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ちっちゃな大論争(2)──大世紀末パレード(6) [大世紀末パレード]

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 1985年1月から4月にかけ、吉本隆明は雑誌「海燕」で埴谷雄高と論争をくり広げた。
 論争の後半で、埴谷は84年9月21日号の雑誌「an an」に掲載された、最新ファッションをまとった吉本の写真に衝撃をうけた。
 埴谷はこう書いている(数字は算用数字で表記した)。

〈最初の写真には、多くの書物に囲まれた広い書斎で、16,000円のセーター、13,800円のダンガリーシャツを着ながら原稿を書いているあなたの横向きの姿が写されていますが、この書斎の天井から垂れているシャンデリアもテーブル、ランプも豪華だと思いながらも、あなたの勉強ぶりに感心しこそすれ、苦言などありません。私が衝撃をうけたのは、次のページの写真でした。〉

 埴谷が衝撃を受けたというのは、外の感じのよい建物を背に腰掛け、微笑する吉本のもう1枚の写真だった。光の関係で、吉本の背後にはまるで後光が射しているかのようにみえた。

〈そして、そのとき、あなたは、62,000円のレーヨンツイードのジャケット、29,000円のレーヨンシャツ、25,000円のパンツ、18,000円のカーディガン、5,500円のシルクのタイ、を身につけ、そして、足許は見えませんけれど、35,000円の靴をはいています。このような「ぶったくり商品」のCM画像に「現代思想界をリードする吉本隆明」がなってくれることに、吾国の高度資本主義は、まことに「後光」が射す思いを懐いたことでしょう。
 吾国の資本主義は、朝鮮戦争とヴェトナム戦争の血の上に「火事場泥棒」のボロ儲けを重ねたあげく、高度な技術と設備を整えて、つぎには、「ぶったくり商品」の「進出」によって「収奪」を積みあげに積みあげる高度成長なるものをとげました。〉

 左翼の理念をかかげて冷たい皮肉を放つ埴谷の「苦言」に、吉本はことこまかに反論した。
 いま自分が住んでいる家はお寺の借地に建てられた建売住宅で、もとからついていたシャンデリアのぶら下がった応接間を仕事場の書斎に転用しているだけだ。家の広さは埴谷邸の半分もなく、そこに家族4人がくらしている。それをあたかもぜいたくなくらしをしているように記すのは、「最低のスターリン主義者」の卑しさを示す以外の何ものでもない。
 じっさい、売れっ子評論家とはいえ、ほとんど筆一本でくらしている吉本の収入は、ベストセラー作家などとちがって、さほど多くはなかっただろう。もっとも、その点は埴谷も同じである。
 さらに吉本は自分の身につけているものがいかに高価なものかを強調する視線の卑しさに、スターリン主義的な(あるいは毛沢東思想的な、といってもよいが)理念がまとわりついていることを感じた。
「アンアン」で吉本が披露したのはコム・デ・ギャルソンの紳士服だった。ここで、吉本はコム・デ・ギャルソンを主宰する川久保玲のファッション・デザインが世界最高水準をもつ、いかにすぐれたものであるかを強調する。そして、そのモデルを務めた自分に「苦言」を呈する埴谷に、資本主義企業のつくりだす商品それ自体を否定する左翼の類型的視線を覚えるのだった。
 吉本はどこか「アンアン」をさげすんでいるようにみえる左翼インテリの埴谷をさとすように、こうも述べている。

〈「アンアン」という雑誌は、先進資本主義国である日本の中学や高校出のOL(貴方に判りやすい用語を使えば、中級または下級の女子賃労働者です)を読者対象として、その消費生活のファッション便覧(マニュアル)の役割をもつ愉しい雑誌です。総じて消費生活用の雑誌は生産の観点と逆に読まれなくてはなりませんが、この雑誌の読み方は、貴方の侮蔑をこめた反感とは逆さまでなければなりません。先進資本主義国日本の中級ないし下級の女子賃労働者は、こんなファッション便覧に眼くばりするような消費生活をもてるほど、豊かになったのか、というように読まれるべきです。〉

「アンアン」に載っているような商品は、あくまでもあこがれであり、目標であっても、それを楽々と買えるOLは少なかっただろう。それでも、レーニンやスターリンの唱える「社会主義」のもとでは、「アンアン」のようなファッション・マニュアル誌の存在自体が認められなかったはずである。
 ここで吉本は、いまや大衆がみずからを「解放する方位」は、スターリン主義的な「社会主義」の「まやかしの倫理」の先にではなく、資本主義の転位する延長上にあるはずだ、とはっきり宣言している。先進資本主義「国」の労働者が豊かな生活ができる賃金を確保しつつ、週休3日制を獲得できる方向をめざさなければならない。そのときこそ、むしろ資本主義の延長に、自由な社会主義という理想が実現されるというべきではないか。
 吉本は「日本の資本制を、単色に悪魔の貌に仕立てようとして」いる埴谷にレーニン-スターリン主義に同調する「まやかしの偽装倫理」を感じた。そして、現在克服すべき思想的課題は、資本主義そのものよりも、ポルポトによる虐殺や反対派への弾圧などをもたらしているレーニン-スターリン主義的な社会主義の側にあると考えていた。
 ここで吉本は「重層的な非決定へ」をみずからの理念としたいと述べている。それはどういうことか。
 埴谷は、経済進出する日本を「悪魔」と呼んでいる「タイの青年」をもちだして、ファッション雑誌に写真姿をさらしている吉本のていたらくを非難した。それは「疑似倫理」にもとづくあまりにも短絡的な思考だ、と吉本は反論する。資本主義にも否定面がないわけではない。しかし、自然破壊や公害、環境問題など資本主義を批判する材料をかき集め、ひっくるめて資本主義そのものを「悪の根源」とする決定論的なやり方は空虚だと論じた。
 はっきり言ってしまうと、ここで吉本はマルクス主義的な決定論(決めつけ)から脱出しようとしていたのである。そこから「重層的な非決定へ」という視座が打ち出される。

〈私の場所からみえる「現在」は、モダンやポスト・モダンに単層的に収束できるようにおもわれないのです。ここでは「重層的な非決定」がどうしても不可避であるようにおもわれてなりません。……破片はどれも浅薄で取るにたりないものですし、核心というのもそれを寄せあつめたガラクタにしか視えないかもしれません。でもそれで「現在」が終りだとおもったら間違うようにおもわれます。〉

 いまおきている諸現象を、外在的な物差しではなく、内在的、かつ重層的にとらえていかなければならない。
 とはいえ、これ以降、吉本が反「社会主義」の立場をむしろ決定的にしていったのは確かである。そのぶん、資本主義には甘くなった。じっさい、日本資本主義は1980年代をピークとして、吉本の期待した「超資本主義」に転位することなく、低迷をつづけることになる。

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