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経済学とは何か──マーシャル『経済学原理』を読む(3) [経済学]

 経済学の主な目的は、ビジネスの世界で活動する人間の行動を研究することだ、とマーシャルは述べている。そして、ビジネスに取り組む姿勢は、人さまざまだが、「それでもなお、日常の業務にとっては、その仕事の物質的報酬たる(貨幣)収入を得ようとする欲求こそが最も着実な動機」なのだ、と明言している。
 人の欲望は、直接には測定できない。しかし、500円だせば、たとえば、たばこを買い、お茶を飲み、タクシーに乗るなどの、どれかができる場合、人は時と場所に応じて、どれかを選択するだろう。
 つまり、貨幣を通じて、人は何らかの欲望を満たすことを期待している、とマーシャルはいう。その欲望は、自己の肉体的満足に向けられているとはかぎらない。他者に何かを与えることが喜びだとすれば、それもまたひとつの欲望にちがいない。
 しかし、いずれにせよ、その動機はともかく、経済学的にみれば、重要なのは何らかの欲望に裏づけられた貨幣の動きである。「経済学は貨幣による尺度の研究だけに終わってはならないが、それでもこの研究はその出発点ではあるのだ」とマーシャルはいう。
 貨幣のもたらす快楽や、それを失う苦痛は、時と場所、あるいは人によって異なる。同じ金額でも、所得の大小によって、快楽と苦痛の大きさは異なるだろう。しかし、それにもある傾向はみられる。統計で所得が同一の人を集め、均(なら)してみれば、貨幣による快楽や苦痛は、ほぼ同じ程度と推測することができる、とマーシャルはいう。経済学は統計学でもある。
 同じ10万円でも、それをもらったり、なくしたりした場合、貧しい人と金持ちでは、その意味は大いに異なる。しかし、両者とも、10万円より20万円のほうが、その満足度あるいは打撃は、より大きいといえるだろう。その点、数字の大小は、それなりに共通の意味をもっている。
 ビジネス社会で、日常生活の中心をなしているのは、生計の資を得ようとする部分だといってよい。人びとは貨幣を求めて行動する。それはけっして低級な行動ではなく、現代社会での一般的な人間行動である、とマーシャルはいう。
 貨幣は「一般的な購買力」であり、「物的富にたいする支配権」を得るための手段として追求される。それは、たしかに競争かもしれない。しかし、ビジネス社会は、正直と信頼があって、はじめて成り立つ、とマーシャルは論じている。
 さらに、貨幣を求める行動は、苦痛だとはかぎらず、大きな楽しみのもととなることも多い、と指摘するのが、いかにもマーシャルだ。なぜなら、ビジネスから得られる成果が、人の競争本能や権力本能を満たすからである。
「商工業者はその資産をふやそうとする欲求よりも商売がたきにうちかとうとする希望によってうごかされることが多い」と、マーシャルは書いている。
 こうした発言をみると、マーシャル経済学は心理学でもあることがわかる。
 さらにマーシャルはいう。
 人が職業を選ぶさいには、それなりの社会的地位が得られる職業を選ぼうとするだろう。人はまわりから協賛を得るとともに侮蔑を避けようとするものである。また人は、自分の生存中も死後も、家族をゆたかに暮らさせたいと思うものである。経済学は貨幣の動きを分析する学問にはちがいないが、貨幣所得の背後には、人びとのこうした行動があることを忘れてはならない。
 初期の経済学者は、個人の行動の動機にあまりに重点を置きすぎた、とマーシャルはいう。これからは共同事業や公共福祉、協同組合運動なども含め、社会生活全体を経済学の対象としなければならない。
 最後にマーシャルは、経済学とは何かについての暫定的な結論として、こう述べている。

〈経済学者は個人の行動を研究するが、それを個人生活よりも社会生活に関連させて研究するのであり、したがって気質や性格についての個人的な特殊性はほとんど問題としない。〉

 つまりマーシャルは、個人的な特性を捨象して、集団としての人びとに焦点を合わせ、かれらの貨幣取得努力や貨幣使用活動を考察することを、経済学の目線としたのである。
 そして、経済活動にはある程度の予測が可能だと考えた。たとえば、ある場所で事業をはじめるとして、人を雇う場合、その能力に応じて、どれくらい給与が必要かはおのずから決まってくる。また、何かの事情で生産が減った場合、価格がどの程度上がるか、また価格の上昇が生産にどのような影響を与えるかも予測することができる。
 経済学はこうした単純なケースから出発して、次にさまざまな産業の配置や遠隔地間の交易条件、さらに景気変動の影響、税の価格への転嫁などについても考察し、その動きを予測することもできる、とマーシャルはいう。
 経済学があつかうのは、理念化された「経済人」ではなく、ありのままの人間だ、とマーシャルはいう。人間は利己的であり、虚栄心や冷酷さをもつ反面、仕事をやりとげることに誇りをもち、家族や隣人、祖国のために自分を犠牲にすることもいとわない。そうした血と肉をもった人間を対象にするのだというのは、いかにもイギリス経験論に裏づけられた見解である。
 最後に、経済学は事実と記録にもとづき、検証に耐えるものでなくてはならないとも述べている。これも大いに心すべきことだ。

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