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産業組織論つづき──マーシャル『経済学原理』を読む(11) [経済学]

 ここでは分業と機械化、産業立地の条件、大規模生産、企業経営などがテーマとして取りあげられる。
 集中と反復が作業の能率化につながるのはいうまでもない。とりわけ、ひとつの製品をつくるにあたっては、ひとりがすべての作業をおこなうのでなく、ある工程だけの作業をくり返しおこなうほうが、はるかに効率的である。そのことはアダム・スミスが分業論のなかで示したとおりだ。
 しかし、作業が型にはまったものになってしまえば、ほぼ機械で代替できる状態になっている。近代的な生産の特徴は、機械が肉体的技能に取って代わったことだ、とマーシャルはいう。
 金属工業の部門でも、精巧な機械なら容易に金属製品を多量につくりだすことができる。工作機械は金属の加工を容易にした。
 機械は年ごとに自動になり、手労働による補助をだんだん必要としなくなっている。そのため、機械を取り扱う人には、肉体的能力より、高い判断力と細心の注意が求められる。
 機械を扱うにはかつての職人のような特殊の技能はいらない。高次の知性があれば、少しの訓練で、機械が扱えるようになる。
 機械化のメリットは商品価格を下げ、それによって、より多くの人がその商品を買えるようにすることだ。
 労働面でいうと、機械は人間の肉体的過労を抑える役割をはたしてきた。いやむしろ、人間の筋肉力では限界がある作業をも可能にした。画一的で単調な作業は、次第に機械に取って代わられるだろう、とマーシャルは断言する。
 機械化が労働力を排除するとはかぎらない。機械化の進展にともなって、判断力や創造力を必要とする新たな種類の仕事が増えてくるはずだからである。
 次にマーシャルは、産業発展には企業の内部的効率の増進に加えて、立地条件などの外部的要因が重要になってくると述べている。
 文明の初期段階では、重い物は地場で生産するほかなかった。水運だけが重い物を遠くに運ぶ手段だった。しかし、徐々に交通が開けてくると、遠方からの製品──たとえば被服や金属製の道具、香料など──もはいってくる。定期市などに、こうした商品が並ぶと、消費者に新たな欲望がめばえていった。
 地域に特化した産業がある、とマーシャルはいう。その原因は地域独自の気象や土壌、あるいは近くに鉱山や採石場があるということだ。金属工業は一般に鉱山の近く、あるいは燃料に恵まれた場所に誕生した。
 また宮廷などがあれば、そこに人が集まり、高級な財への需要がおこり、熟練の職人たちもやってきて、工芸が発達してくる。
 産業の条件は自然条件だけではない。宗教的、政治的、経済的な要因もからんでくる。そして、産業がその場所を選択すると、そこにとどまることが多い。やがて、近隣に補助産業が生まれ、道具や機械、素材を提供するようになる。産業はさらに流通の発達をうながす。
 マーシャルによれば、大都市の中心部は地価が高いので、工場地帯は都市の郊外に形成されやすい。イギリスでは、鉱業や機械工業のある近辺に繊維産業も引き寄せられ、いくつかの異なる産業が集まることによって、工業地帯が形成されてきたという。
 いっぽう、生産面だけでなく、消費面をみると、商店もまたある地点に集まる傾向がある。こうして商店街ができあがる。
 運輸通信手段の発達と低廉化は、産業にも大きな影響をおよぼす。それによって、いわば産業の場が拡散するのだ。
 産業が発達するにつれ、非農業人口の割合が増えてきたことはまちがいない。「中世には農業人口は全人口の4分の3を占めていたが、最近[20世紀はじめ]のセンサスでは9分の1の者しか農業に従事していない」と述べている。とはいえ、かつての農民は「いまでは醸造屋やパン屋、紡績工や織布工、れんが積みや大工、仕立屋や婦人服屋その他多くの業種が行っている仕事を大部分自分でやっていた」のだから、「農業人口の縮小の実態は外見ほど大きなものでもない」。労働者は農民から分化したにすぎない、とマーシャルは考えている。
 さらにマーシャルは農業から流出した人口は製造業に吸収されたわけでもない、と述べている。製造業においては機械化が進んだため、生産力の割に労働力をさほど必要としなかった。

〈1851年以来イングランドにおいて農業の縮小によって急速に膨張していった職種は、鉱業・建設業・商業・道路および鉄道による輸送業をはじめ中央および地方の政府職員・初等から高等にいたる学校・医療・音楽・劇場その他娯楽などであった。……これら職種では人間の労働は1世紀以前に比べて著しく能率が高くなったわけではない。これらによってみたされなくてはならない欲望が一般的な富の増大につれて拡大してくれば、産業人口のいよいよ大きな割合がこの分野に吸収されていくのは見やすい道理である。〉

 マーシャルはいわゆる第3次産業に従事する労働者の割合が増加することを予測していたといえるだろう。
 ここで、ふたたびマーシャルは産業組織の問題に戻って、大規模生産のメリットについて論じる。
 大規模な製造業者は改良された新たな商品をつくりだし、それを広告宣伝することによって、消費者の欲望をつくりだすことができる。だが、小規模な製造業者では、そうしたことはとても無理だ。
 大きな事業体のメリットは、大量に安く仕入れができ、輸送費を節約でき、また商品を大量に安く販売できることである。商品ブランドが世間に知られるようになると、顧客の信頼もついてくる。こうした経済の高度化が、企業の巨大化をうながすのだ、とマーシャルは述べている。
 さらに大規模な製造業者は、多種多様な人間を適性に応じて現場に配分することによって分業の効率を高めることができる。いっぽう、経営者は現場管理者を適切に配置することによって、営業のもっとも重要な課題にのみ全力を集中し、市場全体の動きをみながら、企業の方向性を決めていくようになる。
 小さな事業体では、たとえ能力のある経営者でも、現場の仕事にほとんどの時間をとられてしまう。とはいえ、小企業の経営者が現場に目が行き届き、そこから独自の経験知を獲得し、ユニークな活動を展開する可能性もマーシャルは否定していない。
 たとえ大企業であっても、企業には競争がつきものである。大きな資本、高度な機械、優秀な労働力、広範な営業取引関係をもつ大企業にたいしても、独創性と機動力、忍耐強さをもって挑んでくる新興勢力が現れる可能性は常にある。マーシャルは企業を発展させ存続させていくことが、いかにむずかしいかを認識している。
 困難なのは製品の販売である。単純で均質な財であれば、大規模生産のメリットを生かせるから、こうした分野では大企業が小企業を駆逐し、小企業を統合していくだろう。だが、特殊な商品については、大規模生産のメリットは生かせない。手間のかかる特殊な商品が限られた市場で引きつづき販売される。
 いっぽうマーシャルは大企業の最盛期が長く続くことはまずないとも指摘している。「その台頭をささえた非凡な活力を失ってしまった企業は遠からず衰退するかたむきがある」というのだ。
 大きな事業体が小さな事業体にたいし優位性をもつのは製造業だけとはかぎらない。小売業でも小さな店は日々、その地盤を失いつつある。小売業でも大型化が進み、消費者は豊富な商品をより適切な価格で購入することができるようになった、とマーシャルはいう。
 最後にマーシャルは企業経営のむずかしさについても述べている。
 ちいさな個人商店では、店主が商品の仕入れから陳列、販売、店内の掃除まで、全部自分でこなさなければならない。ところが大きな企業では、経営者の仕事は資本と労働力を結合させ、細部にわたって事業計画の実施を監督することに特化される。
 経営者の仕事は労働者を監督することだけではない。自己の商品にたいする知識をもち、商品の生産・消費動向を予測し、消費者の欲求に応える新たな商品をつくりだし、常に古い商品の生産方法を改善するよう努めねばならない。そのために、経営者は「慎重に判断し、大胆に危険をおかすことができなくてはならない」と、マーシャルはいう。
 経営者は指導者としての能力を問われる。スタッフを育て、信頼し、スタッフの機略と創造力を引きだすのも経営者の仕事である。
 一見すると実業家の息子は父親から経営のノウハウを学び、代々にわたって企業を発展させていくかに思えるが、「事態の真相はこれとはたいへん異なっている」と、マーシャルはいう。二代目、三代目で没落していく企業が多いのは、かれらが経営者としての気質や能力を失ってしまうからだ。そのとき事業の活力をよみがえらせるには、優秀なスタッフのなかから次期経営者を選ぶほかない、とマーシャルは断言している。
 個人会社とちがって株式会社の場合は、たいてい経営者に事業の運営がまかされる。経営者は株式を所有していなくてもよい。経営者は業績に応じて、低い職階から高い職階に昇格するのがふつうだ、とマーシャルはいう。
 株式会社の弱点は、その主要な危険をになう株主が往々にして営業についての知識を欠いていることだ。そのため、株式会社という民主的な経営形態が発展していくには、営業上の秘密が減少し、公開性が増大していくことが求められる、とマーシャルは指摘する。
 製造業や鉱業、運輸業、通信業、銀行業などは巨額な資本を要するようになり、ちいさな事業体が活躍する余地がなくなってきた。このことは、経済の発展にとってかならずしもプラスとはいえない。トラストやカルテルはその最たる弊害である。
 独占企業ににたいし協同組合は理想的な事業体のようにみえる。しかし、協同組合の管理者にはなかなかよい人が得られないのが実情で、協同組合はいまのところ消費組合以外に顕著な成功例はみられない。だが、マーシャルは収益配分制を旨とする協同主義の発展に大きな期待を寄せている。
 イングランドの総人口の4分の3は勤労階級だ、とマーシャルはいう。だが、かれらはずっと労働者にとどまるわけではない。管理職をめざして努力すれば、企業の共同経営者になれる可能性だってある。あるいは自分でお金をためて、小さな店をいとなむこともできる。一世代のあいだに最高の地位まで昇進することは無理だとしても、二世代のあいだにそれを実現することは不可能ではない。
「大観してみると広範な上向運動がある」のが、現代の特徴なのだ。もっとも、そのための競争は激烈だ。労働者は産業上の技能や能力の向上を求められている。同時に経営者も「判断・機敏・機略・綿密・意志の強固さ」といった広範な能力を求められるようになっている、とマーシャルはいう。
 その結果、有能な実業家は紆余曲折があっても、大きな資本を動かすことができるようになる。いっぽう無能な実業家はたちまち資本を失ってしまい、事業を破産へと追いこんでしまう。いまはそういう厳しい時代なのだ、とマーシャルはいう。自由な時代は、厳しい競争をともなう組織の時代でもあることをマーシャルは認識していたといえるだろう。

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