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国家の財政基盤──ヒックス『経済史の理論』を読む(5) [商品世界論ノート]

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 第6章「国家の財政」を読んでみる。
 ここでは都市国家を引き継いだ近世(ヒックスのことばでいえば「中期の局面」)の領域国家としての「君主国家」が、常に財政危機に悩まされ、それを克服する過程で近代の「国民国家」へと変成していく内的必然性が論じられている。
 近世の君主国家は常に貨幣不足を経験していた、とヒックスはいう。このことは王が困窮していたことを意味している。そのため、王は身近なところから財産を没収しようとして、たびたび内乱を招いた。
 王が困窮していた原因は、租税収入が慢性的に不足していたからである。王の財政は農業に依拠していたが、近世にはいると商業が国富の大きな部分を占めるようになる。ところが、王は商人階級の富を完全に捕捉することができなかったため、商人階級への有効な課税ができなかったのだ、とヒックスはいう。
 たとえば、商品の取引にたいしては、二、三の港で関税を徴収することができた。だが、それは全体のごく一部を把捉したにすぎず、しかも徴収に手間もかかった。かといって、直接税として所得税をとることもむずかしかった。効率のよい所得税のための条件ができたのは、ごく最近のことで、近世においてはまだ所得という概念すら普及していない、とヒックスは記している。
 商人の利潤を把握して、それに課税する仕組みもできていなかった。それがようやくできるようになるのは、ひとつに有限責任会社、すなわち株式会社が登場してからである。株式会社には利潤を確定し、そこから配当金を支払う義務がある。利潤が確定されると、課税が可能になる。
 所得税がないときは財産税に頼らなければならないが、そもそも財産の大きさを評価するには煩雑な作業を必要とした。そのため、それは(たとえば日本における検地にしても)頻繁にはなされず、過去の評価に頼らざるを得なかったため、いくらでも課税を逃れる抜け道があった。
 そのため、近世の政府は必要とする税収を確保することが、きわめて困難だった、とヒックスはいう。徴収は手間がかかるだけでなく、きわめて不公平だった。しかも支配者が新しい税を課そうとすると、「暴君」への反乱を招く恐れすらあった。アメリカ独立戦争のきっかけとなったボストン茶会事件(1773年)もそのひとつだったといえるだろう。
 とはいえ、政府の支出はたえず増大していく傾向にある。とりわけ戦争のような非常事態が生じたさいには、王は臨時的な支出を工面しなければならなかった。そのために取られた方策が借入にほかならない。
 借入はいわば国家にたいする無担保融資である。だが、近世の国家には概して信用がなかった。返済期限がきても王が返済を拒否することはじゅうぶんに考えられ、じっさい王はしばしば借金返済をボイコットした。
 すると、次に考えられるのは、国家にたいする担保貸付である。実際に、戴冠式用の宝石類や土地財産(王領地)、あるいは徴税請負権が「質」に取られることもあったという。さらに国家への貸付にたいしては、債権者の将来の課税を免除するという特権を付与する場合もあった。
 その結果、貧者は依然として税を支払い、富者は大部分の税を免れるという状況を招くことになる。フランスの君主制が崩壊した背景には、こうした財政の末期的症状がみられた、とヒックスは指摘する。
 だが、国家の財政を満たすほかの手段は考えられなかったのだろうか。王は貨幣の鋳造権をもっていたのだから、それを活用して、貨幣供給を操作することもできたはずだ。じっさい王はそれを試みた。
 貨幣の供給は、金・銀貨の時代には貨幣鋳造所に送られてくる金属の供給に依存していた。近世のヨーロッパでは、すでに王は収入の大部分を貨幣で受けとるようになっていた。その貨幣を王は鋳造所に回し、さらに卑金属を混ぜて改鋳し、貨幣の量を増やすことができた。
 金属の最大の供給源は商人だった。交易をおこなう商人のもとには貨幣だけではなく金や銀そのものが集まっている。商人たちは摩耗した鋳貨や金銀の地金を王の貨幣鋳造所にもっていき、手数料や税を払って新しい貨幣を受けとった。政府はそれによって収入を得たが、そのさいあまりに貨幣の品質を落とすならば、商人による金属の供給そのものが途絶えてしまう恐れがあった。
 それは主に国際的に通用する大「通貨」、すなわち正貨について言えることである。だが、国内だけで通用する地方通貨に関しては、それを「法貨」とすることで、かなりの悪鋳が可能だった。そのため、政府は非常事態にさいしては、補助財源を確保するために、地方通貨の操作をおこなったという。
 だが、大量の悪鋳がおこなわれれば、貨幣供給量が増え、物価が上がり、インフレーションが生じる。それによって政府の収入も増えたことはまちがいないが、インフレーションは政府収入の実質的価値を減少させたから、インフレ政策は結局のところ、政府を弱体化させることになった。
 つまり、政府が支出増に対応するには、商人からの借入も貨幣の改鋳も抜本的な対策になりえなかったということだ。
 近世の国家にくらべると、近代の国家ははるかに強力な財政基盤をもつようになった、とヒックスはいう。どうしてか。
 ひとつは政府が政府の借入を短期間ではなく、長期間のものとし、年利を保証することによってである。これにより、比較的信用の高い借入制度(国債発行)が導入されるようになった。
 より重要なのが銀行制度の発展である。銀行はこれまでも商人間の金融を仲介する役割をはたしていたが、それがより信用度の低い国家への貸付をおこなうようになると、逆に国家は銀行を保護せざるをえなくなる。最終的には中央銀行の設立へと向かっていくことになるだろう。
 銀行は預金を受け入れるとともに、小切手や手形を発行するようになる。これによって銀行は実質的に貨幣(紙幣)を生みだすことができるようになった。
 ヒックスはこう書いている。

〈重要なのは、貨幣創出の経路が銀行によって提供されていることである。「国家」が自分自身の通貨で表わされている負債の支払を履行しないという危険はもはやなくなる。「国家」はいつでも銀行制度を通じて借入を行なうことが可能となったからである。〉

 中央銀行による紙幣の発行は、金融の幅を広げるとともに、国家による貨幣供給の統制を可能にした。それにより国家は「貨幣に対する支配力」をもつことになり、政府の財政基盤はより強化されるようになった。
 だが、もうひとつ肝心なことが残っている。それは国家が課税力を著しく強化したことである。いまや国家は所得税、利潤税、販売税、それに相続税、固定資産税などの財産税をも収入源とするようになっているが、それらはすべて金融の発展、すなわち貨幣による評価が可能になったからこそである。
 財政基盤の強化は、強力な行政を生みだす。大規模でこまかい行政は、金を投じないかぎり実現できない。ヒックスは「産業革命」になぞらえて、これを近代における「行政革命」と名づけている。
 歴史的にみれば、もともと商人経済は政治的権威から逃避する傾向をもっていた。しかし、近代の特徴は、国家が商人経済を基盤としながら、商人経済を統制することができるようになったことだ、とヒックスは論じている。

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