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アメリカは謙虚になれるか──カーク『保守主義の精神』を読む(12) [本]

 第1次世界大戦が終わるころ、アメリカは世界最強の国家になっていた。国民総体としてもアメリカ人は豊かになった。そこには莫大な富が出現したが、同時にすさまじい貧困も存在していた。
 ハーディング、クーリッジ、フーバーという3代の大統領のもと、アメリカでもイギリスに匹敵する文学者や思想家が誕生した。そのなかでも、カークがすぐれた保守思想家として紹介するのが、アーヴィング・バビット、ポール・エルマー・モア、ジョージ・サンタヤナの3人である。
 この3人はいずれも現実の政治に足を踏み入れなかったものの、アメリカ社会を観察し、そのゆくえを見極めようとしたという。
 アメリカの政界でも、昔気質の哲人政治家タイプは姿を消そうとしていた。農業人口は減って、都市が巨大化し、中央集権化と民主主義が進んでいた。それを推進していたのは、産業化と物質主義である。こうしたなか、アメリカは信仰もなく画一的で、凡庸な国になろうとしていた。
 この時代を代表する哲学は、ジョン・デューイのプラグマティズムである。デューイは自然主義の立場から、精神的価値を全面的に否定した。身体的感覚がすべてであり、人生には物質的充足以外、何の目的もないとした。唯一の関心は、過去でも未来でもなく、現在である。デューイは平等主義をかかげ、効率的な物質生産の実現に向かって突き進むべきだと説いた。こうした欲望の神格化に立ち向かったのが3人の保守思想家だった、とカークはいう。
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[アーヴィング・バビット。ウィキペディアより。]
 まずアーヴィング・バビット(1865〜1933)。バビットはハーヴァード大学で比較文学を教え、批評家として活躍した。ハロルド・ラスキやアーネスト・ヘミングウェイをはじめ左翼からは大いに嫌われた。しかし、バビットによって、アメリカの保守主義は成熟期を迎えた、とカークは記している。
 バビットは、ブッダの説くように、人は欲望や感情を抑え、意志を鍛錬することで、高次の自己をめざすようにと主張した。その姿勢は清教徒的だった、とカークは評している。
 バビットはプラグマティズム同様、大富豪をも軽蔑していた。ひとりよがりの科学的・経済的進歩が、「人の法」に沿っているとは思わなかった。人間は物質的存在である以上に精神的存在である。
「人のなかにあって特に人間的であり、究極に神聖なものとは、意志の持つある種の特質であり、その意志は自制する意志として、普段の自己との関連において感じられる意志である」と、バビットは書いている。すなわち、感情や欲望の衝動に歯止めをかける人間特有の力こそが、人を人間的にし、高度にするのだ。もし人が欲望と技術的理性だけに身をまかせてしまうなら、この世は混沌としたものになっていくだろう。
 リーダーシップなき民主主義は、文明の脅威となる。「自然主義の過ちを拒んだ指導者が登場するかどうかに、西洋文明の生き残りはかかっている」と、バビットは論じた。
 政治は自然主義の延長にあるわけではない。より高度な「人の法」、倫理こそが政治をかたちづくる。ルソーの唱えた「一般意志」もまた自然主義にもとづいており、それは暴虐な専制政治の擁護へといきつく、とバビットはいう。
 人がもつうぬぼれという面で、民主主義と帝国主義はつながっている。「人は崖っぷちに立った時ほど、実に自信ありげに前へ向かって突っ走るものだ」。謙遜だけが、うぬぼれを抑止する唯一の美徳である。
 真の仕事、高度な仕事は、魂の労働であり、自己改革である。正義は自分自身の仕事に専心することから生まれる。真の自由とは、仕事をする自由である。知的労働者は肉体労働者よりも上位に位置づけられる。純粋に倫理的な仕事(すなわち政治)に携わる人はさらに上位にある。そして、精神と知性の指導者は、物質的所有欲から脱しなければならない。金権政治はおろかだが、平等主義という社会的正義を振りまわすのは、もっとおろかである。だいじなのは高度な倫理と判断にもとづいて、社会秩序を維持することだ。人間にとって、真の平和は精神的平和である、とバビットはいう。
 いまの時代は商業主義が世をおおっている。民主主義も商業化したメロドラマになろうとしている。民主主義と商業主義はみな似たような凡庸さをもった膨大な数の大衆を生みだしたにすぎない。その結果、アメリカ人の拡張的で粗雑な個人主義が助長された、とバビットは理解する。
 さらにバビットはいう。センチメンタルな人道主義ではなく、倫理的な高い意志が必要なのだ。われわれを商業主義から救い出してくれる指導者を見いださなければならないという。それは粛然とした道義心とまじめな知性をもつ指導者だ。
 倫理的国家は可能だし、人は正しい規範を受け入れることができる、とバビットは論じた。社会においては、自由と公正、謙遜が基本であり、それは純粋な平等とは両立しない。
 政治においては、理想主義か現実主義は問題ではない。もっと高い議論のレベルがあるのだ。それは恩寵のレベルだという。すなわち神の恵み。それが自由と高い意志を支える。このあたりの議論は、残念ながら、ぼくにはよくわからなくなってしまう。
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[ポール・エルマー・モア。ウィキペディアより。]
 次に取りあげられるポール・エルマー・モア(1864〜1937)は、日本では、さらになじみがない。ミズーリ州生まれだが、ニューイングランド思想の影響を受けて育った。いったんニューハンプシャーのいなかに引っこんだあと、知的武装を整えて再起し、ハーヴァードやプリンストン大学で教えながら、雑誌編集者、エッセイストとして活躍した。カークはかれのことを「あらゆる宗派を通してアメリカにおける最も博識な神学者」だったと評している。
 モアは、いまの時代は世代間の精神的な結びつきがなくなり、人も文明もあてどなくさまよっていると感じていた。超越的な神を信仰し、物質的生活と精神的生活とのバランスをとり、公私の義務を果たすことによって、ようやく人は正しい人生を送ることができる。人は絶え間ない欲求をもっているが、それは強い責任感と内面からわきでる徳によってのみ抑制することができるとも述べている。
 信仰を取り戻さなければ社会は滅びる、とモアは断言する。個人の快楽を判断の基準とし、絶え間ない流動性に身を任せるプラグマティズムは、大きな欠陥をもっている。これを認めれば哲学は無定形になり、社会もまた無定形になる。その結果、物質主義によって、文明は窒息し、無秩序状態が訪れる。このような時代においては、良識ある者は勇気をふるい、自分が反動主義者だと宣言しなければならない、とモアはいう。
 人に倦怠をもたらす流動の哲学と闘わなければならない。求められるのは、自分たちを正しく導く貴族政なのだ。民主主義にはさらなる民主主義ではなく、よい民主主義が必要なのだ。そのためには、共同体のなかから最良の者を選びだし、かれらに権力をゆだねる仕組みをつくらなければならない。
 さらに、モアは高等教育機関の立て直しをはかるべきだと論じた。教育の第一の目的は、人文知(その中心は古典教育)を鍛え、誠実さと美徳を称える人をつくることである。それによって指導者となる者は、真の自然な貴族として、金権主義と民主主義の調停役として、人びとに奉仕することができる。教育機関が専門家や技術家、ビジネスマンを送りだすことにかまけていると、社会には知的な貴族層がいなくなり、社会はますます不安定になっていくだけだ、とモアは警告する。
 政治において、最初に問われるのは社会的公正である。文明の存続は、社会的公正が実現するかどうかにかかっている。社会的公正とは「資産の分配が、上層の人々のすぐれた理性を満足させるとともに、下層の人々の気分を憤慨させないかたちでおこなわれること」だ、とモアはいう。絶対的公正はありえない。絶対的な平等もありえない。自然な不平等はいたしかたないものだ。生命は原始的なものだが、私有財産は人間だけのものであり、文明の根拠でもある、とモアは断言する。
 財産権を否定すると、逆に物質主義が勢いづき、堕落した文明が生みだされる。知的な余暇は反社会的とされ、学者や詩人は嫌われる。そして、人から財産を奪おうとする動きが活発化する。それは社会の荒廃をもたらす。こうした点からみても、私的所有権は社会の発展に不可欠だ、とモアは論じる。
 保守主義は個人の責任を考慮しない人道主義を否定する。まず重要なのは、個々人が自己の人格にたいして責任をもつことだ。
 近代文明が管理社会に行き着くかもしれないという恐怖は格別におぞましいものだ。「その世界は意味を失い、人間の価値も失われてからっぽになっている」。これに対抗するには、人が神への畏怖を取り戻すほかない、とモアはいう。
 人間のなかには、人間を超えた力の存在がある。キリスト教と古代ギリシャの遺産はまだ死んでいない。神を信じることによって、近代主義に抗するという姿勢が、モアの保守主義の核心をかたちづくっている。
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[ジョージ・サンタヤナ。ウィキペディアより。]
 ジョージ・サンタヤナ(1863〜1952)は、スペインのマドリードで生まれ、子どものころアメリカに移住し、1907年からハーヴァード大学で哲学を教えた。1912年からフランス、イタリアと移り住み、1952年にローマで没している。多くの著書や書簡があるが、日本語に訳されているものはごくわずかしかない。
 カークはこう書いている。

〈保守思想家として、彼は英国とアメリカの社会を外国人の視点から解明していった。しかし、彼の専門領域は、英国とニューイングランドに関するものである。……サンタヤナはアメリカ社会の一部とはならなかったが、トクヴィルには決して成し遂げることのできなかったようなかたちで、アメリカ社会の内側に入り込んだ。〉

 コスモポリタンでありながら、アメリカとは切っても切れない人だった。
 サンタヤナは二元論を否定した。世界はひとつしかない。それは自然世界である。そして、自然世界のなかには精神生活が存在しうるとした。精神は事象を通じて生きているという。
 たとえ、どんな運命に遭おうと、サンタヤナは冷静沈着さを忘れなかった。あらゆる思想に寛容だった。しかし、支配的権力を判断するさいに、よい社会は美しく、悪い社会はみにくいという基準だけは忘れなかったという。
 サンタヤナは民主主義と資本主義の完成形は共産主義と同じであり、それは精神の領域と芸術の領域を餓死させると断言した。「サンタヤナは一貫して効率性と画一化の名の下に世界を略奪してきた革新を軽蔑し続け、社会的調和と伝統の保存を擁護してきた」と、カークは書いている。
 物質的活動と物質的知識の流れが強くなると、人格の力が弱まり、倫理的な独立性が失われる。無神論の精神は産業社会主義をもたらす。リベラリズムはいまでは、すっかり管理主義的な方向をたどっており、いずれ功利的集産主義への道を開くであろう。それは自由と繁栄を標榜しながら、けっきょくは物質と進歩(拡張)への人びとの服従を求めるものなのだ、とサンタヤナはいう。
 人生の目標が金持ちを真似ることであるなら、大衆は最初から意気消沈するほかない。なぜなら、富をめざす競争は、人びとを疲れさせ、堕落させるからだ。大衆はメディアによって操られ、広告屋によってなぶられている。産業の世界では、企業や人が、経済的支配をめざして、なりふりかまわず戦っている。そして絶対的支配を夢見るのだ。サンタヤナはこうした産業自由主義の世界をきらった。
 それは重苦しく組織された無知の世界であり、そこでは騎士道は死に絶え、人は卑屈に身の安全を願うばかりだ。自由主義のもとでは、経済メカニズムだけがどんどん進化し、旧来の秩序が壊され、人は自暴自棄になり、政府は機能不全をおこし、専制政治が生まれる。サンタヤナはそんなふうに将来を予測した。
 いま人びとに与えられている自由は、画一性の自由にすぎない。個人の意見は消し去られ、人は画一的に分類され、そのなかでうごめいている。巨大国家は羊の群れのような国民をつくりだす。だれもが催眠術にかけられたように行動する社会が生まれている。そこで学者にまかされるのは、人を操り人形のように動かす仕事だ。人びとには芸術も宗教も友人も希望もない。仕事は賃金のためであって、苦痛でしかない。そのような社会はけっして幸福ではないだろう、とサンタヤナは示唆する。
 サンタヤナはアメリカを愛するとともに恐れていた。計量化と画一化に執着する、この傲慢で自信過剰の国が、はたして文明を生みだすことができるのだろうか。国際的なプロレタリア運動と戦っているアメリカは、機械化された生産と大量消費を信仰し、十字軍のような進撃にのめりこんでいる。そして、その足もとは崩れようとしているのだ、とサンタヤナはいう。
 サンタヤナが1912年にアメリカを去ったのは、めくるめく世界から離れて、隠栖のうちに理性的な生き方をさぐるためだった。
 カークはこう書いている。

〈サンタヤナは、狂信の時代のなかで、高貴に正気を保ち執筆を続けた。確かに、サンタヤナのような人物を得ることのできた文明には再生への見込みが、幾分かは残っていよう。〉

 だが、その道筋は見えなかった。
 第1次世界大戦後、アメリカでは、平等を求める人道主義と、自由の拡大を名目とする帝国主義(実際は経済帝国主義)、そして快楽主義が社会をおおうことになった。宗教は衰退し、汚職に代表される倫理的混乱が広がっていた。そして、実用的な保守主義は、民間企業と経済権益を擁護していた。
 ルーズヴェルトにははっきりとした思想がなく、社会改革者の提案をつまみ食いのように受け入れていった。広島と長崎を犠牲にして、アメリカが勝利したとき、自由主義的な人道主義者は当惑をおぼえないわけにはいかなかった、とカークはいう。勝利の代償は、国内の中央集権化と米軍の駐留維持をもたらした。
 カークは、アメリカは制御できなくなった意志と欲求からみずからを取り戻すため、正真正銘の保守主義を必要としているという。バビットやモア、サンタヤナの保守主義の精神にもとづいて、自身を抑えなければならない、とカークは明言する。
 しかし、その後のアメリカが謙虚になったとは、とても思えない。

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