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都市国家をめぐって──ヒックス『経済史の理論』を読む(3) [商品世界論ノート]

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 ここで都市国家の経済理論を述べてみたい、とヒックスはいう。モデルとされているのは、古代のアテナイだけではなく、中世のヴェネツィアやフィレンツェ、ジェノヴァなどだといってよい。
 都市国家の中核は、対外商業に従事する商人の団体である。商人たちは都市国家の外にある地域と取引をし、商人経済が都市国家を支えている。その意味で、都市国家はひとつの商業センターになっている。
 たとえばAという商品をもつA地域とBという商品をもつB地域があるとする。A地域は商品Bをほしがっており、B地域は商品Aをほしがっている。すると、都市国家の商人たちはA地域とB地域の仲立ちをすることによって利益を得、同時にA地域もB地域もみずからが持たない商品を手に入れることで潤うことになる。ただし商品A、商品Bが貢納によるものであるとすれば、利益を得るのは領民全体ではなく領主にとどまる可能性が強い。
 だが、通常、商業が拡大すると、その利幅は少なくなっていく。商人の利潤率は取引量に比して下落し、商業の拡大テンポも鈍っていく。そこで商人は新しい商品や新しい販路を求めて、商業の多様化をはかることを迫られる。
 一口に商業の多様化といっても、それは楽なことではない。そこで、都市国家が重要性を発揮することになる。都市国家は商人の取引に安全保障を与え、商業の多様化という困難な課題解決を後押しすることになる、とヒックスは書いている。
 商業が多様化するとしても、その拡大にはおのずから限界がある。だが、それにいたるまでに多くの余地が残されている。
 取引量が拡大するにつれて、組織が合理化され、その結果、取引費用が減少し、それによって商人の利益はむしろ増えるかもしれない。都市国家の拡大が全体の利益の拡大をもたらす可能性もある。商人数の増大は競争の激化をもたらすが、そのいっぽうで商業活動に一種の棲み分けをもたらし、商業をより効率的にすることも考えられる。
 商人経済の拡大と充実は危険の減少にもつながる。商業活動のありかたについての知識が深まり、無知に起因する損害を減らすからだ。取引が増えるにつれて、財産や契約を保護する制度も確立するようになり、さまざまな取り決めがなされるようになる。それが可能になるのは商業センターとしての都市国家が存在するからだ、とヒックスは断言する。
 また都市国家には海外に交易の根拠地を設け、植民地をつくるという強い誘因が存在することをヒックスは強調している。フェニキア人しかり、古代のギリシア人しかり、中世のイタリア人も地中海や黒海に植民都市をつくった。
 植民地がつくられるとなると、それは先住民や敵対者から守られなくてはならない。そのさい往々にして武力が発動されることになる。都市国家による植民地化は近代国家による植民地化とは大きく異なるが、それでも都市国家が植民地形成の初期モデルとなったことはまちがいない、とヒックスは考えている。
 都市国家は商業経済と植民地化によって、内的にも外的にも拡大していく。競争はより激化し、利潤率は下がっていくものの、組織はより効率的になるために、全体としての利益は拡大する方向にある。ただし、それを阻害するものがあるとすれば、地理上の新しい地域で、商品の新しい供給源が開発されたときである、とヒックスはいう(たとえばアメリカ新大陸の発見やインド航路の開発を考えてみよう)。
 だが、その前に商業の成長が限界に達する。

〈もし商人が既存の市場においてもっと効率的に営業するための新しい組織を発見することに失敗したり、新しい市場を発見したりすることに失敗すれば、価格がかれらにとって不利な方向に動いていくことに気付くだろう。というよりはむしろ、取引量を拡大しようとすれば、価格がかれらに不利な方向に動いていくという状況に達するであろう。〉

 もはや組織の効率化もできなくなり、新たな市場も開拓できなくなったときに、むりやり商品の販売量を増やそうとしても、値崩れをおこし、かえって利潤は減少してしまうという状況におちいってしまうのだ。
 それでも都市国家が依然として商業の拡大をめざすなら、都市国家どうしの戦争が勃発する。都市国家どうしの戦争がおこりやすいのは、「まさにこの時点、すなわち商業の成長が限界に近づきはじめる時」である、とヒックスはいう。古代ギリシアのペロポネソス戦争や、1400年ごろのジェノヴァとヴェネツィアの戦争の背景には、こうした商業的要因がひそんでいるという。
 しかし、都市国家どうしが協定を結んで、地域内で棲み分けるようになることも考えられないではない。すると、都市国家の指令のもとで、「商人は慣習的権利・義務の体系の中において、一つの地位を受け入れるようになっていく」。
 商業の拡大が停止したといっても、商業は衰退したわけではない。利潤水準は依然として高いが、利潤を拡大のために再投資しないことが、高利潤を維持するための条件となる。すると、市場の喧噪に代わって秩序がもたらされる時期がやってくる、とヒックスはいう。

〈拡大を特徴づけた活気は直ちには失われないであろうが、いずれ活気は商業の革新から去って他に向かわざるをえない。だが、安全の保障と富があるので、他の分野に転ずることが可能である。商業の拡大は知的刺激を与えていたが、それがもはや知的活力の対象となりえない時点にたちいたると、芸術は芸術のために、学問は学問のために追究することが可能となる。〉

 こうしてアテナイには芸術と学問が興隆し、フィレンツェやヴェネツィアにはルネサンスがもたらされた。「しかし、果実が熟れるときは常に秋なのである」。都市国家はその商業活力を失ったときに、最後の花を開いたあと、危機に陥っていくことになる。

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