南インドお気楽ツアー(1) [旅]
2024年2月22日(木)
「あと5年よ」というつれあいの声にうながされて、南インドのツアーに参加することになりました。
5年たてば80歳。おそらく海外旅行には行けなくなる年です。それまであちこち旅行しようと、つれあいははりきっています。
今回の旅行の日程は7日間ですが、移動にかかる時間を差し引けば、南インドにいられるのは5日間だけです。短い旅行といえるでしょう。
南インドをめざしたのは、何か特別な思い入れがあったわけではありません。2月は寒いので、少しあったかい場所に行きたいという他愛ない理由からです。インド好きの人には叱られるかもしれませんが、まさにお気楽な観光気分によるものでした。
いまいる場所はチェンナイのホテルです。
きのうは朝10時に成田を出発し、シンガポールを経由して、夜遅くにチェンナイに到着しました。シンガポールでの乗り継ぎ3時間を合わせると、チェンナイまで15時間半かかったことになります。
ただし、日本とチェンナイは3時間半の時差があるので、到着はその日のうちです。日本で苦労してとったeビザとパスポートを入国審査で提示し、無事、南インドに足を踏み入れます。
深夜にもかかわらず、チェンナイ空港の周辺はにぎやかでした。丸っこいタミル語の文字が新鮮です。
インド人のガイドさんが出迎えてくれ、総勢13人となるツアーの面々にあいさつし、旅行社が用意したバスに乗り込みました。郊外の空港からホテルまで小一時間かかりました。
バスのなかで、インドの人口は約14億人で、中国を抜いて世界一になったという話を聞きました。ガイドのウニヤルさんは40代の男性、デリーに住んでいて、このツアーのためにチェンナイまでやってきたといいます。車内で1ルピー=2円で両替してくれました。日本語は何年か群馬県で仕事をしているときに覚えたそうです。
ホテルに着いたときは、現地時間で12時をすぎていました。
昨夜は時差のせいか、よく眠れませんでした。
それなのに朝7時食事、8時出発のスケジュールが迫ってきます。もっとも、このホテルには2泊するので、荷物は置きっぱなしにできるのが、ありがたいところです。
何ということのないホテル「ザ・レジデンシー」の外観を写真に残しておきましょう。チェンナイ中心部から少し南に位置しています。
ガイドさんは、何時に集合とか、きょうはどこに行くとか、ほとんど事務的なことしか話さず、うるさくないといえば、そのとおりなのですが、もう少し歴史的なことを語ってもよさそうなのにと思いました。
もうひとつ残念なのは、せっかくチェンナイに来たのに、チェンナイの市内見学がツアーに組まれていないことです。
ガイドさんはチェンナイがデリー、ムンバイ(旧ボンベイ)、コルカタ(旧カルカッタ)につぐインド第4の都市で、人口は2000万人などと話していました。2000万人というのは大げさで、都市圏全体で1500万人というのが実際です。それでも大都会にちがいありません。
チェンナイはタミルナードゥ州の首都で、このあたりでは北部や中部のヒンディー語と異なるタミル語が話されています。日本からはスズキ、トヨタ、ホンダなど、多くの企業が進出していると説明してくれました。
しかし、ここがかつてマドラスと呼ばれていたことには触れませんでした。インドの地図が巨大な舌のかたちをしているとすれば、チェンナイ(旧マドラス)は舌の先っぽの右側(東側)に位置しています。
イギリスの東インド会社は1639年にこの地に進出し、翌年、セント・ジョージ要塞を築き、町をマドラスと名づけました。その遺跡は現在も残されているはずなのですが、今回それらを訪れることはできませんでした。
われわれの乗ったバスは、町なかを抜けて、南西に走ります。窓から道端の光景を撮らせてもらいました。
これは町のキオスク。新聞や飲み物、お菓子を売っています。
朝8時すぎともなると、道路には乗用車、リクシャー(オートリクシャー)と呼ばれるタクシー、オートバイ(二人乗りが多い)が、猛烈な勢いで行き交っています。いま気温は30度です。
これはバス停ですね。女性は色鮮やかなサリーをまとっている人が多いようです。道路にはみだすようにしてバスを待っています。
食べ物屋さんでしょうか。仕事に行く前の男たちが、仲間どうしおしゃべりしながら、揚げ物のようなものをぱくついているみたいです。
バイクに奥さんを乗せて、どこかに向かう姿はあちこちで見かけました。
道路にはゴミが散らかっていますが、だれも気にしている様子はありません。インドも車社会ですが、警笛が常に鳴り響くのは日本以上に車が混みあっているせいでしょうか。車線は時に平気で無視されます。
ラジブ・ガンディ・ニナイヴァカムという建造物を見かけました。あとで調べると、ニナイヴァカムとはメモリアル、記念堂のことです。
ラジブ・ガンディーはインドの第9代首相で、母は同じく首相を務めたインディラ・ガンディです。母がシーク教徒によりニューデリーで暗殺されたのを受けて、1984年にインドの首相となりました。
そして、かれ自身も1991年5月21日に、ここチェンナイ郊外で選挙運動中、スリランカの反政府組織「タミル・イーラム解放の虎(LTTE)」に属する女性の自爆テロよって暗殺されるのです。享年46歳でした。記念堂は、かれが暗殺された場所につくられています。
ガイドさんは、そうしたことも教えてくれません。政治的な問題はなるべく触れないようにしているのでしょう。
バスは高速道路にはいっています。未完成な道路が多いのですが、インドでは高速道路が次々とつくられているのが印象的でした。
次第に農村の風景が広がります。
道端に大きな観音様のようなものを見かけました。おそらくヒンドゥー教のお堂なのでしょうが、よくわかりません。でも何だかヒンドゥー教ぽくありませんね。
牛がのんびりと草をはんでいます。まわりにはアマサギ(?)の群れが。インドでは牛は神聖な動物で、人間よりもだいじにされていると聞きます。
ガイドさんによると、人の赤ちゃんは1歳になると牛乳を飲む。だから牛はお母さんと同じで神聖なのだといいます。この話にみょうに感動してしまいました。
10時ごろ、きょうの第一の目的地、カーンチープラムの寺院がみえてきました。
町のなかにはいります。黄色いリクシャーが何やら楽しげで、一度乗ってみたくなります。
「あと5年よ」というつれあいの声にうながされて、南インドのツアーに参加することになりました。
5年たてば80歳。おそらく海外旅行には行けなくなる年です。それまであちこち旅行しようと、つれあいははりきっています。
今回の旅行の日程は7日間ですが、移動にかかる時間を差し引けば、南インドにいられるのは5日間だけです。短い旅行といえるでしょう。
南インドをめざしたのは、何か特別な思い入れがあったわけではありません。2月は寒いので、少しあったかい場所に行きたいという他愛ない理由からです。インド好きの人には叱られるかもしれませんが、まさにお気楽な観光気分によるものでした。
いまいる場所はチェンナイのホテルです。
きのうは朝10時に成田を出発し、シンガポールを経由して、夜遅くにチェンナイに到着しました。シンガポールでの乗り継ぎ3時間を合わせると、チェンナイまで15時間半かかったことになります。
ただし、日本とチェンナイは3時間半の時差があるので、到着はその日のうちです。日本で苦労してとったeビザとパスポートを入国審査で提示し、無事、南インドに足を踏み入れます。
深夜にもかかわらず、チェンナイ空港の周辺はにぎやかでした。丸っこいタミル語の文字が新鮮です。
インド人のガイドさんが出迎えてくれ、総勢13人となるツアーの面々にあいさつし、旅行社が用意したバスに乗り込みました。郊外の空港からホテルまで小一時間かかりました。
バスのなかで、インドの人口は約14億人で、中国を抜いて世界一になったという話を聞きました。ガイドのウニヤルさんは40代の男性、デリーに住んでいて、このツアーのためにチェンナイまでやってきたといいます。車内で1ルピー=2円で両替してくれました。日本語は何年か群馬県で仕事をしているときに覚えたそうです。
ホテルに着いたときは、現地時間で12時をすぎていました。
昨夜は時差のせいか、よく眠れませんでした。
それなのに朝7時食事、8時出発のスケジュールが迫ってきます。もっとも、このホテルには2泊するので、荷物は置きっぱなしにできるのが、ありがたいところです。
何ということのないホテル「ザ・レジデンシー」の外観を写真に残しておきましょう。チェンナイ中心部から少し南に位置しています。
ガイドさんは、何時に集合とか、きょうはどこに行くとか、ほとんど事務的なことしか話さず、うるさくないといえば、そのとおりなのですが、もう少し歴史的なことを語ってもよさそうなのにと思いました。
もうひとつ残念なのは、せっかくチェンナイに来たのに、チェンナイの市内見学がツアーに組まれていないことです。
ガイドさんはチェンナイがデリー、ムンバイ(旧ボンベイ)、コルカタ(旧カルカッタ)につぐインド第4の都市で、人口は2000万人などと話していました。2000万人というのは大げさで、都市圏全体で1500万人というのが実際です。それでも大都会にちがいありません。
チェンナイはタミルナードゥ州の首都で、このあたりでは北部や中部のヒンディー語と異なるタミル語が話されています。日本からはスズキ、トヨタ、ホンダなど、多くの企業が進出していると説明してくれました。
しかし、ここがかつてマドラスと呼ばれていたことには触れませんでした。インドの地図が巨大な舌のかたちをしているとすれば、チェンナイ(旧マドラス)は舌の先っぽの右側(東側)に位置しています。
イギリスの東インド会社は1639年にこの地に進出し、翌年、セント・ジョージ要塞を築き、町をマドラスと名づけました。その遺跡は現在も残されているはずなのですが、今回それらを訪れることはできませんでした。
われわれの乗ったバスは、町なかを抜けて、南西に走ります。窓から道端の光景を撮らせてもらいました。
これは町のキオスク。新聞や飲み物、お菓子を売っています。
朝8時すぎともなると、道路には乗用車、リクシャー(オートリクシャー)と呼ばれるタクシー、オートバイ(二人乗りが多い)が、猛烈な勢いで行き交っています。いま気温は30度です。
これはバス停ですね。女性は色鮮やかなサリーをまとっている人が多いようです。道路にはみだすようにしてバスを待っています。
食べ物屋さんでしょうか。仕事に行く前の男たちが、仲間どうしおしゃべりしながら、揚げ物のようなものをぱくついているみたいです。
バイクに奥さんを乗せて、どこかに向かう姿はあちこちで見かけました。
道路にはゴミが散らかっていますが、だれも気にしている様子はありません。インドも車社会ですが、警笛が常に鳴り響くのは日本以上に車が混みあっているせいでしょうか。車線は時に平気で無視されます。
ラジブ・ガンディ・ニナイヴァカムという建造物を見かけました。あとで調べると、ニナイヴァカムとはメモリアル、記念堂のことです。
ラジブ・ガンディーはインドの第9代首相で、母は同じく首相を務めたインディラ・ガンディです。母がシーク教徒によりニューデリーで暗殺されたのを受けて、1984年にインドの首相となりました。
そして、かれ自身も1991年5月21日に、ここチェンナイ郊外で選挙運動中、スリランカの反政府組織「タミル・イーラム解放の虎(LTTE)」に属する女性の自爆テロよって暗殺されるのです。享年46歳でした。記念堂は、かれが暗殺された場所につくられています。
ガイドさんは、そうしたことも教えてくれません。政治的な問題はなるべく触れないようにしているのでしょう。
バスは高速道路にはいっています。未完成な道路が多いのですが、インドでは高速道路が次々とつくられているのが印象的でした。
次第に農村の風景が広がります。
道端に大きな観音様のようなものを見かけました。おそらくヒンドゥー教のお堂なのでしょうが、よくわかりません。でも何だかヒンドゥー教ぽくありませんね。
牛がのんびりと草をはんでいます。まわりにはアマサギ(?)の群れが。インドでは牛は神聖な動物で、人間よりもだいじにされていると聞きます。
ガイドさんによると、人の赤ちゃんは1歳になると牛乳を飲む。だから牛はお母さんと同じで神聖なのだといいます。この話にみょうに感動してしまいました。
10時ごろ、きょうの第一の目的地、カーンチープラムの寺院がみえてきました。
町のなかにはいります。黄色いリクシャーが何やら楽しげで、一度乗ってみたくなります。