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『サピエンス全史』を読む(まとめ) [本]

   1 狩猟採集社会

 いまや超サピエンスの時代がはじまろうとしているのだという。
 本書はホモ・サピエンスが超サピエンスに向かおうとしている人類の全史を追うという壮大な試みである。
 著者のユヴァル・ノア・ハラリは、イスラエルの若い歴史学者だ。
 ホモ・サピエンスが誕生したのはおよそ20万年前。しかし、人類がはじめて姿をあらわしたのは250万年前の東アフリカで、アウストラロピテクスと呼ばれる猿人から進化した。
 この太古の人類は200万年前に、北アフリカ、ヨーロッパ、アジアに進出し、その地に定着した。ヨーロッパとアジア西部にいた人類はネアンデルタール人と呼ばれ、アジア東部にいた人類はホモ・エレクトスと呼ばれる。10万年前の地球では、少なくとも6つの異なるヒト種が暮らしていた。
 人類の特徴は大きな脳をもつことと、直立二足歩行をすることだ。しかし、それは生きていくのに大きな欠陥ともなり、安全に暮らすには家族や仲間の協力が欠かせなかった。
 初期の人類は小さな生き物を狩り、食べられるものを採集するいっぽう、大きな捕食者にねらわれていた。人類が食物連鎖の頂点に達するのは大きな獲物を狩るようになった40万年前〜10万年前にかけてのことだ。
 約30万年前から人類は火を使っていた。火によって、調理が可能になり、食物の範囲が広がり、消化も楽になった。それだけではない。人類は無限の力を制御できるようになったのだ。
 ホモ・サピエンスがアフリカ大陸の外に出たのは7万年前である。サピエンスはほかの人類に取って代わりながら、世界じゅうに進出する。
 それがどんな経緯をたどったかは、よくわかっていない。いずれにせよ、ホモ・サピエンスの進出によって、ジャワ島のホモ・ソロエンシスは5万年前に、ヨーロッパのネアンデルタール人は3万年ほど前に絶滅したことはたしかである。
 なぜサピエンスは、ほかの人類に勝利することができたのだろうか。
 著者はここで「認知革命」という概念をもちだす。
 認知革命を象徴するのが、言語の発明である。サピエンスは言語によって仲間に情報を伝えるようになった。
 サピエンスの特徴は、何よりも「虚構」を語る能力にある、と著者はいう。つまり、想像力によってイメージをえがき、それを伝えることができた。
 動物が集団を維持できるのは50個体が限度だ。人間もたがいが認知できる範囲は、150人がせいぜいだろう。しかし、人類がそれ以上の人数からなる共同体をつくれるのは、共通の物語(国家や宗教、法などもそうした物語のひとつだ)を共有できるからである。
 物語は想像力の産物だといってよい。サピエンスの特徴は、自然の客観的現実のなかだけではなく、神や国家といった想像上の現実のなかを生きていることだ、と著者は論じる。
 認知革命はサピエンスに想像力をもたらした。想像力は言語を生み、物語をつむぎだした。サピエンスの強さは、想像力と情報伝達力にもとづく集団行動にあった。
 つくりだされた物語は、いくらでも変更可能だった。そこから柔軟な対応能力が生まれた。
 サピエンスが3万年以上前から長距離交易をはじめていたことも注目すべきだろう。貝殻と黒曜石の交易は、農耕よりも早く太古からおこなわれていた。
 交易をおこなうのはサピエンスだけである。
 交易は単なる実務的やりとりのようにみえるが、そうではない。信頼関係がなければ交易はなりたたない。部族間で交易がはじまるときには、共通の神や祖先、トーテムへの呼びかけがなされなければならない。
 サピエンスの歴史は、狩猟採集時代が圧倒的に長い。農耕がはじまるのは1万年前にすぎないし、産業文明の時代になってからはわずか200年だ。
 狩猟採集時代については、さまざまな説があるが、たしかなことはわかっていない。
 人びとが現代人のように多くのものをもっていなかったことはたしかだ。ごくわずかの遺物からは、ほとんどその様子が浮かびあがってこない。
 辺境に残る狩猟採集生活を観察することで、先史時代の生活を推し測ることは可能かもしれない。しかし、それにも限界がある。
 現代の狩猟採集民はあまりにも辺境の地に追い詰められているし、その暮らしぶりは民族的にも文化的にもばらばらである。そこから、はたして原初の生活を思いえがくことなどできるのだろうか。
 それでも一般論として、著者が指摘するのは、次のようなことだ。
 人びとは数十人、最大でも数百人の単位でくらしていた。1万5000年前には、すでに犬を飼い慣らしていた。集団は主に親族から形成され、内部は親密な関係が保たれていた。
 近隣の集団とは戦いもあったが、交流もあった。いっしょに狩りをし、贅沢品(貝や琥珀、顔料など)を交換し、ともに祭りをすることもあったろう。とはいえ、ふだんそれぞれの集団は、ほとんど顔を合わせず、別々にくらしていた。
 集団は食べ物を探して、あちこち移動する。その移動範囲は時に数十キロにおよんでいた。こうした移動は人類が拡散する原動力となった。
 食料資源が豊富なのは、海や川に沿った場所だった。そうした場所に、人類ははじめて集落をつくった。
 基本は狩りよりも採集だったろう。食べ物に加えて、燧石や木材なども集められ、素材に加工がほどこされた。
「平均的な狩猟採集民は、現代に生きる子孫の大半よりも、直近の環境について、幅広く、深く、多様な知識を持っていた」し、身体的にも鍛えられていたと、著者はいう。それにくらべれば、現代人の知識はごく専門的な分野にとどまっており、動作もはるかににぶい。
 狩猟採集民は全体として、現代の労働者より、快適で実りの多い生活を営んでいた、と著者はいう。狩りや採集にかける時間はごく短く、家事の負担も少ない。よほどのことがないかぎり、飢えたり栄養不良になったりすることもなかった。木の実、イモ、ベリー、キノコ、果物、貝、魚、動物をはじめとして、食物は多様で、ふんだんに存在した。天然痘やはしか、結核などの感染症はなかった。
 要するに、狩猟採集社会の生活は意外にも豊かだった。とはいえ幼児死亡率は高かったし、集団の足手まといになる老人がおきざりにされることもあった。自然の猛威に身をさらされることも少なくなかったはずだ。
 狩猟採集民のあいだではアニミズムが信じられていた。生きとし生けるもの、死者にも霊が宿っており、魔物や妖精も実在すると信じられていた。
 だが、部族ごとに、その信仰はじつに多様だった。その精神生活については、ほとんどわかっていない。
 身分や家族など、集団生活の実態についても、たしかなことはわからない。しかし、何らかの政治的、宗教的、社会的秩序があったことはまちがいないだろう。
 部族どうしの戦いもあったにちがいない。しかし、それがどの程度だったかも判然としない。ドナウ川流域やスーダンでは、武器によって死亡したとみられる古い遺骨が見つかっている。だが、狩猟採集民が常に残忍な戦いをくり広げていたという証拠はない。
 平和な時代もあったし、戦争の時代もあったということくらいしかいえない。沈黙の帳が、狩猟採集社会の全体像をおおいかくしている、と著者はいう。
 ただし、サピエンスに関していえることがひとつある。それは人類の移住にともなって、地域生態系が変化し、大型生物が絶滅したことである。
 大型生物の絶滅をすべて気候変動のせいにはできない。「歴史上の痕跡を眺めると、ホモ・サピエンスは、生態系の連続殺人犯に見えてくる」と著者は書いている。
 オーストラリアでも、アメリカでも、シベリアでも、ホモ・サピエンスの進出にともない、マンモスやディプロトドン、マストドン、オオナマケモノといった巨大生物が絶滅した。その絶滅にサピエンスが関与したことはまちがいない。
 著者はこう書いている。

〈私たちの祖先は自然と調和して暮らしていたと主張する環境保護運動家を信じてはならない。産業革命のはるか以前に、ホモ・サピエンスはあらゆる生物のうちで、最も多くの動植物種を絶滅に追い込んだ記録を保持していた。私たちは、生物史上最も危険な種であるという、芳しからぬ評判を持っているのだ。〉

   2 農業革命

 農耕への移行がはじまったのは紀元前9500〜8500年ごろとされる。場所はトルコ南東部とイラン西部、そしてレヴァント地方だ。そのころ小麦が栽培され、ヤギが家畜化された。その後、紀元前8000年ごろには、エンドウ豆やレンズ豆、紀元前5000年にはオリーブが栽培され、紀元前4000年には馬が家畜化された。
 中国の長江流域で稲作がはじまったのも、紀元前8000年のころだ。紀元前3500年ごろには、世界中で、小麦、稲、トウモロコシ、ジャガイモ、キビ、大麦が栽培されるようになっていた。
 農業革命は中東からはじまって、各地に伝播したわけではない。中国を含め、いくつかの地域で独立して発生したとみられる。



 一般に農業革命は人類の大躍進だとされる。だが、著者は「農耕民は狩猟採集民よりも一般に困難で、満足度の低い生活を余儀なくされた」と論じる。
 食料の総量は増えたが、人口爆発によって人びとの生活は苦しくなった。さらに、人びとは栽培植物の生育に時間を奪われるようになった。狩猟採集時代のような自由はなくなってしまった、と著者はいう。農耕作業は、ヘルニアや関節炎などの病気も生んだ。それに人びとは田畑の近くに定住しなければならなくなった。「私たちが小麦を栽培化したのではなく、小麦が私たちを家畜化したのだ」と著者は書いている。
 農耕民は狩猟採集民よりも暴力的になった。土地を守り、土地を得るために、戦わねばならなかったからである。とはいえ、農耕によって、サピエンスは多くの人口を支えることができるようになった。人びとは村をつくり、1000人規模の大きな集団を形成するようになる。放浪の生活を捨てたために、子供が増えたのだ。
 しかし、人口が増えると余剰食料がなくなり、さらに多くの田畑をつくり、以前より一生懸命はたらかなくてはならなくなる。それは、一種の罠だった。
 人びとはそれまで追い回していたヒツジを選別し、人間の必要に合わせて飼うようになった。その結果、ヒツジの群れが家畜化される。牛やブタ、ニワトリなども、それにつづく。こうした家畜は食料や原料、労力として役立った。それは人間にとっては好都合だったが、家畜にとっては残酷な仕打ちとなった、と著者はいう。
 とはいえ、農業革命がおこったあとは、もはや狩猟採集時代には戻れなかった。農耕民がつくったのは、自然の縄張りではなく、人工の「孤島」だった。その孤島で人びとは田畑をつくり、家畜を飼い、家を建て、ものを集めたのだ。
 農耕経済では将来を見据えることがだいじになる。天候がどうなるかをはじめとして心配の種は多く、それに備える必要がでてくる。備えは政治を生む。こうして、食料の余剰は、まつりごとに回されるようになった。
 紀元前5000年から4000年にかけて、都市や町が生まれる。都市は何万もの住民を擁し、多くの村落を支配下においた。
 紀元前3150年にナイル川下流一帯が統一され、最初のエジプト王国がつくられた。紀元前2000年から500年にかけて、中東ではアッシリア、バビロニア、ペルシアの帝国が出現する。紀元前221年に秦が中国を統一した。同じころローマが地中海一帯を支配する。
 帝国の神話(幻想)を支える半強制的なネットワークを、著者は「協力マニュアル」と名づけている。紀元前1776年、バビロニア帝国では、ハンムラビ法典がつくられた。この法典に記された、普遍的な正義の原理もまた、ひとつの神話にほかならない、と著者はいう。だが、こうした神話が、想像上の秩序をかたちづくっていくのだ。社会秩序は観念、すなわち共同幻想にもとづいている、といってもよい。
 ただし、想像上の秩序は、単なる幻想にすぎないと見破られたとたんに崩壊の兆しをみせる。したがって、国家によって形成された社会秩序は、自然、あるいは神に由来するとされ、そのために、さまざまなシンボルや制度、思想や主義が総動員されることになる。
 人は想像上の秩序を生きる。それが虚構をつくるホモ・サピエンスの特徴だ、と著者はいう。想像上の秩序は、客観的でも主観的でもなく、共同主観的である。つまり、だれもが信じるからこそ、それが秩序となるのだ。
 想像上の秩序は「多くの個人の主観的意識を結ぶコミュニケーション・ネットワークの中に存在」し、「一個人が信念を変えても、あるいは、死にさえしても、ほとんど影響はない」。貨幣や法律、国家といったものも、共同主観的な秩序である。
 著者はこう記している。

〈想像上の秩序から逃れる方法はない。監獄の壁を打ち壊して自由に向かって脱出したとき、じつは私たちはより大きな監獄の、より広大な運動場に走り込んでいるわけだ。〉

 人間は種として継承したDNAで社会秩序をつくるわけではない。法律や習慣、ルールを守るには意識的な努力を必要とする。それを怠ると社会秩序はあっという間に崩れてしまう。
 人間社会を維持するのに必要な情報量は膨大で、それを一個の脳に保存するには限界がある。どうすれば、こうした大量のデータを保存できるのだろうか。
 著者によれば、脳の外で情報を保存して処理するシステムを発明したのは、シュメール人である。紀元前3500年から3000年のことだ。かれらは記号を使って情報を保存する方法を思いついた。最初に記されたのは、ものと数で、その目的は、税や資産を記録することだった。
 記号のかたちは、文化によってさまざまだった。シュメール人は粘土板に絵を刻んだが、インカ帝国ではキープ(結縄)でデータが記録された。
 メソポタミア人は、やがて紀元前3000年から2500年ごろにかけて、楔形文字を編みだし、それによって神託を記録し、手紙を書くようになる。同じころ、エジプト人は象形文字をつくりだした。紀元前1200年ごろ、中国では漢字が生みだされた。こうした文字によって、人びとは詩や歴史、物語、予言なども書きとめるようになったのだ。
 しかし、膨大な行政文書から、必要な文書を効率的に取りだすのは、ひと苦労だった。古代の人びとも資料の保管や目録、情報検索に気を配った。そして、こうした作業のなかから官僚制が生まれた、と著者はいう。
 データを処理するには、数の記号も必要だった。数字を発明したのは古代インド人である。この数理記号の体系は、その後、人類の文化にはかりしれない恩恵をもたらし、現在のコンピューター文明へとつながることになった。
 いっぽう、想像上の社会秩序からは、ヒエラルキーが生みだされる。こうして、自由人と奴隷、白人と黒人、富者と貧者が差異化されていった。そのヒエラルキーは、自然、あるいは神に由来すると説明された。だが、それは想像の産物であり、そこに制度や思想、感覚、差別が加わったものだ。
 こうしたヒエラルキーのもとで、人びとは異なる扱いを受け、負の連鎖を継承した。インドでは、現在でもカースト制度の影響が色濃く残っている。アメリカでも黒人差別の伝統は根強い。
 性的な差別も実在する。かつて、多くの社会では、女性は男性の財産だとされていた。現在では、女性が公職につくのはごくあたりまえと考えられており、同性間の性的関係も認められている。生物学は広範なスペクトルを許容しているのに、その可能性を否定するのは文化なのだ。「男らしさや女らしさを定義する法律や規範、権利、義務の大半は、生物学的な現実ではなく人間の想像を反映している」と、著者は述べている。
 男性と女性のあいだでは、これまでれっきとした社会的差別が築かれてきた。農耕社会でも工業社会でも支配的だったのは家父長制である。なぜ、女より男のほうが上だとされてきたのか。その理由はよくわからない。男のほうが肉体的に強靱だから権力を手に入れるという説は受け入れがたい。男のほうが攻撃的で戦いに適しており、それゆえ権力の座を占めるという説も、こじつけである。戦闘能力と政治能力は別物だからだ。いずれにせよ、男性が女性にたいして、なぜ社会的に優位に立つのかという理由は、よくわからないのだ。
 そこで、著者はこう指摘する。

〈過去1世紀の間に、社会的・文化的性別の役割は、途方もない変革を経験した。今日、しだいに多くの社会が、男性と女性に同等の法的地位や政治的権利、経済的機会を与えるばかりでなく、性別と性行動の最も根本的な概念を完全に考え直してもいる。性別による格差は依然として著しいが、息を呑むような速さで物事が進んでいる。〉

 たしかに時代は変わるのだ。

   3 一体化する世界

 農業革命以降、人間は虚構(政治的・社会的規範)を築くことによって、人工的な本能、すなわち文化を身につけるようになった、と著者はいう。
 文化はたえず変化する。文化には緊張や対立、ジレンマがつきもので、それが文化に変容をもたらすのだ。そして、文化は次第に、より大きく複雑な文明へとまとまっていった。「歴史は統一に向かって執拗に進み続けている」
 紀元前1万年ごろ、地球には何千もの社会があったが、紀元前2000年にはその数は数百となった。1450年には、世界はアジア、ヨーロッパ、アフリカ、南北アメリカ、オセアニアから形成されるようになっていた。
 その後、ヨーロッパが世界を席巻し、世界中に同様の地政学的制度(国家)、経済制度(資本主義)、法制度、科学制度が行き渡る。料理もまたグローバル化した。アメリカのスー族やアパッチ族といえば、馬に乗った姿を思い浮かべるが、実は1492年にはアメリカ大陸に馬はいなかったのだ。
 グローバルな統一が進んだのは、過去数世紀に交易が盛んになったからである。征服者や宗教家は熱心に新たな世界秩序をつくりあげようとした。
 著者はグローバル化を推し進めた要因を貨幣、帝国、宗教の3つに求めている。それを順に紹介しておこう。
 まず貨幣について。
 狩猟採集民は貨幣をもたなかった。必要なものは回りから得られたからだ。道具も簡単につくることができた。
 財やサービスは互恵(互酬)システムによって配分される。集団は経済的に自立しており、ほかに求められるのは貝殻や顔料、黒曜石ぐらいでのもので、それらは物々交換によって獲得すればよかった。
 農業革命が起こっても、変化はほとんどみられなかった。人びとはだれもが顔を知っている村落で暮らしていた。自給自足が中心で、時たま外部の人と物々交換をするくらいだった。
 しかし、都市や王国ができると事情が変わってくる。都市には専門の職人や医師、聖職者、兵士、法律家などが集まっていた。また都市の求めに応じて、ワインやオリーブ油、陶磁器、その他特産品をつくる村などもできてくる。
 都市と村のあいだでは交換が生じた。だが、もはや物々交換に頼るわけにはいかなかった。そこで、貨幣が登場する。
 貨幣の登場は、精神的な革命だった、と著者はいう。貨幣は「人々が共有する想像の中にだけ存在する新しい共同主観的現実」となった。
 貨幣は何であってもよかった。いちばんなじみ深いのは硬貨だが、貝殻や塩、穀物、布、タバコ、紙幣でも、通用すればまったく問題ない。現に、いまでは貨幣の9割以上が、コンピューターのサーバー上に存在している。
 何はともあれ、複雑な商業システムを支えるには貨幣が必要だった。貨幣ならだれもが喜んで受け取ってくれる。貨幣は何にでも転換できた。貨幣は蓄えることもできた。持ち運ぶことも可能だった。
 貨幣は想像のなかでしか価値をもたない。信用こそが貨幣の本体なのだ。「これまで考案されたもののうちで、貨幣は最も普遍的で、最も効率的な相互信頼の制度なのだ」と、著者は記している。信用がなければ、ただの印刷された紙切れが貨幣として扱われるわけがないのだ。
 貨幣があらわれた当初、貨幣は信頼されなかった。だから、貨幣は商品でもあった。紀元前3000年にシュメール人は「大麦貨幣」シラを考案している。
 紀元前2500年ごろ、メソポタミアで銀の計量貨幣シュケルが登場した。それがやがて硬貨へと発展する。
 史上はじめて硬貨をつくったのはアナトリア西部のリュディア王国である。紀元前640年ごろのことだ。硬貨はいちいち重さを計らなくても、数を数えるだけで、その価値を把握することができた。しかも、その価値は政治的権威によって保証されていた。
 もっとも信用されたのは、ローマ帝国の貨幣である。とりわけ有名だったのがデナリウス銀貨だ。それは硬貨の通称ともなり、イスラム圏では現在もデナリウス銀貨に由来するディナールという通貨単位が用いられている。
 いっぽう、中国では青銅貨と、銀塊、金塊にもとづく貨幣制度が生まれた。こうして各地で通貨がつくられていくと、中華圏、中東圏、西洋のあいだでも、貨幣と商業の流通システムが確立されていく。
 それによって、ユーラシア大陸、さらには世界じゅうをつなぐ、グローバルな交易ネットワークが生まれる。もともと存在していた貨幣体系のちがいは、交易が活発になるにつれて次第に平準化されていった。
 こう書いている。

〈哲学者や思想家や預言者たちは何千年にもわたって、貨幣に汚名を着せ、お金のことを諸悪の根源と呼んできた。それは当たっているかもしれないが、貨幣は人類の寛容性の極みでもある。貨幣は言語や国家の法律、文化の基準、宗教的信仰、社会習慣よりも心が広い。貨幣は人間が生み出した信頼制度のうち、ほぼどんな文化の間の溝をも埋め、宗教や性別、人種、年齢、性的指向に基づいて差別することのない唯一のものだ。貨幣のおかげで、見ず知らずで信頼し合っていない人どうしでも、効果的に協力できる。〉

 次に、帝国について述べよう。
 過去の文化の大半は、遅かれ早かれ帝国に吸収されていった。しかし、帝国が滅んだあとも、帝国の遺産は残った。その典型がローマ帝国だ、と著者はいう。
 帝国はさまざまな文化をもつ民族をいくつも支配しつつ、次々と境界を広げていく。かつての大英帝国は史上最大の版図を擁していた。
 帝国はかならずしも軍事的征服によって拡大するわけではない。ハプスブルク帝国は結婚によって領土を広げた。帝国の大きさはさまざまである。アテネ帝国とアステカ帝国はどちらも帝国だが、その大きさは現在のギリシア、メキシコほどもない。
 過去2500年間、帝国は世界でもっとも一般的な政治組織だった。多くの民族が帝国に呑みこまれていった。一つの帝国が滅んでも、被支配民族が独立するのはまれで、たいていは次の帝国がその民族を呑みこんでいった。
 とはいえ諸民族を征服することで栄えた帝国は、滅んだあとも歴史遺産を残した。言語や芸術、建築物、文化もそうした遺産である。
 最初の帝国は、紀元前2250年ごろ、メソポタミア中央部に誕生した。サルゴン1世のアッカド帝国である。アッカド帝国はペルシア湾から地中海にまで広がり、現在のイラクとシリアにまたがっていた。
 アッカド帝国が滅んだあとも、帝国の衣鉢は引き継がれた。アッシリア、バビロニア、ヒッタイトが帝国を築く。さらに紀元前500年ごろには、ペルシア帝国が誕生した。中国の歴史もまた帝国の歴史である。
 帝国は小さな文化を融合させて、大きな文化にまとめる役割をはたしてきた。帝国のエリート層は、帝国が支配領域内全体に文化の恩恵をもたらすと信じていた。しかし、大多数の人にとって、中心部との同化は不愉快で、心の痛手を残すことが多かった。それに、周辺部の人びとは帝国の中心部に対等に受け入れてもらえなかった。
 とはいえ、文化の変容と同化は次第に進んでいった。ローマ帝国でも被支配者がついにローマの市民権を得る。属州出身者が皇帝になる時代が訪れた。
 それは中国でも同じだった。異民族が支配者となったのである。
 ヨーロッパ人は近代に西洋文化を広めるという名目で、地上の大半を支配した。現地の人びとは英語やフランス語を身につけ、自由主義や資本主義、共産主義、フェミニズムといった西洋のイデオロギーを学んだ。そして、こうしたイデオロギーにもとづいて、反植民地・独立運動へと立ち上がった。
 現在の文明は帝国と帝国主義の遺産だ、と著者はいう。現在のインドは大英帝国の子供だ。たとえ、インド人がその遺産をすべて否定し、ムガール時代や古代帝国の時代に戻ろうとしても、もはや民主主義や英語、鉄道網を廃止することはできないだろう、と著者はいう。
 こう書いている。

〈2014年の時点で、世界はまだ政治的にはばらばらだが、国家は急速にその独立性を失っている。……私たちの眼前で生み出されつつあるグローバル帝国は、特定の国家あるいは民族集団によって統治されはしない。この帝国は後期のローマ帝国とよく似て、多民族のエリート層に支配され、共通の文化と共通の利益によってまとまっている。〉

 とはいえ、国家集団、さらには国家どうしの対立は、ますます強まりそうである。

 最後に触れられるのが、宗教についてである。
 貨幣や帝国と並んで、宗教もまた人類を統一する要素だった、と著者はいう。「宗教は、超人間的な秩序の信奉に基づく、人間の規範と価値観の制度」にほかならない。
 普遍的宗教が登場するのは紀元前一千年紀のことだ。だが、それによってアニミズムや偶像崇拝、多神教、二元論信仰がなくなったわけではない。
 多神教は多くの神々を信じているので、宗教的には寛容である。異端者や異教徒を迫害することはなく、帝国をつくったときも支配民に改宗を迫ることはない。これにたいし、一神教の闘いはなかなか激烈なものとなる。
 最初に一神教が誕生したのは、紀元前1350年に、エジプトのアクナトンがアテンを至高の存在と宣言したときである。その後、ユダヤ教がつづく。
 しかし、何といっても宗教が大躍進をとげるのはキリスト教の成功によってである。その後、7世紀になって、アラビア半島でイスラム教が生まれた。
 一神教は多神教よりもはるかに布教熱心だった。
 しかし、神への無関心を示した宗教もある。仏教や儒教、あるいはストア主義などがそれだ。
 ブッダは瞑想によって、悲しみを悲しみとして、喜びを喜びとして、痛みを痛みとして、あるがままに受け容れるよう心を鍛錬する方法を編みだした。そして、権力や快楽や富への渇愛の火を消して、涅槃の境地に達するように説いた。
 過去300年は、宗教が次第に重要性を失い、世俗主義が主流になってきたとされる。それでも、自由主義や共産主義など、さまざまな主義の名をつけたイデオロギーは、ますます横行している。これらは人間至上主義の新しい宗教だと、著者はいう。だが、人間至上主義の行方は、いまでは定かではなくなっている。
 交易と帝国と宗教によって、人類はグローバルな世界に到達した。
 実際の歴史は狡知に満ちている。だが、歴史はおうおうにして後知恵で説明されるものだ。未来が霧のなかにあるというのは、昔もいまも変わらない。歴史は決定論では説明できない。
 歴史を研究するのは、むしろ将来にさまざまな可能性があることを知るためだ、と著者はいう。
「歴史は何らかの謎めいた理由から選択を行なって、まずこちら、次にこちらというふうにさまざまな道をたどり、一つの時点から次の時点へと進んでいく」と書いている。
 そして、西暦1500年ごろになされた選択が、西ヨーロッパで生じた科学革命だったというわけだ。

   4 資本主義と科学革命

 サピエンスはこの500年間に比類なき発展を遂げた。
 1500年に5億だった人口は現在70億にのぼっている。1500年に人類の生みだした財とサービスの価値は、現在の貨幣価値で推定2500億ドルだったが、今日それは60兆ドルに近い。1500年のエネルギー消費量は1日あたり13兆カロリーと推定されるが、現在それは1500兆カロリーにのぼっている。
 1500年には10万人以上の都市はほとんどなかった。日が暮れると町はほとんどまっくらになる。道路はぬかるんでいた。
 1522年にマゼランの一行が世界を一周したときには3年かかった。それがいまでは48時間で一周できる。
 1969年7月20日に人類は月に降り立った。だが、その前に人類は1945年7月16日にニューメキシコ州アラモゴードで、世界初の原子爆弾を爆発させている。
 人類が過去500年にこれほどまで驚異的な力を獲得したのは、科学の力によってである。
 科学革命は新たな知の革命だった。近代科学は、人がほとんど何も知らないことを前提として、観察と解析によって新しい知識を獲得し、その知識をテクノロジーに結びつけた。
 科学は絶対的な真理を認めない。古い伝統に疑問をいだく。「進んで無知を認める意思があるため、近代科学は従来の知識の伝統のどれよりもダイナミックで、柔軟で、探究的になった」と、著者はいう。
 ニュートン以来、自然科学の発見が相次いだ。そのかん数学と統計学が発達した。確率モデルがつくられ、それが経済学や社会学、心理学、政治学に応用されるようになった。科学はテクノロジーと結びつき、力となった。もはや戦争は科学抜きに語ることができない。
 著者はいう。

〈科学と産業、軍事のテクノロジーがようやく結びついたのは、資本主義と産業革命が到来してからだった。だが、いったんこの関係が確立されると、それはたちまち世界を一変させた。〉

 進歩という観念が生まれるのも、科学革命以降である。世界は苦難に満ち、いつか救世主があらわれて、人を救ってくれるというのが、それまでのふつうの考えだった。ところが、科学革命によって、人びとは新しい知識を応用することで、どんな問題でも解決できると思うようになった。
 貧困の問題についてもそうだ。社会的貧困の問題は、いまだに解決されていないかもしれない。だが、少なくとも人びとを取り巻く生存環境はかつてよりはるかによくなっている。
 さらに、次々と開発される新しい医薬品や治療方法、人工臓器などが、いまや人の平均寿命を伸ばすことに成功している。幼児死亡率も改善された。17世紀のイングランドでは、新生児1000人のうち150人が最初の1年で死亡し、すべての子どもの3分の1が15歳になるまでに死んだ。しかし、いまでは最初の1年で死亡する赤ん坊は1000人のうち5人、15歳までに死亡する子どもは1000人のうち7人にすぎない。
 とはいえ、科学にはお金がかかる。政府や企業が技術開発に資金を提供するのは、何らかの目的があるからだ。基礎研究には、なかなか資金が提供されない。科学研究の背景には、イデオロギーや政治・経済の力が存在したのだ。
 とくに「科学と帝国と資本の間のフィードバック・ループは、過去500年にわたって歴史を動かす最大のエンジンだったと言ってよかろう」と著者はいう。
 ジェイムズ・クックが1768年から71年にかけて、南太平洋やオーストラリアに遠征したのは、天文学や地理学、気象学、植物学、動物学、人類学の膨大なデータを得るためだった。しかし、その結果、イギリスが世界の海を支配する基礎が築かれたのである。「科学革命と近代の帝国主義は切っても切れない関係にある」と、著者はいう。
 世界の権力の中心がヨーロッパに移ったのは、1750年から1850年にかけてのことである。それまで世界の中心はアジアにあった。オスマン帝国、ペルシア帝国、ムガール帝国、明朝や清朝が地域の覇権を握っていた。
 しかし、近代世界の秩序をつくりあげたのはヨーロッパである。いまでは、世界じゅうのほとんどの人びとが、多かれ少なかれヨーロッパの基準にもとづいて、考え、行動し、くらしている。現在、ヨーロッパはもはや世界を制していない。それでもヨーロッパ帝国主義が残した遺産、すなわち科学と資本主義は全世界で引き継がれている。
 ヨーロッパ帝国主義は、なぜ世界を制することができたのだろう。
「ヨーロッパの帝国主義者は、新たな領土とともに新たな知識を獲得することを望み、遠く離れた土地を目指して海へ乗り出していった」と、著者はいう。知識の征服と領土の征服が結びついていることが、近代帝国主義の特徴だった。
 言い換えれば、探検と征服が一体となっていたのである。コロンブスもナポレオンもダーウィンも、いわばそうした精神構造の延長にある。
 こうして、ヨーロッパ人はアフリカ大陸を周航し、アメリカ大陸を探検し、太平洋とインド洋を渡り、グローバルな交易ネットワークをつくりあげた。それは歴史上異例な冒険事業だったとみてよい。
 1521年にスペイン人のコルテスはアステカ帝国(メキシコ)を征服する。それから10年あまりのち、こんどはピサロがインカ帝国を発見し、その地を征服した。コロンブスの上陸から、あっというまである。
 スペイン人は先住民を奴隷にし、鉱山やプランテーションではたらかせた。苛酷な労働条件や未知の病気によって先住民がほとんど絶滅に追いこまれると、次に輸入されたのがアフリカの黒人奴隷だった。
 アジアの数々の帝国は、ヨーロッパ人の発見にさほど関心をいだかなかった。だが、ぼんやりしているうちにヨーロッパ人に打ち負かされてしまう。反植民地主義のネットワークが築かれるようになるのは、ようやく20世紀にはいってからである。
 近代のヨーロッパ人にとって、帝国の建設は科学的な事業だった。イギリスがインドを征服したときには、地質学や動植物学、歴史学、言語学にいたるまで徹底した科学調査が実施された。
「こういった知識がなかったら、とんでもなく人数の少ないイギリス人が、何億ものインド人を2世紀にわたってうまく統治したり迫害したり搾取したりできたかどうか疑わしい」
 さらに、著者はこう書いている。

〈帝国の支援なくしては、近代科学が大きな進歩を遂げていたかどうかは疑わしい。科学の領域のほとんどが、帝国の成長に尽くす僕(しもべ)として始まり、それらの領域での発見や収集、施設、研究成果の多くが、陸軍の士官や海軍の艦長、帝国の総督の寛大なる援助のおかげだった。〉

 そして、科学を推進したもうひとつの要因が、資本主義、すなわちカネの力だった。
 近代経済は「目についたものを手当たり次第食い尽くし、みるみるうちに肥え太ってきた」。つまり、資本主義は成長と同義だった。その原動力になったのが貨幣にほかならない。
 貨幣制度について、著者はこう書いている。

〈[貨幣制度のもと]人々は想像上の財、つまり現在はまだ存在していない財を特別な種類のお金に換えることに同意し、それを「信用」と呼ぶようになった。この信用に基づく経済活動によって、私たちは将来のお金で現在を築くことができるようになった。〉

 信用が生じるのは、将来の成長を期待するからである。そして、その成長を支えたのが、科学とテクノロジーの発展だった。それによって、パイ全体が拡大した。すなわち経済成長が生まれたのである。
 アダム・スミスは、個人が裕福になることは、本人だけでなく他の全員のためにもなるという、新たな道徳哲学を唱えた。これまでのように、利益がでたら浪費するのではなく、新たな事業に投資すべきだというのが、スミスの主張である。中世の貴族とくらべて、現在のエリートは、利益を浪費する割合がずっと低く、事業のためにいつも走り回っている、と著者は指摘する。
 経済成長を至高の善とする資本主義は、現在の新しい宗教である。この宗教は、自由で活発な経済活動と民主主義、倹約、規律、自立、投資を求める。
 投資するのは、技術開発を期待するからでもある。テクノロジーの進歩がなければ、資本主義の発展もない。
「紙幣を発行するのは政府と中央銀行だが、けっきょくのところ、それに見合った価値を生み出すのは科学者なのだ」とまで、著者は断言する。
 近代の帝国主義を推進したのが、資本主義だったことはまちがいない。
 スペインは、投資を求めていたコロンブスの要請にこたえることで、巨万の富を得た。だが、スペインは戦争を通じて、その富を、帝国の維持と拡大のために浪費する。これにたいし、スペインから独立したオランダは、信用にもとづく堅実な通商国家を築くことによって、大きく発展する。だが、イギリスの台頭によって、オランダの地位は崩れ、自由貿易の大義名分のもと、いよいよ大英帝国の時代がはじまるのである。
 とはいえ、著者は政府が市場に干渉せず、市場の自由にまかせるという考え方には懐疑的だ。「[政府が]市場を適切に規制できないと、信頼が失われ、信用がしだいに消滅し、不況になる」と述べている。
 さらに、市場原理が、奴隷貿易や劣悪な労働条件、長時間労働、労働者の搾取をもたらしたことも忘れてはならないという。自由市場資本主義の欠点は、人びとが「利益と生産を増やすことに取り憑かれ、その邪魔になりそうなものは目にはいらなくなる」ことだという。

〈[ベンガルで大飢饉が発生したときも]イギリス東インド会社には、1000万人のベンガル人の命よりも利益のほうが大事だった。……[高潔なオランダ市民は]自分の子供を愛し、慈善団体に寄付し、上質の音楽と美術を愛でる人々だったが、ジャワ島やスマトラ島、マラッカの住民の苦しみは一顧だにしなかった。〉

 1908年以降、資本主義の強欲ぶりに多少歯止めがかかったのは、共産主義革命の恐怖によるところが大きかった、と著者はみる。だが、共産主義もまたひとつの恐怖政治であり、もはやそこに戻ることはもはや不可能である。「資本主義が気に入らなくても、私たちは資本主義なしには生きていけない」と、著者はいう。
 それでも先の不安は残る。

〈経済のパイは永遠に大きくなり続けることが可能なのだろうか? どのパイにも原材料とエネルギーが必要だ。破滅の預言者は、ホモ・サピエンスは遅かれ早かれ地球の原材料とエネルギーを使い果たすと警告する。そのときには、いったい何が起こるのだろう。〉

 本書の最終部分は、21世紀の人類がこの不安にどう対処するかに向けられている。

   5 サピエンスの未来

 経済成長には、資本と労働に加え、エネルギーと原材料が必要だ。エネルギーと原材料がなくなれば、システム全体が崩壊する。しかし、これまでのところ、人類は新しいエネルギーと原材料をみつけてきている。
 蒸気機関は熱を運動に変換することを可能にした。蒸気機関は最初、坑道の底から水をくみだすのにもちいられたが、次第に織機、機関車などにも利用されるようになった。動力としてとりわけ重要なのが石炭や石油だった。さらに画期的だったのが電気の発明である。いまや電気なしのくらしは考えられない。
 産業革命はエネルギー変換の革命だった、と著者はいう。現在、人類が使っているエネルギー総量は膨大で、資源の枯渇を心配する人もいるほどだが、著者は、不足しているのは、エネルギーを利用し、変換するのに必要な知識なのだ、と断言する。
 資源は化石燃料だけではない。人類は太陽エネルギーや核エネルギー、重力エネルギーも利用できるようになるというわけだ。
 こう書いている。

〈私たちは産業革命の間に、自分たちが途方もないエネルギーの大洋に接して生きていることに気づき始めた。その大洋は莫大なエネルギーを秘めていた。私たちは、これまでよりも性能の良いポンプを発明しさえすればいいのだ。〉

 原材料についても、ほとんど心配する必要はない。プラスチックやゴム、アルミニウム、チタンなどは新しく生まれた原材料で、そうした新素材の数はいまも増えつづけている。
 安価で豊富なエネルギーと原材料を組みあわせることで、人類の生産は飛躍的に増大した。またさまざまな機械の導入によって、生産性も上昇した。交通手段や貯蔵手段の改良は、世界の距離を一気に縮めた。
 トリやブタ、ウシなどの家畜は、いまや一種の製造ラインで育成され、毎年、約500億頭が処理されている。「工業化された畜産業は、植物栽培の機械化と相まって、現代の社会経済的な秩序全体の基礎を成している」。工業化された農業のもとでは、少ない人数で、多くの食料を生みだせるようになった。
 農業の工業化がなければ、都市での産業革命はけっして起こらなかっただろう、と著者はいう。都市に集まった人びとは、工場やオフィスから、大量の製品を世に送りだすようになった。膨大な鉄材や衣料、建物がつくられ、さらに電球や携帯電話、カメラ、食器洗い機など、かつては考えられなかった多様な商品が生まれた。すでに供給は需要を追い越している。
 だが、製品を買ってもらえなければ、資本主義は破綻する。そこで登場したのが消費主義だ。
 著者はいう。

〈中世のヨーロッパでは、貴族階級の人々は派手に散財して贅沢をしたのに対して、農民たちはわずかのお金も無駄にせず、質素に暮らした。今日、状況は逆転した。豊かな人々は細心の注意を払って資産や投資を管理しているのに対して、裕福ではない人々は本当は必要のない自動車やテレビを買って借金に陥る。
 資本主義と消費主義の価値体系は、表裏一体であり、二つの戒律が合わさったものだ。富める者の至高の戒律は「投資せよ!」であり、それ意外の人々の至高の戒律は「買え!」だ。〉

 いまや資本主義と消費主義の戒律が、これまで宗教が支えてきた道徳律をすっかり変えてしまった、と著者は論じている。
 産業革命をへて、人類はまさに世界を征服し、みずからの必要性に応じて、世界をつくりかえていった。材料とエネルギー源は枯渇しそうにない。多くの生物種が絶滅に追いやられるかもしれないが、いまのところ人類が絶滅する可能性は低い、と著者はいう。
 近代産業がもたらしたものは、正確さと画一性である。時間表に沿って、現代人は活動する。交通機関は時刻どおり人やものを運ぶ。時計はいうまでもなく、ラジオやテレビ、パソコン、携帯電話も時間を伝える道具だ。
 そして、いまや家族やコミュニティの役割を国家と市場が担うようになった。くらしに必要な食事や住まい、教育、医療、福祉、仕事を提供してくれるのは、いまや家族やコミュニティではなく、国家と市場(会社)なのだ。
 家族はなくなったわけではない。だが、人はより多く国家と市場に取りこまれようとしている。いまや市場と国家が想像上(幻想)のコミュニティになっている。人は個人である以上に、国民と消費者なのだ。
 現代社会は急速に変化している。1990年代はじめにインターネットが利用されるようになってから、わずか20年ほどしかたっていない。だが、いまでは、インターネットのない世界など考えられない。政治もまたスピード感のある改革を約束する。
 これまで劇的な社会変動といえば、暴力の噴出をともなったものだ。だが、この70年間は、大きな社会変動があったにもかかわらず、まれにみる平和な時代がつづいた。これは瞠目に値すると、著者はいう。
 暴力が減少したのは、国家の力が増したおかげだ。もちろん、国家の権力濫用によって死亡する人も後を絶たないが、それでも巨視的にみれば、国家の力が増したおかげで、世界じゅうの安全基準が高まってきたと、著者は論じる。
 さらにいえば、1945年以降、国家間の武力紛争もかつてないほど減少しているというのが、著者の見立てだ。大英帝国が終焉を迎えたとき、イギリス人は戦うことなく、円滑に独立国に権力を委譲した。フランスは往生際が悪かったものの、けっきょく支配地域から平和裏に撤退した。ソ連が崩壊したときも、中央アジアで民族紛争があったものの、その領土はわりあい短期間に分割された。
 中東やアフリカの事態は深刻だ。とはいえ、紛争が世界に広がって、大戦争が勃発する可能性はほとんどない、と著者は断言する。というのも、「核兵器により、超大国間の戦争は集団自殺に等しいものになり、武力による世界征服をもくろむことは不可能になった」からである。
 さらにいえば、戦争で得られる利益は少なくなった。戦争で領土を獲得したところで、ほとんど経済的利益は得られない。それよりも友好的な関係のもとで、交易により繁栄を謳歌したほうが、よほど理にかなっているというのだ。
 とはいえ、あまりに楽観するのは、かえって危険かもしれない。
 著者はこう記している。

〈楽観論者と悲観論者の双方を満足させるためには、こう結論するのがいいのかもしれない。私たちは天国と地獄の両方の入口に立ち、一方の玄関口と他方の控えの間とを落ち着きなく行き来している、と。私たちがどこに行き着くかについて、歴史はまだ心を決めかねており、さまざまな偶然が重なれば、私たちはまだどちらの方向にも突き進んでいきうるのだ。〉

 ここで、この500年間の爆発的な発展をへて、はたして人類は幸せになったのだろうか、と著者は問いかける。
 ふつう、歴史が人の幸福を問うことはあまりない。進歩主義の立場をとれば、現代人は石器時代の狩猟採集民より幸せだと考える。いっぽうロマン主義者は、古代の喜びや楽しさを失った現代人は不幸なのだという。
 幸福かどうかを判断するのはむずかしい。心の領域に属しているからだ。
 豊かで健康であれば幸福だとは、かならずしもいえない。豊かさのなかに疎外感やむなしさを感じている人もいるからだ。
 もし幸福が心の中で感じるものだとすれば、それはどうやって計測すればよいのだろう。アンケートをとるのも、ひとつの方法かもしれない。実際、そうしたアンケートも実施されている。
 それによれば、富や健康はたしかに幸福の度合いを高めている。だが、それがすべてではない。家族やコミュニティは幸福と大いに関係があるが、それが崩壊しようとしていることが、人びとの孤立感を深めていることもたしかだ。
 そのいっぽう、人は持てるものに満足するほうが、ほしいものをより多く手にいれるより、ずっと幸せだという考え方もある。すべては期待の問題なのだ。
 現代社会においては、日々さまざまな情報が流れるなかで、人びとは欲望や期待をかきたてられ、同時に不満や反発を増幅させている。
 生物学者にいわせれば、人間の精神や感情は、神経などの体内装置や、ドーパミンなどの生化学物質に左右されるのだという。こうした体内システムは人によってことなる。宝くじで1億円もうけても、人一倍健康でも、気分は沈んだままで、不機嫌な人もいる。
 だから、いちがいに結婚が幸せだともいえないのだ。「生化学的特性のせいで陰鬱になりがちな独身者は、たとえ結婚しても、今より幸せになれるとはかぎらない」と、著者はいう。
 中世の農民と現代のエリート銀行家をくらべて、どちらが幸福を感じているかについても、いちがいにいえない。なぜなら、幸福感を決定するのは、外部の物質的要因ではなく、体内の生化学的特性だからだ。
 だから、幸せを得たいなら、政治改革や社会改革、反乱に身を投じるより、抗鬱薬のプロザックを飲んだほうがましだ、と著者はいう。実際、オルダス・ハクスリーの小説『すばらしい新世界』では、人びとが毎日「ソーマ」という合成薬を服用して、幸福感にひたる姿がえがかれている。ちょっと怖い世界だ。
 だから、ほんとうは幸福が人生の目的ではないのかもしれない。
「有意義な人生は、困難のただ中にあってさえもきわめて満足のいくものであるのに対して、無意味な人生は、どれだけ快適な環境に囲まれていても厳しい試練にほかならない」と、著者は書いている。
 そのいっぽうで、こんなふうにも述べる。

〈純粋に科学的な視点から言えば、人生にはまったく何の意味もない。人類は、目的も持たずにやみくもに展開する進化の過程の所産だ。私たちの行動は、神による宇宙の計画の一部などではなく、もし明朝、地球という惑星が吹き飛んだとしても、おそらく宇宙は何事もなかったかのように続いていくだろう。現時点の知見から判断すると、人間の主観性の喪失が惜しまれることはなさそうだ。したがって、人々が自分の人生に認める意義は、いかなるものも単なる妄想にすぎない。〉

 ちょっと考えさせられる一節だ。
 感情はあてにならない。それでも人は感情にもとづいて行動してきた。つかの間の感情をはてしなく求めつづけるむなしさをブッダは説いた。そして、快楽を追求することをやめ、感情へのこだわりを捨てて瞑想すれば、穏やかな境地に達すると教えた。
 だとすれば、汝自身を知れというのが、幸せのカギなのかもしれない、と著者はいう。

〈たいていの人は、自分の感情や思考、好き嫌いと自分自身とを混同している。彼らは怒りを感じると、「私は怒っている。これは私の怒りだ」と考える。その結果、ある種の感情を避け、ある種の感情を追い求めることに人生を費やす。感情は自分自身とは別のもので、特定の感情を執拗に追い求めても、不幸に囚われるだけであることに、彼らはけっして気づかない。〉

 人の心の解明は、ようやくはじまったばかりなのかもしれない。

 最後に著者はサピエンスの未来について述べる。
 これまでサピエンスは生物学的な限界を突破できなかった。だが、21世紀のサピエンスはその限界を突破しようとしている、と著者はいう。
 現在、世界じゅうの研究室で、科学者たちが遺伝子工学によって、生命を操作している。いま起ころうとしているのは生物学的革命なのだ。生物工学、サイボーグ工学、非有機的生命工学の分野で、驚くべき変化が生じようとしている。
 いまでは、外科的手段とホルモンを使った処置で、男性を性転換させることが簡単にできる。マウスから人の耳をつくる実験もおこなわれている。インシュリンを生産する大腸菌も合成されようとしている。とはいえ、倫理的な規制があって、遺伝子工学はまだ一部しか利用されていない状況だ。
 遺伝子工学は、絶滅した生物の復元も視野にいれている。それによって、5000年ぶりにマンモスがよみがえり、3万年ぶりにネアンデルタール人が出現する可能性も、けっして夢ではなくなりつつある。
 さらに、計画はホモ・サピエンス自体の改造にまでおよぶ。遺伝子工学で天才人間も創りだせるはずなのだ。「人間の寿命を際限なく引き延ばしたり、不治の病に打ち勝ったり、認知的な能力や情緒的な能力を向上させたりする可能性」はじゅうぶんにある。
 有機的な器官と非有機的な器官とを結合しようというのが、サイボーグ工学である。ある意味では、眼鏡やペースメーカー、矯正器具、コンピューターや携帯電話を常用する現代人は、サイボーグに変身する前段階にあるともいえる。
 サイボーグ工学は医療分野だけではなく、軍事面にも応用されている。さらに脳とコンピューターを直接結ぶ、双方向型のインターフェイスも開発されようとしている。コンピューターのなかに、完全に人間の脳を再現する実験もはじまっている。こうしたことが実現すれば、人間でもなく機械でもないサイボーグがほんとうに実現するかもしれない。
 著者はこう書いている。

〈私たちは新たな特異点に急速に近づいているのかもしれない。その時点では、私、あなた、男性、女性、愛、憎しみといった、私たちの世界に意義を与えているもののいっさいが、意味を持たなくなる。何であれ、その時点以降に起こることは、私たちにとって無意味なのだ。〉

 サピエンスはいま超サピエンスに変わろうとしているのかもしれない。
 そうなれば、サピエンスの歴史には幕が下りる。
 たいへんな時代だ。
 著者はこう記している。

〈私たちはかつてなかったほど強力だが、それほどの力を何に使えばいいかは、ほとんど見当もつかない。人類は今までになく無責任になっているようだから、なおさら良くない。物理の法則しか連れ合いがなく、自ら神にのし上がった私たちが責任を取らなければならない相手はいない。その結果、私たちは仲間の動物たちや周囲の生態系を悲惨な目に遭わせ、自分自身の快適さや楽しみ以外はほとんど追い求めないが、それでもけっして満足できずにいる。
 自分が何を望んでいるかもわからない、不満で無責任な神々ほど危険なものがあるだろうか?〉

 ここで、このハッピーな物語は、突然の暗転のうちに終わる。
 サピエンスの終焉が近いのだろうか。
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