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民主主義への懸念──カーク『保守主義の精神』を読む(6) [本]

 カークは19世紀半ばにバークの思想を継承した自由主義者として、マコーレー、クーパー、トクヴィルの名前を挙げ、この3人の考え方を自由主義的保守主義と名づけている。19世紀後半になると、自由主義者は自由よりも平等を好むようになり、社会民主主義に接近していくが、この3人はそうではなかった。かれらに共通する特徴は、当時、イギリスやアメリカで進行していた民主主義に抵抗する姿勢を示していたことである。
 トマス・バビントン・マコーレー(1800〜1859)は、『イングランド史』を執筆したイギリスの代表的歴史家で、ホイッグ党議員でもあった[なぜか日本ではこの名著が翻訳されていない]。
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[マコーレー。ウィキペディアより]
 カークがマコーレーを取りあげるのは、マコーレーが純粋な民主主義は自由と文明に破滅をもたらすと考えていたからである。
 とはいえ、どちらかというと自由主義的な立場をとっている分(しばしばホイッグ史観と批判される)、マコーレーにたいするカークの評価は厳しい。

〈荒廃した時代のイングランドにおける、社会的原因と社会的結果の関係に対するマコーレーの理解は、自らその時代を生きたにもかかわらず、ひどく近視眼的としかいいようがなかった。生涯を通じて、産業人口の増加、その潜在的な政治的影響力の脅威、彼らの倫理状況に、不安を膨らませつづける一方、産業化、都市の発展、そして機械化やあらゆる意味での集権化といったものを、マコーレー以上に好意的に称えた者はいない。この自己矛盾は徹底的に自由主義的だ。〉

 マコーレーは実用性と進歩を称賛し、道徳を軽蔑した。産業主義が社会の進歩をもたらすと信じ、伝統的家屋より実用的な住宅を推奨した。とはいえ、労働者階級は厳重に政治権力から引き離しておくべきだとも主張していた。かれらが権力を握れば、私有財産制が危機にさらされると思っていたからである。カークが評価するのは、この後半の部分である。
 産業社会は格差を生み、必然的に多くの労働者階級を生みだすが、マコーレーはこうした財産をもたない人びとに選挙権を与えるべきではないと考えていた。普通選挙権は貧乏人の利益を拡大させ、勤勉な者からの略奪を容認することにつながるというのだ。
 マコーレーは社会主義の祖ともいうべきベンサムの功利主義を攻撃した。「これが、保守主義の理念に対するマコーレーの主な功績である」とカークはいう。
 マコーレーはアメリカの民主主義をほとんど評価しなかった。大衆的民主主義が自由と文明を破壊するだろうとみていたからである。カークによれば、「マコーレーは民主主義の反自由主義的傾向について近代社会に警告した」。
 だが、国民の大部分が労働者である以上、経済的平等を求める流れは止めようがなかった。その意味で、マコーレーの保守主義ははじめから失敗する運命にあったが、その精神は記憶されるにふさわしいとカークはいう。
 次に紹介されるフェニモア・クーパー(1789〜1851)はアメリカの小説家である。アメリカ人としてはじめて小説らしい小説を書いた(『モヒカン族の最後』が有名)が、その気質は隅から隅まで保守的だった、とカークはいう。
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[クーパー。ウィキペディアより]
『アメリカの民主主義者』という著作で、クーパーは民主主義に対する懸念を表明している。
 いわく。

〈民主主義には、世論を法律に優先させる傾向が絶えずつきまとう。これこそ、人民の政府における特異なかたちでの専制政治の現れである。……世論の利害や願望に反する者はたとえその主張が原理的に正しく、正当と認められる状況にあっても、共感を得られることはほとんどない。なぜなら、民主主義においては多数派の意向に抗うことは気まぐれな君主に抗うことと同義であるからだ。〉

 クーパーはアメリカの大地を愛し、民主主義を擁護していた。しかし、同時に民主主義を批判し、その俗悪さと貪欲さ、不寛容さに怒りをあらわにした。君主国でないアメリカが選べるのは民主主義でしかないことはわかっていた。それでも、それは「激情にかられて堕落した民主主義」であってはならなかった、とカークはクーパーの思想を要約する。
 クーパーは民主主義のよさを認めながら、同時にその限界を明らかにしようとした。民主主義はたいせつだが、それが行きすぎて、無法化してしまうのを認めるわけにはいかない。「完全で絶対的な自由は、条件の平等と同じく、社会の現実とは両立しない」
 クーパーは大衆の欲求の影響を受けやすい中央集権化を嫌い、あくまでも州権を擁護しつづけた。新聞の報道にも警戒をおこたらなかった。
 クーパーは民主主義が権力の行使に抑制をもたらしうることも認めていた。だが、それと同時に、共同体を指導する「紳士」の層を維持することにこそ、民主主義の希望があると主張していた。
 民主主義の目的は、完全な自由と平等をもたらすことではない。民衆の熱狂に政治が迎合するのではなく、冷静な紳士層が政治を引っぱってこそ、社会は活気づくし、民主主義もそれなりの意味をもつ──カークはクーパーの信念をそんなふうにとらえている。
 最後に取りあげられるのは、真打ちともいうべきアレクシス・ド・トクヴィル(1805〜59)である。フランス・ノルマンディーの元貴族の家系、フランス政府の依頼で1831年4月から翌年2月にかけアメリカを視察し、それにもとづいて歴史的名著『アメリカの民主主義』(1835年、40年)を出版した。この著書のなかでトクヴィルは、宗教心と自由の結びつき、小さな政府、人びとの独立・進取の精神、自由な教育制度などを、アメリカ民主主義の特徴として挙げている。
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[トクヴィル。ウィキペディアより。]
 カークはトクヴィルのことを、民主主義の「最良の友であり、かつ最も公正で思慮深い批判者でもある」と評している。そして、とりわけ民主主義的専制についての批判的分析が、かれのきわだった成果だという。
 トクヴィルは「ひとたび立法権が完全に大衆の手に渡ったら、それは経済的文化的平等化の目的に使われる」と述べている。そこから発生する集産主義的秩序は、古代の奴隷制以上に不快な隷属状態をもたらすだろうとトクヴィルは考えていた、とカークは論じる。
 トクヴィルはみずからが信頼する民主主義が怪物になるのを防ごうとした。民主主義を怪物にするのは、凡庸な人びとによる限りない平等化への欲求である。その結果、かつてみたことのない専制が生まれ、人間の自由や個性が奪われるというのが、トクヴィルのえがく悪のシナリオである。

〈その力は絶対的で綿密で、規則的で、用意周到で、そして穏やかである。この権力は、もしその目的が人間を人間らしく成長させることにあるとすれば、親の権威にも似ている。しかし、実際にはその逆で、この権威の目的は、人間を永久に子供の状態のままにしておくことである。〉

 トクヴィルはそう書く。
 そこからは、多様性と精神の死がもたらされる、とカークは解説する。民主主義の時代においては、富への関心が人生のすべてとなってしまい、世の中全体を物質主義がおおってしまう。トクヴィルによれば、「この物質主義は魂を腐敗させるというよりは衰えさせ、そして行動のバネを伸ばしてしまう」。
 世界の趨勢からみて、民主主義が広がるのはもはや避けられない。しかし、せめて民主主義が専制におちいるのを阻止しなければならない。民主主義には集権化(権力の拡大と強化)の傾向がある。権力者にとっても、利権集団にとっても、集権化の魅力はあらがいがたいものがある。加えて、民主主義は人びとを均質化、標準化し、集団主義的な生き方へと追いこむ。それによって、個性や知性が奪われ、人間は画一化されていく。
 トクヴィルは1848年のフランス2月革命を間近に体験し、その後、成立した第二共和政のルイ・ナポレオン政権のもと、外務大臣をつとめた。しかし、1851年にナポレオンがクーデターをおこし、翌年、ナポレオン3世として皇帝の座につくと、公職をしりぞき、著述に没頭する日々を送った。
 トクヴィルは国家や社会の運命が定められているなどとは、けっして思わなかった。歴史はあくまでも人の意志がはたらく偶然の産物である。そこには神の摂理がみられる。
 トクヴィルは民主主義を否定するわけではない。ただ、民主主義が専制に向かうのを、思想の力によって食い止めたいと念願していたのだ、とカークはいう。
 宗教はたしかに人間の行きすぎにたいする歯止めになる。法や古くからの慣習も、民主主義の腐敗を防ぐ役割をはたすにちがいない。加えて、憲法にもとづき、分権化や司法権の独立など、制度的な枠組みもつくらなければならない。しかし、トクヴィルは、不変の完璧な国家制度などはありえないと考えていた。手綱はゆるく握るほうがよい、というのが国家統治の基本である。
 フランス革命によって貴族制は絶滅した。しかし、ある種の貴族的な誇りや指導性があってこそ、民主主義的専制は防げるのではないか、とトクヴィルはみていた。公教育による単一化が、型にはまった国民をつくろうとするあまりに、みずから人間性を高めようとする個性を奪ってしまうことを、トクヴィルは恐れていた。
 カークは、トクヴィルが民主主義を厳しく批判し、その修正を提案することで、民主主義に貢献したと論じている。トクヴィルは民衆を神のように信じたり、恐れたり、憎んだり、崇めたりしなかったとも書いている。『アメリカの民主主義』は、1830年代のアメリカ社会と民衆をありのままにとらえた貴重な記録だという。これはぜひ読んでみなくてはなるまい。

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