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商売繁盛と伊勢参り──西鶴『日本永代蔵』をちょこっと(7) [商品世界論ノート]

 巻4のエピソード2。
 近ごろは天気も予測できるようになり、航海もかなり安全になった。中国や朝鮮との貿易も盛んになっている。しかし、どちらかというと中国人が実直で口約束をたがえるようなことをしないのに、日本人は目方をごまかして不正な取引をしようとする輩が多い、と西鶴は率直に記している。
 今回は筑前博多の商人の話だ。このところ不運なことに1年に3度まで嵐にあって貨物を失い、すっかり元手をなくしてしまい、家でぼんやり暮らしている。
 あるときのことだ。ふとみると、クモが杉の梢に糸を張ろうとしている。外は嵐。たちまちちぎれ、何度失敗しても、クモは糸をくりだし、ついに巣をつくりあげた。男はそれに心打たれた。「気短にものごとを投げだしてはいけない」と思い、家屋敷を売り払い、それを元手として、ひとり長崎にくだった。
 ようやく伝手を見つけて、長崎博多町の入札市にはいりこみ、舶来の唐織や薬、鮫皮[刀の鞘に用いる]、諸道具をみつけた。買えばもうかるとわかっている。だが、それを買うだけの資金がない。みすみす京や堺の商人に品物をさらわれてしまった。
 やけになった男は、丸山の遊郭にでかけた。昔はぶりのよかったころに出会った花鳥という太夫を揚げて、一夜かぎりの遊びおさめにしようと思ったのだ。
 花鳥の部屋にあがる。だが、そこに立てられている枕屏風をみているうちに、そのみごとさに見とれてしまった。よくみれば、ほんものの定家の小倉色紙が6枚も張ってあるではないか。
 それから男は明け暮れ花鳥のもとに通いづめ、すっかりなじみになり、ついにその屏風をゆずってもらうことに成功する。男はそれを持ってさっそく上方におもむき、さる大名にこの古屏風を献上して、かなりのカネを下げ渡された。それを元手として、ついには長崎でも知られる金屋(かなや)という大貿易商になったという話だ。
 これだけなら、遊女をだましてカネもうけした悪い男の話で終わってしまう。だが、西鶴は男が花鳥を身請けして、思う男のところに縁づけさせてやったという逸話をつけ加えている。遊女も「このご恩は忘れませぬ」と、男に感謝したという。これなどは、回りまわって、カネが人を救う話になっている。もちろん、その逆もおおいにありうることだが。
 エピソード3に移ろう。
 伊勢神宮は元禄以前から庶民の参拝でにぎわっていた。日本人が無宗教というのはうそだ。むしろ神頼みの傾向が強い、と西鶴も指摘している。
 伊勢では太々神楽(だいだいかぐら)の奉納金は宝の山のよう、大願成就の祈祷料も絶えることがない。参詣人の案内や宿をつかさどる御師(おし)も年じゅう忙しく立ち回っている。土産物屋も大繁盛している。
 これはおそらく1680年代ごろの話だが、日本ではこのころすでに貨幣経済が発達し、経済活動と信仰(宗教)とのかかわりが強くなっていた。不安定な貨幣社会のなかで、富貴と一家繁盛を願う気持ちが、宗教の否定に向かうのではなく、かえって信仰を強めていったことがよくわかる。観光とも結びついた伊勢参りはその象徴だった。
 伊勢には内宮と外宮のあいだに、間(あい)の山という坂があった。そのあたりにはお杉とお玉という路上女芸人がいて、三味線で「間の山節」を唄って、参宮者から銭を集めている。
 あるとき、御師の案内でここにやってきた江戸の町人が、山田(宇治山田)で用意した新鍮の寛永通宝200貫文(約540万円)を50町(約5キロ)にまきちらしたので、豪勢なことだと評判になった。
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[間の山の銭まき]
 この町人は江戸の堺町(日本橋人形町)で分銅屋(ふんどうや)という両替商を営んでいた。堺町は芝居見世物の町だ。分銅屋は芝居や見世物の木戸銭を両替して、その手数料で稼いでいた。それがたまりたまって、35年のうちに7000両(約7億5000万円)の身代を築いたのだ。
 明暦3年(1657)の大火で、江戸の町は大半が焼失したが、ほどなく復興した。
 西鶴はこう書いている(暉峻康隆訳による)。

〈酒屋は杉の葉を束ねた看板を元どおり門(かど)に掛け、本町の呉服店もそれぞれ錦を飾り、伝馬町の絹屋や綿屋も元と同じ店つきで、佐久間[大伝馬町]の表通りは相変わらず各種の紙屋が軒をならべている。舟町の魚市、米河岸の米の売買、尼店(あまだな)の塗物問屋など、通り町の繁盛はこのご時世なればこそである。〉

 にぎやかな様子がうかがえる。
復興は早かった。商売替えをした人は、ほとんど見当たらなかった。そして、焼けだされた職人たちも、まもなく戻って家業を再開し、日雇い人足や山伏、膏薬(こうやく)売りもまた集まってきた。
 分銅屋が伊勢参りをして、間の山で銭をまきちらしたのは、江戸日本橋の復興を加護してくれた「お伊勢さま」に感謝してのことだったにちがいない。
 商売は信用と信仰ぬきには成り立たなかったのである。

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