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1985年の経済──大世紀末パレード(3) [大世紀末パレード]

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 少し経済の話をする。タネ本は引きつづき吉崎達彦の『1985年』だ。
 このころは経済指標としてまだGNP(国民総生産)が用いられていた。GDP(国内総生産)が一般的指標となるのは1990年代後半になってからだという。
 ちなみにGNPが1年間で「日本国民が」生みだした付加価値の総額をさすのにたいし、GDPは「日本国内で」生みだされた付加価値の総額を指すという説明は明解だ。たとえば日本企業がアメリカで稼いだ分はGNPに反映されるが、GDPには反映されない。
 1985年の『経済白書』は「新しい成長」の方向として、重厚長大から軽薄短小へ、ハードからソフトへという流れを打ちだしている。太平洋地域が経済成長していくことにも触れている。
1985年当時、日本の高齢化(65歳以上)比率は、まだ10%程度にすぎない(2023年現在は28.4%だ)。
 吉崎は「日本はまだ若い国だった」と書いている。
 国民年金法が改正されたのは、この年4月のことで、サラリーマンとその妻も国民年金に加入することが義務づけられた。こうして、いわゆる2階建ての年金制度ができあがる。
「白書」では、「人口高齢化と経済活力」の項が設けられ、年金と医療の負担が今後の課題となるとされていた。そのとおりとなった。
 だが、吉崎は「白書」が予想していなかったことがあったと指摘する。それが低成長、少子化、低金利だ。
 そのころは、まだ3.5%〜4.5%の経済成長がつづくと考えられていた。団塊ジュニア世代が成人に達すると出生率も上がると思われていた。金利はむしろ高金利になるとみられていた。
 それがことごとくくつがえる。
 ここで1985年の状況を示す統計をいくつか挙げておこう。

人口は1億2105万人(現在は1億2427万人/2023年)。
GDPは名目で329兆790億円(566.5兆円/2022年)。
GDP成長率は名目で6.4%、実質で4.9%の伸び(名目2.3%、実質1.5%/2022年)。
株価は年平均で1万3113円(2万6094円/2022年末)。
経常収支は12兆5731億円の黒字(11.4兆円/2022年)。
一般会計の歳出は52兆4996億円。国債依存度は22.2%(107兆5964億円、国債依存度は31.4%/2022年)。
国債残高は134兆円(1068兆円/2023年)。
労働力人口は5963万人(6667万人/2023年)。
為替レートは年平均で1ドル=200.6円(1ドル=119.1円/2022年)。
長期金利は6.582%(0.25%/2022年)。
外貨準備高は279億ドル(1兆2570億ドル/2023年)。
個人金融資産は495兆7385億円(2121兆円/2023年)。

 これを詳しく説明するときりがないので、やめておく。いまはイメージを膨らませるだけでいいだろう。経済は一見悪くないようにみえるが、その内実はかろうじて持ちこたえているというところか。
 1985年の経済について、吉崎はこう書いている。

〈日本経済はまだ元気一杯である。すでに2度のオイルショックを乗り切った。「ジャパン・アズ・ナンバー・ワン」というお褒めの言葉まで頂戴した。なおかつ、プラザ合意以後の円高に耐える体力があったのである。今やかなり落日の感のある2005年の日本経済に比べると、1985年は「午後2時の太陽」とでもいうべき眩しさがある。〉

 この感想が記されたのは2005年のことである。それからさらに20年近くたったいまは、何といえばいいのだろう。日本経済はすっかり眠りについたと言い切るのはさびしい。エンジンを空ぶかしするものの、車は前に進まない状況に陥っているというべきか。
 それはさておき、1985年の状況に話を戻す。
 当時の総理府の「国民生活に関する世論調査」では、1985年の「お宅の生活程度」にたいして、「中の中」と答える人は53.7%もいた。「中の上」、「中の下」と合わせると、88.5%が中流意識をもっていたことになる。
 生活にたいする満足度は高かった。日本はいい国になったと思う人が増えていたのである。
 生活にたいする満足度は政治意識をも変容させる。
「中流社会の長期化と高い生活への満足度は、貧しさに不満を持つ人たちの気持ちを代弁してきた革新政党を弱体化させ、保守政党への支持を強めていた」と、吉崎は記している。
 1985年には茨城県つくば市のエキスポセンターで「科学万博」が開かれていた。ソニーのジャンボトロン、リニアモーターカー、そして数々のロボットショー。ぼくも子どもたちを連れて出かけたが、これといった記憶がないのは、すでに感性が摩滅していたか。
 とはいえ、当時は「ハイテク国家・日本」とか、「ニューメディア元年」ということばが世の中にあふれていた。
 電電公社が民営化されNTTと改称されたのもこの年である。任天堂のファミリーコンピューター、すなわちファミコンがヒットしはじめるようになる。わが家もとうぜんのようにファミコンを購入し、子どもたちは「スーパーマリオ」に熱狂しはじめるが、ぼくはまったくついていけなかった。
 そのいっぽうで、吉崎は「80年代半ば頃の日本は、もはや高度成長期のように、『作れば売れる』という時代ではなくなっていた」と書いている。トレンドなるものが重視され、マーケティングが盛んになる。
 コピーライターが花形職業となり、糸井重里らがもてはやされた。糸井の代表作が82年の西武百貨店のコピー「おいしい生活」である。消費者はもはや「おいしい」ものしか求めなくなった。百貨店業界はこのころまだ元気があった。
 ぼくの生まれた1948年のエンゲル係数は60.4%だった。それが1985年には25.8%まで下がっていた。
 ほとんどの家庭に冷蔵庫、洗濯機、掃除機、カラーテレビが行き渡るようになる。しかし、電子レンジ、ルームエアコン、VTR、ビデオカメラ、ステレオなどはまだ普及しておらず、乗用車もまだ完全に浸透していない。CDプレーヤーやワープロは登場したばかり。デジタルカメラ、DVDプレーヤー、パソコン、ファクシミリ、携帯電話はまだ市場に姿をみせていない。家電や電子機器の裾野は広く、乗用車への憧れもまだ根強かった。
 グルメ時代がはじまろうとしていた。マンガ『美味しんぼ』が大ヒットし、料理評論家の山本益博が脚光を浴びる。
 吉崎はこう書く。

〈思うに生活に余裕ができたとき、何におカネと時間をかけるかはそれぞれの国の文化によるのであろう。紋切り型の分類でいけば、イギリス人は住居を充実させて庭の手入れをし、ドイツ人は家具やクルマにお金をかけ、イタリア人はファッションにこだわる。どうも日本人の場合は、「食べること」が自然の選択肢になるようだ。〉

 うそがほんとかはともかく、類型的な比較としてはおもしろい。なるほどなと思わせる。

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