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安東の屏山書院(韓国旅行) [旅]

5月16日(水)。
鳳停寺(ポンジョンサ)から屏山書院(ピョンサンソウォン)に向かう途中、バスの窓から、牛を飼育しているゲージを見かけました。何でも安東(アンドン)はブランドの安東牛でも知られているとか。これがその安東牛なのでしょうか。
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田舎道を通って、書院の駐車場に到着。
書院の前には車がつけられないようになっているので、10分ほど歩きます。
なかなか風格のある建物です。
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豊山柳氏の書堂、豊岳書堂を1572年に柳成龍(ユ・ソンリョン)が後学養成のため豊山から屏山に移したとされます。
書院の前を洛東江(ナクトガン)が流れ、その向こうに、まるで屏風のように屏山がそびえています。
書院は壬辰倭乱(じんしんわらん、1592〜98、文禄・慶長の役)で焼き払われますが、1607年に再建されたとか。
門をくぐり、石段を上ると、晩対楼がみえてきます。
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さらに晩対楼の下を抜けると、正面に立教堂。ここで、たぶん講義がおこなわれたのでしょう
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ガイドさんが記念写真を撮ってくれますが、指がかぶっていました。スマホではよくこんなことがあります。残念!
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横手に回ると、蔵板閣がありました。版木を保存したところでしょうか。
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さらに回りを歩きます。洛東江の向こうに屏山が見えます。
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もう一度、晩対楼に戻ってきました。こんなところで宴会をしたら、いい気分だろうなと、つい思ってしまいます。ちょっと不謹慎かも。
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奥の門をくぐったところには、柳成龍をはじめ、歴代の師の位牌を祀る尊徳祠があるはずです。
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昔の人はトイレなんかどうしてたんだろうと思う向きがあるかもしれませんが、心配ご無用。かたつむり形をした屋外トイレがありました。もっとも冬の寒い夜中などは、部屋におまるを持ちこんでいたそうです。
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ところで、豊山からこの地に書院を移し、屏山書院を創設した柳成龍(ユ・ソンリョン、1542〜1607)というのはどういう人物だったのでしょう。
資料には李退渓(イ・テゲ)に儒学を学び、宣祖に仕え、宰相をつとめたと書かれています。号は西厓。豊臣秀吉による壬辰倭乱の記録『懲毖録(ちょうひろく、チンビロク)』を残したことで知られます。なかなか波瀾万丈の人生を送ったようです。
柳成龍は、この穏やかな景色のなかで、何を思ったのでしょう。小説にでもなっていれば、読んでみたいところです。
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