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森嶋通夫の「日本没落」予測──大世紀末パレード(14) [大世紀末パレード]

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 世界的な経済学者の森嶋通夫(1923〜2004)が、『なぜ日本は没落するか』を出版したのは大世紀末の終わりに近い1999年のことだった。2050年の日本がどうなっているかを予測してみたという。その予測結果は、日本は「没落」する。なぜ、そう考えたのだろう。
 1982年に森嶋は Why Has Japan ‘Succeeded’ ? (『なぜ日本は「成功」したか』)という本を出版した。当時、日本は世界から「経済大国」として注目を浴びていた。だが、はたして、それは手放しで日本の「成功」といえるのかに森嶋は疑問をもっていた。
 そして、世紀末。日本の「成功」物語はかなりあやしくなっていた。
 さらに50年先、日本はどうなるか。
 森嶋が「日本没落」を予想した理由ははっきりしている。
 人がだめになる。政治はますますだめになる。経済はいよいよだめになる。なるほど、これでは没落するはずだ。
 まず人をみていこう。
 国立社会保障・人口問題研究所は、1995年時点で2050年の日本の人口が1億5万人になるとみていた。その時点で、日本の人口はピークの2割減となる。この予想はほぼ当たりつつある。
 人口減の最大の要因は出生率の低下だ。いっぽう高齢者の比率はますます高くなる。将来、日本に活気がなくなることはまちがいないだろう。
 しかし、問題はむしろ「精神の荒廃」だ、と森嶋はいう。
20世紀末の時点で、日本では大学進学率が40%を超えるようになった。すると大学卒業生は稀少価値をもたなくなり、大学はエリートを養成する場ではなくなる。
 平等社会が進むと、ノブレス・オブリージュ(高い地位には重い義務が伴うという)意識が希薄になり、日本の社会全体に関心をもつ人も少なくなっていくというのが、森嶋の見方だ。
 自己の利益が第一で、悪事を犯すのも平気な人間が増え、道徳が退廃し、職業倫理も崩壊しようとしている。
 戦後、日本では儒教の禁欲主義はほぼ消滅してしまった、と森嶋は書いている。そのくせ、上下の秩序意識だけは相変わらずだ。
 加えて、日本の戦後教育は、知識を丸暗記させるだけで、論理的思考をないがしろにし、意志決定力を養わないままだった。そうしたなかから、国を引っぱっていくエリートが生まれるわけがない、と森嶋は嘆く。
「物質主義者・功利主義者になるための教育を受けた彼らは、倫理上の価値や理想、また社会的な義務について語ることに対しては、たとえ抽象的な論理的訓練としてでさえ、何の興味も持たないのである」
 日本人に覇気がなくなった。サラリーマンは、会社でおとなしく与えられた仕事をこなし、仕事が終わると家に帰ってぼうっとすごしているだけだ。
こんな状態で、人の「精神の荒廃」がつづけば、国の没落は必至となる。
 それでは、日本の政治に期待はもてるのだろうか。
 日本の政治は相変わらず「村」の政治で、世界からまったく注目されていない。大きな政治ビジョンをもつ政治家はいない、と森嶋は断言している。
 日本では派閥をつくって、財界などからカネを集め、部下を養うのが政治だと考えられている。「政治家にとっては主義主張はどうでもよい、すべては金である」。こうして政界ではいたるところで汚職行為が蔓延する。
 政治家の仕事は、新たな政治的アイデアをつくりだすことだ。政党は政治、経済、文教、福祉などあらゆる面にわたって政策プランを示して、有権者の審判をあおぐ。ところが、日本の政治は、支持者にどのような利権を与えるかに終始している。

〈多くの日本の若い人は政界に背を向けてしまい、政治家の家に生まれた二世だけが人材の主要補給源になっている。その結果政界は国民からますます離れた世界になり、彼らが国民の意志を代表していないことは、外国でも周知である。〉

 森嶋によれば、政治の荒廃が日本の没落を招く大きな要因のひとつだ。
 肝心の経済はどうだろう。
 金融機関における倫理の退廃ぶりは目をおおうばかりだ。
 1980年代末から90年代初めにかけて日本では土地バブルが発生した。それはまさに日本人の過剰貪欲がもたらした病弊だった、と森嶋はいう。
 企業は銀行から金を借りて、土地を購入した。その後、地価が急速に下がりはじめると、土地を担保に土地を購入した企業は、土地を処分しても借金が返せず、倒産の憂き目にあった。
銀行には不良債権と不良資産が残った。
 1970年代末ごろから企業は証券会社を通じて株券を時価で発行して、資金を確保するエクイティ・ファイナンスに踏みこむようになった。メイン・バンク・システムが危機にさらされると、銀行は遮二無二営業活動を拡大し、ノルマ制を強行した。融資先の審査はずさんになり、行員のモラルが破壊された。
 加えて、日本の銀行は金融機関の国際化(いわゆるビッグ・バン)でも大きくつまずく。もはや円が国際通貨として復位する可能性は見込めない。「円が国際性を持ち得るのは、アジア地域に限られると思われるが、アジアの建設や貿易で日本が主導権を取れないかぎり、円はアジアでの国際通貨にすらなり得ない」と森嶋はいう。
 産業の荒廃も進んだ。旧財閥の銀行と総合商社によって支えられていた企業集団は1980年代にばらばらになり、バブル崩壊後は「日本的経営」も行き詰まり、イノベーションの気風も失われた。

 だが、日本の没落を阻止する唯一の有効な打開策がある。それは「アジア共同体」(正確には「東北アジア共同体」)をつくることだ、と森嶋はいう。
「アジア共同体」は、「建設共同体」であって、単なる「市場共同体」ではない。組織的には中国を6ブロック、日本を2ブロック、朝鮮半島を2ブロックに分け、台湾を1ブロックとし、沖縄を独立させて、そこに共同体の本部を置くというものだ。
 大東亜共栄圏の名のもとになされた、日本による戦前の「アジア侵略」には弁解の余地がない。日本は中国や朝鮮半島の人びとに率直に謝らなければならない。そのうえで、「東北アジア共同体」が形成されれば、台湾問題や朝鮮南北問題はもとより、尖閣列島や竹島の領土問題も消え、つまらぬ神経を使わなくてもよくなる、と森嶋はいう。
 共同体ができれば、やがて単一通貨をつくるという問題も出てくるだろう。軍事的にみれば、東北アジアの緊張はなくなる。自衛隊は「アジア共同体」の構成メンバーとして、アメリカやNATOと連携を保ちながら行動することになる。
 森嶋にとっては「アジア共同体」こそが、今後、日本がめざすべき方向だった。それを阻止するものがあるとすれば、日本の没落とともに進行する「右傾化」の風潮にほかならないと考えていた。
 森嶋は当時盛んに活動していた「新しい歴史教科書をつくる会」の内向きのナショナリズムを批判している。

〈過去に自分たちの親や曾祖父が犯した過ちにこだわって、自らも歴史の進む方向の逆向きに行動し、子供や孫たちが過ちと見るような行動をするのは間違っている。歴史は方向性を持っている。歴史を学んでそのことを知るのが、歴史から学ぶことである。こういう歴史の学ばせ方をしない「新しい歴史教科書をつくる会」は間違っている。〉

 森嶋の「アジア共同体」構想は夢のまた夢に終わった。だが、それは見果てぬ夢だといってもよい。われわれとしては、20世紀末にそうした夢がえがかれていたことを記憶にとどめておいてもよいだろう。

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