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メンガー『一般理論経済学』を読む (1) [商品世界論ノート]

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 カール・メンガー(1840〜1921)は1871年に『経済学原理』を刊行した。近代経済学の出発点となったこの本は、その後本人が再刊を拒否したまま、埋もれるままになっていた。
 ところが、メンガーは死にいたるまで「原理」の改訂をつづけていたのである。その遺稿を整理して、子息が1923年に出版したのが『経済学原理』第2版だが、その内容は第1版と大きく異なっていた。
 そのタイトルを『一般理論経済学』と変えたのは、本人が初版の扉にそのように改題するよう示唆していたからである。『一般理論経済学』というのは日本だけのタイトルで、本人の示唆にもとづいて、タイトルの変更を決定したのは、経済学者の玉野井芳郎(1918〜85)だった。
 こうして新たに『一般理論経済学』と名づけられることになったものの、『経済学原理』第2版は、日本では長らく翻訳されなかった。出版されたのは、ようやく1982年になってからである。
 ただし、初版は安井琢磨の訳で『国民経済学原理』のタイトルで1937年に日本でも翻訳出版されている。初版とは大きく内容の異なる第2版が長く翻訳されなかったのは、これがもはや時代遅れの古証文とみなされていたからだろう。
 1980年代になって、それをよみがえらせたのは玉野井芳郎の熱意による。その熱意に応えて、八木紀一郎が中心になって、翻訳を進めた。
 カール・メンガーは、いわゆるオーストリア学派の創設者のひとりとして知られる。この学派からはのちにベーム=バヴェルクやヴィーザー、シュンペーター、ミーゼス、ハイエクなど錚々たる経済学者が登場する。シュンペーターを除き、いずれもスミスやリカードの古典派、マルクスを強く批判する立場をとった。現在の新自由主義の源流ともいえる。
 ところで、経済学の素人で、これまでマルクス中心に学んできたぼくが、いまさらメンガーを読んでみようというのは、いったいどういう風の吹き回しなのだろう。
 たまたま買ったもののツンドクのまま本棚に並んでいたが、ついに読む気になたというのが、いちばんの正解かもしれない。
 目も悪く、頭もいっそう悪くなったいま、いよいよ本棚の片づけを進めなくてはいけないと思うようになった。メンガーやシュンペーター、ハイエクを読めるのは、たぶんもう最後ではないだろうか。そんな気持ちがわいてくる。
 とはいえ、悲壮な気分ではない。そもそも、このブログはだれかのためになるわけでもないし、半解、曲解、中途半端で終わっても、だれかに迷惑をかけるわけでもない。要するにじいさんの暇つぶしである。
 それでもなぜこの本を買ったのかを思いだすと、ぼくはあのころ、ソ連や中国にはない自由な社会主義(脱資本主義)を夢みていて、その手がかりとして散漫ながらカール・ポランニーの本を読んでいた。
そのポランニーがたしか『人間の経済』(これも玉野井芳郎の訳だった)のなかで、カール・メンガーに言及していたのが気になっていて、そのときタイミングよく、この『一般理論経済学』が出版されたのだった。
 そこで、勢いこんで買ったのはいいが、パラパラとめくってみて、あまりの難解さにたちまち投げだすといういつもの癖がでて、そのまま何十年にわたってツンドクのままとなった。
 いまになっても、素人のぼくがこの本を読み通せる自信はない。最近の経済学は数学ができないと、1行たりともわからない。ところが、この本は数学ができなくても、ある程度理解できそうな気配がある。その哲学的思考にはついていけないかもしれないが、こむずかしいところを飛ばせば、ひょっとしたら何を言いたいかくらいはわかるかもしれない。おれにも読めるかなと思った。
 前おきはそれくらいである。翻訳で全2巻の本だから、途中で難破の恐れがある。その場合は元に戻って休みながら、あらためて進むことにしよう。たぶん時間はかかるし、まとめも長くなる。そんなふうに気長に考えている。
 いざ構えてみて、最初に思うのは、メンガーはたぶん近代経済社会の基本構造をとらえようとしたのではなかろうかということである。
 近代経済社会は人類が長い時間をかけてつくりあげてきた社会のひとつのあり方だった。それはけっして絶対的なものとはいえない。ひょっとしたら、大きな欠陥をはらんでいるかもしれない。にもかかわらず、その構造はかなり強固なものであって、まずそれを頭に入れておかなければ、次の現実的ステップははじまらない。
 こうしたとらえ方はすでに邪道かもしれない。だとしても、こんなふうな見通しをつけて、とりあえず理解できるところだけでも、専門用語(ジャーゴン)にこだわらず、自由に本を読んでみることは、高齢者の特権みたいなもので、許されるはずだ。
『一般理論経済学』は全部で9章からなる。最初にその全体を示しておこう。

 第1章 欲望の理論
 第2章 財の一般理論
 第3章 人間の欲望および財の度量[広がりと大きさ]について
 第4章 経済と経済的財の理論
 第5章 価値の理論
 第6章 交換の理論
 第7章 価格の理論
 第8章 商品の理論
 第9章 貨幣の理論

 ぱっとみるかぎり、あまり面白くはなさそうである。現代経済学でいうおなじみのミクロ経済学の教科書のようにもみえる。
 商品がつくられて需要と供給によって価格が決まり、貨幣で決済されて、財にたいする欲求が満たされ、経済が調和的に運営されていくというように。
搾取もなければ破綻もない。何もしなくても、市場の原理によって、すべてはうまくいく。
 だが、ほんとうにメンガーはそんなふうに考えていたのだろうか。いや、そうではるまい。かれは安定した経済社会が実現するには、じっさいにはかずかずの困難を乗り越えなければならないと承知していたのではないか。すべては憶測にすぎない。これから、実際の中身を読みながら、そのことをたしかめてみよう。
 以下、退屈で、だらだらしたブログになるかもしれないが、その点ご寛恕のほどお願いする次第だ。

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