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シエナのパリオ──イタリア夏の旅日記(10) [旅]

8月16日(水)
 シエナに滞在する時間も残りわずかになってきた。
 今回の旅行ではフィレンツェに出かけることもなかった。せめて、もう一度シエナの旧市街を見ておこうと、朝10時過ぎ、ミワにサンドメニコ教会のところまで車で送ってもらい、少し街を歩くことにした。
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 ブランダの泉まで降りてくる。ここはダンテの『神曲』にもうたわれた場所だ。川に恵まれない丘の街シエナは、地下水路網や泉、水飲み場などをつくって、水の確保に最大限の工夫をこらした。
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 シエナは坂の街だ。下ったかと思うと、また上る。また坂を上ってもいいのだが、泉の近くに幸い市が設置したエレベーターをみつけた。それを利用させてもらって、ドゥオモ(大聖堂)の裏通りまでやってきた。
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 むかし孫のユウキと行った植物園に立ち寄る。きょうは8月のパリオ(カンポ広場での競馬)の日だ。パリオの旗をかかげて街を練り歩く行列にぶつかった。パリオは毎年7月と8月に開かれ、その都度、新しい旗がつくられる。マテオは今回つくられた旗が気に入らないらしく、さんざん文句を言っていた。
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 街にはコントラーダ(町会)ごとに水飲み場が設けられている。通りで出会ったカメ(タルトゥーカ)と波(オンダ、シンボルはイルカ)のコントラーダの水飲み場を写真に収めた。
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 裏通りを通ってカンポ広場まで行く。
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 広場の奥に立つ市役所には、きょうのレースに参加する各コントラーダの旗が掲げられていた。マテオとユウキのコントラーダは下段の左から7番目のヤマアラシ(イストリチェ)だ。
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 暑くなってきたので、グロムでジェラートを食べてから引き上げることにした。ナンニーニのジェラートは甘くて苦手。7番のバスに乗り、1時過ぎ、家に戻った。
 少し昼寝をしてから、夕方からテレビ中継でパリオを見る。パリオといってもイメージがわかないだろうから、その雰囲気だけでも別のブログの写真を借りて、伝えておこう(すみません)。
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 今回勝ったのは、ガチョウ(オーカ)のコントラーダだった。最終の3週目で騎手を振り落としたまま、黒い馬が先頭でゴールを走り抜けた。何人もの騎手が落馬し、転倒する馬も出る波乱のレースだった。
 マテオたちのコントラーダはくじ運が悪く、スタートラインに並べず、いちばん後ろのいわば号令役に回されてしまった(このあたりは実際を見ないとわかりにくい)。しかも、途中で怪我をするという不運に見舞われた。パリオを見に行って街から早々に戻ってきたマテオはぼやくことしきり。
 パリオは激しい熱狂的なレースだ。鷲とか毛虫とかキリンとか、主に生き物の名前のついたコントラーダ(町会)の住民はだれもが興奮して、この日に望む。だが、遺恨が残らないようにさまざまな工夫がほどこされている。
 聖母マリアの名のもとにおこなわれること、毎年2回おこなわれること、出場できるのは17のコントラーダのうち10だけだが、今年出られなかったコントラーダは来年必ず出場できる規則になっていること。その他、さまざまな決まりが、どのコントラーダにも可能性があることを保証している。
 人は戦うように生まれている。だが、憎しみあい、殺しあうのを避けるには、大きな知恵が必要なのだ。残念ながら、人類はまだその大知に達していないのが悲しい。

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