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ナオミ・クライン『これがすべてを変える』を読む(1) [本]

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 もう齢なので、新刊はできるだけ買わないようにしよう。昔の本を整理して、なるたけ捨てていくようにしよう。そう思う矢先に、また本を買ってしまった。
 評判の本を買うと、それで満足してしまい、あとは本棚に眠らせるというのが昔からの悪い癖だ。しかし、あまり後がない。いま読まないで、いつ読むのと、みずからを奮い立たせて(といっても、いたってのんびりと)本書を斜め読みしてみることにした。
 圧倒されるのは、著者の行動力とエネルギーだ。翻訳にして上下2巻、本文だけで600ページは優にある。もっとも、欧米では、このくらいの量がスタンダードなのだろう。新書でアップアップの日本人ははじめから体力気力負けだ。
 これに対抗するには超スピード、あるいは逆に超スローにことを運ぶほかないのだが、ジイサンの身としては、少しずつこなしていく以外に手立てがない。
 著者のナオミ・クラインはカナダのジャーナリストで、1970年生まれ。戦争や災害をビジネスチャンスにする資本主義を告発した前著『ショック・ドクトリン』でも注目を浴びた。
 今回の『これがすべてを変える』が扱うのは気候変動問題だ。CO²の排出をどうやって抑えるかというような話ではない。資本主義のあり方を変えようというのだ。人類は自分で自分の首をしめる段階にまできている、と彼女は警告する。その点、本書は人類に新たな進化を促すメッセージでもある。
 ふり返ってみれば、ぼくが働きはじめた1970年代はじめは日本全国で公害が深刻化していた。東京でも空気は息苦しくなるほど汚れ、川は真っ黒になって流れていた。しかし、あのころはまだ地球全体のことなど考えもしなかった。
 本書の全体は3部に分かれている。第1部「最悪のタイミング」では、気候変動なんか関係ないという資本主義の傲慢きわまりない暴走ぶり、第2部「魔術的思考」では、環境問題をむしろビジネスチャンスととらえる企業の対応がえがかれ、第3部「何かを始める」では人類を危機に追いこむ資本主義からコミュニティを取り戻そうという提案が示されている。
 こちらは回らない頭でトボトボ読んでいる。
 最初に著者は断言している。現在、世界じゅうが異常気象による大きな災害に見舞われているのは、「化石燃料の浪費的な燃焼」が原因だ。にもかかわらず、われわれはいまの生活を変えられないでいる、と。人は災害があると「一瞬目を向けはするが、すぐに目をそらす」。せいぜいが「思い出し、そして忘れる」の繰り返しだ。
 気候変動自体が政策課題として取りあげられ、それに予算がつぎ込まれることはまずない。しかし、化石燃料への依存から、いち早く脱却して、気候変動に対処することは「より安全で公平な社会をもたらす」ことにつながる、と著者は主張する。
 そのいっぽう、気候変動と災害を新たなビジネスチャンスととらえる動きもある。こうしたビジネスはまず何の解決ももたらさない。必要なのは気候変動を食い止めるための強力な大衆運動だ。そして、それは今のシステムに代わるものを目指す運動でなければならないという。
 現在の各国による気候変動への合意はまったく不十分なもので、このままいけば2100年までに地球の気温は4度上昇する恐れがある、と著者はみている。それがより巨大なハリケーンや台風の猛威、大雨と洪水、水面上昇、漁場の崩壊、砂漠化、干魃、動植物の絶滅、多くの感染症を招くことはまちがいない。
「ふだんどおりの日常生活を続け、今とまったく同じことをしていれば、ほぼ間違いなく文明を危機に陥れることになる」。だとすれば、どうすればよいのか。
 各国がCO²排出量規制を強化することもだいじだ。化石燃料に替わる再生可能エネルギーをより開発・普及することも求められる。廃棄物ゼロ構想や都市緑化計画も必要だろう。
 だが、事態は思う方向に進んでいない。それはグローバル化を推し進める市場原理主義が、人類社会が気候変動に対処することを組織的に阻んできたためだ、と著者は考えている。
 地球温暖化の原因である温室効果ガスの排出量は2000年代にはいって、むしろ増加している。大量生産と長距離輸送、浪費的消費にもとづくライフスタイルは、化石燃料をより大量に燃焼させることによってもたらされたものだ。そして、グローバルな規模で経済がより活発になったことが、地球温暖化を促進する結果を生んでいる。「経済システムと地球のシステムが今や相容れない関係になっている」と、著者はいう。
 もはや現状を緩やかに変えるという選択肢は残されていない。文明の崩壊を回避するには劇的な措置をとるほかない、と著者は宣言する。
 しかし、いまも根強いのは、経済発展のためなら環境や人間を犠牲にするのもやむをえないという考え方である。このままでは、産業革命以後の気温上昇を2度までに抑えるという国際合意は反故にされてしまうだろう。
 いますぐ大変革をおこさなければならない、と著者はいう。
 化石燃料の「ブラウン」エネルギーから「グリーン」エネルギーへ、自家用車から公共交通機関へ、無秩序に広がる準郊外地域から歩いて移動できる密集型の都市空間にくらしのスタイルを変えていくことが重要なのはいうまでもない。
 だが、それよりも重要なことがある。それは社会のあり方を変えることだ。

〈私には、太陽光発電の力学より、人間の力(パワー)の政治学のほうがよほど大問題だと思える。具体的にいえば、力を行使する主体を企業からコミュニティへと転換できるかどうかである。〉

 経済決定の主体を国や企業からコミュニティに取り戻すこと。
 そんなのできっこないと思うかもしれない。しかし、江戸時代に町の自治、村の自治が存在したことを考えれば、彼女の考え方をむげに否定するわけにはいかない、とぼくなども思う。
 さらに、ナオミ・クラインは近代資本主義以前の物質主義的な考え方、すなわち自然を征服・開発し、徹底的にしぼりとるという考え方(extractivism)を変えていかなくてはならないと述べている。
 これも、そのとおりだと思う。
 本書をつらぬいているのは否定的なトーンばかりではない。

〈気候変動が来るのを止めるにはもう遅すぎる──すでにそれは来ていて、どんな手立てを講じようと、この先ますます過酷な災害が襲ってくるのは必至である。けれども最悪の事態を回避するための時間は、まだある。〉

 国家・企業中心ではなくコミュニティ中心の思想によって、人びとのくらし方を変え、さらに、排他的国家主義と形式的民主主義からなる現在の政治システムを変革していくこと──ナオミ・クラインが提起しているのは、そうした人類の新たな共進化の方向だと思われる。
 これから本論を斜め読みしていくことにする。

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