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憲法問題調査委員会──美濃部達吉遠望(90) [美濃部達吉遠望]

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 1945年(昭和20年)10月13日、国務大臣の松本烝治が委員長を務める憲法問題調査委員会が発足し、10月27日に総理官邸の会議室で初の総会が開かれた。
 この総会に顧問として出席した美濃部達吉は、急いで憲法を改正する必要はないという態度を基本的に示しながら、もし改正するならばとして、4つの研究課題を挙げた。
 それは、

(1)憲法と皇室典範との関係。
(2)天皇の大権、ことに外交、官制、位官、独立命令、緊急勅令、非常大権をどう扱うか。
(3)議会制度、とりわけ貴族院をどうするか。両院の関係、さらには議会の権限について。
(4)会計制度の改革。

である。
 軍については、あえて触れないのをよしとした。「軍のないことは永遠というのではあるまい」と考えていたから、占領期にある現在、憲法で軍の規定を削除することに懸念を示したのだ。
「わたくしは、あらかじめ時期を限って、それまでに案を早急にまとめるというようなことは反対で、[憲法改正については]一時的のものでなく慎重に扱いたい。政治的に早急にやるというのなら、わたくしは委員を辞職したい」とも述べている。
 顧問の野村淳治(東大名誉教授)が天皇の条項も変更せざるを得ないのではないかと述べたのにたいし、達吉は第1条(大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス)や第4条(天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニヨリ此ヲ行フ)も、できればそのままにしたいという意向を示した。
 こうして、天皇と軍の条項(「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」など)をいじらないことを前提に、松本委員会の調査と審議がはじまる。
 11月14日に達吉は検討すべき課題というメモを調査委員会に提出した。
 まず、憲法改正の基本問題として。
 憲法改正は修正、削除、追加だけでよいとするのか。新日本を建設し、民心を一新するためには、全部の改正に着手すべきではないか。
 憲法改正は現在の占領状態を基礎とするべきか、それとも将来の独立回復を期してなされるべきか。
もし現在の状態を基礎とするなら、陸海軍、外交、戒厳、兵役などの条項は削除しなければならない。第1条も「日本帝国は連合国の指揮を受けて、天皇これを統治す」といった内容に変更しなくてはならなくなる。
 むしろ現在の状態は一時的な変態として考慮の外におき、独立国としての日本の憲法をつくるべきではないのか。
 そう述べたうえで、達吉はさらに8項目の検討課題を挙げた。
 憲法と皇室典範との関係について。帝国憲法では皇室典範の実質内容が含まれる条項があるが、皇室典範と皇室令は純然たる皇室家法として、憲法から切り離したほうがよいのではないか。
 天皇の大権については陸海軍の統帥権のほかに次のような問題がある。緊急命令(緊急勅令)の大権は残すべきだが、議会の承諾を明示しなくてはならない。法律にもとづかなくても出せる独立命令の大権は廃止すべきである。天皇が締結権をもつ条約については、それが法律としての効力を有することを明示すべきである。爵位にもとづく華族制度は廃止し、勲章、褒章、記章などの栄典に改めるべきだ。
 臣民の権利義務に関しては、帝国憲法でこと細かに定められているが、「臣民はこの憲法および法律に服従する義務を負う」とか、「臣民は法律によるのでなければその自由および権利を侵されることがない」というように簡略化すべきである。加えて、法律をもってしても侵すことができない自由と権利があるという趣旨の条項を設けるべきだ。
 帝国議会については、議会を一院制にするか二院制にするかを検討しなければならない。仮に二院制とするなら、貴族院の名称とその構成を変更しなければならない。議会の権限はほぼいまのままでいいとしても大臣問責権、議会の会期、その他について検討する必要がある。
 内閣制度について憲法で規定する必要がある(元老や重臣会議による推薦制の廃止)。内閣と議会の関係については特に規定する必要がないと思われるが、いちおう検討すべきである。枢密院は廃止するのが適当ではないか。
 司法や会計(国の歳入歳出)については、とくに意見がない。憲法の改正については、現在の勅命(天皇の命令)によるだけでなく、議会の発案権を認めるのを正当とすべきである。
 達吉は、調査委員会にこのような検討課題を提出した。全面的な改正、つまり新憲法作成の可能性についても触れている。だが、達吉は占領下にある現段階での憲法改正には積極的ではなく、とりあえず現行の帝国憲法を手直しするだけでよいと考えていた。
 しかし、GHQによる日本改造計画はすでに怒濤(どとう)の勢いで進んでいたのである。まずは旧体制の解体にターゲットがしぼられていた。
 11月1日、マッカーサー総司令部は、近衛文麿元首相に憲法改正を命じた事実はないという声明を発表した。じつはこのとき、木戸幸一内大臣のもとで、すでに近衛の改正大綱のほかに佐々木惣一(法学者、当時内大臣府御用掛)の改正案ができていた。だが、それらはともにGHQにより否認されたことになる。
 声明はさらに、「最高司令官は幣原(しではら)首相に対し憲法改正に関する総司令部の命令を伝えた」とし、日本政府は現在憲法改正に関する調査を進めており、「近日中にその全貌が日本国民に発表される」とも述べていた。
 GHQは松本委員会の憲法改正調査だけを公認するとともに、早急に憲法改正案を出すよう圧力をかけたのである。
 そのいっぽうで、GHQは12月6日に近衛や木戸ら9人の逮捕を命じる。近衛は巣鴨拘置所に出頭するはずの16日に服毒自殺した。
 それ以前にもGHQは11月19日に戦犯として小磯国昭(元首相)や松岡洋右(元外相)ら11人、12月3日に梨本宮守正(伊勢神宮祭主)、広田弘毅(元軍人)ら59人の逮捕を命じていた。
 戦犯はいうまでもなく、戦前、政府や軍、大政翼賛会、国家主義団体の要職にあった者、膨張政策にかかわった者にたいする公職追放がおこなわれようとしていた。その数は1948年(昭和23年)5月までに20万人におよぶことになる。
 財閥解体や農地改革もはじまっていた。
 12月8日の予算委員会で、憲法問題調査委員会の改正方針について問われた松本国務大臣は4つの原則を挙げた。

(1)天皇が統治権を総攬するという大日本帝国憲法の基本原則は変更しない。
(2)議会の権限を拡大し、その反射として天皇大権に関わる事項をある程度制限する。
(3)国務大臣の責任を国政全般に及ぼし、国務大臣は議会に対して責任を負う。
(4)人民の自由および権利の保護を拡大し、十分な救済の方法を講じる。

 これが松本委員会の基本原則だった。
 12月下旬に達吉は調査委員会に憲法改正私案を提示した。いわゆる「美濃部顧問私案」である。
達吉は明治憲法を多少手直しするだけでじゅうぶん状況に対応できると考えていた。
 美濃部私案は第1条の「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」を残すのはもちろん、天皇の大権に少しばかり修正を加えただけで、日本国民ならぬ「日本臣民」という表記もそのまま継承したきわめて保守的なものである。
 そのいくつかを示しておく。ここでは、多少読みやすくするため、表記をあらためている。
 第8条(天皇は公共の安全を保持し又はその災厄を避くるため緊急の必要により帝国議会閉会の場合において法律に代わるべき勅令を発す)のいわゆる緊急命令(勅令)規定は、次のように修正される。
「天皇は帝国議会開会中に新たに制定すべき必要を生じたる場合において両議院継続委員の諮詢を経て法律に代わるべき勅令を発す」
 条文はさらにつづくが、それは省略する。達吉の改正案には、まもなく消滅する枢密院に代えて、両議院継続委員なるものが登場している。しかし、天皇の緊急命令(勅令)権はそのまま認められている。
9条の独立命令権も同じである。
 第11条(天皇は陸海軍を統帥す)は、「天皇は軍を統帥す」に改正される。陸海軍の代わりに軍としたのは、すでにGHQの指令で陸海軍が解体されていたためだ。達吉は将来の独立日本における軍の再建を見越して、天皇の統帥権を残したのである。
 第13条(天皇は戦を宣し和を講し、および諸般の条約を締結す)は、改正されない。ただし、達吉の案では、戦を宣するのは敵軍の進攻を防ぐ場合だけで、それ以外の場合は帝国議会の協賛を得なければならないという条件がつけられている。条約の締結についても、議会の協賛を得ることが前提とされている。
 第20条(日本臣民は法律の定むる所に従ひ兵役の義務を有す)は「日本臣民は法律の定むる所に従い、忠誠に国家を防衛し、および国家に貢献すべき義務を有す」と改正される。兵役義務については定められていないが、日本臣民(国民)は国家の防衛にあたり、国家に貢献する義務があることが憲法に明記されている。
 第29条(日本臣民は法律の範囲内において言論著作印行集会および結社の自由を有す)は「日本臣民は言論出版集会および結社の自由を有す。公安を保持するために必要なる制限は法律をもってこれを定む」と改訂される。ここでは戦前の言論統制や治安維持法が廃止され、公安を保持するためのより民主的な規制が設けられることが示されている。
 帝国議会については、貴族院は廃止されるが、二院制は残される。そのため第33条(帝国議会は貴族院衆議院の両院をもって成立す)は「帝国議会は第一院第二院の両院をもって成立す」に書き換えられる。
達吉の案ではもちろん衆議院が第一院とされる。第一院の議員は男女平等の選挙権をもつ日本臣民によって選出される。第二院の名称はまだ決まっていないが、「第二院は法律の定むるところにより選挙または勅任せられれたる議員をもって組織す」ということになっていた。
 内閣の規定はほとんど変わっていないが、議院内閣制を憲政の常道とする立場である。
 とはいえ、第55条(国務各大臣は天皇を補弼[ほひつ]し、その責に任ず)は、わずかに「国務各大臣は天皇を補弼し、および命を受けて行政各部の事務を主管す」と変更されるだけだ。国務各大臣は担当官庁を統轄すると明記されているものの、天皇を補弼する役割をもつことも強調されている。
 こうした改正の条項をみると、表面的な手直しといわれても仕方あるまい。達吉は日本が敗戦国となったいまも、立憲君主制の枠組みを崩すつもりはなかった。
 憲法問題調査委員会、通称「松本委員会」の審議はつづいている。
 幣原内閣は松本委員会の審議を見守っていた。だが、それ以上に、マッカーサー司令部が日本政府による憲法改正の行方を追っていたことはまちがいない。
間接的とはいえ、軍政に諜報はつきものである。GHQは日本の政府をはじめ社会全体に監視網をはりめぐらせていたのである。

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