然環境と調和し、すぐれた文化的水準を維持しながら、持続的なかたちで経済的活動を営み、安定的な社会を具現化するための社会的安定装置といってもよいと思います。大気、森林、河川、湖沼、海洋、水、土壌などの自然環境は言うまでもなく、社会的共通資本の重要な構成要因です。公害問題は、産業的あるいは都市的活動によって、自然環境が汚染、破壊され、その機能が阻害され、直接、間接に人間に対して被害を与えるものです。したがって、公害を防ぐためには、産業的あるいは都市的活動に対して、きびしい規制をもうけて、自然環境という社会的共通資本を傷つけることがないようにすることが要請されます。〉

 自然環境という社会的共通資本は、いわば人類(人類だけではないが)の共同財産なのだ。それをほしいままに破壊することは許されない。ここから社会的共通資本の理論確立に向けての、宇沢の長い闘いがはじまるのである。

   2 自動車の社会的費用

 1974年に出版された『自動車の社会的費用』は、宇沢の代表作のひとつである。
 十数年アメリカにいて日本に帰国した宇沢は、乗用車やトラックが東京の街なかをものすごいスピードで走りぬける様子にショックを受けた。しばらくは、交通事故に遭わないかと、毎日ひやひやしていたという。
 日本でモータリゼーションがはじまるのは1950年代後半、マイカーブームがおきるのは60年代後半からだ。1967年に日本の人口は1億人を突破し、自動車の台数も1000万台を超えた。
 だが、それにともない、人びとは大気汚染と騒音、危険に悩まされるようになった。交通事故死も1970年に年1万6500人を超えた。
 そんなとき出版された宇沢の本は、おおきな反響を呼んだ。



「日本における自動車通行の特徴を一言でいえば、人々の市民的権利を侵害するようなかたちで自動車通行が社会的に認められ、許されているということである」と、宇沢は書いている。
 自動車はひとつの商品である。だが、製造され販売されるだけで、万事がめでたく終わるわけではない。
 自動車には、さまざまな社会的費用が発生する。道路の舗装も必要だし、高速道路も建設しなければならない。排ガスや騒音、さまざまな危険、歩行者の心理的負担など、社会や環境にたいするマイナス要因を考えれば、自動車のもたらしている「外部不経済」は、相当な費用になる。加えて、道路建設が都市景観や自然に与える影響を考えれば、自動車が生みだした損害額は膨大なものとなるだろう。
 とりわけ日本では、市民の基本的権利がじゅうぶんに確保されないまま、自動車の普及が進んだために、問題がより深刻化した、と宇沢はいう。

〈日本の社会においては、自動車は欧米諸国とは比較にならないほど深刻な問題を提起している。もともと市民的自由にかんして明確な意識が形成されるまえに、きわめてはやいテンポで重化学工業化が進められ、高度経済成長がつづけられてきた。とくに自動車のもつこのような非社会的な側面に対しても、十分な社会的対応策がとられないまま、自動車の普及は諸外国にその比をみないようなはやさで実現してきたからである。〉

 宇沢は、市場経済を前提とする近代経済学の理論体系では、社会的資源や市民的自由の侵害、交通事故、都市問題、公害、環境問題といった現象を解明できないと指摘する。
 だからといって、自動車を一掃して、昔に戻るわけにはいかない。せめて自動車の社会的費用を内部化すべきだというのである。道路の建設は、市民の基本的権利を侵害するものであってはならず、必要な道路建設費と維持費は、利用する自動車が負担すべきだ、と宇沢は論じる。
 宇沢によれば、道路建設は最低限、次のような条件を満たさなければならない。

〈まず、歩道と車道とが完全に分離され、並木その他の手段によって、排ガス、騒音などが歩行者に直接被害を与えないような配慮がなされている。と同時に、住宅など街路側の建物との間もまた十分な間隔がおかれ、住宅環境を破壊しないような措置が講ぜられる必要がある。〉

 しかし、安全な道路ができれば、それでOKというわけではない。自動車の社会的費用は道路の建設費にとどまらない。宇沢は「自動車は火薬とならんで、人類の発明のなかで、もっとも大きな害毒をもたらした」と断言する。
 1970年に運輸省は自動車の社会的費用を発表した。交通安全施設の整備費や、自動車事故死亡者の死亡損失額を計算したものだ。それによると、1968年の自動車関連社会費用の総額は1649億円で、1台あたり約7万円になるという。これにたいし、自動車工業会も数字をはじいたが、その数字は1台6622円ともっと低い。
 ここでは道路建設費を含め、自動車にかかる社会的費用ができるだけ低く見積もられていた。メーカーは、自動車の保有者は自動車税やガソリン税を払っているのだから、そのほかの費用を国や自治体が負担するのはとうぜんと考えていた。これからもさらに自動車台数を増やし、道路をつくっていこうという、国やメーカーの思わくが透けてみえる数字だった。
 これにたいし、宇沢は社会的共通資本に与えた損害も含めると、車には少なくとも1台あたり1年間で200万円の社会的費用がかかっているという試算を示した。その費用は車の所有者だけではなく、国の税金によってもまかなわれており、さらに国民一人ひとりが目に見えないかたちで負担しているのだった。
 自動車ははたして人びとのくらしを豊かにしたのだろうか。自動車が高度経済成長の原動力になったことはまちがいない。だが、宇沢の目には、自動車のもたらす負の側面がはっきりとみえていた。
 自動車には大きな利便性があるが、その害毒も深刻なものがある、と宇沢は指摘する。自動車はすぐそこにある、走る凶器でもあるのだ。
 自宅の駐車場からそのまま使用できるのは、自動車の利便性のひとつである。だが、近隣の歩行者に危害を加えるおそれもある。現に自分の子どもや孫をガレージ近くでひき殺す事故もおきている。
 いつでも必要なときに利用できるのも、自動車の利便性だろう。だが、運転者は常に周囲に目を配りながら運転しなければならない。たとえば酩酊や身心不調によって、こうした緊張感が失われるときには、たちまち事故をおこす可能性が高くなる。
 早いスピードで移動し、重いものを運ぶことができるのも、自動車の利便性だろう。しかし、そうした車の機能が発揮されるためには、膨大なエネルギーと資源と道路を必要とする。
 自動車が危険性と大気汚染をもたらし、人びとの生活環境をこわしていることはじゅうぶんに認識されなければならない。また自動車通行の道路を確保するために、広い土地と空間が割かれている。道路建設には、さまざまな破壊や摩擦、犠牲をともなう。
 自動車には多くの稀少資源が投入される。しかし、その寿命は案外、短いという致命的欠陥をもっている。廃棄された自動車がうずたかく積み上げられている郊外の光景をみるにつけ、うそ寒いものを感じる、と宇沢はいう。
 人びとの精神や身体におよぼす自動車の弊害についても指摘されている。自動車を使った犯罪も無視できない。日本は地震多発国なのに、人家のごく近くにガソリンスタンドが多くみられるのも、きわめて危険だという。
 自動車のもたらす弊害は、数え上げればきりがない。日本では人よりも車を優先するように都市が設計されてきた。ガードレールや白線、歩道橋なども車を優先してつくられている、と宇沢はいう。
 自動車の普及が、市民から公共的な交通手段(路線バスや電車、街路電車)の利便性を奪う結果をもたらしたことも忘れてはならない。かつてはにぎやかだった各地の商店街がさびれてしまったのも、おそらく自動車の普及と関係している。もう歩いて買い物には行けなくなってしまった。
 宇沢がもっとも衝撃をおぼえたのは、十数年ぶりにアメリカから戻ってきたときにみた赤坂見附付近の光景だったという。

〈このあたりは、私が中学生の頃毎日のように通ったところであるが、その頃は、閑院宮家のうっそうとした森を中心として、平河町の方にかけて、街路樹の美しい、東京のなかでももっとも魅力的なところの一つであった。……[ところが]かつての美しい、人間的な街が完全に破壊されて、上には巨大な高速道路の構造物が私たちを威圧し、下には、騒音と排ガス、そして危険を撒き散らしながら、おびただしい数の自動車が走っている。まさに地獄としかいいようのない光景だったのである。〉

 宇沢の詠嘆はわからないでもない。
 たしかに自動車は、企業に多くの利潤をもたらし、建設業者をうるおした。購入者にも利便性を与えたかもしれない。しかし、それがもたらした弊害ははかりしれないものがある。自動車中心社会から抜けだせないものだろうか。
 宇沢は「短期的な利潤追求こそ最高の善であるかのような錯覚にとらわれた自由放任主義の亡霊」がいまも生きつづけているという。だが、そこから抜けださないかぎり、新たな時代の方向性は見いだせないのだ。

   3 近代経済の光と影

 新古典派理論とケインズ経済学を知り尽くした宇沢は、さまざまな社会問題に目を向けるうちに、経済学の限界を強く意識するようになった。経済学は環境破壊や人間疎外、豊かさのなかの貧困、インフレや失業、寡占、所得分配の不平等化といった現実の問題と向きあっていない。宇沢は日に日にそう感じるようになった。
 日本の高度経済成長は、資本主義的な市場経済制度のもと、重化学工業化を中心に急速なテンポで進められた。その結果、日本は製鉄、造船、自動車などの分野で世界をリードし、「経済大国」と呼ばれるようになった。
 国民総生産(GNP)も拡大した。それと並行して、日本の国土は改造され、社会構造や人びとの生活様式も一変した。高速道路が建設され、新幹線が走り、飛行場がつくられた。住宅、自動車、電話、テレビ、服装、食事などをみても、一見日本人のくらしぶりはずいぶん豊かになったように思えた。
 だが、はたしてそうだろうか、と宇沢は問う。
 自然破壊と、社会的・文化的環境の荒廃はむしろ目を覆うばかりだ。豊かにみえる消費生活も、その内容はきわめて貧困で殺伐としている。
「この空虚な消費生活を支えるために膨大なエネルギー、自然資源と人的資源が浪費され、またこのような浪費がされなければ、経済循環のメカニズムが円滑に機能できなくなり、多くの失業者を生み出さざるをえなくなってしまった、というのが現在の日本経済の実情である」と、宇沢はいう。
 市場機構で重視されるのは、私的な便益と価格、そして企業の利潤だけだ。
 社会は市場機構とその規制のバランスによって成り立っている。ところが、近年はますます倫理的規制が取り外され、経済成長のためには何でも認められるという傾向が強まってきた。
 市場経済が発達するにつれ、「ありとあらゆるものが市場機構を通じて取り引きされ、利潤追求の対象となり、人々はできるだけ利己的な立場に立って競争的に行動するという傾向がますます強くなってきた」と、宇沢は指摘する。
「所得が高くなって、自動車を購入し、よりよい家に住むということが、はたして本当に人間にとって満足感の充足を意味するのであろうか」とも問いかけている。
 市場経済の推進にさらに拍車をかけたのが、政府の公共政策や開発政策だった。それによって、1960年代に日本列島の風景は大きく変貌した。自然環境や社会環境の解体が、人びとの生き方をどれほど変えてしまったのか、はかりしれない。
 宇沢は観光自動車道路の建設が、自然を破壊しただけではなく、人びとの心も荒廃させたと論じている。東京・大阪を3時間足らずで結ぶ新幹線にしても、便利さの反面、騒音公害や人心の荒廃をもたらしている。
 高度経済成長は経済活動にのみ焦点をあてることで、「環境の果たす文化的、社会的な機能について十分な留意をしてこなかった」と、宇沢はいう。
 日本経済は、都市環境の悪化、自然環境の破壊、大都市への人口集中と農村の過疎化、所得分配の不公正化などの問題に直面している。国際的にみれば、富める国と貧しい国との格差はますます広がっている。こうした問題にたいし、経済学はきちんとこえたえていないどころか、むしろ反社会的な結論をだしてきた、と宇沢は嘆く。
 その背景には経済学を社会科学としてではなく自然科学的な方法でとらえようとするアメリカ流の考え方があった。60年代のアメリカにおいては、理論経済学なるものに政治イデオロギーが付加されて、体制への批判を許さないような風潮さえただよっていたという。
 しかし、やがてヴェトナム戦争に反対する動きが強まると、正統派の経済学にたいする批判が巻き起こってきた。
 新古典派の経済理論は何が問題なのだろうか。

〈新古典派の経済理論では、すべての財・サービスの生産および消費が私的な利潤追求という動機にもとづいてなされるという前提が設けられていた。わたくしたちが普通連想するような財・サービスについてはその生産、販売が私的利潤追求の対象とされることについて、なんら社会的あるいは倫理的問題が起きないと考えてもよい。しかし、財・サービスの性格によっては、このような私的利潤追求の対象とされることによって、大きな社会的問題を惹き起こすようなものが少なくない。〉

 経済学の反社会性の一例として、宇沢は奴隷売買を挙げている。奴隷制度は人間そのものを商品とする非人間的行為である。
 ポランニー流にいえば「悪魔のひき臼」のような経済論理と対抗するために宇沢がもちだすのが「市民の基本的権利」である。
 市民の基本的権利を踏みにじるような経済活動はけっして認められないし、逆に「国は、市民がすべてこうした基本的権利を享受できるような制度、施設を用意しなければならない」。
 市民にたいし、国家が果たすべき義務として、宇沢は第一に国防・外交、第二に治安維持と司法を挙げている。加えて、重要になるのが行政の役割である。
 宇沢はいう。

〈まず、すべての市民が生存するために必要な生活環境を整備し、維持することである。このためには、大気、河川、森林などの自然環境と、さまざまな生活関連資本の集積である都市環境の管理、維持がはかられなければならない。また、市民の基本的権利としての教育、医療サービスをはじめとして、交通、文化的なサービスを公共的に供給し、各人が自由に享受できるようにする必要がある。〉

 宇沢の社会的共通資本という発想が、市民の基本的権利を守るという立場から生まれたことがわかる。
 とはいえ、われわれがここで強調しておきたいのは、商品世界そのものが光と影をともなうものだということである。商品の生産過程や流通・販売過程の裏側は、表からはほとんどみえない。また、商品の消費・使用過程でも、便利さの反面、さまざまな環境的・社会的・精神的な弊害が生みだされている。さらに最終的に商品は廃棄問題をもたらすことになる。
 商品世界の全体は表の論理だけでは理解できない。裏の現実をみて、それははじめて、ひとつの構造として浮かびあがるのである。
 社会的共通資本の発想は、いわば商品世界の裏の現実にどう対応するかという課題から生まれたとみることもできる。

   4 市場原理主義への対抗

 1960年代以降、アメリカではケインズ経済学への批判が高まり、マネタリズムを唱えるミルトン・フリードマンらの市場原理主義が勢いを増した。その考え方に宇沢は反対した。
 そのころ、ケインズ経済学は限界を露呈しはじめていた。スタグフレーション(インフレと失業の同時発生)や、都市問題、貧困、国際収支の赤字などといった問題に対応できなくなっていたのである。
 その隙をついて、一見もっともらしくみえるマネタリズムが攻勢を強めた。マネタリズムは基本的にはケインズ以前に戻る経済学であり、「合理的期待形成の仮説」にもとづいて、経済モデルをより精緻化したものである。
 その理論をこと細かに説明する必要はないだろう。というより、数理経済学にうといぼくにはほとんど理解できないのだ。宇沢自身も「合理的期待形成の仮説」は「荒唐無稽な前提条件」にもとづく非経済的な考え方だと切り捨てている。
 それでもなぜ自由放任主義に立ち戻る市場原理主義が、これほどまでに勢力を強めたのだろう。
 市場機構は不安定要因を含んでいるため、経済目標を達成するには政府が積極的な介入をおこなわなければならない、というのがケインズ経済学の立場である。これにたいし、マネタリズムは政府の機能について強い疑問をもち、私有財産制を前提とする市場機構のなかで、経済主体が合理的に行動することによって、はじめて望ましい経済が実現するとする。政府の干渉を排して、自由な経済活動をより活発にさせるほうがいいというのは、いかにももっともらしい考え方だった。
 そこからは、平均所得税率を引き下げると、政府の税収は逆に増加するというラッファーの命題(サプライサイド経済学)が生まれてきた。レーガン政権の大減税法案は、この命題にもとづいて実施され、最高所得階層の所得税率が大幅に引き下げられた。減税によっていわゆる「トリクルダウン効果」が生じて、低所得層が潤うという都合のいい解釈も、これに加わっていた。
 さらに、サプライサイド経済学からは、社会保障制度が民間貯蓄を抑制するという考え方が打ちだされた。つまり、社会保障が厚いと、下層階級が将来に備えて貯蓄をしなくなるというわけだ。そこでレーガン政権も社会保障制度を縮小する政策をとった。
 だが、実際、こうした政策によって、アメリカ経済は財政赤字を拡大させ、さらに泥沼におちいっていった、と宇沢はいう。
 けっきょく、市場がすべて、経済がすべてというのが市場原理主義の考え方なのである。ケインズ経済学では市場の欠陥(恐慌や失業)に対処するのが政府の役割とされていた。ところが、市場原理主義では、市場の拡大に奉仕するのが、政府の役割になってしまった。こうした傾向は現在もつづいている。
 宇沢もまたケインズ経済学に限界を感じていたにちがいない。しかし、かれの思考は、市場原理主義とまったく逆の方向をたどった。
 宇沢が市場経済のまきちらす毒に気づいたのは、なんといっても1960年代の公害問題だった。日本の高度成長は、社会全体を大きく変えていた。とりわけ深刻だったのが、大気汚染、水質汚濁、土壌汚染である。公害は経済行動によって引き起こされる。にもかかわらず、近代経済学は経済取引を扱うだけで、公害問題を分析の対象外としてきた。
 さらに、宇沢は自動車の「公害」にも気づくようになる。自動車は速さ、便利さをもたらした反面、その急速な普及が交通事故の増大をもたらし、人びとの健康をむしばみ、生活環境を悪化させていた。にもかかわらず、自動車の社会的費用は無視されていた。
 考えてみれば、自動車にはものすごく費用がかかっている。自動車を走らせるには、ガソリンだって、道路だって、さまざまな標識だって必要になってくる。そうした費用は個人によって負担されるだけではなく、国や自治体によっても負担されている。さらに、それが人びとの生活や精神に与える目に見えない負担を考慮すれば、自動車にかかる費用は膨大なものとなる。1968年時点で、宇沢は、自動車の社会的費用は1台あたり年に200万円を要すると計算していた。この金額は現在ではさらにふくらんでいるだろう。
 公害や自動車の問題を考えるうちに、宇沢は「社会的共通資本」の概念に行き着く。社会的共通資本とは、まず「地域社会の安定的、持続的な存続にとって必要な役割を果たす」自然環境である。さらに「市民の基本的権利に重要な関わりをもつものやサービスを生み出す希少資源」も社会的共通資本とみなすことができる。
 そして、こうした社会的共通資本を「社会的な基準にもとづいて管理・維持し」、それによって「公正で社会正義に適った安定的な社会を実現」することこそが、ポスト・ケインズ経済学の課題なのではないか、と宇沢は考えるようになる。
 社会的共通資本は自然環境にかぎられるわけではない。宇沢によれば、道路、鉄道、電力などのインフラストラクチャー、さらには医療、教育、金融、行政などの「制度資本」も社会的共通資本に含まれる。
 社会的共通資本の観点からすれば、自動車は社会的共通資本を破壊する側面をもっていると宇沢はいう。自動車は多くの社会的費用を必要とするばかりでなく、自然を破壊し、農村を過疎化し、都市を「一様に非人間的で、非文化的なもの」としてしまうのだ。
 これからの課題は、市民の基本的権利として、社会的共通資本を維持し、むしろそれを拡充することだ、と宇沢は考えるようになる。
 マルクス主義は資本を私有財産ととらえたが、宇沢は資本に市民の共有財産としての資本という視角を加えた。私有財産でもなく、国家財産でもなく、市民の共有財産としての「資本」がありうる。その「資本」すなわち「社会的共通資本」は、つねに補充され、できれば拡充されていくことが望ましい。それが豊かな社会の基盤になっていく。
 こうした社会的共通資本の管理・維持は、国家や企業によってなされるのではなく、関係する集団やコミュニティによってなされるべきだ、と宇沢は主張した。
 かつて、森林や漁場は入会制やコモンズによって維持・管理されてきた。町や村にも自治があった。このような伝統を社会的共通資本の維持・管理にもいかせないものだろうか、と宇沢は問う。
 こうした考え方に批判があることを宇沢は認めている。
 1968年に生物学者のガーレット・ハーディンは、共有地は過剰利用されると、再生能力を失って、崩壊すると論じた。逆に共有地を分割して、私有化すれば、人びとはみずからの土地に責任をもち、市場メカニズムに沿って最適の行動をとると主張した。
 しかし、伝統的なコモンズは、こうした「共有地の悲劇」を避けてきた、と宇沢は反論する。というのは、コモンズ(入会地)はだれでもが勝手に利用できるわけではなく、そこにかかわる人びとの共有地であって、その利用については、人びとのあいだでしっかりとルールが定められていた、と宇沢は論じる。共有財産の私有化や国有化の弊害こそが、むしろ問題なのだ。
 ここで、宇沢はコモンズの思想、あるいは社会的共通資本の考え方を都市づくり生かした例として、フランスのストラスブールの場合を紹介している。
「20世紀の初頭には、世界の人口の80%以上の人口が農村に住んでいたが、いま[20世紀末]では人口の約80%が都市に住んでいる」と宇沢は書いている。20世紀がいかに工業化と都市化の時代であったかがわかる。
 近代都市といわれて思い浮かべるのは、ガラスと鉄筋コンクリートからなる高層ビル群、広い自動車道路、はっきりと機能別に区分けされた地区といったところだろうか。しかし、こうした都市のあり方に疑問を投げかけた人物がいる。
 宇沢が紹介するのは、ジェーン・ジェイコブズの考え方だ。彼女は、曲がりくねった道路、古い建物、機能別ではない暖かみのある街、一定の人口密集こそが、人間的な魅力をたたえた都市だと論じた。
 宇沢によれば、こうした都市では「自動車の利用をできるだけ少なくして、エネルギー多消費型の高層建築ではなく、自然と風土に合ったような建物、施設が中心となっている」。
 フランスのストラスブールは、こうした都市をできるだけ再現しようとした。ストラスブールの人口は人口25万人。その周辺にはストラスブール市と連携する27の広域自治体が広がり、市に野菜や畜産物を供給するだけではなく、市の通勤圏、買い物圏ともなっている。
 しかし、1960年代以降、自動車が発達し、道路がつくられるとともに、ストラスブールの街並みはすっかり破壊されてしまった。
 そこで、市は1990年ごろから街の改造に乗りだす。路面電車を復活し、市内への自動車進入や路上駐車を原則として禁止したのだ。商業用の配送車が市内にはいれるのは朝6時半から8時半まで。もちろん、救急車や特別の車は別である。
 商店や商工会議所などは、当初、この構想に反対した。ところが、その後「商工業者たちの懸念とはまったく逆に、ストラスブールは旧市内を中心に著しく活性化が進み、雇用も大幅に増えた」と、宇沢はいう。
 この点、日本もストラスブールを見習って、中央官庁の介入を許すことなく、「それぞれの地域のもつすぐれた文化的、自然的、人間的環境を再生することがなによりも緊急な課題である」と宇沢は述べている。こうした都市の改造は「日本経済の苦境を救い、経済の活性化につながる」はずだ、とも。
 ふるさとに帰るたび、ぼく自身思うのは、町の荒廃である。日本の荒廃は、むしろ地方に行くほど強く感じられる。マネーゲームのギャンブル社会がますます進展するいっぽうで、社会環境の劣化はますます深刻化している。

   5 環境問題への取り組み

 経済活動が活発化すればするほど、環境は破壊されやすい。宇沢は大気や水、大地などを含む環境を、社会的共通資本のひとつととらえていた。自然環境が社会的共通資本であるのは、それがなければ経済活動自体が成り立たないからだ。だが、環境を破壊した企業や個人は、その対価を支払わないことが多い。市場メカニズムのもとでは、社会的共通資本の破壊を防ぐ仕組みができていない、と宇沢は批判する。
「社会的共通資本は、時の経過とともに物理的に摩耗してゆくだけでなく、経済活動の水準が高くなるとともに、社会的共通資本の破壊が起き、その機能が低下してゆく」と宇沢はいう。経済学者のピグーは、社会的共通資本の使用ないし破壊をもたらした企業や個人は、その費用を支払わなければならないと主張した。
 その見解を踏まえながら、宇沢は次のように主張する。

〈環境破壊を防止し、しかも市場機構を通じてもっとも望ましい資源配分を実現するためには、各人が使用し、破壊した社会的共通資本に対して、その帰属価格による評価額を社会に支払うという制度を確立する必要がある。公害防止は、結局、このような社会的共通資本の帰属価格をどのように計測するかという問題と、各企業、個人に対して、どのようにして、その支払いを強制させるかという問題に帰着させることができる。〉

 さらに、宇沢は「社会的実質国民所得」という新たな概念をもちだしている。これは実質国民総所得ないし実質国民総生産(GNP)から、社会的共通資本の損耗や破壊に対する社会的費用を減じたものである。実際の計測はむずかしいにしても、ここには経済にたいする国民の満足感はGNPによってではなく、社会的実質国民所得によって測られるべきだという考え方がみられる。
 それはさておき、宇沢はさらに自然環境にたいする考察を深めていく。
 自然環境が資本とみなされるのは、それが人間にとって、広い意味での資源(原資)にほかならないからである。森林や海洋、土地、大気、水、鉱物などは無限にあるようにみえて、限られた資源である。しかも、自然環境は単に物質的に存在しているだけではなく、エコロジカルな共存関係のもとで成り立っている。
 伝統的社会では、人びとの自然環境にたいする向きあいかたが、いまとはちがっていた。「伝統的社会の文化は、地域の自然環境のエコロジカルな諸条件にかんして、くわしい深い知識をもち、エコ・システムが持続的に維持できるように、その自然資源の利用にかんする社会的規範をつくり出してきた」と宇沢はいう。
 ところが、近代にいたると、自然にたいする人間の優位という思想が強まり、自然環境の破壊、収奪が、加速度的に進んだ。宇沢にいわせれば、それはまさに人類の社会的共通資本の破壊につながったのである。
 現代の工業化と都市化は、1960年代から70年代にかけて、多くの公害問題を生み落とした。その後、有害な化学物質(硫黄酸化物、二酸化窒素、水銀など)の排出規制がなされ、公害の深刻化にはある程度の歯止めがかかった。とはいえ、地球温暖化、生物種の多様性の喪失、海洋の汚染、砂漠化などにどう対応するかは、まさにこれからの課題だ、と宇沢はいう。
 とりわけ宇沢が熱心に取り組んだのが、地球温暖化問題だった。

〈地球温暖化は、主として、化学燃料の燃焼によって排出される二酸化炭素が大気中に蓄積され、地表大気平均気温の上昇を惹き起こすことによって、地球規模における気象条件の急激な変化をもたらすことに関わる諸問題を指す。温室効果は、二酸化炭素(CO²)の他に、メタン、亜酸化窒素、フロンガスなどのいわゆる温室効果ガスによっても惹き起こされる。これらはいずれも大気中にごく微量しか含まれていないが、地表大気平均気温の上昇に対して強い効果をもつ。〉

 地球環境問題への対応がむずかしいのは、ひとつに温暖化の原因となる化学物質が、それ自体、人体に無害であるためである。加えて、その規制に関する国際的合意を形成するのがきわめて困難だからだ、と宇沢はいう。
 たとえばCO²の排出は、一国だけではなく、全世界に影響をもたらす。大気は人類にとって、最大のコモンズといえる。それを管理・維持するには、どのような制度やルールをつくっていけばよいのか。そのことを、宇沢は考えつづけた。
「地球温暖化の現象は、究極的には、化石燃料の大量消費と熱帯雨林の大量伐採という人工的営為によって惹き起こされる」と、宇沢はいう。地球温暖化の原因はわかっているのだ。
 ところが、大気のような社会的共通資本を、人類の共通財産として、どう管理・維持していけばよいかという構想を、これまで経済学は示したことがなかった。地球温暖化が影響をもたらすのは、現世代にたいしてだけではなく、将来の世代にたいしてでもある。だが、これまでの経済学の枠組みでは、こうした問題に対応できない。
 地球温暖化の影響は、大洪水、大干魃などの異常気象、氷河の後退、オゾン層の破壊などとなって、あらわれている。いま、どこかで歯止めをかけなければ、地球環境は取り返しのつかない事態を招く恐れがある。
 こうした危惧にたいし、宇沢が持ちだす対策の一つが、炭素税の導入である。「炭素税は、二酸化炭素の排出に対して炭素含有量1トン当たり何円という形で課税しようというものである」。こうした規制を導入することで、企業も個人も、二酸化炭素の排出量を抑制する方向で行動することが期待される。
 とはいえ、炭素税は世界一律にかければよいというものではない。各国の一人当たり国民所得を考慮してかけるのがベターだろう。その方式を宇沢は「比例的炭素税」と名づけた。
 宇沢によると、比例的炭素税率は、二酸化炭素の排出量1トン当たり、たとえば日本とアメリカは530ドル、インドネシアは10ドル、フィリピンは17ドルなどと計算すればいいという。いっぽう、森林が育成されたさいには、吸収される二酸化炭素の量に応じて補助金を交付するという仕組みを宇沢は構想した。
 だが、1997年の京都会議では炭素税導入は議論の対象にもならなかった。目立ったのは、もっぱらアメリカの身勝手な姿勢だったという。とはいえ、フィンランド、ノルウェー、スウェーデン、イギリス、ドイツ、オランダなどでは、すでに炭素税が導入されている。これにたいし、日本やアメリカの取り組みはずっと遅れている。
 宇沢はさらに「大気安定化国際基金」の創設を提唱する。それは徴集された比較的炭素税を基金として、それを熱帯雨林の保全や農村の維持、代替的なエネルギー資源開発など、地球環境を守る活動に使おうというものだ。だが、この基金の構想は、いまだに実現されていない。

   6 医療、教育、農業

 医療や教育、農業もまた社会的共通資本であって、それらはもっぱら儲けを目的とする市場原理主義とはことなる考え方にもとづいて運営されなければならない、と宇沢は主張した。しかし、とりわけ近年は、こうした分野にも市場原理主義的な発想が浸透するようになった。その風潮に宇沢は反対する姿勢を示した。
 以下、宇沢の考え方を追ってみることにしよう。
  揺りかごから墓場までの社会保障を唱えたベヴァリッジ報告が、イギリスで発表されたのは、1942年のことである。この報告にもとづいて、イギリスでは戦後、医療分野ではナショナル・ヘルス・サービスがつくられた。
 1961年にはじまった日本の国民皆保険制度も、この制度の影響を強く受けている。だが、イギリスとちがい、日本では中核病院がすべて国有化されたわけではない。その点、日本の医療制度は、イギリスよりも状況により柔軟に対応することができた面がある。
 国民皆保険にもとづく社会保険の性格をもつ日本の医療制度を、宇沢は基本的に評価している。医師のモラルと技術が高いのも日本の特徴である。しかし、最近は医療費抑制の名のもとに、医療にたいするさまざまな締めつけがはじまり、市民の権利が守られなくなっている、と宇沢は指摘する。75歳以上の老人を他の公的医療保険制度から切り離す後期高齢者医療制度もそのひとつだ。
 国民医療費を抑制しようとする政府の動きにたいし、宇沢は社会的共通資本の充実を図る立場から、次のように論じた。

〈医を経済に合わせるのではなく、経済を医に合わせるのが、社会的共通資本としての医療を考えるときの基本的視点である。このような視点に立つとき、供給される医療サービスが、医学的な観点から最適のものであり、かつ社会的な観点から公正で、経済的な観点から効率的であるとすれば、国民医療費の割合が高ければ、高いほど、たんに経済的な観点からだけではなく、社会的、文化的観点からも望ましいものであるといってよい。〉

 日本の医療はさらに充実させるべきなのだ。
 とはいえ、現行の医療制度がさまざまな問題をかかえていることも、宇沢は認めている。たとえば、医薬品代や検査料の比率が高く、医療の無駄が生じていることも問題である。診療報酬点数が医師の技術や技能の水準を考慮せず、低く抑えられていることも問題だという。
「医師、看護師などの人的費用、施設、機械・器具の維持にかかわる物的費用などについての赤字を、検査料、薬剤料、特定治療材料、輸血料などからでてくる黒字で補填しているのが、日本における大方の医療機関の経営的な実態なのである」と宇沢はいう。そのような診療点数制の問題はとうぜん改良されなければならない。
 宇沢によれば、それにしても日本の病院は「医師、看護師、コ・メディカル・スタッフの献身的な働きによって支えられている」という。
 しかし、その現場に市場原理主義の考え方が、次第にはびこりはじめた、と宇沢は警告を発する。

 教育もまた重要な社会的共通資本である。教育の理念を、宇沢はデューイとヴェブレンの考え方に求めている。
 アメリカの哲学者デューイは、学校教育制度が(1)統合(2)平等(3)人格的発達の機能を果たすと考えていた。
 統合とは「青少年を教育して、社会が必要とする経済的、政治的、文化的役割を果たす社会人としての人間的成長を可能にすること」をいう。平等とは、学校教育が「機会の平等化をもたらし、社会・経済体制の矛盾を相殺する役割」を果たすことである。人格的発達とは、教育によって「個人の精神的、道徳的な発達をうながす」ことにほかならない。
 デューイは、アメリカの資本主義と民主主義が、この教育の3つの機能をみたすことに寄与すると考えていた。だが、デューイの理念は、アメリカの現実によって裏切られる。
 いっぽう経済学者のヴェブレンは、とりわけ大学の自由に力点を置き、大学を真理探求の場にしたいと願っていた。そして、政府や企業から独立した場であってこそ、大学ははじめて真の学問の場として機能すると考えた。だが、このヴェブレンの考えもまたアメリカの現実によって裏切られることになった。
 宇沢は、デューイやヴェブレンの唱えたリベラルな教育理念を継承しようとしていた。だが、日本の現実は、アメリカ以上に無残な状況におかれていた。
「日本の学校教育が現在置かれている状況は全面的危機という言葉がそのまま当てはまるといってよい」と、宇沢は書いている。
 その根源に横たわっているのは、「非人間的、反倫理的な受験地獄を生み出してきた現行の学校教育制度の矛盾」であり、とりわけセンター試験は、およそ考えられるかぎり最悪の大学入試制度だ、と宇沢はいう。
 センター試験にみられるような差別化・規格化が、心身ともにすさみきった子どもたちを生む要因となっている。加えて教科書検定制度にみられるような文部官僚の専横ぶりが、子どもたちの自由な発展をいかに阻害するものとなっているか、と宇沢は批判する。
 宇沢は、教育を社会的共通資本として位置づける構想をもっていた。教育を国家や市場原理から切り離し、社会全体の共有財産として制度化することをめざしていたのである。
「社会的共通資本は決して国家の統治機構の一部として官僚的に管理されたり、また利潤追求の対象として市場的な条件によって左右されてはならない」と、宇沢はいう。
 政府は、教育という自由な社会的資本が機能するように財政的支援をおこなうことを義務づけられるが、けっして教育内容に干渉してはならない。教育内容は、教育にかかわる職業的専門家が責任を負うものである。
 宇沢は「国民所得のうち、学校教育に投下された費用の割合が高ければ、高いほど望ましい」とも述べている。つまり、真に豊かな社会とは、医療や教育などの社会的共通資本がより充実している社会を指すのである。
 ここで、宇沢の考える「リベラルな学校教育制度」について触れておこう。
 宇沢は小学校6年、中高一貫6年(あるいは旧制中学のように5年)を義務教育にし、そのうえに専門分野にとらわれないリベラル・アーツを中心とした個性的な大学をつくるべきだと考えていた。
 さらに、大学の入学方法は、センター試験のような画一的なやり方ではなく、多様な基準と判断でなされるべきだと主張する。中高一貫の6年制はできれば全寮制でなされるのが望ましい。この考え方は、旧制の中学、高校を経験した自身の実感からきているのだろう。
 宇沢の大学構想は、大学経営のあり方にとどまらず、学生選抜の方法、アカデミック・アドバイザーの必要性、カリキュラムの組み方にまでおよんでいる。大学は「リベラル・アーツ」の場であって、その目的は「大学の4年間が人生でもっとも楽しく、充実したものであるようにする」ことだとも述べている。
 専門教育は大学を終えたあとにおこなわれ、その年限は3年をめどとする。現在の日本の大学院は、2年の修士課程と3年の博士課程から成り立っているが、これはおかしいという。

 宇沢が農業を社会的共通資本として位置づけなおそうとしていたことも指摘しておいてよいだろう。日本農業の危機的状況を憂慮していたのだ。
 農業に効率性基準を導入する愚を宇沢は批判している。

〈資本主義的な経済制度のもとでは、工業と農業の間の生産性格差は大きく、市場的な効率性を基準として資源配分がなされるとすれば、農村の規模は年々縮小せざるをえないのが現状である。さらに、国際的な形での市場原理が適用されることになるとすれば、日本経済は工業部門に特化して、農業の比率は極端に低く、農村は事実上、消滅するという結果になりかねない。〉

 農業は市場原理でのみ扱ってよいのだろうか、と宇沢は疑問を投げかける。市場原理によってもたらされたのは、日本農業の悲惨な現状ではないか。
 農の営みの再生をめざす宇沢は、農業を社会的共通資本としてとらえ、コモンズとしての農村を経済単位とする農社の設立を構想している。
 農社とは何か。こう説明する。

〈農社は、農の営みをたんに農産物の生産に限定しないで、農作物の加工、販売、研究開発活動まで広く含めた一つの総合的な組織です。しかも、かなりの数の農民たちが中心となって、協同的な作業をおこない、市場経済のなかで、経営的にもうまくやっていけるような規模と事業の多様性をもつものです。昔の村落に近い組織ですが、封建的、因襲的な遺制を廃して、リベラリズムの思想に忠実なかたちで運営しようというものです。〉

 農社の運営にあたるのは一般法人ではなく、あくまでもコモンズである村の成員だとされる。
 これまでみてきたところからもわかるように、宇沢の立場はおよそ次のようなものである。宇沢は、国家主義(ならびに社会主義)と市場原理主義に反対する。そして、民主主義と市場経済を前提としつつも、権力とカネから独立した社会的共通資本の領域を制度的に広げていくことこそが、未来を切り開く鍵になると考えていた。
 本書は次のようなことばでしめくくられている。

〈社会的共通資本は、一つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような社会的装置を意味する。
 社会的共通資本は自然環境、社会的インフラストラクチャー、制度資本の三つの大きな範疇にわけて考えることができる。大気、森林、河川、水、土壌などの自然環境、道路、交通機関、上下水道、電力・ガスなどの社会的インフラストラクチャー、そして教育、医療、司法、金融制度などの制度資本が社会的共通資本の重要な構成要素である。都市や農村も、さまざまな社会的共通資本からつくられているということもできる。
 社会的共通資本が具体的にどのような構成要素からなり、どのようにして管理・運営されているか、また、どのような基準によって、社会的共通資本自体が利用されたり、あるいはそのサービスが分配されているかによって、一つの国ないし特定の地域の社会的、経済的構造が特徴づけられる。〉

 持続的な経済発展を可能にする社会的共通資本が拡充されることによって、はじめて21世紀の展望は開かれる、と宇沢は考えていたのである。
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ネオ・アッキー

あけましておめでとうございます。
本年も相変わらずご厚情の程、よろしくお願い致します。
by ネオ・アッキー (2017-01-03 03:38) 

だいだらぼっち

ネオ・アッキーさま、あけましておめでとうございます。じいさんのブログですが、ことしもよろしくお願い申し上げます。

by だいだらぼっち (2017-01-04 05:05) 

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