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平民新聞と佐渡新聞──美濃部達吉遠望(23) [美濃部達吉遠望]

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 幸徳秋水、堺利彦、内村鑑三の3人が、日露開戦論に転じた「万朝報(よろずちょうほう)」を辞めたのは、1903年(明治36年)10月9日のことである。幸徳と堺は、新たに東京市麹町有楽町3丁目、現在の有楽町マリオンのあるあたりに借家の事務所を構え、翌月から週刊で「平民新聞」を発行した。
 11月15日の平民新聞創刊号には、編集方針ともいうべき「宣言」が掲げられた。いわく自由、平等、博愛、いわく平民主義、いわく社会主義、いわく平和主義、いわく国際主義。
さらに「発刊の序」では、好戦の気分に包まれているいまこそ、正義や人道や平和を主張しなければならない、との決意が述べられた。
 その翌月には、石川三四郎と西川光二郎が社員に加わった。
 戦争を起こそうとしているのは一部の資本家であって、これに政事家や学者、新聞屋などが同調して、開戦をあおっているのだというのが、幸徳秋水の見方である。
 翌1904年(明治37年)2月に日露戦争がはじまっても、平民新聞は非戦の旗を下ろさなかった。ほとんどの新聞が愛国心をあおり、戦意高揚をはかるなかで、平民新聞だけは非戦の論陣を張っている。
 戦争がすでにはじまったとはいえ、われわれは口あり筆あり紙あるかぎり、戦争反対を絶叫する。兵士諸君、諸君は人を殺すために戦場に行くのか。それならば諸君は単に一個の自働機械だ。そればかりではない。戦争がもたらすのは増税であり、軍国主義であり、物価騰貴であり、風俗の堕落だ。
「露国社会党に与える書」という論説は、諸君とわれらは同志、兄弟、姉妹であり、断じて戦うべきではない、戦うべき共通の敵は軍国主義なのだと、まだ見ぬロシアの同志に訴える。
 3月27日には、「嗚呼(ああ)増税!」と題する社説を掲げ、今回の戦争が国民に大きな負担を強いていることを批判した。
 その一節を原文のまま引用してみよう。

〈今の国際的紛争が、単に少数階級を利するも、一般国民の平和を攪乱し、幸福を損傷し、進歩を阻碍(そがい)するの、極めて悲惨の事実たるは吾人の屡(しばし)ば苦言せる所也、而(しか)も事遂に此に至れる者一(いつ)に野心ある政治家之を唱え、功名に急なる軍人之を喜び、奸猾(かんかつ)なる投機師之に賛し、而して多くの新聞記者、之に附和雷同し、曲筆雑文、競ふて無邪気なる一般国民を煽動教唆せるの為めにあらずや〉

 現在では読むことさえむずかしいが、人の心をわきたたせる名文である。
 さらに、この社説には、国民の不幸と苦痛を除去するには、どうすればよいかという対策まで書かれている。つづいて引用する。

〈何ぞ夫(そ)れ然らん、国民にして真に其不幸と苦痛とを除去せんと欲せば、直ちに起(たち)て其不幸と苦痛との来由を除去すべきのみ、来由とは何ぞや、現時国家の不良なる制度組織是れ也、政治家、投機師、軍人、貴族の政治を変じて、国民の政治となし、「戦争の為め」の政治を変じて、平和の為めの政治となし、圧制、束縛、掠奪の政治を変じて、平和、幸福、進歩の政治となすに在るのみ、而して之を為す如何、政権を国民全体に分配すること其始也、土地資本の私有を禁じて生産の結果を生産者の手中に収むる其終也、換言すれば現時の軍国制度、資本制度、階級制度を改更して社会主義的制度を実行するに在り〉

 戦争をやめ、現在の制度を社会主義制度に改めよ、とはっきり書いてある。この社説を執筆したのは幸徳秋水だった。
 これにたいし、東京地方裁判所は新聞紙条例違反を理由に平民新聞を発行禁止とし、発行兼編集人の堺利彦を軽禁固3月に処した。
 発行禁止が解除されたあとも、平民新聞は政府への批判をやめなかった。10月には発行1周年記念として、堺利彦が英語から翻訳した「共産党宣言」が掲載された。だが、これも発行停止処分となった。
こうして発行停止と起訴がつづくなかで、堺や幸徳は追いつめられ、ついに1905年1月29日付の第64号をもって平民新聞は廃刊となる。ロシアとの戦争はまだつづいていた。
 堺利彦の評伝を残した黒岩比佐子は、平民社とそこに集まった同志について、こう書いている。

〈ロシアと交戦中でありながら、非戦を唱える社会主義者は、世間からも国賊視された。親兄弟からも白い目で見られ、恩師や先輩からは叱責され、友人たちも離れていくという四面楚歌の状態で、彼らが信頼できたのは同志だけだった。〉

 だが、かれらはあきらめなかった。「平民新聞」が消滅したあと、おなじ平民社で、安部磯雄も加わって「直言」が発行される。2月28日に幸徳秋水と西川光二郎は巣鴨監獄に収監された。堺利彦は「直言」に通俗社会主義の連載を開始した。愉快な記事や女性問題特集も加えられた。
 幸徳秋水は獄中で体調を崩し、7月28日に出獄したあとも小田原で静養する。アメリカに行ってみたいと考えるようになっていた。
 5月に日本の連合艦隊がロシアのバルチック艦隊を撃破すると、日本中がわきたち、これで日本の勝利はまちがいないという雰囲気が広がった。期待が大きく膨らむなか8月にポーツマス会議が開かれ、その結果に人びとは失望する。その怒りが日比谷焼き討ち事件となって爆発し、これにたいし政府が戒厳令を発動したことは前にも述べた。
 新聞雑誌は次々に発行停止を命じられた。平民社の「直言」は、木下尚江(なおえ)が書いた「政府の猛省を促す」という記事が問題とされ、9月に発行停止が命じられ、そのまま解除されなかった。これにより「直言」は廃刊となり、平民社の解散も決まった。
 社会主義者は分裂する。木下尚江、安部磯雄はキリスト教社会主義を唱える「新紀元」を創刊し、西川光二郎らは堺利彦の協力のもとで唯物論的社会主義を唱える「光」を創刊した。そして、幸徳秋水は11月14日、戒厳令下の東京を離れて、アメリカに渡った。社会主義者にとって、冬の時代がはじまろうとしていた。
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 そのころ早稲田大学の政治学科に聴講生として在籍する佐渡出身の青年がいた。弟が早稲田の予科にはいったのを契機に、1904年(明治37年)夏から、弟と同居するようになったのだ。本人にとっては二度目の上京となる。一度目は5年前で、目の手術をするためだったが、けっきょくうまく行かず、右目を失明するにいたる。そのため学業不振となり、佐渡中学を退学していた。
 青年の名前は北輝次郎。のちに北一輝と名乗るようになる。日露戦争が終わったときは満22歳だった。
 佐渡ではすでによく知られた人物だった。実家は裕福な酒造業者だったが、家業は傾き、初代両津町長を務めた父は1903年(明治36年)に亡くなった。それ以前から、北は地元の「佐渡新聞」に次々と論説を発表するようになっていた。
 時節柄、日露開戦にからむものが増えていた。北はみずから社会主義者であることを公然と名乗りながら、満洲問題を解決するには日本はロシアと戦わざるを得ないと主張する。1903年(明治36年)7月4日の佐渡新聞には「露国に対する開戦、しからずんば日本帝国の滅亡」と記した。帝国主義時代においては、帝国は生存競争に勝ち抜かないかぎり生きていけない。非開戦論者は、戦わずして生存競争の敗者である、と論じた。
 尊敬する幸徳秋水や木下尚江が、主戦論に転じた「万朝報」を辞めたと聞いたとき、北はあらためて非開戦論を批判して、10月27日の佐渡新聞で高らかにこう宣言した。原文で示す。

〈吾人は明白に告白せむ。吾人は社会主義を主張す。社会主義は吾人に於ては、渾(す)べての者なり。殆ど宗教なり。吾人は呼吸する限り社会主義の主張を抛(なげう)たざるべし。社会主義の主張は価値なき吾人の生涯に於て最後の呼吸に達するまでの唯一の者たるべきを信ず。而も同時に吾人は亦(また)明白に告白せざるべからず。吾人は社会主義を主張するが為めに帝国主義を捨つる能はず。否、吾人は社会主義の為めに断々として帝国主義を主張す。吾人に於ては帝国主義の主張は社会主義の実現の前提なり。吾人にして社会主義を抱かずむば帝国主義は主張せざるべく、吾人が帝国主義を提げて日露開戦を呼号せる者、基く所実に社会主義の理想に存す。社会主義者にして而して帝国主義者。〉

 北はみずからが社会主義者であると同時に帝国主義者であることを宣言したのである。そして、帝国主義の名によって日露開戦を主張するのは、社会主義の理想を実現するためだと主張した。
 このひらめきは矛盾に満ちていた。社会主義、さらに民主主義と帝国主義は、どこでどうつながっているのか。そして天皇をいただくこの日本で、みずからの理想を実現するには、何が求められているのか。北はこの謎を解くため、しばし沈思する。そして長い論考を書きはじめた。
 それは佐渡では完成しない。何としても東京に出なければならない。その思いが翌年夏の上京と早稲田大学での聴講につながった。日露戦争はすでにはじまっていた。
 北は早稲田大学政治学科でおこなわれた講義を聞き、上野の帝国図書館にも通いながら、みずからのひらめきが招いた謎を解くために奮闘する。奮闘2年、1906年(明治39年)2月末、2000枚に達する原稿ができあがった。そのタイトルは『国体論及び純正社会主義』と名づけられた。
 その緒言には、社会民主主義をそしり国体論の妄想を伝播した代表的学者として、金井延や田島錦治、有賀長雄、穂積八束、井上密、一木喜徳郎、井上哲次郎、山路愛山、安部磯雄などのほか、美濃部達吉の名前がでてくる。
 どうやら、このころ達吉は東京帝国大学だけではなく、早稲田大学でも教えていたらしい。北一輝は美濃部達吉の講義を聞いたと思われる。

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