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ジョヴァンニ・アリギの世界(2)──商品世界ファイル(30) [商品世界ファイル]

『北京のアダム・スミス』(2007年)は2009年に亡くなったジョヴァンニ・アリギの遺著で、かれの晩年の関心は、急速に経済発展を遂げる中国をどのように理解したらよいかに向けられていました。
 前著『長い20世紀』(1994年)が、15世紀から20世紀にいたる資本主義の長期的な歴史を扱ったのにたいし、この本は主に1960年代から2000年にいたる世界経済の変動を俎上(そじょう)にのせています。
 その序文で、著者は「20世紀後半の歴史を書くとすると、東アジアの経済復興というテーマ以上に重要なテーマは、おそらくない」と書いています。日本からはじまって、韓国、台湾、シンガポール、香港、マレーシア、タイへとつづき、そしていよいよ中国が登場します。なかでも中国の台頭に焦点があてられることは、タイトルからも予想できるでしょう。
 アダム・スミスは『国富論』(1776年)のなかで、西洋世界と非西洋世界の関係が対等となる時代を予見しましたが、その後、現実には両者間の不均衡はさらに拡大することになりました。しかし、現在、中国の経済発展により、スミスのビジョンが現実化しつつあるといいます。
 著者が東アジアの経済「復興」というのは18世紀くらいまではアジアのほうがヨーロッパより進んでいたという認識があるためです。本書では、東アジアが経済復興を遂げるなかで、とりわけ中国の台頭に大きな意味を見いだしています。「中国は日本や台湾のようにアメリカの臣下ではなく、香港やシンガポールのように単なる都市国家ではないからだ」というあたりに、その思想性がうかがえます。
 アダム・スミスの展望、すなわち市場社会にもとづく「文明共和国」──さまざまな文明が共存する世界共和国──は、はたして実現するのでしょうか。
 現実は混沌としています。これからやってくるのは、ひょっとしたら「暴力の加速する時代」であり、「世界規模のカオス」かもしれない、とも著者は感じてもいます。
 ふつう中国というと毛沢東やマルクス主義を思い浮かべるでしょう。ところが、そこにアダム・スミスをもってきたのが、本書の意外性があります。
 著者はマルクスについても論じていますが、現代中国の動きはマルクスよりスミスによるほうが理解しやすいといいます。著者のいうマルクスは、革命家マルクスでなく、資本主義の構造、とりわけ労働過程に鋭い分析を加えた経済学者として位置づけられています。スミスもまた新自由主義者がもちあげるような市場原理主義者とはみられていません。弱肉強食の資本主義の思想家ではなく、もっと牧歌的な市場社会を唱えた思想家としてのスミスです。
 著者のアリギはウォーラーステインに近い人のように思えます。ただし、ちがう部分もあります。15世紀以降、現代にいたるまで、世界では西洋(欧米)中心の資本主義的世界システムが築かれてきたというのが、ウォーラーステインの考え方です。これに対して、著者はこうした世界システム論では、周辺と位置づけられるアジアの動きがうまくとらえられないと主張します。
 18世紀後半に産業革命が起こるまでは、世界の大商業国はイギリスではなく中国だったというのが著者の見方です。その中国がなぜいったん没落し、20世紀後半になって復興したのか、そして中国の台頭によって、これまでの西洋中心の資本主義的な世界システムはどのような変貌(へんぼう)をとげようとしているのかといった問題意識を著者はもっています。
 中国の「社会主義市場経済」なるものの評価は、ずいぶん分かれています。「巨大な不平等と堕落」をもたらしているという見方があるいっぽう、国家統制された「市場経済」がもたらされたという見方もあります。
 著者は「社会主義市場経済」を「資本主義」ではないととらえています。そうなると、資本主義の分析家であるマルクスは参照できません。市場社会の発展に重きを置いたスミスを登場させるのは、それなりに理由があります。実際、スミスは中国ではヨーロッパ以上に市場社会が発展しているとみていました。
 ところが、ヨーロッパではその後スミスが予期していなかった産業革命(安価な鉱物資源の産業利用)が発生します。いっぽう中国はあくまでも農業が中心でした。何もおこなわれなかったわけではありません。農村共同体では、人口が増加するなかで、生活改善が試みられ、それが強い労働倫理となってあらわれました。著者はこれを「勤勉革命(industrious revolution)」と名づけています。
 19世紀における西洋と東洋の「大分岐」、それは「産業革命」と「勤勉革命」の分岐でもありました。
 19世紀における東洋の没落は実際の没落ではなく、西洋の急速な産業化と、それに伴う軍事技術の発達による相対的なギャップの広がりによるものにすぎませんでした。だが、この「勤勉革命」によって形成された「人間資源」は、その後、東アジアが産業化する過程で、大きな役割を果たすことになります。
 著者は「勤勉革命」に導かれた中国の「市場経済」を高く評価しています。そこにスミス『国富論』の理念が投影されていることは明らかです。

 著者はふたつの経済発展のちがいを強調します。
 ひとつは社会的枠組みをこわさずに、社会の潜在的な力を引きだすタイプで、いわばスミス型の「自然的」な成長です。
 もうひとつは社会的な枠組みを破壊して、新たな枠組みをつくりかえるタイプで、いわばシュンペーター=マルクス型の創造的破壊による成長です。
 著者の理解は通説とはことなっています。
『国富論』は「市場を存在させるための諸条件を創造したり再生産したりする強い国家の存在を前提していた」といいます。スミスは国防や治安だけではなく、市場を含む社会全体への国家の介入をむしろ擁護していたというのです。スミスの目的はあくまでも経済社会における市場化のショックをやわらげることにあり、スミス自身、「自己調整的な」市場を提唱したわけではなかったといいます。
 スミスはまた終わりなき「経済成長」を唱えたわけでもないといいます。かれにとって経済成長とは、人民と資本(蓄え)によって、空間(国)を満たすことにほかなりませんでした。
 スミスといえば分業論ですが、かれは労働者による単純な反復動作が経済効率を高めると評価したわけではありません。むしろ、労働が簡単な方法に集中することで、創意工夫が高まり、それによって技術進歩と専門化が進むとみていたというわけです。こうして生産単位が専門化すると、同時に社会的分業が進展することになります。
 農業と小売業(国内市場)→国内貿易→外国貿易へと経済が発展するのが、スミスの考える自然の経路です。ところが往々にして事態は逆の方向に進みます。立法者は非自然的な経路をできるだけ自然の経路に沿うよう修正していかねばならないとスミスは提言します。「スミスの最大の関心事は、国益を追求する中央政府の能力の確立とその保全にある」という理解も独特です。
 著者のスミス評価はきわめて高いといってよいでしょう。それはスミスが市場経済の緩やかな成長を「自然的な」経路とみて、それにたいし、資本主義的な発展は「非自然的な」経路と考えていたからだといいます。
 著者はシュンペーターとマルクスを資本主義の分析家ととらえています。
シュンペーターは、資本主義には「[従来の]社会的枠組みを破壊し、より大きな成長の潜在力をもつ新たな枠組みの出現のための諸条件を創造しようとする」傾向があるとみていたといいます。資本主義の特徴を資本の自己拡張ととらえ、その運動をたえざる均衡の転覆、いいかえれば創造的破壊としてとらえたのがシュンペーターでした。
 これにたいし、マルクスは資本主義を動かしているのは、終わりなき貨幣の蓄積への欲望だと考えていました。マルクスが資本主義の出発を16世紀における世界商業と世界市場の創出に求めるのは当然でした。したがって、著者にいわせれば、マルクスは「アジアの諸国や文明は、ヨーロッパの資本主義的な経路の出現を可能にした市場を提供したのであって、ヨーロッパのブルジョワジーの襲来に対して生き延びるチャンスはなかった」ということになります。
 著者によると、マルクスは「貨幣の一般的形式を表現するものとしての資本は、自らを制限する障壁を乗り越える、終わりも限界もない駆動力である」ととらえていました。資本主義はみずからを過剰蓄積による危機へと追いこむ傾向をもっているが、マルクスはもろもろの危機をバネに資本主義は経済社会の根本的再構成をはかっていくと考えていたといいます。
 マルクスはまた、競争の激化にともなう利潤率の低下に対応するために、資本は集積(規模拡大)あるいは集中(統合)によって、その危機を乗り越えようとするととらえていました。その際、重要になってくるのが信用制度、すなわち金融の役割でした。
 シュンペーターが焦点をあてたのは「創造的破壊のプロセスの両面としての好況と不況の概念」です。好況と不況のプロセスを通じて、古い経済構造は絶え間なく破壊され、革新を通じた新たな経済構造が創造されると考えられていました。
 シュンペーターは創造的破壊による革新を「新結合の遂行」ととらえ、そのような革新的行為者を「企業者」と名づけます。新結合は、工業における技術的・組織的革新だけではなく、あらゆる商業的な革新を含むものでした。
 資本主義は創造的破壊によって発展します。農民が生産手段から分離され、先住民が制圧され、ときに奴隷として扱われたのも、そうした破壊の一形態にほかなりません。資本主義とは「資本と権力の終わりなき蓄積の継起」として定義できる、と著者はいいます。
 しかし、ほんとうはもっと別の径路があってもよいのではないか。それは市場社会の自然で緩やかな拡大をともないながら、反資本主義的傾向をもつ経済発展、すなわち国家による資本主義の抑制をともなう経済発展のあり方です。著者はその路線をスミスに読みこみ、スミス経済学の新しいパラダイムをつくりあげ、それを現在の中国にあてはめて理解しようとしました。
 それはたしかに願望といえば願望でした。文化大革命や天安門事件が取りあげられていないことをみても、このあてはめが正しかったかどうか、評価しなおす必要があります。

 本書の最大のテーマは次のようなものです。
 世界資本主義システムにおいて、アメリカがヘゲモニーを握る時代は終わりつつある。中国の台頭はどのような意味をもつのか。そして、ポスト・アメリカ時代の世界はどんなふうになっていくのか。
 著者は大英帝国が世界のヘゲモニーを失いつつあった19世紀後半から20世紀はじめの状況──長期不況から大戦前の「ベル・エポック」にいたる状況──と、現在アメリカのおかれている状況とがよく似ていると考えています。
 1970年代以降、アメリカを中心とする世界資本主義システムには、「グローバルな乱流」が生じました。ポイントの年は1973年、1985年、1995年だったといいます。
 1973年には金ドル本位制が崩壊し、変動為替相場制がはじまりました。1985年のプラザ合意では、ドル危機の再発を防ぐため、各国の協調によりドルの切り下げ(日本の場合は円高)が誘導されました(1985年当初1ドル=250円だったレートは86年には160円となっています)。
 そして1995年の先進7カ国財務相・中央銀行総裁会議での「逆プラザ合意」では、行きすぎたドル安(円高)を反転するための政治的合意がなされました(この年、円は1ドル=79円を記録しましたが、すぐ100円に是正されています)。
こうした動きは、いったい何を象徴していたのでしょう。
 著者はまずマルクス主義経済学者ロバート・ブレナーの説を紹介するところから、国際経済の乱流を解き明かそうとしています。
 ブレナーによれば、1950年代、60年代の好況期には「不均等発展」が生じ、アメリカに対するドイツと日本の急速な追い上げがみられました。アメリカの製造業者は国際競争に耐えきれなくなり、そのため通貨当局はドルの平価切り下げに踏み切らざるを得なくなります。そして、これが容易なことでは収まらず、けっきょくは変動為替相場制の採用にいたったというのです。
 その結果、アメリカ経済はにわかに活気づきます。
 しかし、1970年代後半のアメリカの財政赤字は、インフレをもたらしたわりに生産の増大をもたらさず、ドルが大量に流出することになりました。他方、アメリカの高い実質金利を求めて、世界中から莫大な量の資本が流入しはじめます。アメリカの金融資本は強化されました。ただし、それによってドルは上昇し、アメリカの製造業は大きな打撃をこうむります。そのため、アメリカの圧力によって、ドルの為替レートを引き下げる1985年のプラザ合意がなされたというのです。
 プラザ合意によって、アメリカの利潤率や投資、生産は回復します。しかし、とりわけ日本などは深刻な危機におちいりました。ブレナーによると、1995年の「逆プラザ合意」は「危機に陥った日本の製造業を救うため」の救済措置だったといいます。
 皮肉なことに「逆プラザ合意」は、日本などから巨額の資金がアメリカの金融市場に流れこむ結果を招きました。金融自由化もあいまって、ドル高への期待が高まったからです。これがアメリカの株式バブルへとつながり、経済全体の過剰な投機へとつながっていきました。
 本書が発行されたのは2007年のことで、2008年のいわゆるリーマン・ショック以前のことです。したがってバブルの破裂は予測されているものの、それは兆しとしか意識されていませんでした。
 とはいえ、著者は現在資本主義大国のおかれた状況は、19世紀末から20世紀はじめと同じ「長期的停滞期」にあるとみており、その結末が「恐慌」のようなものをもたらすにちがいないと予測していました。それは幸か不幸か的中することになります。
 もちろん、昔の大英帝国と現在のアメリカには大きなちがいがあります。かつては没落する大英帝国に挑戦する新興国の動き(たとえばイギリス対ドイツ)が見られましたが、いまのところはアメリカの圧倒的な軍事力に挑戦する国はなさそうです。したがって、暴力やテロ、戦闘は頻発するにせよ、20世紀前半のような世界戦争が起こる可能性は少ない、と著者はみていました。
 それに、もうひとつ特筆すべきことがあります。それは以前のイギリス以上に、アメリカが世界中から資金を吸収する仕組みを築いていることです。
 1世紀前と現在では危機の発現の仕方にちがいがあります。それでも「グローバルな乱流」はあり、それがどこに行き着くかを著者は見届けようとしていました。

 アメリカを中心に世界経済の変遷を整理したブレナーの分析を、アリギは次のように批判します。
 第1点。20世紀後半には、実質賃金の上昇が資本主義システム全体の収益性を引き下げ、同時にインフレを引き起こした。しかし、ブレナーは労使関係より資本家間の競争に目を向けるため、「水平的」(資本どうしの)対立と「垂直的」(労使間の)対立の複雑な歴史的相互作用をとらえそこなっている。
 第2点。ブレナーはアメリカ、ドイツ、日本の経済に焦点を合わせるが、この3国が世界の貿易に占める割合は1950年以降、次第に減少し、とりわけ90年代半ばからは中国のシェアが急速に拡大することを見逃している。
 第3点。レーガンとサッチャーが新自由主義を採用したのは、単に収益性の危機に対応するためではなく、資本主義システムにおけるヘゲモニーの危機が深まったためでもある。しかし、ブレナーは政治的要因についてほとんど論じていない。固定為替相場制が崩壊したのは、ベトナム戦争の影響が大きかった。
 第4点。ブレナーの問題は、かれが製造業にのみ焦点をあてていることである。「アメリカの金融・保険・不動産による企業利潤は、1980年代には製造業に追いつき、1990年には追い越している」。
 第5点。ブレナーは新自由主義者、すなわちマネタリストの「反革命」のもつ意味を見落としている。「マネタリストの『反革命』がアメリカの権力の衰退を逆転させることに驚くほど成功した主たる理由は、逆に、それがグローバルな資本フローをアメリカとドルへと大量に回帰させることに貢献したからであった」。
 こうした批判は、著者がブレナーの論述を、みずからのヘゲモニー移行論に組み入れようとした軌跡を示しているとみることができます。
 著者によれば、ヘゲモニーの危機には「予兆的危機」と「終末的危機」とがあり、このふたつは区別されなければならないといいます。アメリカは予兆的危機を迎えたあと、第2次世界大戦前の「ベル・エポック」にも似た「よき時代」を迎えました。しかし、それは長くつづきませんでした。2001年の9・11後の対応はアメリカの「終末的危機」を早め、中国のリーダーシップを強化することにつながりました。
 1985年のプラザ合意、95年の「逆プラザ合意」は、たしかに変動為替相場制の区切りでしたが、むしろ決定的だったのは70年代末から82年にかけてのマネタリストの「反革命」だったと著者はいいます。
 1970年代には「石油ショック」により、石油輸出機構(OPEC)が勢いづき、インフレ傾向が強まります。そして800億ドルの「オイルダラー」が生まれました。ユーロダラー市場の膨張は、固定為替レートの安定性を危うくし、システム崩壊を現実のものとしました。
 固定為替レート体制の崩壊は「商工業活動のリスクと不確実性」を増大させ、「資本の金融化」にはずみをつけることになります。その結果、通貨市場での金融投機が活発になります。
 こうして世界的な貨幣と信用の供給が、すさまじく拡大しました。これに見合う需要はなかなか存在せず、それがインフレ圧力となりますが、いっぽうで海外のものをなかなか手に入れられなかった国が、容易に資金を借りられるようになりました。
 70年代後半の問題は、世界中を駆け回るようになったマネーが、ワシントンの発行するドルと競争し、それが相互破壊的な競争をもたらして、アメリカのヘゲモニーの危機を深刻化し、大量のドル売りをもたらしたことだと著者はいいます。
 しかし、この巨額なドル売りによって、相互破壊的な競争が突然終了し、だれもが予期していなかったアメリカの繁栄がふたたび訪れるのです。
 この間に、アメリカは世界の余剰マネーを自国に集める金融装置をつくりあげたのです。しかし、これは遠からぬうちに終わり、そして、そのあとにヘゲモニーの「終末的危機」がやってくる、と著者は予想していました。
 企業は国内での直接投資や雇用を控えるようになって、資金を退蔵する(あるいは高額の役員報酬に回す)か、投機に回すようになります。世の中全体にカネが回らないから、景気はよくなるはずもありません。
 そして政治的には、アメリカのヘゲモニーが弱まり、新たなパワーをもつ国家(すなわち中国)の出現を許すことになります。
 さらに社会的には、持てる者と持たざる者の不平等が拡大し、これまでの中流階級が下層階級に転落していくことによって、社会全体にいらだちや投げやりな姿勢、あるいはやけっぱちな動き、抵抗や反抗が広がっていくと思われました。
 不幸なことに、この予言は的中しました。
 いまアメリカに広がっているのは、そうした状況です。そして、その状況は現在の日本の状況ともつながっています。
 ただし、著者はこの「終末的危機」によって、かつてのような「上り坂の資本主義大国と資本主義大国との間の軍拡競争」のようなものは発生しないし、また市場の分割のようなことは起こらないだろうと予想していました。
 いまのアメリカの繁栄は、最終的には世界中から集まる資金を「純粋な貢ぎ物」ないし「みかじめ料」(守ってやっているのだから、カネを出せ)として処理することで成り立っており、その試みが世界中を不安におとしいれていることはまちがいないといいます。
 そして格言「我とともにあらん、さすれば我が亡きあとに洪水よ来たれ」をかかげます。

 著者はソ連崩壊以降、みずからを「世界国家」たらしめんとするアメリカの無謀な試みが、9・11後のイラン・アフガン戦争をへて、けっきょく失敗に終わったこと、そしてアメリカのヘゲモニーがくずれて、ヘゲモニーなき時代になったことを指摘しています。あとにつづくのは「中国の世紀」なのだろうか、というのが著者の問いです。
 ところで、その前に、著者がアメリカの「ビジネスのひな型」はゼネラル・モーターズからウォルマートに移行したと指摘していたのが印象に残りました。ウォルマートというのは、アメリカに拠点をおく世界最大のスーパーマーケット・チェーン。ゼネラル・モーターズ(GM)は、いわずと知れたアメリカを代表する自動車会社です。
 著者によると、ウォルマートの経済規模はいまやGMより大きく、150万人の従業員をかかえ、売り上げはアメリカのGDPの2.3%を占めているといいます。
 アメリカでは自動車会社よりスーパーのほうが、大きな経済規模を占めるようになりました。GMが世界に生産拠点を広げながら、ほとんどアメリカ国内で車を製造し、販売するのに対して、ウォルマートは大半の製品をアジアの製造業者から集めて、消費者に販売しています。
 著者はウォルマートの台頭に、アメリカが「グローバルな金融集積地としての役割をもつ国家」になったことを重ねています。
 ウォルマートは労働コストの高い自国製品にこだわらず、便利なものを海外、とりわけアジア(なかでも中国)でつくらせて、それを消費者に安く提供することで、利益を確保しています。製造業者は、中国製と同じようなものをつくろうとしても割にあわないから、けっきょく仕事をやめてしまい、そこで働いていた労働者は失業してしまいます。アメリカのビジネスは工業中心から、明らかにサービス業、とりわけ金融へと移行しています。
 著者は前著『長い20世紀』のなかで、世界資本主義のヘゲモニーを担う中心国が、当初、産業国家として出発し、次に金融国家として成熟しながら、最後に新たな国にヘゲモニーをゆずっていく過程を一般的な傾向としてとらえ、それを600年にわたる資本主義の歴史のなかに描いてみせました。
 したがって、現在のアメリカもまた、世界の中心国たる位置を失いつつある途上にあると映ります。その象徴がウォルマートの隆盛でした。マネタリストの反革命が、アメリカを産業国家から金融国家に変質させてしまった、とかれはいいます。もっともそれは20世紀はじめの話で、2020年の時点ではウォルマートの力は相対的に弱まり、GAFA(Google、Apple、Facebook、Amazon)が社会全体をおおうようになっています。
 アメリカ、日本に共通することですが、おそらく中国製品の大量流入が、70年代の宿痾(しゅくあ)であった世界的インフレの抑制に成功したことはまちがいないでしょう。しかし、それとともに同じような商品で、中国製品と対抗しなくてはならなくなった企業が苦戦を強いられたのも事実です。
 国内の競争がさらに値下げに拍車をかけました。賃金は上がらなくなり、日本では非正規社員の割合が増えました。経済成長率は停滞します。好況感がわかないはずです。
 ジャーナリストのジェームズ(ジム)・マンは、アメリカが共産党独裁義国家、中国の世界貿易機関(WTO)加盟を安直に認め、それによって中国製品をアメリカ国内にあふれさせたのが、何よりもまちがいだったと述べていました(『米中奔流』)。かれは中国製品にもっと関税をかけ、中国の国際的な動きを監視し、中国内の民主化運動を支援せよと主張していました。
 とはいえ、いまや中国が経済大国となり、中国製品が世界中を席巻していることは、ほとんどだれもが認めるところです。この流れは、当面、収まりそうにありません。著者はこの事実から出発して、世界資本主義システムのなかで、中国の挑戦がもつ意味をとらえなおそうとしています。

 現在、アメリカが中国をどう取り扱えばいいのか迷っている様子は、本書からもうかがえます。

〈21世紀への変わり目における米中関係の問題は、もはやアメリカの中国への商業的アクセスではない。むしろ問題なのは、中国がアメリカに代わって世界でもっとも急速に成長している主要な経済圏になったという事実であり、中国が他国と同様に、アメリカへの商業的アクセスを求めているという事実である。〉

 アメリカは、どのように対応しようとしているのでしょうか。
 著者はロバート・カプラン(ジャーナリスト)、ヘンリー・キッシンジャー(元国務長官)、ジェームズ・ピンカートン(コラムニスト)の3人の論者をとりあげて、それぞれの対応策を紹介しています。
 中国に対抗する「連合」を結成して、中国を封じ込めようというのが、カプランの策です。米太平洋軍司令部(PACOM)を中心に日本、韓国、タイ、シンガポール、オーストラリア、ニュージーランド、インドを結んで、一種の太平洋軍事同盟を形成するという構想で、これによって中国の太平洋進出を抑制しようというもの。一種の新冷戦戦略といえるでしょう。
 これに対し、キッシンジャーは、中国はソ連のような軍事的帝国主義国家ではないとして、冷戦のときのような封じ込めをこころみるのはおろかだと主張します。中国が採用している「平和的台頭」路線は、中国のいうように「既存の世界秩序を乱すことのない」成長なのであって、中国が台湾問題やいくつかの領土問題をかかえているにせよ、侵略に転じる可能性はないと判断します。
 ピンカートンの考え方は、中国との対立と和解を組み合わせるものといえるかもしれません。もはや大国間の戦争を想定するのは時代遅れであり、アメリカと中国は経済的にも密接に結びついている。封じ込め戦略は突発的な衝突を招きやすいので、避けなければならない。そのためアメリカは中国と直接対決せず、インドや日本などが中国と張り合うのを背後から見届けるのがよいという立場をとります。
 アメリカのアジア戦略、とりわけ対中戦略は、この3人の論者が示すように、三者三様に揺れています。
 アメリカの腰が定まらないのは経済学者のクルーグマンがいうように、アメリカが「中国の米ドル買い(そして安価な中国商品)に病みつきになってしまった」からでもあり、全面的な中国バッシングが起こりにくいのは、巨大な中国市場に魅力があることを隠せないからではないでしょうか。
 著者自身は、アメリカがどのような対中政策をとるべきかを論じているわけではありません。むしろ、かれは「将来何が起こり、何が起こらないか」を予測するためにも、過去にさかのぼって、西洋史の枠にこだわらず、中国がこれまで歩んできた道をふり返ってみなくてはならないと提案します。
 国家がヨーロッパの発明だと思うのはまちがいだと指摘するところからはじめています。「日本や朝鮮、中国からベトナム、ラオス、タイ、カンボジアまで、東アジアのもっとも重要な国々は、ヨーロッパの国々よりもずっと前から国民国家であった」。そして、これらの国々のあいだでは、朝貢貿易に加えて、私的な交易がくり広げられていたというわけです。
 しかも、ヨーロッパとちがって東アジアの特徴は、戦争が割合に少ないことでした。ヨーロッパのように、海外に帝国を築いたり、他国を侵略したり、互いに軍拡競争に走るといった傾向はまずありませんでした。
 ヨーロッパの国々においては絶えざる戦争によって、破壊的な戦争手段の開発が進み、また海外の資源獲得をめぐって、各国間の激しい争いが起きていました。
 アジアとの長距離貿易によって利を得ていたのは、むしろヨーロッパのほうです。鄭和(ていわ)のインド洋遠征は中断されるのに、コロンブスがアメリカを「発見」し、ヴァスコ・ダ・ガマがインド航路を開発するのは、まさにこの非対称性の反映だったともいえます。
 国内市場もまた西洋の発明ではなく、アダム ・スミスは、18世紀における最大の国内市場がヨーロッパではなく中国にあったことを認めていました。著者は南宋以来、明、清にいたる中国の市場社会の発展を細かく追い、スミスが示した豊かさへの「自然な」経路の典型は、むしろ中国に見いだされると論じています。
 さらに「清朝政府が開発の優先順位を、農業の改善、土地の再分配や開拓、国内市場の強化と拡大に割り当てたことは、まさにスミスが『国富論』で主張したことと同じである」と述べています。
 その後は、ヨーロッパが不自然な「世界史に類例のない創造的破壊のプロセス」を採用することによって、アジアの国々の自律性は失われていきます。中国経済がある時点で停滞におちいったという見方を著者はとりません。18世紀に中国は奇跡的な成長を遂げ、「本質的に新しいタイプの農民社会」を実現したとみます。それはヨーロッパの資本主義的発展とはことなる市場社会でした。資本家(商人)は社会の上層ではなく、下位の社会集団にとどまっていました。
 しかし、著者はいいます。

〈ヨーロッパの発展径路において典型的であった軍国主義と産業主義、そして資本主義の相乗効果は絶え間ない領域的拡大を推進し、またそれによって支えられていた……しかし中国と東アジアのシステムは、ヨーロッパのように海外への拡張と軍拡競争という道を歩まなかったため、拡張するヨーロッパの権力の軍事的猛攻撃に対し、脆弱(ぜいじゃく)なものとなってしまった。東アジアが猛攻撃を受けた際に、グローバル化するヨーロッパのシステムへと従属的に組み込まれたのは、必然的な結論だった。〉

 イギリスの資本主義的商品が中国になかなか浸透しなかったことはよく知られています。むしろ、茶や絹といった中国製品の魅力が、イギリスの綿製品を圧倒していました。そこで、イギリスはアヘンを輸出することによって、貿易のバランスをとろうという悪辣(あくらつ)な方略を思いつきます。これが中国からの大量の銀の流出を招き、清朝の財政を破綻(はたん)させる原因となります。アヘン戦争は起こるべくして起こった出来事でした。
 こうして中国はだんだんと「グローバルな資本主義システムにおいて、従属的かつ次第に周辺的となるメンバー」になっていきます。
 日本は明治維新による中央集権化を通じて、急速な産業化と軍事化を実現しました。その結果、日清、日露戦争に勝利し、一時は中国に代わって「アジアの盟主」になるかにみえました。しかし、それはアメリカによってはばまれました。
 日本の敗北によって、中国では内戦をへて中華人民共和国が成立します。
 著者は19世紀後半から20世紀前半にかけては、東アジアの発展経路が西洋の経路に収斂(しゅうれん)したが、20世紀後半にはそれが逆転して、西洋の径路が東アジアの径路に収斂するようになったと書いています。
 東アジアの近代は、中国中心から日本中心、そしてアメリカ中心へと推移しました。しかしベトナム戦争での敗北により、アメリカのヘゲモニーは揺らぎはじめます。それは日本の金融支援によって一時復権するかにみえましたが、最終的に強化されることはありませんでした。
 そこに中国がグローバルな市場として開かれるいっぽう、中国が世界中に広がる華僑ネットワークを通じて、海外貿易や投資にも乗りだすと、東アジアの構図は一変します。中国の成功は、「東アジアの再興のまったく新しい段階、つまりアジア地域の経済が中国を中心に再編される段階」を告げている、と著者は断言しています。

 外国資本にとって中国の魅力は「巨大で安価な労働予備軍」ではなく、「労働予備軍の高い資質」だと、著者は書いています。
 中国が台頭し、「経済的ルネッサンス」を迎えたのは、「中国が外国資本を必要とした以上に、外国資本が中国を必要とした」からです。中国の経済拡張は「外国貿易と投資に開かれている」。そのあたりが、昔の日本とちがうところだとも書いています。
 かといって、中国はしっかり国益を守っています。海外からの直接投資を認める場合も、それが自国に役立つ場合にかぎられているのです。規制緩和と民営化は慎重な配慮のうえになされ、政府は新規産業の創出、経済(輸出)特区の設立、高等教育、インフラ整備に力を注いできました。
 中国の経済特区には、労働集約型(部品生産や組み立て)の珠江デルタ[たとえば深圳(しんせん)]、資本集約型(半導体、コンピューターなど)の長江デルタ[上海]、中国版シリコンバレーというべき北京中関村などがありますが、その場合も中国政府は対外貿易だけを応援していたわけではありません。
 中国政府が何よりも優先したのは、産業化の基盤として教育であり、国内市場であり、さらには農業開発である、と著者は断言します。
 それは資本主義への移行というより、アダム・スミス的な市場経済重視の姿勢のあらわれだといいます。まず全国で外国の技術に対する企業者の情熱が生まれ、それによって国内市場が開拓され、最後に海外市場に向かうという方向は、まさにアダム・スミスの方策です。
 正規部門の労働者は雇用が保証され、医療や年金に対する給付金もじゅうぶんに支給されています。「国内市場の形成と農村地域における生活条件の改善」、これが中国政府が何よりもめざすものだ、と著者は断言します。
 中国の農村が豊かになったのは、1970年代後半から農業生産請負責任制が導入されてからです。それによって農業の生産性と農民の収入が一気に高まりました。加えて農村地帯に「郷鎮企業」が生まれ、農村の余剰労働力を吸収していったことも、農民の生活改善に役立ったといいます。
 郷鎮企業は中国経済に大きく寄与し、農村の収入を増やすとともに、国内市場を拡大する役割を果たしました。それはマルクスのみた農村の分解、あるいは「本源的蓄積」とはまったく異なるスミス的な発展経路であり、「産業(industrial)革命」ならぬ「勤勉(industrious)革命」のもたらした成果だったといいます。
 著者は鄧小平の改革を高く評価しています。この改革は企業者の活力を引き出し、一人あたり所得の上昇をもたらし、市場経済を引っ張っていく共産党の政治基盤を強固にしました。中国ではソ連とちがって、「農村の破壊ではなく、農民の経済と教育の高揚」を通じて近代化が進められたというのです。
 しかし、現在の中国に社会的矛盾がないわけではない、と最後に著者はつけ加えます。「一つは所得の不平等の大幅な拡大であり、もう一つは改革の手続きや結果に対する人々の不満の増大である」。各地で社会的騒擾(そうじょう)やストが頻発し、いっぽうで言論の自由が封殺されています。それがどういう方向にいくかは、だれにも予想できません。
「エピローグ」では、中国の台頭が世界の文明にどのような意味をもつかが論じられ、重要なのは、かつてスミスが主張したように、西洋人と非西洋人とのあいだに平等と相互尊重の姿勢が生まれるのかということだというテーマが掲げられます。
 著者は、アメリカが同盟国と中国を対峙(たいじ)させて「漁夫の利」をねらったり、昔ながらの「封じ込め政策」をとったりするのは、まったく時代に逆行しているし、むしろ世界を混乱におとしいれる危険性をもっている。かといって、キッシンジャーの考えるように、中国をアメリカのシステムに包摂しておくのも無理があるといいます。中国が南北対立の解消に積極的な役割を期待するとも書いています。
 締めくくりの一節はこうなっていますが、けっして楽観的ではありません。

〈新たな方向づけにより、中国が伝統の再興に成功し、自立した市場を基盤とする発展、収奪なき資本蓄積、非人的ならぬ人的資源の動員、大衆参加型の政治による政策形成を遂げることができるなら、中国が文化のちがいを尊重しあう諸文明連邦の形成に大きく寄与するようになる公算が高い。しかし、その方向づけがうまくいかなければ、中国が社会的・政治的混乱の新たな震央に転じる可能性もある。その場合は、北側(先進資本主義諸国)が巻き返しをはかって、崩れつつあるグローバルな支配を再構築しようとするかもしれない。あるいは、ふたたびシュンペーターの言い方を転用すれば、社会的・政治的混乱が、冷戦体制の消滅に続いて生じている暴力をエスカレートさせ、人類を恐怖(もしくは昇天)へと駆り立てていかないともかぎらない。〉

 お互い冷静になって、先を見つめなければなりません。

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