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シュンペーターをめぐって(1) [経済学]

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 またも古い本を読む。ツンドク本の整理がつづいている。
 シュンペーター(1883〜1950)の『資本主義・社会主義・民主主義』がアメリカで出版されたのは1942年のこと。その後、1947年に1章がつけ加えられた。さらに急逝直前の原稿と講演録が追加されたのは没年の1950年である。
 日本語版は1950年12月に中山伊知郎、東畑精一の訳で東洋経済新報社から出版され、その後、訂正を加えて1962年に再刊されている。ぼくがもっているのは1971年の第23刷だ。訳書では著者名がシュムペーターとなっているが、ここではシュンペーターで統一することにする。
 ヨーゼフ・アロイス・シュンペーターは1883年にオーストリア・ハンガリー帝国はモラヴィア(現チェコ東部)のトリーシュで生まれた。ウィーン大学で学び、1908年に『理論経済学の主要内容と本質』を発刊し、注目を浴びた。その後、グラーツ大学教授となり、1912年に代表作のひとつ『経済発展の理論』を発表した。
 1919年にはオーストリアの財務相に就任。1921年にはウィーンのビーダーマン銀行の頭取となるが、銀行は24年に経営危機におちいり、解任された。
 1925年、シュンペーターはふたたび学究生活に戻り、ボン大学の教授となる。1927年から31年にかけては、アメリカのハーヴァード大学で客員教授として教え、33年にアメリカに正式移住した。
 1939年には大作『景気循環論』を発表、そして42年に本書『資本主義・社会主義・民主主義』が出版された。未完の大著『経済分析の歴史』は死後の1954年に刊行されている。
 ケインズがケンブリッジ経済学を受け継いだのにたいし、シュンペーターはオーストリア学派のなかで育ったといってよい。その後、ケンブリッジ学派とオーストリア学派のあいだでは、多くの論争がくり広げられることになる。
 それはともかく、無手勝流で、本にぶつかってみるのはいつものことだ。
 最近では、資本主義対社会主義の議論がすっかりなりをひそめ、社会主義から資本主義への流れがあたりまえのようになっている。そんなとき、はたして資本主義から社会主義への移行を説く、一見時代錯誤と思える本書を読む価値はあるのだろうか。
 そんな疑問をいだきつつ、ページをめくるのは、いまも燃え残るそこはかとない興味からである。

 本書は全体として5部からなり、それに付録がつけられている。ぼくのもっている3巻本の訳書では、あわせて800ページ強の大著となっている。
 その内訳は次の通りだ。

第1部 マルクス学説
第2部 資本主義は生き延びうるか
第3部 社会主義は作用[機能]しうるか
第4部 社会主義と民主主義
第5部 社会主義政党の歴史的概観
付 録 その後の戦後展開への注釈

 いまでも興味がもたれそうなのは、第2部の「資本主義は生き延びうるか」で、本書はこの部分だけ読めばじゅうぶんなのかもしれない。
 しかし、先を急ぐでもないこのブログでは、ほかの部分も、できるだけ簡略に紹介したいと思う。
 ひまなじいさんの読書メモである。例によって、真実のほどは保証しない。

 まずは「マルクス学説」についてだ。
 シュンペーターによるマルクス批判が焦点となる。
 マルクスは予言者であり、社会学者であり、経済学者であり、教育者だというのが、シュンペーターの見立てである。
 最初にシュンペーターは、マルクスの思想と、ソ連での実践・イデオロギーは大きく食いちがっていると書いている。それはキリストの教えと中世の教会の実態が、かけ離れているのと似ているという。
解体(分析)すべきは、あくまでもマルクス自身の思想だ。
 マルクス主義は宗教だというのは、けっして、けなしことばではない。宗教は生き方であり、世界を理解する基準であり、さらに救済への指針でもある。そのことがマルクス主義への熱狂を生む要因になっている。
 宗教なき唯物主義のブルジョア文明のなかに登場した予言者がマルクスだった、とシュンペーターは書いている。
 マルクスの託宣は、あくまでも科学的だった。しかし、そこには超合理的な願望も含まれていた。
 それは実際の大衆の感情にもとづいていたというより、「階級意識」という仮定によってつくられた大衆像のもたらす願望だったという。
 実際の大衆はもっとカネがほしい、もっとえらくなりたい、もっといい暮らしがしたいと思っているものだ。ところが、マルクスは労働者が労働者意識を高めて、ブルジョアと戦い、社会主義をめざすのだという目標をかかげた。
 マルクスには威厳があった。そして、シュンペーターは「この威厳が偏狭や俗悪とはなはだ奇妙な同盟を結んでいた」と、なかなかひねくれた見方をする。
 マルクスには教養があった。かれは俗流社会主義者とちがい、文明の価値を理解していた。
 シュンペーターにいわせれば、「共産党宣言」は、「まさに資本主義の業績がいかに輝かしいものであるかの説明以外のなにものでもない」。
 マルクスは酒場での放言的な革命を軽蔑し、あくまでも「科学的社会主義」をめざした。そして、この方向は(ねじれた関係とはいえ)シュンペーターと案外近いものだった。

 マルクスがヘーゲルに学んだのはたしかだが、かれの体系は形而上学的ではなく、歴史的事実にもとづいている、とシュンペーターはいう。
 マルクスは社会学者でもあった。かれは社会集団や社会階級の動きから社会現象を説明した。その動きを説明するために経済的諸条件に光をあてた。だが、けっしてすべてを経済的要因に還元したわけではなかった。その意味で、マルクスの体系はマックス・ウェーバーの分析と両立するものだ、とシュンペーターはいう。
 マルクスは生産過程や生産条件が社会構造を決定づけ、その社会構造にもとづいて人間の心構えや行動は形づくられると考えたが、それは正しい、とシュンペーターも認める。経済的変化が社会的変化をもたらし、あらたな政治的・経済的状況をつくりだすのは、まさにそのとおりである。
 だが、歴史の経済的解釈はあたる場合もあるし、あたらない場合もある。社会構造や社会様式、人間の態度は容易には変わらないし、逆にそれらが生産条件に影響を与えることもあるのだ、とシュンペーターはいう。単純な図式は便利だが、それがすべてにあてはまるわけではない。
 マルクスの社会階級論についてはどうだろう。それがマルクスの重要な貢献であることはまちがいない。社会の歴史は階級闘争の歴史であるというのは誇張した表現ではあるが、一面の真理ではある。
 マルクスは階級理論をじゅうぶんに練りあげたわけではない。かれは生産手段を所有するか、それとも所有しないか(自己の労働を売らざるをえないか)によって、ブルジョアジー(資本家)とプロレタリアートを区別した。中間階級(農民や手工業者、自由職業者)の存在は否定されていないが、いずれも付随的な存在として扱われている、とシュンペーターは指摘する。
 マルクスは資本家が誕生するのは「原始的蓄積」、すなわち暴力的収奪によってであると考えた。
 シュンペーターはこれに疑問を呈する。
「ある人が資本家たりえたのは、彼が労働においても貯蓄においても他の人々よりはるかに聡明かつ精力的であったからであり、このことは今日でもそうである、というブルジョア発生の物語を、マルクスは軽蔑して否定する」
 だが、産業的成功には、こうした資質が欠かせない、とシュンペーターはいう。資本家はみずからの才覚によって利潤を確保し、また銀行から資金を借りることによって、資本を蓄積する。ところが、マルクスはそこにも、権力、強奪、抑圧がともなっているとみる。
 マルクスも封建的支配を打ち破って資本主義が登場してきたことを認めている。しかし、マルクスは資本主義があくまでも原始的蓄積、すなわち暴力的な収奪によって誕生し、それがその後も持続していると考えている。
それははたして事実なのだろうか、とシュンペーターは疑う。マルクスは資本主義の発生を見誤っているのではないか。
 また、資本家は未来永劫資本家であり、プロレタリアートは未来永劫プロレタリアートであるというマルクスの社会階級論も非現実的である。実際には、個々の家族が上流階級に上昇するいっぽうで、そこから没落する現象が常にみられるのだ。
 マルクスは資本主義を階級社会として理解し、これに階級なき社会主義を対置した。マルクスにとって、生産手段をもつ資本家と生産手段をもたないプロレタリアートを対置することは重要だった。それは、両者の敵対関係を強調することにつながるからだ。
 だが、たとえそこに階級関係が存在するとしても、平常の場合、その関係は本来協調的なものだ、とシュンペーターは主張する。
 マルクスは社会階級理論を経済理論に持ちこみ、資本主義を生産手段が私的に支配される制度として解釈する。そして、こうした階級関係が価値、利潤、賃金、投資などを通じて、どのように作用し、またそれが「ついにはそれ自身の制度的骨組みを瓦解せしめ、その反面、次にきたるべき社会の出現に必要な諸条件を作り出す」かを論じた。
 シュンペーターはマルクスの社会階級論が極端で一面的なものだと論じた。それでも、その経済理論の壮大さは認めている。
 シュンペータによるマルクスの解体作業はつづく。

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