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『隣国への足跡』を読む(1) [本]

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 著者、黒田勝弘氏のソウル在住はすでに35年になるという。
 この間、記者として、ずっと韓国の動きを追ってきた。
 韓国が嫌いならば、35年もソウルに住みつづけるわけがない。韓国はどこか人をひきつけるものがあるのだろう。
 とはいえ、著者はあくまでも日本人としての立場を忘れない。日本人としての素直な目で韓国と韓国人を見つめ、いうべきことはいっている。
 いまもっとも信頼できる韓国ウォッチャーのひとりだ。
 日本と韓国は永遠の隣国である。近いがゆえに、ときに近親憎悪のようなものもわく。だが、著者は憎悪からではなく、あくまでも冷静かつ親密に、韓国の人びととつきあおうとしている。そこで保たれているのは、たがいに軽口や悪口をたたきながらも、暴力沙汰を避け、相手のことをずっと忘れないといった関係だ。
 そうはいっても、近代における日韓関係の歴史は、あまりにも複雑で、時に苛酷な経緯をたどってきた。本書はそのポイントとなる、さまざまな事件をたどりながら、永遠の隣国である日本と韓国の歴史を解き明かそうとする意欲作だといってよい。
 全体は15章で成り立っている。
 そのテーマは、
 ハーグ密使事件、日露戦争のはじまり、竹島問題、閔妃暗殺事件、広島と韓国人、李方子妃、総督府庁舎の解体、韓雲史と梶山季之、苦難の引き揚げ、総督府と国立博物館、朝鮮戦争と松本清張、祖国帰還運動の悲劇、金嬉老事件、KAL事件と金賢姫、金日成と朴正煕……
 などといったところ。
 いずれもおなじみのテーマだが、かしこまらず、気楽に読むことができる。そして、読後は、日本と韓国はいろいろあったし、いまもいろいろあるけれど、過去のことを忘れず、かといって、たがいにエキセントリックにならず、これからもつきあっていこうといった気分にさそわれる。
 ぼく自身もいろんなことを思いだしながら、この本を読んだ。
 以下は、例によって、くどくどしい読書メモである。

 最初に取りあげられるのは、いわゆるハーグ密使事件である。
 著者が偶然にも時の皇帝、高宗(コジョン)が密使にさずけた委任状なるものを手に入れたところから話がはじまる。
 1907年のハーグ密使事件とは、そもそもどういう事件だったのか。
 日露戦争(1904〜05年)でロシアに勝った日本は、朝鮮半島にたいする支配権を強めた。
 1905年にはいわゆる日韓保護条約が結ばれ、日本は韓国を日本の保護国とした。
 韓国側はこれに内心反発し、1907年にハーグで開かれた万国平和会議に3人の密使を送り、日韓保護条約の無効、不法を訴えた。
 これがハーグ密使事件である。
 これにたいし、日本側は密使がニセ者だと訴え、皇帝の委任状もインチキだとして決着をはかった。
 著者はたまたま行商から皇帝の本物の委任状なるものを手に入れた。しかし、調べた結果、それはどうも偽造で、どうやらうまくだまされたらしいとの結論を出さざるをえなかった。
 それはともかく、ハーグ密書事件の顛末はどうだったのだろう。怒った日本側は高宗を退位に追いこみ、息子の純宗(すんじゅん)を皇位につけるが、3年後には韓国を併合してしまったのだ。
 その前、1909年に安重根によって、伊藤博文が暗殺されていた。
「とすると『ハーグ密使事件』というのは高宗など韓国側の思惑とは逆に、結果的には韓国の日本への併合を促したということもできる」と、著者は書いている。
 歴史の皮肉のひとつである。
 次に場面はすこし前に戻って、日露開戦のシーンへと移る。
 日露戦争の本質は、朝鮮半島の支配権をめぐる日露間の争いだった。
 日露が戦端を開いたのは、韓国の仁川(インチョン)沖である。
 日本艦隊は仁川沖に停泊するロシア艦隊を砲撃、これによりワリヤークなど2隻の戦艦を撃沈した。1904年2月のことである。
 そして、日本はかろうじてロシアを打ち破ることによって、韓国(朝鮮)を支配することになる。
 韓国人の反日感情は根強い。
 著者はいう。

〈以下のことは日本人がいうと韓国人たちは「過去を正当化するもの」といって反発するが、もしその後の日露戦争でロシアが勝っていれば、韓国がロシアの支配下に入っていたことはかなりの確率で確かだろう。日露戦争は韓国にとっては迷惑な戦争だったが、韓国支配強化につながった勝者の日本が後に“悪者”になったからといって、敗者のロシアが免罪されるわけはないだろう。〉

 歴史にイフはないのだが、この問題は微妙である。
 西郷隆盛もそうだが、伊藤博文も韓国を征服しようなどとは考えておらず、あくまでも韓国の自立を念頭においていた。最初から、韓国を植民地化しようと思っていたのは日本の軍部である。
 日本側は最後までロシアとの戦争を避けるよう努力したが、けっきょく戦争は避けられなかった。
 そして、もしロシアが勝利していれば、朝鮮半島はロシアの支配下にはいったばかりか、日本海もロシア艦隊の制圧するところとなっただろう。すると、日本自体の安全もおびやかされることになったにちがいない。
 もし朝鮮半島がロシアによって支配されていたら、その後の韓国の歴史は悲惨なものとなったはずだ。だが、その後、日本は韓国統治をうまくやりとげたとも思えないのである。
 ぼく自身の感想がですぎた。
 本の中身に戻ろう。
 著者は、釜山のすぐ西にある巨済島(コジェド)に日露戦争後に東郷平八郎の揮毫をもとにした石碑が、倉庫に残っていることを紹介している。「本日天気晴朗なれども波高し」の歴史的一文を刻んだ石碑である。この電文が発せられたのは、ここ巨済島からだったという。
 ところで、島といえば竹島問題である。
 竹島(韓国側のいう独島)も日露戦争と関係が深い。
 竹島が日本領(島根県)に編入されたのは、1905年2月。まさに日露戦争のさなかだった。日本海海戦は5月下旬のことである。
 竹島の日本領への編入は1910年の韓国併合に先立つから、竹島の領有権は日本にある、と日本側は主張してきた。これにたいし、竹島は古来、韓国の領土であり、韓国がすでに保護国となっていた時代に日本によって奪われたものだ、と韓国側は主張する。
 現在、韓国が「武装占拠」している竹島は、著者が遠望したかぎり「巨大な赤茶けた岩礁」であり、自然破壊がはなはだしい。昔いたアシカもいなくなってしまった。
 著者はいう。

〈不思議なことに韓国は、竹島に多くの人工施設を作り、年間20万人以上の人間を送り込み、島を“満身創痍”にしておきながら島を「天然保護区域」に指定し、天然記念物扱いしている。……これではアシカも島には寄り付かない。今からでも遅くない。日韓共同で島を「ユネスコ世界自然遺産」に登録申請しようではないか。〉

 もちろん皮肉であり、冗談だ、と著者はいう。
 でも、案外、ほんねだったりして……。
 竹島問題の解決には、もっと両国の知恵が必要だ。
 そのさい、指針になるのはナショナリズムではなく、トランス・ナショナルな精神だろう。

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