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金本位から管理通貨へ──ケインズ素人の読み方(7) [経済学]

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 いいかげんに読み飛ばしている感はいなめない。
 難解、かつ複雑なケインズの思考に頭がついていかない。いまは宇沢弘文や伊東光晴の解説書を参考にしながら、ともかくも大筋をつかむことが精一杯だ。また出直しということになるだろう。
 第4篇の「投資誘因」を終えるにあたって、ケインズは資本と利子、貨幣(お金)、雇用についての考え方を示している。
 こうして並べてみると、これはまさに本のタイトル『雇用、利子、貨幣(お金)の一般理論』そのものである。ケインズはここでこれまでの自分のアプローチをひとまず振り返ったといってよいだろう。

 現代社会の基盤をかたちづくっているのは、資本とお金である。
 人はなぜお金を貯めようとするのか。
 貯蓄とは、今日の消費をしないことだ、とケインズはいう。先に何かを買おうというのではない。ただ、ばくぜんとお金を貯める。そのため現時点での消費が減ってしまう。同時に、将来にたいする企業の需要期待もしぼんでしまう。
 しかし、現在の貯蓄が将来の大きな消費に結びつくとしたらどうだろう。貯蓄は投資に回り、将来の消費を満たすための生産活動に向けられる。それは画期的な商品の登場が期待される場合である。だが、それはすぐに実現できるわけではない。迂回生産(生産財の生産)が必要になってくる。
 たとえそうだとしても、貯蓄は当面、消費の減少をもたらし、雇用を減らすことを忘れてはならないとケインズはいう。古典派のいうように貯蓄は即投資と結びつくわけではない。
 貯蓄とは金融資産を保有することであり、これは言い換えれば金融資産を貸すこと、富の所有を移転することを意味する。金融資産を借りるのは投資(新たな富の創出)のためだが、その投資は、投資の限界効率と利子率との関係によって決まる。
 投資家にとって期待収益は市場利子率より低くはなりえない。そして、市場利子率は貯蓄そのものではなく、貯蓄の流動性によって決まってくる。そのことが利子率を高めに誘導し、投資を制約する要因になっていく。

 資本は単に生産的であるだけではなく、その存続期間を通じて、純収益を生み出すことに意味がある。資本が収益を生み出すのは、資本の稀少性が維持されるからだ。そして、労働なくして資本の存続はありえない、とケインズは書いている。
 ここでケインズは迂回生産(生産財の生産を通じての生産)について述べる。迂回生産で機械がつくられることで、生産性が高まることはまちがいない。だからといって、すべての労働力を生産財の生産に回すわけにはいかない。生産財部門と消費財部門とのあいだで労働力が適切に配分されなければならない。
 消費者が選択するのは、現時点におけるもっとも効率的な迂回生産のパターンである。もう少し購入を待ってみようというときには時間選好がはたらく。迂回度の決定に直接影響をおよぼすのは、消費者の時間選好率である。
 迂回生産度は利子率との関係で選択される。利子率が高くなるにつれて、迂回度の高い生産過程はかならずしも効率的ではなくなる。

 膨大な資本設備があるなかで、投資の限界効率がゼロ、あるいは負になる状況においては、企業は生産規模も雇用も減らし、経済全体の貧困化が進む、とケインズは考える。そうしたなかでは、失業が増え、貧困が拡大し、純貯蓄(貯蓄増加)はゼロになってしまう。
 市場利子率がマイナスになることはなく、長期的にみると2%ないし2.5%が最低限だとケインズは考えていた。
 資本設備の蓄積が進むにつれて、資本の限界効率はゼロになる。そして、利子率はむしろ高止まりしてしまう。そのため豊かさのなかの貧困という現象がみられるようになるのだ。
ケインズはいう。
 そんなときには、百万長者が「貯金をはたいて、『地面に穴を掘れば』、雇用ばかりでなく、有用な財やサービスの国民への実物配当も増える」。だが、まさかいくら百万長者でも、そんな事業には手を出さないだろう。
 賢明な社会が「そんな偶発的でしばしば無駄だらけの手段に頼って事たれりとするのは」適切なことではない。重要なのは、有効需要の性質を理解することだ、とケインズは強調する。
 そこで、政府が介入することで、市場利子率が引き下げられて、投資が促進され、資本蓄積の飽和状態が解消されたとする。このような状態においては、投資の限界効率はゼロ水準となり、完全雇用が達成されて、経済は定常状態に達する。もっとも、技術的水準や消費者の嗜好、人口、経済的制度の変化によって、経済は動いていく。
 しかし、このとき、蓄積された富にたいする収益率は低くなり、金利生活者は消滅することになる。それでも将来の期待収益をめざす企業の活発な事業活動は存続する、とケインズは考えた。

 ここでケインズは自己利子率という奇妙な概念を考案して、貨幣の性質について考える。
 ケインズは貨幣利子率は貨幣の先物契約にともなう収益率だという言い方をしている。ふつう貨幣は一定期間後に収益を生むものと想定されている。そのため、利子率はプラスになる。
 利子率を貨幣の先物価格と理解するならば、小麦や住宅などにも先物価格があり、これらをまとめてケインズは自己利子率となづける。
 たとえば小麦の1年後の先物価格を110として、現在の価格が100とするなら、小麦の自己利子率は10%となる。いっぽう住宅の1年後の先物価格は95で、現在の価格が100とするなら、住宅の自己利子率はマイナス5%ということになる。
 同じ先物価格の自己利子率だとしても、貨幣と実物とでは大きなちがいがある。どのようなちがいがあるのか。
 小麦の場合は収穫のリスクを差し引いても、値上がりによる収益が見込める。住宅の場合は減耗があるいっぽうで、不動産評価が上がる可能性もある。
 一般に、実物については、供給量の増加につれて、自己利子率は下がる傾向にある。これにたいし、貨幣の場合は、自己利子率の低下はもっとも少なく、マイナスにはなりにくい。
 ケインズは、貨幣(たとえば金貨)が一般の生産物のようにいくらでもつくられないこと、ほかのもので代用できないこと、保蔵されがちなこと(流動性選好を満たすこと)を強調する。
 こうした特徴が、利子率の引き下げを阻害する要因となる。
 こんなふうに書いている。

〈つまり失業が発達するのは、人々が月を求めるからなのです。人々は、欲望の対象(つまりお金)が作り出せず、それに対する需要を簡単には抑えられない場合には、雇用されなくなってしまいます。その治療法といえば、唯一、月でなくてもグリーンチーズでかまわないんだよと人々に納得させて、グリーンチーズ工場(つまり中央銀行)を一つ、公共のコントロール下に置くことです。〉

 このたとえはおもしろい。
 人々は自分でつくれない月(金貨)を求めている。そのため不況になっても金利はさほど下がらず、投資が減って、失業がますます増えていく。
 だとすれば、月でなくてもグリーンチーズ(紙幣)でもかまわないんだと、みんなが納得すればいい。そこで工場(中央銀行)でグリーンチーズ(紙幣)をどんどん刷って、貨幣発行量を増やし、金利を下げるようにすればいい。そうすると、投資も増えて、失業も次第に減っていく。ただし、その工場は公共のコントロール下に置かなければならない。
 ケインズが唱えたのは、こういう方策である。すなわち、経済を金本位制にゆだねるのではなく、管理通貨制度のもとに置くこと。そこにケインズの貨幣政策の力点があった。
 ケインズは価値の尺度としては、いまのところ貨幣に代わるものはないと述べている。貨幣は廃止すべきものではない。ただし、それは改革されなければならなかった。
 貨幣はある意味では土地と似ている。土地は生産や代替にたいする弾力性が低い(つまり、いくらでもつくりだせるわけではなく、ほかのもので代用しがたい)のは、貨幣と同じだ。
 かつては土地をもつことが財産にほかならなかった。しかし、いまは貨幣こそが財産だと考えられるようになった。
 にもかかわらず、人類はなぜ1930年代のいまも貧しい状態におかれているのか、とケインズは問う。

〈世界が何千年もずっと個人貯蓄をしてきたのに、その累積資本資産がこんなにも貧しいというのは、私の見立てでは人類の抜きがたい性向によるものではなく、かつては土地保有に付随し、いまやお金に付随している高い流動性プレミアムにあるのです。この点で私は、古い見方とはちがっているのです。〉

 ここでケインズがいう流動性プレミアムとは、お金を長くもつことにともなう高収益性をいう。それは貨幣を資産とみなす傾向によってもたらされるものであり、それをケインズは古い見方だと考えていた。
 管理通貨制度のもとで、貨幣発行量を調整し、それによって市場金利を下げるなら、貨幣自体を資産とみなす傾向は減少し、貨幣はほんらいの資本へと回されるだろう。それによって、雇用が増え、失業は減っていくはずだ、とケインズはいう。
 消費性向、投資の限界効率、利子率によって、雇用量と国民所得が決まるというのがケインズ理論の骨格である。これに労使交渉を通じての貨幣賃金、中央銀行の操作による貨幣供給量がからんでくる。
 資本主義はそれらの動きによって絶えず変動し、好況と不況の波をくり返すが、けっして崩壊することはない。
 ケインズはいう。

〈このように、この四つの条件[省略]をあわせれば、私たちの実体験で目立つ特徴を十分に説明できます──つまり景気は波をうつが、雇用と物価のどちらも、高くも低くもすさまじい極端に達することはなく、完全雇用より目に見えて低く、それ以下だと人命を危うくするような最低線よりも目に見えて高い範囲に変動はおさまる、という特徴です。
でもこの「自然」な傾向、つまりそれを修正すべく意図的な対策を講じない限り、いつまでも続きそうな傾向で決まる平均の位置が、必然の法則によって確立されていると思ってはいけません。以上の条件が何の障害もなく支配するというのは、現状または過去の世界の観察の結果でしかなく、変えることのできない必然的原理などではないのですから。〉

 ケインズはきたるべき高度成長と大衆消費社会を預言していたといえるだろう。

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